00話 墜落。そしてゲームスタート
南シナ海上空、高度一万メートルを超える高さ。8月9日、午後5時ジャスト。乗客459人を乗せた旅客機、『サンフラワー202便』の第二エンジンが吹き飛んだ。
その日。『サンフラワー202便』は東京からシンガポールを目指して、12時間のフライトのため離陸した。乗客は459人。日光を反射して、名前の通りひまわりをイメージしたその機体は空港を後にした。
その日、機内には様々な人がいた。仕事のため、スーツを着込んだサラリーマン。家族旅行か、子供を4人もつれた親子。高校生の修学旅行の一行の姿もあった。皆それぞれシンガポールに着くのを心待ちにしていた。
そして機体の真ん中左。窓をのぞき込んでイヤホンからラジオを聴いている俺、こと「須玉充」はそんなことよりも別のことに興味がわいていた。とは言っても俺は中学生であり景色を見てはしゃぐほど子供ではない。俺は今月発売されたゲーム、『マジック・スフィア』に夢中なのだ。充自身まだプレイしたことはないのだが、攻略本をチェックしてその全貌は脳内に完全に入っている。(俺はゲームは攻略本を読んでからプレイするタイプだ)
『マジックスフィア』とは、ロールプレイングゲームに入るジャンルのゲームで、名前の通り魔法メインのゲームである。このゲームの特徴は戦闘システムにある。レベルアップにより使える魔法が増えていくタイプではなく、敵キャラやプレイヤーが使った魔法を真似て唱えることで使えるといったものである。魔法の中にはあまり登場しないレアなものもあり、それぞれに特徴があるため、プレイヤーの記憶力や根気強さ結構かかわってくるゲームだ。
全部で1000を超えるというその魔法を俺はすべて予習してきた。この攻略本は公式が発売したものでそこらのものよりも信頼度が高い。限定50冊しか販売されず。俺の父親が買い取ってくれた。
俺の父親?会社の社長だよ。多分名前を聞いたらわかるくらい有名な会社。俺がいまからシンガポールに向かうのもそのせいだ。父親は仕事の都合で住まいを転々する。母親や兄弟もいない俺は、先に向かった父親を追いかける形で今絶賛フライト中である。なに、慣れているからさみしくなんかない……本当だよ。
こんなことはいままでにも幾度もあったし、自分に良くしてくれている父親は好きだし、尊敬している。この攻略本や、ラジオだって父親が買ってくれた高いものだ。
ゲーム機は父親が先に出発するときに持って行ってしまったので、今俺の『ゲームやりたい欲求』はすでに臨界点を超えてしまっている。
俺はこれまで何回見たかわからないページをひたすらと読み続けた。今やダンジョンの地図でさえ紙さえあれば目をつぶったってかけられる。とはいえ、さすがに酔ってきた。ちょっと休憩……。
本から目をそらすと通路を挟んだ席に座る女の子と目が合った。肩まで伸びるつややかな黒髪が印象的だった……って何考えてんだ俺は。慌てて俺は窓の外に目を移した。ここまでの時間コンマ3秒。我ながら素晴らしい反射神経だ。その瞬間、二つ見えるうち手前のエンジンが機体のオレンジより鮮烈な赤で包まれた。
「キャーーーーーー」
「ジリリリリリ……」
耳をつんざくような悲鳴と非常ベルが機内に響き渡った。それに次ぐように酸素マスクが落ちてくる。乗客のほとんどがパニックに陥っていた。客室乗務員が収めようとあたふたと動き回る。
「皆様、当機はエンジントラブルにより近隣の空港に着陸を……」
意味もないアナウンスが頼りなく流れる。しかしそれも誰かの声でかき消された。
第一こんな海の上で近隣の空港なんてあるわけないだろ。俺は舌打ちをした。本っ当についてない。ここまで空想、妄想を膨らませてきたこともすべてはじけてしまう。
そう思うと居ても立っても居られなくなってきた。とはいえ何かできることもなく、一度抜いたイヤホンを耳にぶっさして窓の外を眺めた。
眼下に純白の雲が広がる。それがだんだんと迫ってきている。それが後の展開を示唆していた。機体が雲の中を入る。初めて見る雲の中は何も見えず、人々の不安をあおった。
雲を抜けると視界いっぱいに青が広がった。目の届くすべてが青。違いは空の青かと、海の青かだけだった。
高度が恐ろしいスピードで下がっていく。その先に待っているものを皆すべてが理解していた。叫ぶ者もいなくなった。
「皆様、本日は当機をご利用いただき誠にありがとうございます。これより当機はエンジントラブルにより胴体着陸を試みます。成功を、心よりお祈りください」
悲しいほど哀れなアナウンスが流れる。
ああ。こう簡単にも終わるもなんだな。皮肉にもゲームのようにさっくりと。
「ゲームスタート」
刹那、イヤホンから確かにそう声が流れた。
そして最後のひとあがきをするかのように機体は前方を少し持ち上げ海に還った。
南シナ海上空、高度ゼロメートル。8月9日、午後5時8分。乗客459人を乗せた旅客機、『サンフラワー202便』はその命ごと、波にもまれて消えた。
——————何も見えない。
俺は死んだのだろうか。目も開かない。体も動かない。何も聞こえない。感触も、温度さえも感じられなかった。あぁ、やはり俺は死んだのか。なんともふがいない人生。やりたかったゲーム一つもまともに出来ずに終わりを迎えるなんて。
14歳、中学二年生。いまだに青春真っ盛りだったはずの俺の人生。顔はそこそこいい「クールボーイ」。彼女無し。
母親も、兄弟もいなくて父親の背中だけを見続けてきた。父親の仕事で引っ越し、転校もしょっちゅう。思えば、友達もつくったこともなった。
もうどうでもいい。自分の人生を卑下することにも嫌気がさしてきた。
「名前を入力してください」
幻聴まで聞こえてきた(というより、頭に直接響いてきた?)。うるさい。一人にさせてくれ。
「名前を入力してください」
あーうるさいな。名前?そうかそんなに知りたいんだな。よく聞け。俺の名前は『須玉充』だ!覚えとけ‼
「ユーザネームを『ミツ』に設定しました」
『ミツ』だって?耳悪いのかこいつ。俺の名前は『す・だ・ま・み・つ・る』!これでも俺は自分の名前を結構気に入ってる……
「ユーザーネーム『ミツ』の性別を取得……成功」
聞いちゃいねぇ。
「ユーザーネーム『ミツ』のアバターを自動生成……成功
ユーザーネーム『ミツ』の初期装備設定……成功
ユーザーネーム『ミツ』のスポーンポイントを設定……成功
ユーザーネーム『ミツ』を世界にスポーンさせます」
ちょっと待って、スポーン?それってどういう……
「Are you ready?」
はぁ、こいつには何を話しても無駄だな。正直意味わかんなし。生前、知らない大人のいうことにうなずいてはいけないと教わったが……こいつは大人なのか?
そんなことより、俺が死んだということは、俺は今魂だけの存在ってことか。そうならこんなところで消えてしまうとかになったらたまらないし……。
「Are you ready?」
答えは一つに決まっている。
〈Yes!〉
俺は心の中でそう唱えた。
瞬間、何も見えなかった視界が真っ白に包まれた。自分の体が光でおおわれる。
温かい。そう思った。