Ⅴ 実技試験
地恵期20年2月10日
ユーサリア トレイルブレイザーベース 12時50分
「ん?オブジェクトの名前?」
「はい。試験にエントリーするには、自分の所持するオブジェクトの名前を登録する必要がございます。注意事項に記載されていたはずですが…」
「えっ、ロビン知ってたか?」
食事を済ませた後、2人は会場受付にて実技試験のエントリーをしていた。エントリーには氏名や住所などを再度登録しなければいけないのだが、それと同時に自分の持つオブジェクトに名前を付けなければいけない。一般的には市販のオブジェクトを使う人が多いので、よほどの拘りが無ければ商品名をそのまま書けばよいのだが、2人は手に入れた経緯が人とは少し違う。そして当然レハトがそんな事を知っているはずもなく…
「知ってるに決まってるでしょ!というか、なんでちゃんと確認しないのさ!」
「いや絶対俺の資料に書いてなかったって!あれは不良品だ不良品!!!」
そうして自分の不備を認めないのもレハトらしいとロビンはため息を吐いたが、なんにせよ名前を決めなければエントリーすることが出来ない。かと言って、レハトのネーミングセンスに任せると嫌な予感しかしない。ロビンは自分の手続きを手早く済ませると、レハトの隣に立って、何かいい案がないかと少しの間考えた。
「……あっ!」
「おっ、なんか思いついたか?」
「こんなのはどうかな──?」
その時思い出したのは、数分前にレハトが口にした言葉であった。
『命も心も護りたい』
あの時の真剣な表情はあっという間に影を失って、またしても残念な性格に戻ってしまったレハトだが、それでも彼の奥底に眠る信念の強さは本物である。それはその信念の強さから思いついた言葉だった。
手続きを終えて、2人は試験の説明が行われる大講堂に入室した。息を飲むほど広い大講堂の机には700人以上の人が座っており、その年齢層は若者7割、大人3割といったところだ。時間帯や日にちをずらして説明が行われているので、総受験者数はざっと3000人。倍率はおよそ30倍程度である。
適当な場所に着席して程なく、壇上に試験官が上がった。眼鏡をかけた真面目そうな女性だった。
「皆様、本日は第19回トレイルブレイザー選考試験にお越し頂きありがとうございます。わたくし、トレイルブレイザー開拓部隊03小隊隊長のペネトラ・テルと申します。ご存じの方も多くいらっしゃると思いますが、毎年この実技試験において約1割の受験生が死亡しています。我々は皆様の生死には一切の責任を負いませんので、くれぐれも命だけは落とさないよう、気を付けて試験に臨んで下さい」
淡々と放たれるその言葉と同時に、講堂を包む空気が明らかに重くなったのが分かった。ロビンの額からも冷や汗が流れ落ちる。
「それでは試験の説明に移ります。試験はトレイルブレイザーベースの地下最深部に位置する、実技試験専用会場で行われます。開始時間になると受験者は会場のランダムな地点に転送され、その時点で試験が開始されます。
会場内には下級~中級のクリーチャーが放し飼いにされており、それぞれのクリーチャーを倒す毎にポイントが与えられます。30分が経過し試験が終了した時点で、自分の所持しているポイントがそのまま実技試験の点数となります。尚、点数に上限はありません。クリーチャーを倒すことによって得られるポイントは以下の通りです」
スクリーンにそれぞれのクリーチャーの画像と配点が映る。年度と会場によって試験に使用されるクリーチャーは多少変更されるが、今回のクリーチャーの特徴と対策はロビンの頭には全てしっかり入っている。不安要素はない。
ロビンがふとレハトの横顔を覗くと、さっきまでとは顔つきががらりと変わって、瞳に闘志を宿しているのが分かった。筆記とは違い、戦闘になればレハト以上に安心感がある人物はそうそういない。そう確信してロビンが微かに笑みを浮かべたところで、会場の一箇所から手が挙がるのが見えた。
「一つ質問です。試験中における、他の受験生への妨害行為は違反となりますか?」
物騒な質問内容に講堂内が少々ざわついた。質問をしたのは、派手な赤いドレスに身を包んだツインテールの少女。とても人に妨害行為をするような野蛮な人間には見えないのだが、ロビンには彼女の姿や顔にどこか見覚えがあった。
「試験中は直接命を奪わない限り、他の受験生に妨害を加えても問題ありません。もちろん、一切点数には影響しませんが」
「分かりました。ありがとうございます」
ざわつきが更に大きくなった。多くの受験生が心配そうな顔をする中、妨害の許可が下りて逆に何かを企んでいそうな連中もちらほら目に入る。念の為警戒しておくべきだろうと考え、ロビンは注意深く怪しげな人物をマークした。
「これ以上質問が無いようでしたら説明を終わります。30分後の14時までには、このフロアの待機室に集合しておいて下さい。では皆様、健闘を祈ります」
説明が終わってからの30分はとても長く感じられた。知識や対策があるとはいえ、今朝の事件を思い返すとどうしても体が竦むロビン。直前になって初めて、恐怖心が襲い掛かって来たのだ。
「レハト、準備は出来た?」
「おう、当たり前だ。そういうお前は随分と顔色悪そうだけど大丈夫か?」
レハトはロビンの状態をすぐに見抜き、心配そうに顔を覗く。
「えっ!…うん、大丈夫だよ…?」
ピンッ
ロビンの嘘を一瞬で見透かしたレハトは、突然彼の額にデコピンを食らわした。
「嘘つくなよ。何年一緒にいると思ってんだ?お前の考えなんて言われなくても大体分かるわ!俺の前ですら見栄張りたいか?」
「いや…ごめん」
「別に謝る事でもねぇだろ。俺とお前は17年来の幼馴染で親友だ。どーせ嘘ついても分かるんだから、俺達の間に嘘とか隠し事は無しだ。いいか?」
レハトは少し体をかがめて、目線をロビンに合わせた。レハトの顔が我が子に説教しているような光景にロビンは少し恥ずかしかったが、ロビンは仕方なくその提案に頷いた。
「…レハトは怖くないの?」
「ん?何がだ?」
「何がって、クリーチャーと戦う事だよ。さっきだって僕達死にかけたんだよ?それなのに数時間もしないでクリーチャーの群れに放り込まれて戦えだなんて、怖いに決まってるじゃん。…なんでレハトは平気でいられるんだよ…」
今回だけでなく、レハトは昔からそうだった。
(どんな時でも成功を諦めない。どんな場所でも恐怖しない。僕はそんな強いレハトがずっと憧れで、羨ましくて…)
口には出さないロビンの本心。どこか悲しそうな、しかし嬉しそうな顔をするロビンに、レハトはけろりとした表情で返した。
「……別に俺だって怖くないわけじゃねぇよ」
「…え?」
その言葉は、ロビンには少し意外に聞こえた。
「俺だって恐怖を感じてないわけじゃない。誰だって恐怖をゼロにすることはどうやっても出来ないだろ。でも、だったら俺は、恐怖を感じる暇もないぐらい成功を信じる。体が竦むよりも速く頭と体を動かして、一歩でも成功に近づけたいんだ。そっちの方が、例え失敗しても後悔が少なくて済むと思うからさ」
まるでそれが当然の理論であるかのように顔色一つ変えずにそう語るレハト。それを聞いたロビンの口からは、無意識に笑いが込み上げて来ていた。
「──ぷっ、はははっ!」
「は、はぁ!?お前、ここ笑うところじゃねぇだろ!?」
「いや、ふっ、…ごめん…っ!」
その時、ロビンはレハトの強さの秘密を理解した。彼は強いわけじゃない。ただ我武者羅なだけなんだと。
目的のためにまっすぐ前を見続ける。でも自分が興味ないものにはとことん興味を持たない。そんな人間なのだと。
その性格のせいで痛い目を見る事もある反面、そんな所も含めて彼を気に入っているからこそ自分は彼と一緒にいるのだと。
「こういう時に限って良い事言うよね、レハトは。でもありがとう!元気出たよ。ベストを尽くそう!」
「お、おうよ!」
ロビンとレハトは互いに固い握手を交わした。レハトの大きくて硬い掌は何よりも頼りがいのあるもので、消えかけていたロビンの手の震えを完全に押し殺してしまった。そしてとうとう、待期室内にアナウンスが響く。
「間もなく、試験会場Aにて実技試験を開始します。受験生の皆様は速やかに集合して下さい」
「レハト、戦闘試験が開始したらやってもらいたい事があるんだ。ちょっと耳貸して」
「──なるほど、了解した。まあ見てなって!」
作戦を伝えた後、2人の体は粒子となって徐々に薄くなり始めた。
「試験中の作戦はお前に任せるぜ、ロビン!」
「もちろんだよ、レハト!」
2人は笑顔でハイタッチをした。お互いの覚悟を確かめ合う様にして交わされた喝采は、しばらく2人の耳に残り続けた。
「──それでは実技試験、始め!」
「ここは……!」
遥か遠くまで広がるドーム状の空洞。転送が終わって意識を取り戻したレハトが立っていたのは、試験会場の真ん中に位置する山の麓であった。
前方には妖しげな湿地。右手には広大な湖。左手には青々と生い茂る林。そしてどこからともなく聞こえるクリーチャー達の不気味な鳴き声。
深呼吸をして心を落ち着かせると、レハトは手に持ったハンマーを固く握り締めた。いよいよ戦いが始まるのだと自分自身に言い聞かせ、ロビンから授かった”名前“を力強く叫んだ。
「よっしゃ!行くぜ、《グランディウス》!!!」