はじまりは静かに、そして突然に
(あらすじ)
変わりのない日常を過ごす独り身の主人公シオン。
その日もいつもと同じはずだった。
「それ」を見つけるまでは――。
シオンと呼ばれる男性は、目を覚ました。
そこは彼の自室だった。
灰色がかった石の壁。
一つだけある木の棚にはペン、紙、わずかなものしか置かれていない。
机の上の目覚まし時計の針は、およそ5時半を指していた。
持ち主がいつも早起きのため、この時計は誰かの目を覚ましたことはなかった。
唯一の入り口である木製のドア、
その横の、これまた唯一の窓から乳白色の光が射していた。
彼は無言で、自分が目覚めたことを静かに理解していた。
そしてそれは、今日もまた一日が始まったことを意味していた。
彼の朝は基本的に同じ行動によりなされていた。
ゆっくりと寝床から起き上がる。
そしてやや小さめの古ぼけた椅子に座り、背もたれに体重を預けた。
寝起きの体のだるさを感じながら、
目を閉じて彼は思った。
――ここにいれば、生きていける。
それがありがたいということを心の奥隅で理性的に感じながら、
棚に置いてある配給のパンと水を持ち、
静かにドアから外へ出た。
□□□
外に出ると、視界には夜明けの空が広がった。
淡く穏やかな薄青い空だった。
彼の部屋は、「塔」の壁面にあった。
より正確には、「塔」の壁面を削り穿って作られていた。
ドアを出たそこは、一部屋しかない彼の家の前を横切る通路であり、
その通路に柵はなかった。
ドアを出て前に5歩ほど行けば、視界のすべてが空になる。
そして次の一歩を踏み出せば、
重力に引かれこの世界の下の端がどうなっているのか見に行けるのだろう。
しかしそれを試して帰ってきたものはいない。
外に出た彼はドアを閉め、
少し横にずれてから座り込んだ。
無言で、パンと水を交互に口にする。
パンをかみしめるごとに、口の中にパンのほのかな甘みが広がる。
そしてそれをペットボトルの水で流し込む。
彼は何も考えず、遥か彼方の空の中に、黒い点を見ていた。
おそらくクジラか、あるいはどこかの船だろう。
シオンと呼ばれるその男性にとって、
それは、いつもと同じ朝だった。
□□□
スキンヘッドのふくよかな男性が、大きな倉庫の一角で机に向かって書類に何かを書き込んでいる。
とても肉付きのよい体格で、頬と首がつながっている。
机の上にも、横の棚にも、ぎっしりと帳簿が並んでいる。
棚の方は、無数の伝票や手書きのメモが留めつけられており、
ところどころ帳簿が隠れてしまっている。
彼はシェルドと呼ばれていた。
無心に書類を選り分け、必要であればチェックを入れ、サインする。
それが彼の仕事だった。
ふと机上の懐中時計に目をやった。
朝7時20分を少し回ろうとしている。
(もうそろそろ来るか。)
シェルドは間もなく出勤してくるであろう従業員のことを一瞬思うと、
ふたたび無心に手を動かし始めた。
それから少しして、シェルドが帳簿を取ろうと棚に向き合ったとき、
彼が作業をしている倉庫に足音が響いた。
従業員が来たことに気づきながらも、彼が手を止める気配はなかった。
しばらくすると、彼の机の前に若者が現れた。
若者は、シェルドに挨拶をした。
「おはようございます。」
「あああ、おはよう、ふう。」
「今日の分をお願いします。」
「はあい。」
シェルドは、机の右端に置いた、彼の指ほどの厚さがある書類の束を若者に渡した。
「じゃあ、今日の分ね。」
「ありがとうございます。
何か変わったことはありますか、今日は。」
「んん~。13時から管理局の人が来るからあ。
もし会ったら通してあげてえ。それくらいかなあ。」
「13時ですね。わかりました。作業に入っていいですか?」
「はあい、よろしくねえ、シオン君~。」
「よろしくお願いします。」
シオンと呼ばれた男性は、書類の束を持って
静かに去っていった。
シェルドとシオンがいるこの倉庫を運営する組織の正式名称は、
公営局運輸課第17室という。
この恰幅のいい男、シェルドはその管理員である。
倉庫には中身を知らされない幾種もの荷物が毎日届く。
それらを捌くのが彼らの業務である。
出勤時に渡される書類の通りに荷物を仕分ければ、
その日の賃金とわずかな食糧が渡される。
その平安な日常を疑うものは、誰もいなかった。
そしてその日も、いつも通りの日常が始まり、そして静かに終わるはずだった。
シオンが、その異常に気が付くまでは。
□□□
シェルドの机の懐中時計が11時を少し回ったころ、
シオンは少し汗ばみながら伝票に目を通した。
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ID:M-13-D-136758B
<グレー> 6個
発クレバネス069
着ドジカグタン132
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IDの頭がMであれば2つ隣の通路に置いてあるはずだ。
シオンは首に巻いたタオルで額の汗を軽く拭くと、
伝票の束を首にぶら下げ、台車を押して歩いた。
カラカラカラと、台車の音だけが静かな倉庫に響いていた。
その日の伝票はいつもと同じくらいか、
あるいは若干少なめのようだった。
早く帰れるかもな、そう考えて歩いていたシオンの足が止まった。
次の荷物があるはずのあたりが、なにやら緑色に光っている。
ぎょっとしてよく目を凝らすと、
棚の中ほどから緑色の液体が伝い落ち、水たまりができている。
やや粘度がある液体のようで、棚から垂れて固まっている。
床の水たまりは、不気味な淡い光を放っていた。
シオンはもう何年もここで働いているが、
こんなことは初めてだった。
この日、この通路は今まで用がなく、
いつからこうなったのかはシオンにはわからなかった。
シオンは目を細め、ゆっくりと気味の悪い水たまりに近づいた。
かすかではあるがツンとする匂いを感じ、
思わず首に巻いていたタオルで鼻と口を覆った。
棚に置いてある荷物は、
大きさは一抱えほどの灰色の立方体で、
石のようにのっぺりした硬そうな材質だった。
その上面には手のひらほどの大きさの
銀色の板のようなものが埋め込まれており、
その横に伝票が雑に張り付けてあった。
シオンは謎の液体が足につかないように注意しながら近づいて、
首からぶら下げた伝票と照らし合わせた。
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ID:M-13-D-136758B
<グレー> 6個
発クレバネス069
着ドジカグタン132
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間違いない。この荷物だ。
一抱え程の灰色の立方体が、棚の中段に3個ずつ2列で並べられていた。
ぱっと見たところ手前側の3個に異常はなかった。
奥の3個のうちどれかが壊れているのだろうか。
重みのある手前側の3つを体重をかけて横にずらすと、
見えなかった奥側の3個が現れた。
これだ。真ん中のものの右下に亀裂が入っている。
流れ出した緑色の液体は固まりつつあるようだった。
シオンはそれらを触る気にもなれず、
シェルドへ報告に向かった。
□□□
シェルドは、肉付きのよい顔をしかめた。
「えええ。ほんとお。むーんん。」
「夜番だったビザリム君はなんにも言ってなかったんだけどなああ。」
「触って大丈夫か分からなかったので、何もしていません。」
「うん、それがいいよお。ヘンなにおいもするんだよねえ。」
「はい、ちょっとですが。」
「うーんん、まあ、現場見るかあ。」
どっこいしょ、とシェルドが立ち上がった。
□□□
「ああ、こりゃだめだねえ。」
シェルドは、先ほどのシオンと同様、
緑色の水たまりに足が触れないように、
棚に手をついてひび割れた荷物を覗き込んだ。
手を棚についてバランスをとっているが、
巨漢のシェルドに棚が負けそうになっている。
それにも注意しながら、シオンは言った。
「匂いも大したことないし、飛ばして先やっていいですか。」
シオンは特に急ぎの用があるわけではなかったが、
仕事は早く終わらせてしまいたかった。
「うーんん、いいよお。
悪いけど、これモップで拭いといてもらってもいいかなあ。」
「・・・わかりました。」
「ごめんねええ。」
正直、こんな得体のしれないものを触りたくはなかったが、
シオンはやむなく承諾した。
□□□
シオンとシェルドが働く倉庫、公営局運輸課第17室は
自由に休憩をとることができた。
重要なのは、業務が指定時間までに正確に終わるか否か、
それのみであった。
午前中に発生した問題もあり、
いつもよりりやや遅めに伝票のおよそ半分をこなしたシオンは
倉庫の外のテーブルで、配給のパック肉とパン、そして缶スープと水で昼食をとっていた。
シオンは、いつもやってくる痩せた黒猫のために、
わずかではあるがパック肉の切れ端と缶スープを少し残していた。
(珍しいな、今日は来ないのかな。)
自分の食事が済み、頬杖をついてぼんやり空を眺めていると、
遥か彼方に黒い点が見えた。
(あれは、朝と同じやつだろうか。)
そう考えながらぼうっとして黒猫を待っていると
ふいに人の足音が聞こえ、シオンは我に返った。
足音の方を向くと、
そこには初老の男性と黒い髪の若い女性が立っていた。
シオンのくたびれた服装とは対照的に、
二人ともしわのない白いシャツを着て、下は真っ黒いズボンをはいていた。
シオンの目についたのは、女性の方が傍らに置いている茶色の円柱だった。
女性の身長の半分ほどもあるそれが一体何だろうと推測する暇もなく、
初老の男性の方がやや甲高い声でシオンに話しかけた。
「すまないがね、キミはここの職員かね?」
その男性はやせた顔に細い目をしていて、
だいぶ広くなった額から上は、銀色の髪を後ろになでつけていた。
「はい、そうですが。」
「そうかね、シェルド管理員はいるかね。」
「はい、ご案内します。」
これがシェルドが朝言っていた管理局の人たちか、と合点がいった。
女性の横の茶色の円柱はなんだろう、と目をやると、
女性は何も言わずにその円柱の上部にある取っ手を持ち、斜めにして歩み始めた。
どうやら小さい車輪がついているようだ。
2人を引き連れて倉庫に入ると、ひんやりとした空気がシオンの顔を撫でた。
奥の机でシェルドは相変わらず黙々と作業をしていた。
机の上には食べかけの昼食が置かれていた。
足音に気が付いたシェルドは、こちらに顔を向けた。
先に話し始めたのは初老の男性の方だった。
「ショルドウ君、長らく。お久しぶりだね。」
「ああ、はいい。ザリス副査もお元気そうでえ。お待ちしてましたあ。」
「それでは本日は、定例配送と環境検査を兼ねるのでね。」
「はいい、では、今旬の分ですう。」
シェルドは黒くて薄い手提げかばんを丁寧に差し出した。
「記録板等入れ忘れはないかね。」
「はいい。・・・。」
シェルドがわずかに口ごもったのに男性は気が付いたようだった。
「・・・?どうかしたのかね。」
「ああ、はいい。実はですねえ、私もお、初めての経験なんですが・・・。」
シェルドは、午前中の荷物の破損を初老の男性に報告した。
「・・・そこのシオン君が掃除をしてくれましてえ。
管理局の方に何回か電話するんですが、あいかわらず日中はつながりにくくてえ。」
「荷物の破損か・・・。私も長いが、そんなのは聞いたことがないね・・・。
どんな荷物だったのかね。」
「はいい、ええ、灰色の四角いやつでして、クレバネスというところからの荷物ですう。」
シェルドは手元のメモを見ながら答えた。
その時だった。
いままで沈黙していた女性が初めて口を開いた。
「シェルド管理員。今の話だが、発地はクレバネスで間違いないか。」
「はいい、発はクレバネスから・・・着がドジカグタンというところですう。」
女性の顔がわずかに強ばった。
「現場を見たい。案内してくれ。」
「はいい。ただいま。」
黒い髪の女性の急な申し出に戸惑いながら、
シェルドはたぷたぷと立ち上がった。
「発見者は君か。君も来てくれ。」
ふいに女性はシオンに向き直ってそう言い放った。
「それとザリス副査。君も立ち合いたまえ。」
女性はきびきびとザリスにも声をかけた。
「はい。そのつもりです。」
ザリスは穏やかに答えた。
「しかし、荷物が壊れるなどと。珍しいこともあるものだ。」
「ああ申し遅れたが私はアガランだ。ではシェルド管理員、案内を頼む。」
そう言うとアガランと名乗った女性は肩までの黒い髪をなびかせ、
茶色の円柱を引き連れてシェルドに続いた。
□□□
「ここですう。こぼれていた液体は、シオン君が掃除してくれましたあ。」
シオンが掃除したため、現場にはツンとする匂いはほとんど残されていなかった。
アガランと名乗った女性は問題の荷物の状態を確認すると、
茶色の円柱の上部を折るようにして開けた。
中にはきれいな緑色に光る球体が埋め込まれており、球体の表面には文字が浮かび上がっていた。
「ブラフマン、Type-E No.5、起動。」
アガランがそう唱えると、緑色の球体は色を明るい青に変え明滅した。
「ブラフマン。タイプイー。ナンバーファイブ。
キドウシマシタ。ジョウタイハセイジョウデス。アガランホサカン。^_^」
女性と子どもの中間のような音声だった。
球体の表面には、線で描かれた簡素な笑顔の絵が表示された。
間を置かずにアガランは続けた。
「起動正常了解。レベル3環境検査開始。」
「レベルスリーカンキョウケンサカイシ。リョウカイ。
カクニンジコウデス。カンキョウケンサヲカイシシテモヨロシイデスカ。^_^」
「開始を許可する。」
「リョウカイ。レベルスリーカンキョウケンサヲカイシシマス。^_^」
球体は青く光りながらそう応答すると、表面には「検査中」と表示された。
シェルドが、隣に立っているザリスにぶしゅぶしゅと呟いた。
「いつもの検査の時はあ、レベルワンっていうのにい。」
シェルドの呟きをよそに、アガランはシオンの方へ向き直った。
「シオンといったな。君は素手で掃除したのか。」
「はい、そうですが・・・。」
やはり触ってはまずいものだったのかと不安を覚えながらシオンは答えた。
「何も体に変化はないか。気分とか。」
「はい、今のところはないと思います・・・。」
「そうか。」
後ろの方では、シェルドとザリスがひそひそ声で話していた。
「発地がクレバネスで・・・着地がドジカグタンか・・・。
相も変わらずどこのことやらな。」
「はいい。航路的に、ドジカグタンはたぶん西のほうでしょうかねええ。」
数分の後、ブラフマンと呼ばれた装置は
ブブブブ、と小さな音を立てながら円柱の側面から細長い紙を出し始めた。
結果が印刷されているのだろうか。
いつのまにか球体が赤くなったブラフマンが話し始めた。
「レベルスリーカンキョウケンサ。シュウリョウ。
レベルスリーカンキョウケンサ。シュウリョウ。」
「赤、だと・・・。」
球体の色を見てアガランが呟くや否や、突如の大音量に、そこにいた全員が驚いた。
「ケイコク。シンドヨンノソウネンユライトスイソクサレルコンセキアリ。
ケイコク。シンドヨンノソウネンユライトスイソクサレルコンセキアリ。」
ブラフマンの球体が赤く光り、
そのメッセージは先ほど青かった時よりも遥かにも大きな音量で流れた。
真っ赤になった球体には、「警告」の文字が見える。
球体に手をかざしたアガランの動作が、止まっていた。
「しんど4の、そうねん・・・?」
ザリスは少し離れたところでそう口にすると、
シェルドとともに顔をしかめていぶかしがった。
突然、アガランが叫び声をあげた。
「全員、外に出ろ!急げ!今すぐにだ!」
ブラフマンの大音量は終わっていなかった。
「チョッキンノカンリ。ナンバーヒトマルヨンヨン。キンキュウショウシュウ。
チョッキンノカンリ。ナンバーヒトマルヨンヨン。キンキュウショウシュウ。」
アガランは片手でシオンの手をつかみ、
もう一方の手を広げてシェルドとザリスを思いっきり押しながら、
倉庫の入口へ向かおうとした。
「えええ。えええ?えええ?」
「ちょっと!落ち着きなさい!どうしたんだ!」
シェルドとザリス、そしてシオンの3人はまったく状況が理解できなかった。
シオンは引かれるがままにアガランについていこうとした。
その時だった。
シオンは、「なにか」を感じた。
それは緑色の光のようでもあり、誰かの存在でもあるようだった。
それはあまりにも一瞬で、シオンが瞬きをした瞬間にその感覚は消え去った。
「今・・・?」
シオンは、倉庫を振り返った。
薄暗い倉庫の中、けたたましい音を発し続けるブラフマンの赤い光が不気味に見えた。
アガランは、シェルドとザリスに再び声を張った。
「非常に危険な物質に接触した可能性がある!早くこの場を離れるんだ!」
シェルドはあうあう言いながら、アガランに押され出口へと急いだ。
ザリスはアガランの言う意味を理解したのか、
シェルドの数歩先を何も言わずに小走りで進んだ。
そしてシオンは、アガランに押されるシェルドが転ばないように気を配りながら、
倉庫の入口を目指した。
□□□
倉庫から出た瞬間、その明るさに全員の目がくらんだ。
倉庫の外には、何も変わらない光景が広がっていた。
テーブルには、シオンの昼食の残りがそのままになっていた。
黒猫は、結局来なかったようだ。
アガランは、息を荒げながらシェルドに問いかけた。
「はあ、っ。他に、人はいないのか。この倉庫に。」
わずかな距離であったが、シェルドは息が上がってしまっていた。
「ぶしゅっ。は、はいい。っ。ふはあっ。
これで、全員、ですう。ふはあっ。」
シオンは静かにアガランに尋ねた。
「やっぱり、なにかやばかったんですか、あの緑色の・・・。」
「ああ・・・。残念ながら・・・。」
アガランは何か言いかけたが、その続きはザリスの声で途切れてしまった。
「おや、あれは・・・クジラか?」
ザリスが両手を額の前にあてて日の光を遮りながら、
倉庫とは反対の空を見ながら声を上げた。
息も絶え絶えのシェルドはシオンが昼食で使った椅子に座り込んでしまっていた。
シオンとアガランはザリスの向いている方向を凝視した。
黒い塊が、真っ青な空を背景に、ぽつんと見えていた。
いつも見かけている黒い点よりは、明らかに大きかった。
シオン達が凝視していると、少しづつ、しかし確実に、
その輪郭は濃ゆくなり塊は大きくなっていった。
明らかにこちらに近づいている。
「あれが官吏だ。ここからどうなるかは、私にも詳しい情報はない。」
アガランが、やや弱い口調になっていた。
シオンは、嫌な予感しかしなかった。
ザリスはアガランの方を向いて言った。
「そんなに危険なものだったのかね。
シオン君が掃除したという液体は。」
アガランは答えた。
「ああ、ブラフマンが言っていた、深度4の想念というのは・・・。
資料でしか知らないが、大変危険なもののカテゴリーに分類されている。
ブラフマンが感知した時は、それが見えたり匂ったりしない距離まで
離れなければならない。私も、実際の対処は今回が初めてだが。」
シオンは驚愕した。
「見えたり匂ったりって・・・。
じゃあ当然、触ったりしたら・・・。」
アラガンは淡々とシオンに伝えた。
「ああ、そうだ。シオン。君はまず、体をきれいにするんだ。
この辺りに水場はないのか。可能であれば、服も替えた方がいいだろう。」
息が少し整ってきたシェルドは、申し訳なさそうに呟いた。
「ごめん、ねえ、シオン君。すまなかった、ねえ・・・。」
「いえ・・・。」
過ぎてしまったことは仕方がない、とシオンは気持ちを切り替えた。
幸い、今のところ体に異常はない。
あのかすかなツンとする香りは嗅いでしまったが、
そもそも触りたくもなかったので、
雑巾やモップ、ゴム手袋をフル活用して掃除したため、ほとんど触ってはいなかった。
雑巾も、モップの毛も、ボロくなったものを総動員していた。
それぞれの替えもあったので、使ったものはすべてゴミ袋に突っ込んでいた。
雑巾を再利用しようと水で洗ったりしなかったのが正解だったようだ。
しかし、雑巾などの処理の際にわずかであれ手や腕、服にあれが触れてしまったのは事実である。
倉庫の中以外で近くの水場はどこがあるか、と思案しながら、
近づいてきているクジラの方に目をやった。
かなり大きくなってきており、細部も徐々に見えるようになってきた。
真っ黒い塊だが、両横に小さな翼のようなものがついているのに気が付いた。
そうしてみていると、クジラが急に横長になった。
向きを変えたのだ。
数キロは先の空に浮かんでいるが、遠めに見てもかなり長いのが分かる。
全長数百メートルはありそうだ。
そして、その状態で静止した。
駆動音が聞こえてきそうなものだが、特に何も聞こえなかった。
官吏という存在には未知の部分が多い。
クジラの様子を見ていたザリスが不思議そうに言った。
「なんだ、止まったぞ。何をしてる・・・。」
その場の全員が、空に浮かんだ横長の黒い塊の方を見ていた。
何も、動きが無いようだった。
シオンは、近くの水場がどこにあるのかシェルドに相談しようとした。
そのときだった。
キィン、と金属音が響いたかと思うと、
4人の目の前に突然3人の白い人間が浮かんでいた。
□□□
突然のことに、4人全員が硬直を禁じえなかった。
白い人間のように見えたそれは、実際には人間ではなかった。
それらは、全身が白く滑らかな陶器のような質感だが、
膝、肘、手足の付け根など、人間でいう関節の部分がつながっていなかった。
関節に当たる部分に何もないのである。
いったいどうやってそれぞれのパーツが浮いているのか、
理解できる人物はそこにはいなかった。
顔に当たる部分は、人間でいうあごの部分が皿のようになってはいるが、
そこから上が何もない。
そして、頭上には光の輪を伴っていた。
唖然として誰もが言葉を失っている中、
それら3体の人形はゆっくりと浮遊したままこちらに近づいてきた。
ザリスが唐突に、やや焦りの見える声を上げた。
「まて!我々に何をする気だ。」
その声を受けて、真ん中の人形がザリスの方を向いた。
よく見ると、その個体だけ左胸に二本の金色の縦線が入っていた。
音もなく、顔に当たる部分に平面の映像が映し出された。
無造作な白い髪が特徴的な男性の顔が映っている。
それは明らかに、シオン達の知っている道具の水準を超えていた。
平面の映像の中の男性が、無機質に話し始めた。
「深度4の想念の異常流出を確認した。状況を確認および、関連物資を確保する。
貴殿ら4名は、想念の汚染が確認されている。・・・我々に同行されよ。官吏の指示は絶対だ。」
感情がこもっておらず、けだるそうにも感じられる話し方だった。
アガランが答えた。
「同行には応じよう。可能であれば、状況の説明を求める。」
アガランのそばにいた人形が、アガランとその奥のシェルドに手のひらを向けた。
手のひらの中央が光ると同時に、バシッという強い衝撃音がして二人の姿が消えてしまった。
突然のことに、残されたシオンとザリスの2人は言葉を失った。
そして3体の人形のうちの、ザリスの側にいた人形がシオンとザリスに手のひらを向けた。
2人とも声が出ず、人形の手のひらが光ると同時に残った2人も消え去った。
真ん中の人形の顔の部分に表示されていた、白い髪の男性の映像は消え、
3体の人形は浮遊したまま、音もなく倉庫の中へと入っていった。
□□□
第1章 END
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
2020年6月24日のお昼に書き始めて、
気が付いたら深夜になっておりました。
もうすぐ日付が変わりそうです。
小説を書くのはこれが初めてです。
10代のころは、フォーチュンクエストとか、トレイントレインとか
ハリーポッターとかをよく読んでました。
あと、隣の山田君とか。
一人でゲームとかを作ったりしたのですがなかなか最後まで続かず。
小説ならどうかなあと思い、この話を書いてみた次第でございます。
ご感想をいただきましたら幸いでございます。