Ⅵ vsファストスワロー
地恵期20年2月10日
ユーサリア トレイルブレイザーベース 実技試験専用会場 14時
この第7洞窟において、拳銃であれショットガンであれ、通常の銃火器を持つことはほとんど意味を成さない。と言うのも、ほとんどのクリーチャーにはそれらが豆鉄砲程のダメージしか与えられないからである。大砲や戦車なら多少のダメージにはなるが、中級以上のクリーチャーであればそれらのみでの駆逐は困難を極める。
では人類はクリーチャーに抗えないのだろうか?──否。
第7洞窟での生活を始めて間もなく、人類はこの洞窟内から謎の鉱石を発見した。後に【ジェクト】と名付けられるこの鉱石は大して硬い訳でも応用力がある訳でもないが、この鉱石の唯一にして最大の特徴は『地球上に存在する自然物や概念を物体に付与、或いは放出できる』という点であった。例えば〈火〉の力を宿すジェクトであれば火炎弾を放出したり、火を纏った斬撃を繰り出せたりするし、〈大〉のジェクトであれば物体の巨大化などができる。そしてこの力を行使すれば強力なクリーチャーとも互角に渡り合える事が判明したのだ。
しかしこの鉱石だけではその力を発揮することは出来ない。この力を使うには“媒介”が必要であった。この媒介として扱われるのが、人類の持てる科学力を総動員して開発された【オブジェ】である。特殊な技術を用いる事で、銃や剣といった武器だけでなく、冷蔵庫などの家電はおろか水道などのインフラまでもをオブジェとして改造したのだ。結果としてこの発明は大成功。用途に応じた力を宿すジェクトを装填する事で、その力を最大限発揮できるようになったのである。
人類は【オブジェ】に【ジェクト】を装填する事で誕生する【オブジェクト】を利用する事で洞窟内での生活レベルを飛躍的に上昇させ、強力なクリーチャーとも対峙できる唯一の手段を手に入れたのである。
(始まったか…?)
試験開始のアナウンスが聞こえて間もなく、ロビンは試験会場のとある場所に立っている事に気づいた。2mほどの高さがある歪な岩の突起が無数に天を衝き、どこからか獣の遠吠えが聞こえて来る。周囲に人の気配はない。高鳴る心臓の鼓動を押し殺し、ロビンはゆっくりと歩を進めた。
(レハトに最初の作戦は伝えといたけど、ちゃんと実行できてるかな?)
そう思い、ロビンは試験前にレハトに提案した内容を思い出す。自信ありげなレハトの応答に尚更の不安感を抱くロビンだったが、当然彼にも人の心配をしている暇はなかった。ロビンが我を取り戻したのと同時に、岩山の陰から黒い四足歩行の獣が数匹、一斉に飛び出してきたからだ。
「っ!?ハンガーハウンドか!」
犬型下級クリーチャー{ハンガーハウンド}。常に空腹状態で、一度その鋭い牙で噛みつくと骨まで噛み砕きかねない狂暴な下級クリーチャー。
5匹で襲い掛かって来たハンガーハウンドは、ロビンの方目掛けて涎を垂らしながらまっすぐ駆けて来る。その襲撃に気づいたロビンは迷いなく背後のホルダーに手を伸ばし、漆黒の弓を構えて目標を定めた。今朝とは違い、自分でも驚くほど滑らかな動きだった。
「《アマテラス》!」
ロビンの呼び声に呼応し、アマテラスの中心部に嵌められた〈風〉のジェクトが鮮やかな緑色に輝いた。アマテラスの両端を結ぶように緑色の光の線が出現したかと思えば、周囲の空気がたちまち収束されていく。やがて十分な量の空気が集まると、それが更に圧縮されて“矢”のような形へと変貌していく。歪曲した鉄の棒に過ぎなかったアマテラスは瞬時に緑の弓矢へと生まれ変わり、向かってくる標的を真っ直ぐ見据えた。
ビュンッ!
放たれた風の矢がハンガーハウンドの脳天を貫く。主を失った肉体は体勢を崩し、慣性に従いながら前方に転がった。地面に鮮血が飛び散り、痙攣していた死体は間もなくして動くことを諦めた。敵を射抜いた矢は獲物の頭に空いた風穴のみを残して、すぐさま元の気体となって消え失せた。
ところが、仲間の死に気づいても尚ハンガーハウンドたちは止まる気配を見せない。本能に従って襲い掛かる獣たちに、ロビンは容赦なく次の攻撃を打ち込む。
ビュンッ!ビュンッ!
放たれた二本の矢。一本は前方の獣の腹を貫通し、もう一本は左方の獣の耳をかすめた。続けざまにもう三本目を放とうとしたその刹那、右方の獣が高く跳び、ロビンの頭部に牙を立てんと口を開ける。
「くっ…!」
咄嗟に振りかぶったアマテラスの弦で、襲い来るハンガーハウンドの腹を殴る。吹っ飛ばされた獣が動きを止めたことを確認する間もなく、ロビンは背後からの殺気に勘づき思い切り上体を反らした。
ロビンの視界を漆黒の陰が隠す。耳に傷を受けた左方の獣が、先程までロビンの上半身があった虚空を噛み砕いたのだ。その好機を逃さんとばかりに、ロビンは獣の腸に直接矢を撃ち込む。
「ガルルルッッ!」
そのまま地面に倒れ伏したロビンの隙を狙おうと、5匹目のハンガーハウンドが唸る。音のした方向を瞬時に察知したロビンは、急いでアマテラスを右側へと押し出した。
ガキンッ!
硬い物がぶつかり合う音。アマテラスの弦を咬まされたハンガーハウンドは、血に飢えた形相でロビンを睨んだ。下級クリーチャーと言えど野犬の数倍の力を持つハンガーハウンドに、ロビンは思わず身の危険を感じて冷や汗を流す。ハンガーハウンドの飢えが頂点に達してアマテラスの弦の鉄が微かに弾けたのと同時に、ロビンは獣の横腹を力強く蹴った。断末魔を上げる暇さえ与えず、ロビンは怯んだ獣の顔面を狙って冷静に止めを刺す。返り血を浴びて頬が赤く濡れたものの、ロビンは緊張も恐怖も何も感じる事は無かった。
全ての獲物を撃ち殺したかと思えたその時、遥か向こう──ロビンの視力でギリギリ見えるかどうかの距離に、突如として20m程の巨大な柱が出現した。もし彼が1人で試験を受けていたら驚くだけで終わりなのだが、今の彼にはその柱を出現させたのが誰なのか一瞬で分かった。柱の先端に乗っている1人の人間。こちらを見て動きを止めたかと思うと、柱の先端を橋のように延長させて、ものすごい勢いでこちらに走って来るのが見えた。残念ながら、ロビンにはこんな破天荒な事をする人間の心当たりが1つだけあったのだ。
「おぉーーーい!ロビィィィーーーン!!!」
彼は会場にいる人間なら誰でも聞き取れるであろうはっきりとした大声でロビンの名前を呼んだ。そのシュール且つ派手すぎる光景に、ロビンは唖然としながらただただその様子を見る事しかできなかった。
「レハトに安易な計画を提案した僕が馬鹿だっ──」
と言いかけたその刹那、背後に感じた強烈な寒気。血に飢えた微かな吐息と、確実にこちらを仕留めんとする静かな殺気がロビンのうなじを駆け巡った。
(後ろを取られた!?)
振りむきかけたロビンの視界の端に、口を大きく広げ真っ白な牙を見せる黒犬が一匹。言うまでもなくそれは、先程殺し損ねたハンガーハウンドの生き残りであった。
ロビンが咄嗟にアマテラスを構えようとしたその瞬間、今度はハンガーハウンド目掛けて“何か”が猛スピードで落下してきた。不意に訪れたその衝撃に耐えきれず、ロビンはバランスを崩して尻餅をつく。続けざまの奇襲に驚いて身動きが取れないロビン。彼の目の前で発生した土煙の中から、人の形をした影がスッと立ち上がった。
「大丈夫か、ロビン?怪我してねぇか?」
煙の中から手を差し伸べる茶髪の少年。彼が持つハンマーの下では、先のハンガーハウンドがぺしゃんこになって原形を留めていないというのに、相も変わらぬ笑顔を見せている。そんな姿にロビンは変な笑いを覚えつつ、彼は差し出された手を取った。
「ありがとう、レハト!」
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試験開始2分時点 獲得ポイント数
レハト・・・・・4pt
ロビン・・・・・20pt
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合流して間もなく、2人は試験会場の東に位置する人工林を疾走していた。
「今だレハト!」
「おうよ!」
ドシンと、レハトはグランディウスを振り下ろす。ロビンに追いかけられていたウサギ型下級クリーチャーの{ラピッドラビッド}は、レハトに挟み撃ちされていたことに気づかず、まんまとグランディウスの一撃によって圧死した。動きが速いだけで、クリーチャーの中でもかなり非力な部類のラピッドラビッドを殺すのは、レハトにとっては造作もなかった。
「はぁ、やったね…。これでまた、はぁ…1ptゲットだっ…!」
追いついたロビンは、息を切らしながら全身汗まみれで膝に手をついた。そんなロビンの姿をレハトは呆れたように眺める。
ロビンは同年代の男子と比べると運動が苦手である。14年にも及ぶ修行のおかげで体力は付いた方だが、それでもようやく平均男子の体力を僅かに上回る程度だ。それ程までにロビンは身体が弱い。
入り組んだ林の中では、ラピッドラビッドを狩るのは至難の業。レハトの健脚をもってしても小回りの利くラピッドラビッドには逃げ切られてしまうし、ロビンの弓を命中させることも難しい。そのためレハトがラピッドラビッドの逃げる方向に先回りし、卓越した動体視力で挟撃するというのがロビンの考案した作戦であった。
しかしながら、ラピッドラビッドを倒すことによって得られるポイントは今回の試験の中では最低クラスである。その都度ロビンがここまで体力を消耗してしまうのならば、割に合っていないと言わざるを得ない。
「大丈夫か?これやるから少し休んどけ」
心配そうに懐から水筒を差し伸べるレハトの額には汗一つ浮かんでいない。ロビンは咳込みながらもその水筒を取り、「ありがとう」と伝えた上で水を浴びるように飲んだ。そんな姿を見ながらレハトが後ろ歩きをしていると、ふと踵に何かがぶつかった感触を覚えた。
(ん、何だ…?)
振りむいたレハトは、その正体に気づいた瞬間顔を青ざめさせた。一見倒木か何かと思えたソレは、倒木にしては妙に小さく柔らかい。生臭い刺激臭が鼻を刺すと同時に、薄暗い林の中で光る青い瞳がこちらを睨んだ。今足元に横たわっているのが人間の死体だと気づくのに、そう時間はかからなかった。
「……ッ!?」
悲鳴こそ押し殺したが、レハトにとって死んだ人間を見るのは初めてであった。その屍の体には多少の砂利がついてこそすれ、傷は一切ついていない。胸の中心部に空いた歪な形の風穴を除けばだが。
異変を察知したロビンが近づいて来る足音に紛れ、木々を掻き分ける微かな音とどこからか感じる殺気を察知するレハト。反射的に身の危険を察したレハトは、ロビンに覆い被さるようにして地に伏せた。
シュンッッッ!!!
それとほぼ同じタイミングで、《《何か》》が高速でレハトの頭上を掠める。
「な、何!?」
「しっ!声出すな!音が聞こえねぇ」
唇に人差し指を当てて小声で囁くレハト。その後レハトが死体を指さすと、すぐさま状況を理解したロビンが四つん這いになって死体に近づいた。
「……っ!この胸部に空いた穴、多分{ファストスワロー}だ…!」
「ファストスワロー…?」
ピンと来ていなさそうにレハトが首をかしげると、ロビンはなるべく声を潜めて語りだした。
「燕型下級クリーチャーだよ。手のひらサイズの小さなクリーチャーで、空気抵抗を極限まで減らした身体構造をしてるんだ。個体によっては音速レベルで飛べるとも言われていて──」
言いかけた瞬間、再びレハトはファストスワローの襲撃を察知し、地に伏せるようロビンの頭を押した。またしても頭上を掠めるファストスワローの高速の一撃を回避した後、ロビンは更に言葉を続けた。
「もちろん体は凄く脆いから、反撃さえできれば一撃で倒せるんだ。さっきの試験説明だと、確かこいつを倒すと8pt…。下級の中だと一番点数が高いはずだけど、どうやって倒せばいいか…」
ロビンが顎を触って作戦を練っていると、今度はレハトがロビンを勢いよく突き飛ばした。突然の衝撃に受け身を取れず、派手に転がるロビンとレハトの間を、ファストスワローの一閃が横切る。その一閃は、ロビンの眼では到底捉え切れる速度ではなかった。
「いててっ…。それにしても、レハトの動体視力と聴力は凄いね。相当身体能力に優れてる人じゃないと攻撃を読めないっていうのに……」
「無駄口叩くな!俺にはそのくらいしか取り柄がねぇんだよ。それはともかく、あいつを倒す作戦は何かねぇのか?」
レハトとロビンの視線が合う。ロビンを見つめるレハトの顔からは、目の前の相手を信じ切っているような真っ直ぐな感情が見て取れる。汗と砂利に塗れたロビンは、それに応える様に悪戯な笑みを浮かべて、自信満々に口を開いた。
「当然、もう思いついてるよ!」
地面を掘って作られた半径1kmはあろう巨大な試験会場に、不自然に植え込まれた人工林。その複雑に絡み合った木々の合間を縫って、美しい流線をしたフォルムのファストスワローが目にも止まらぬ速さで飛翔していた。藍色の羽毛から覗く黒い瞳は、2人の人間を捉えている。これまで狙ってきた獲物は全て一撃で仕留めてきたにもかかわらず、今回の獲物は3度もその攻撃を回避している。知能を持たないクリーチャーなりにその現象に違和感を覚えつつも、彼は再び獲物を狙う。
次に狙うは緑色の服を着た小さな少年。翼を広げて枝から羽ばたいた彼は、空気の力を最大限に利用して恐るべき速度で獲物に突っ込む。今度は回避される気配を感じない。ぐんぐんとスピードを上げ、その腹部を貫こうとしたその時───
グオオォォォンッッッ!!!
彼の目の前に、突如として土の壁が出現した。音速に近い速度で飛翔していた彼は当然避ける事も出来ずに成す術なく壁に突き刺さる。それは人間の体よりも遥かに強度があり、悠久の時を経て生物に踏み固められた広大な大地の硬さを思わせた。
「作戦成功だな、ロビン!」
壁の裏側から快活な少年の声が響く。その後に続いて、あどけない声をした少年が作戦の説明をした。
「レハトのグランディウスのおかげだよ。僕が囮になって、ファストスワローが近づいたタイミングで壁を作る。大地を叩くと、その衝撃を受けた部分の地形を自在に変えられるっていう、〈土〉のジェクトを持つグランディウスの能力を利用したんだ」
作戦がうまく決まった事に満足気になるロビンを横目に、レハトが壁に刺さって動けなくなったファストスワローを叩く。あっけなく潰れたファストスワローと共に、生成された壁は元の土へと戻り、瞬く間に壁が消えた。
「まだ時間はある。次は南の方まで移動してみるか」
「そうだね。でもその前に…」
声の調子を落としたロビンは、ファストスワローに殺されてしまった受験生を眺めた。戦闘中は悲しむ暇も無かったものの、試験中に死亡者が出るという事が紛れもない事実だったと分かり、ロビンは悲壮に満ちた顔をした。2人は彼の瞼を閉じさせると、体を持ち上げて近くの木の傍に寄りかからせた。
「死体は試験の後に回収されて、ユーサリアの霊園で埋葬される。せめて彼が天国に行けるように祈ってあげよう」
死亡者を発見したと言えど、自分の命も危険に晒されている試験中であることから、わざわざ他人の死体にまで気遣う人間は多くない。故に2人のこの行動をカメラ越しに見ていた試験官達にとっては、これが少々珍しく映ったのは言うまでもない。
「そろそろ行くか?」
「…うん」
ロビンは静かにそう頷くと、新たな敵を狩りに林の更に奥へと向かった。奥に進む度にその闇は深くなっていくが、力強く大地を踏みしめる2人の足取りは確かに自信に溢れるものだった。
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試験開始15分時点 獲得ポイント数
レハト・・・・・31pt
ロビン・・・・・28pt
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