Ⅰ 旅は道ズレ?
地恵期20年 3月9日
ブルシネッサ 北西部 レストラン『meet meats』 正午
「はぇ~~。これまたでっけぇ建物だなぁ。」
俺、レハト=ダイアは、『ブルシネッサ』のオメガツール本社を、お洒落なレストランのテラス席から眺めている。
下層から上層にかけて、緩やかな曲線で捻じれながら細くなっている全長98mの2つのビルの間に、前方に突き出したアーチ型建造物がくっついている、とても複雑な建造物だ。
どうやったらあんな建物を造れるんだろうと、至極どうでもいいことを考えながら、俺は先程注文したランチを待っている。
ところで、俺が何故こんな所にいるかって?
それは、数日前の出来事に遡るんだけど・・・。
* * * * *
「何!?旅に出るって!?」
俺の家族が経営する『ダイア・ダイニング』の開店作業中、俺の告白を聞いた母ちゃんの声が店中に響く。
「そうそう。ほら、見聞を広めるってやつ?お金は今まで貯めてきた俺の貯金使うし、旅って言ってもブルシネッサとかクライスターレを見て回るだけだから、1か月もあれば帰って来るって。な、いいだろ?」
母ちゃんはため息をつき、呆れ顔でぼやく。
「全く。試験に落ちたって言うもんだからしばらく落ちこむのかと思えば、帰って早々旅に出るって・・・。ま、あんたが行きたいなら否定はしないけどさ。」
「ホント!?ありがとう母ちゃん!じゃあ早速準備してくるわ!」
ドンドンドンドン!
俺は母ちゃんから言質を取ると、待っていたと言わんばかりに大きな足音を立てながら自室に戻った。
それとすれ違うように、向かいの部屋からピンクのパジャマを着た一人の少女が降りて来る。
「どうしたのママ?レハト兄が凄い勢いで部屋に入って行ったけど。」
「アリス、おはよう。なんかレハトが旅に出たいらしくてね?それを許可したら凄い勢いで準備し始めたのよ。」
彼女は俺の妹、アリス=ダイア。
今年で9歳になる可愛い可愛い俺の自慢の妹だ。
髪はブラウンのポニーテールで、青い瞳はビー玉のように澄んでいる。おまけに笑顔は太陽のように眩しい!(太陽見たことないけど)
「ふーん。まあいいんじゃない?気分転換も必要でしょ。」
アリスは枝毛の処理をしながら、興味なさそうに返答する。
「うーん。そうねぇ。レハトの事だから、変な事件起こさないといいけど・・・」
* * * * *
そんなわけで、俺はまず最初に、マインズの1階層上にあるブルシネッサに訪れたわけだ。
ブルシネッサには、オブジェクトの8割を製造している【オメガツール】の本社をはじめとして、沢山の企業が林立している。
ユーサリアが「金融と政治の街」、マインズが「エネルギーの街」、クライスターレが「鉄鋼の街」だとすれば、ブルシネッサは「生活と食の街」といった所だろうか。
そんなひと際目立つ大企業の本社に見惚れていると、店内からウエイターさんが料理を持って近づいて来るのが見えた。
「お客様、お待たせ致しました。こちら、アンガスビーフのステーキになります。」
「お、来た来た!ありがとうございます!」
俺が来ているのは、実は第7洞窟内でも数少ない、本物の牛肉を食べられる高級ステーキ店だ。
言うまでもなく、ワールドレイジによって牛や豚といった家畜類はほとんど死に絶えてしまった。畜産農家の努力でなんとか生き永らえた数少ない家畜達は、クリーチャーの潜む暗い洞窟の中でストレスに晒され続けながら、小規模に育成されてきた。
その為、現在となっては本物の肉は非常に高価な物として扱われていて、よく分からない化学物質で構成されている人工肉と比べると、その美味しさはまさに天下一品だともっぱらの噂だ。
黒い鉄板の上に乗っているのは、こげ茶に焼かれた200gの平たい肉塊。
表面には白黒の塩コショウが肉を引き立てるように共存しており、周りにあるガロニのポテトとブロッコリーが彩りを与えている。
臭みの無い奥深い香りが煙と共に鼻に流れ、肉が鉄板に焼かれている音がパチパチと聞こえて来る。
じゅるじゅるっ
あー、そんな説明をしていると余計食欲がそそられてきた。もうよだれが止まらなくなってきてる。
それじゃ、冷めない内に早速・・・・・
「いただきますっ!」
慣れた手つきで肉にナイフを切り込むと、空気を切り裂いたのかと感じられるほどに、柔らかく、しなやかに肉が両断された。
中身はミディアムレアの焼き加減で、端から中心にかけて茶と赤のグラデーションが絵画のように彩られている。その切り口からは透明な肉汁が溢れんばかりに漏れだしており、見る角度によっては虹色に輝いて見える。
そんな芸術作品のような食事を、ゆっくりと口に運んでいく。
ぱくっ!
「・・・・・っ!」
美味い。
脂身が少なく柔らかい肉質。噛み締める程に中から絶え間なくジューシーな肉汁が溢れ出す。
次は赤ワインソースに付けて二口目。
ジューシーな肉汁と、コクと酸味のバランスが取れたソースがマッチして、深い味わいが口内に広がって来る。
「くうぅぅぅ!!うんめえぇぇぇ!!!」
思わず声が出てしまうくらいの味だ。
これでも牛へのストレスが少なかったワールドレイジ以前の方が何倍も美味いらしいのだが、もしそんな状態の肉を食ってしまったら美味すぎて天に召されてしまいそうだ。
今まで食ってきたパサパサで硬いだけの人工肉にはもう戻りたくないと思えてしまう。
そんな脳内グルメリポートをしていると、ライスを食べるのも忘れて、あっという間にステーキを平らげてしまった。
(あ~食った食った!できればあと2皿くらい食いたいところだけど、流石に財布が限界だしなぁ。まぁ仕方ねぇか。)
そんな感想を心の中で繰り出しながら、ガロニとライスを余すことなく食べ尽くし、会計に向かう。
「お会計は50ダラになります。」
ワールドレイジで驚異的インフレが起こったことで、ドルの価値は大暴落した。
俺にはよく分からないけど、その後何やかんやあって【ダラ】とかいう新しい通貨が誕生した。
一般的な飲食店のダイア・ダイニングの時給が10ダラであることを考えると、この肉の高価さが分かるだろうか。
「ご来店ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております。」
ウエイターの声を背に受けて、次はどこに向かおうかと街並みを眺めながら考える。
ここブルシネッサの街並みも、マインズやユーサリアと変わらず、石かコンクリート製の味気ない建物で溢れかえっている。
無機質な灰色の街並みには表情が無く、街行く人々の表情もどことなく元気が無い。
大通りを少し外れて裏の方に行ってみると、そこはまさに地獄と言わんばかりの光景が広がっている。
窃盗・殺人・強姦なんて当たり前。
あるところでは麻薬の取引が行われ、またあるところでは人身売買が行われていたりする。
こんな光景はブルシネッサに限った話ではなく、マインズもユーサリアも、どこも同じような感じだ。
天恵期に比べて、地恵期の治安はかなり悪化している。
警察の活躍によって辛うじて街の表側は平和に見えているけど、裏側は生き地獄の様らしい。
しばらく街を歩いていると、賑やかな繁華街が見えてきた。
どうやらブルシネッサでは有名な『コメルスクエア』という繁華街らしい。
その景色はこれまでの無機質な街並みとは一線を画していた。
色んな食品や製品の広告が、鮮やかで派手な色彩と共にホログラムや液晶に映されていて、道行く若者は楽しそうに俺の横を通り過ぎていく。
それと同時に、多くの警察官が繁華街をパトロールしていて、起きうる事件に目を光らせている。
そんな様子を見ていると、家族にお土産を頼まれていたのを思い出した。
何を買えばいいのか苦悩していたところ、ふと俺の目に入って来たのは、年頃の女の子が好きそうなアクセサリーショップだった。
そういえば、この前アリスが新しいシュシュが欲しいと母ちゃんにねだっていたのを聞いたことがある。
アリスの趣味はよく分からないが、値段もそこまでかからない事を考えると、アリスにはシュシュを買えばいい気がする。
そう思い立って、ちょっと緊張しながら店内に入ってみたが・・・。
(はぁ・・・。いるだけで疲れちまった・・・。)
普段目にしないような、派手なピンクのライトに照らされながら馴染みのない商品を見ていたせいで、30分と経たずに疲れてしまった。
雰囲気に耐えきれずに勢いで購入したのは、黒の地にピンクの水玉、端には赤いフリルが縫い付けられた中々可愛げのあるデザインのシュシュだ。
あとは保険として多機能ブラシなる物を買ってみた。
なんでも、どれだけボサボサの髪でもこれ1本でリンスをしたようにサラサラな髪になるらしい。
(まあブラシはともかく、シュシュは使わなかったら母ちゃんにでもあげればいいだろ。)
その後も俺はブルシネッサを数日歩き回った。
グランディウスを携帯しながらの旅路は中々にハードだったけれど、逆に怖い人達からも絡まれにくかったから寧ろ助かったとも言える。
ある程度ブルシネッサは歩き終えたから、次はそろそろユーサリアに行ってみようとした時、事件は起きたんだ。
「まもなく4番ホームに、ユーサリア行きのモノレールが到着します。安全柵の内側まで下がってお待ちください。」
駅構内にアナウンスが流れる。
駅のホーム内は、平日の通勤ラッシュ帯であるせいか人が結構多い。
ぎゅうぎゅう詰めの状態でモノレールに乗り込み、しばらくしてユーサリアにもうそろそろ着こうとしているその時・・・
「きゃっ!やめてください!この人痴漢です!!」
急に目の前の同年代くらいの少女がそう叫んだ。
(こんな朝っぱらから堂々と痴漢しようだなんて最低にも程があるな。そんな最低くず男なんて俺がひねり潰してやる。さあ、女の子にそんな手を出した輩は一体どこのどいつだ?)
そう思って周りを見渡そうとすると、その少女の指は俺の方を指していて・・・
(・・・・・って、あれ?)
よく見ると、少女の周りには女性しかいない。
男による痴漢なのだとしたら、それが可能なのは・・・俺ぐらい?
(・・・・・俺、もしかして疑われてる?)
「えっ、いや、ちょ・・・ちょっと待ってくださいよ!?いや、まさかまさか。確かに左手はフリーだったけど、誰かの体に触れた覚えなんて無いですよ?いくら彼女いないからってそんな最低な行為しようと思ったこと・・・・・」
必死に弁解しようとするが、周りの女性からも、ちょっと遠くにいる男性陣からも、一向に疑いの目を掛けられている。
そういえば近頃、痴漢されてないのに痴漢の容疑を他人にかけて賠償金を払わせる、痴漢冤罪っていうのが頻発してるとか聞いたような・・・。
「いや、だから・・・これは・・・その・・・」
マズイマズイマズイ、流石にこれはマズすぎる。
これは口ではどうにもならない事だというのは容易に分かったが、かと言ってこんな焦った状態で他の解決策なんて思いつくはずもない。
自分でも目が異常なほど泳いでいることが分かるし、額や脇から変な汗がたらたらと流れ落ちている。ここまで動揺していると逆に怪しさが増しそうなものだが、どうにかして抑えられるものでもない。
そうこうしている内に、正義感の強そうな男性数人が俺の両腕を掴み始めた。
「お兄さん、取り敢えず言い訳は駅員さんに言いましょう。」
「いやだから、言い訳じゃないですって!ほら、最近痴漢冤罪とかもあるじゃないですか!?」
焦りのあまり強い口調で言い返すと、それを聞いていた少女が激しく泣き出した。
「うっ・・・!酷い・・・!本当に触られたのに・・・!!!うわぁぁぁん!!!」
彼女の方は酷く震え、目を真っ赤にして大声で泣き喚き出した。
「ほら!この子泣いてるだろ!?これでもしらを切ろうってか!?」
男の1人がそう言うと、周りの乗客も揃って首を縦に振る。
(ヤバい!このままじゃ本気で俺の人生が終わっちまう!ごめんよ母ちゃん、父ちゃん、アリス、サクヤ、キリカ姉ちゃんにノア兄ちゃん!俺、社会的に死ぬわ!)
心の中で家族に別れを告げていると、ふと「痴漢冤罪にあったらどうすればいいのか」という新聞の記事を思い出した。詳しくは覚えていないが、「絶対に駅員室に連れていかれないように気を付ける」っていうのは書いてあった気がする。
チン!
タイミングよくモノレールがユーサリアに到着し、扉が開いた。
(━━━━━━チャンスは今しかない!)
その瞬間、俺は掴まれてる両腕を全力で振り下ろし、男たちの屈強な手を振りほどいた。
「なっ、なんて力だ!?」
男たちがよろめき、動揺したその隙を見計らって、即座にグランディウスを持ってモノレールから飛び出した。
「おい!ちょっと待て!!誰か、その逃げてる男を捕まえてくれ!!!」
後ろから聞こえる男達の声を背に受けながら、とにかく全力でその場から逃げ出す。速攻で逃げ出したおかげで、幸い通勤中の人混みに引っかからなくて済んだ。
この調子なら逃げきれ・・・
「おい!通報にあったのはあの男だ!急いで捕まえろ!!!」
後ろを振り返ると、騒ぎを聞きつけた駅員達も追いかけてきている。このままでは警察のお世話になるのも時間の問題かもしれない。
(だぁぁぁぁぁぁぁくそぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!これじゃ埒があかねぇ!一気に振り切るしかない!!!)
スゥゥゥゥゥ
俺は大きく息を吸うと、着地した瞬間の右脚に思いっきり力を籠める。
前方に障害物は無し。
人が横切る気配も無し。
今なら行ける・・・!
ッッッダン!!!
力強く踏み込んだ右脚は、駅の床にひびを入れつつ、突風のようなスピードで俺の体を前進させる。
耳元で風が大音量で切り裂かれ、周囲の音全てを遮断する。
数十m先にあった改札は3秒ほどで俺の目の前に立ち塞がり、そこを抜けると、朝を告げる白い街灯の光が全身を包み込んだ。
「きゃっ!・・・何・・・?」
「あぶなっ!・・・って、あれ?さっき人が通らなかった?」
「さあ?風じゃない?」
道行く人々は口を揃えてそう言う。
窓をガタガタと揺らし、人混みの小さな間を縫っていくその姿は、まるで稲妻のようだ。
「はぁ、はぁ・・・。そろそろ撒いたか?」
しばらくして歩き始めていると、前方に黒い服を着たガタイのいい男達が数人見えた。
警察だ。
俺の事を探しているのかどうかは知らないが、万が一のことを考えて隠れた方がいいかもしれない。
そんな時、俺の右手に丁度いい裏道を発見した。
「おっ、よさげな場所見っけ!しばらくこの道に隠れるか。」
細くはあるものの、1人で通るには十分な広さを持つ裏道。両脇にそびえ立つ建物のせいで街灯の光は届かず、薄暗い。
しかし、想像してたよりは随分と小綺麗な道だった。
こんな裏道、本来ならホームレスやら窃盗魔やらマフィアやらが幅を利かせているはずだが、様子を見るに、もしかしたらそこまで治安は悪くないのかもしれない。
興味本位でもう少し奥まで進んでみると、徐々に周りから光が届かなくなり、夜のようにほとんど光がなくなったその時、奥の暗闇から人影のようなものが見えた。
「あぁん?てめぇ、どこのどいつだ?」
2mはありそうな巨体。巨木のように逞しいその肉体には如何にもおっかないタトゥーが全身に彫られている。頭はツルッツルのスキンヘッドで、黒く厳ついサングラスをかけている。
正にTHE・マフィアといったような風貌。
あまりのオーラに、自然と足がすくんでしまった。
その後ろからは彼の部下と思しき痩せ型の男たちが数人顔を出す。
「ボス、こいつ見たことありますよ。確かうちの奴らが宝石強盗した時に、それを追いかけて捕まえようとしてたガキっすよ。」
ボスと呼ばれた厳つい巨体がそれを聞いて鼻で笑う。
「はっ、そういえばそんな事もあったな。車に追いつくって言うからにゃあ、相当腕の立つ奴かと思えば、こんな華奢なガキだとはなぁ。借りはきっちり返させてもらうぞ、坊主?」
なるほど。
あの時の強盗団はこいつらの仲間だったのか、なんて吞気なことを言っている場合ではない。
道の狭さ的にも、相手の数にしても、流石にここで戦うには分が悪すぎる。
ここは一旦逃げなければ・・・。
「い、いやぁ~、何のことか分からないですけど、お邪魔しちゃったみたいなので帰りますね?失礼しました~。」
180度綺麗に回転し、出口に向かってレッツg・・・
「逃げられると思ってんのか?」
ガツンッッッ!!!
頭が熱い。正確には側頭部が燃えるように熱い。
耳がはじけ飛んだのではと思う程に激しい衝撃を喰らい、全身からスッと力が抜ける。
ドンッ!
視界が真っ赤に染まり、鉄のような臭いが鼻腔をくすぐる。顔の右側から血がドバドバと溢れ、顎や口周りを伝って地面に流れ落ちる。
倒れこんだ目の前には一人の足が見えた。
どうやら既に挟み撃ちされていたようだ。
(・・・あれ?おっかしいなぁ・・・・。右側の感覚がねぇや・・・。)
薄れゆく意識の中で、俺の方に歩いてくる足音が一つ二つ。
「ボス、こいつ死にましたかね?」
「だろうな。オブジェクトの力で殴ったんだ。普通の人間が生きてるわけねぇ。男の身包み剥がすような趣味はねぇから、ポーレル辺りに捨てておけ。」
顔面からの急激な熱さの後、少しずつ手足から冷たくなっている感覚がした。
死を感じる暇も無く、頭に思い浮かんだ思考が血液と共に抜けていく。
足が動かなくなり、手が動かなくなり、そして首も動かなくなる。
流れる血に残る微かな血の温かみを感じながら、俺は静かに目を閉じた━━━━━━。