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お父さんへ

作者: 波崎ひかる



 わたしが“それ”に気づいたのは

 父が他界して一ヶ月も経たない時だった。



 山手の、肺が切れるような坂の多い道のりを帰る時。

 客船の停泊する、大味な大桟橋まで散歩しているとき。

 横浜駅を目指して進む、市バスが鬱陶しく揺れるとき。

 強い西日の差す、西区の図書館で本を読んでいるとき。



 一人の時。ひとりっきりの時。



 足が疲労するような感じがする

 背中には変な汗が滲んでるのがわかる。

 どー。と耳がとおくなったような感覚。

 手はたまに震えて、画材の木炭を落とす。

 口は乾いて、鼻はつまる。目はずっと熱い。



 それまで感じていたことが途端に変になり始めた。

 でも、鋭くなったかもしれない。わたしは“病気”だ。




 それから人との距離感が掴めなくなった。


 なぜかフラフラ足が動いて、興味もない人に喋りかけちゃう。みんなは変だと言って笑ったけど、わたしが一番笑いたいよ。


 色々、得なこともあった。少し影のある絵を描いていた人と仲良くなれたり、明るすぎて近づけないような可愛い女の子と話せて、一緒に買い物やディズニーに行ったり。たくさんみんなの話を聞いて、明るくなれた気がした。


 お父さんが死んだのにわたしは案外笑って生きていけるんだと思った。お母さんもいないし兄弟もいない。寂しいけど笑顔で日常を過ごせるんだーと考えた。


 たくさん買い物をする様になった。もともとウチは貧乏じゃないけどバイトもしていたし、貯金もそれなり。だからまぁいっかと前向きに考えて、化粧品やら服やら本やらを買いまくった。でも何故か嫌だった。少し可愛くなれて、女子らしくなれて、元気になった気がしたけど。叫んでしまいたくなるような、罪悪感というかそういうのにたまに心を引っ掻かれた気がした。死にたいとかそういうこと。



 遺産の管理を手伝ってくれた弁護士さんに色々相談したけど、『君がそうだと思うならそうだ』みたいなニュアンスのことしか答えてくれなかったし、わたし自身耐えきれなくなってクリニックに行った。


 結果はシンプル。「双極性障害」いわゆる「躁鬱」でテンションのアップダウンが激しくなって、だらしなくなって、死にたくなる病気。

 「境界性パーソナリティー症候群」もかなり当てはまるらしいけど、自殺しようとしたり、極端に心身を痛めつけるような行為をしないと認定されないらしく、それの範囲からは逃げられた。


 わたしは軽いほうだと思う。結構いるんだよそういう人。

 急に壊れたように笑って、ある日死んじゃう人いるんですよ。


 そんなことをお医者さんは言ってたけど、なんかよくわからなくてまた昔みたいに塞ぎ込んだ。大好きだった元彼も、浮気してると分かって別れたあとだったし、そもそももう誰かと付き合うとかは出来ないとまで思った。

 これが鬱だ。なにもできない日が続く。暗くて受動的に成らざるを得ない。処方された薬を飲んだら、大好きなドビュッシーの「月の光」や「アラベスク」も全部半音歪んで聞こえる。副作用なんだ。でも死なないで済む。

 たまに喉が死ぬほど乾いて水をがぶ飲みする。手の震えや視界のブレを感じる。足も乳酸が溜まったみたいに動かしたくなくなるように感じたりするんだ。そう副作用だよ。つまんないでしょ?


 でも躁の時はなんでもできる気がする。鬱な気分なんか全部吹き飛んで藝大の課題のいくつかはたくさん褒められた。趣味で書き留めてた詩の描写もバッチリはまって大満足。彼氏もすぐ出来たし、全部がハッピーなんだ。でも薬を飲むと収まる。病気にしようとしてるんだなと思っちゃうほど幸せがどんどん色褪せる。つまらないんだよね。


 そんな生活を繰り返して、なんだか死にたくなる。

 本当に死にたいときはどういう風に考えると思う?


 殺してもらおうと思うんだよね。さんざん引っ掻き回して、迷惑かけて殺して殺してって。だから友達は少なくなった。大学はそんなにだったけど、中高一貫の女子校ではたくさん友達がいたと思う。BLもロマンス小説も異世界転生も全部教えてもらった友達達。ゲームもやったかな?たくさんやったんだ。


 でもいないの。気づいたらお父さんのお墓に毎日通ってた。不思議とそこにいるときだけ純粋に幸せで、夏の風で運ばれてきた潮風もベタつかないようにすーっとした気分になる。


 Wikipediaをお墓で読んだり、たまに本を朗読したり、お父さんの好きだった煙草を買ってきてお線香の代わりに燃やしてあげる。この前、優しい人に聞いたんだけど、煙草を吸うのは『密度のある空気の塊を吸い込む感じに似てる』らしい。ピースの紙巻きは少し燃えたあとすぐ消える。お父さんみたいだよね。


 寂しそうに書斎で煙草を吸ってたお父さんの顔を思い出す。

 苦しそうに眉間に皺を寄せて、口角は下がって無愛想。

 まつ毛の長い目を細めて、ふーっとひとふき。


 薄紫っぽい煙が部屋に充満して、霞がかって、もう見えない。

 カッコいいなと思ってた。でも肺癌で死んじゃうならばかだね。

 おっちょこちょいだよね?


 お父さん元気ですか?

 娘は意外と元気です。最近小説を書き始めました。

 カッコよくて無愛想な主人公なんだよね!面白いよ!

 たくさん考えたんだから見てほしいよ。






 お父さんに教えてもらった、カラヴァッジオの絵画のテネブリズムという、光と闇の激しいコントラストが、わたしの心に重なった気がした。

 


7年目。ごきげんよう。ひかるより。



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