尻のアレ
き〇ぐ〇クック
《part6》
次の工程は内臓――特に消化器官の処理だ。
胃や腸に溜まった排泄物を放置していると臭いが肉に移り、雑味の原因となってしまう。血なまぐささに比べれば些細な違いとはいえ、手抜きはしたくないところだ。
「かまどぉ、なんかあつい」
情けない調子の声が聞こえてきた。肋骨と背骨を一通り露出させたかまどは、通学カバンから工作用のノコギリを取り出して額の汗を拭う。彼女の首筋をジリジリ焼いていく直射日光。
「そりゃこの天気じゃあね。川でも入ってたら?」
「そうじゃなくて……なんか、体の中が熱い」
ペコが妙にしおらしい態度をしている。見ればバケツの血液は半分ほどまで減り、割り材のパックは空になって放り出されていた。
「いや飲み過ぎでしょ、ドリンクバーじゃないんだから……。気持ち悪い?」
「気持ち悪くはない。体がうずうずしてじっとしてられない感じ」
「じゃあこっち来て手伝って」
むずかるような顔をしていたペコは招集を受けてぴょこんと立ち上がり、通学カバンから出てきた二本目のノコギリを手渡された。
「何するの?」
「ほら、ここ。この骨を切って甲羅を外すの。内臓を抜かなきゃ」
かまどは既に、一番細い肋骨に半分ほどノコを入れている。体重を掛けるとポキンと音を立てて折れた。
「お腹側から開かないの? 件のときみたいに」
件とは牛の体に人間の頭を持った妖怪で、牛の母親から生まれ、およそひと月で死に至るまでに災害や不幸の予言を遺すと言われている。件の肉を使った仔牛肉のコートレットは蕩ける柔らかさで絶品だった。
そんなこともあったな、と懐かしみながら、かまどは次の肋骨にノコを入れる。
「それも考えたんだけど、内臓がどうなってるか微妙だからちょっと怖かったんだよね。
スッポンの場合は苦い胆嚢とか臭い膀胱を破かないように捨てる必要があって、河童も同じはず。お腹側は肉が薄そうだから今回は背中から開いて様子見ってわけ」
納得した様子でペコは作業に取り掛かった。一方で、何気なく口をついた言葉の選び方に、かまどは自分で驚きを感じていた。
『今回』だなんて、まるで次があるみたいな口ぶりだ。もちろんかまどは一人で河童を獲って食うような趣味はないし、そんな腕っぷしもない。
ペコと一緒にいること。ペコが食べたがる料理を作ること。それらがいつの間にか、彼女の中で前提となっていることを自覚して、かまどの口の端に柔らかい苦笑が浮かんだ。
炎天下作業すること三十分。
最後に上下から伸びた背骨を切断して、河童の甲羅は完全に骨格から外された。
残りの筋肉部分をかまどが包丁で慎重に切り離し、二人で息を合わせて、ごぱ、と甲羅をひっくり返す――と、鮮やかな赤と薄桃色が渾然となってのたうつ内臓が白日の下へと姿を晒す。
下準備の成果だろうか、滲む血液は多くなく、組織の色合いがくっきりと判別できる。
ぬらぬらと生々しく照り返す臓器に怯むこともなく、かまどが慣れた手つきで選り分けていく。食材としての形が明瞭になってきたからか、零れる独り言は上機嫌な響き。
「これは腎臓かな。これが肝臓で、その裏に胆嚢……、取れた取れた。で、ここから伸びてるのが……うん、膀胱っぽい。切除。白子は後でいいや。他に気をつけるのは胃腸だけかな……ん?」
ぶよぶよした球のような臓物を廃棄袋に投げ込んだかまどは、とぐろを巻いた腸らしき管を目で辿り、首とは逆の端近くで目を留めた。
肛門側から見た突き当り、人間で言うS字結腸の辺りに不自然な膨らみが見受けられる。鶏卵より一回り大きいその部位は、触ると存外に固い手応えが返ってきた。
病気持ちだったら嫌だな、と眉をひそめながら管の出口を切り離す。そして慎重に消化管を引き抜いて大きなトレイに移し、中身が散らないよう手繰り寄せて謎の膨張部を切り開いた。
「…………?」
掌に押し出されたそれを見て、かまどが怪訝な表情を深める。
「ねぇペコ、これ何だと思う?」
スカスカになった河童の胴体を見てよだれを垂らしていたペコも呼び声に応じて顔を寄せ、同じように疑問符を浮かべる。
「分かんない。かまど、何これ?」
「いやあたしも分かんないから」
二人の視線の先、かまどの左手の上に、薄黄色い球体がちょこんと乗っかっていた。ウズラの卵より二回りほど大きいが形状はつるりとした真円に近く、湿り気を帯びて陽光を反射している。
亀の卵は球体をしていた覚えがあるが、それにしては入っている場所がおかしい。
だいたいこの河童はオスのはず……いや確かに河童の生殖について詳しいわけではないけれど……。
「なんかお尻の穴の奥にあったんだよね」
判断材料を付け足しながら沈思するかまどとは対照的に、何も考えてなさそうな顔でペコはその球を眺めていたが、パチン、と手を合わせると同時に閃いた顔をかまどに向けた。
「尻子玉じゃない? 河童だし!」
底抜けに明るいその一言で、かまどの検討も一緒にパチンと弾けて消し飛んでしまった。
――そんなもの他の動物で見たことないけど……でも……河童だしなぁ。
「それ美味しい?」
ペコの興味は徹頭徹尾食欲一辺倒であり、それにつられてかまどの目の色も職人のそれへと変わった。
「ん……、どうかな。ちょっと待って。調べてみる」
まず第一関門、食用できるか――肯定。彼女の《眼》が可食部だと告げている。
固さ――弾力的。噛み切るのに問題は無さそうだし、煮崩れもしなさそう。
内容物――包丁で軽く切れ込みを入れても出てくるものはなく、球体の中は組織が詰まっているようだ。問題なし。
臭い――大丈夫。漂ってくるのは薄い血の臭いだけ。特段風味を損ねることも無いだろう。
あとは具体的な調理方法……最大にして最難関の懸念事項であるが、かまどの脳裏には既にいくつものレシピ案が浮かんできている。
「うん、美味しくできる……と、思う」
「ほんと? やったー」
座ったまま身振りで喜びを表現するペコ。
かまどは後で使う用のボウルに尻子玉(推定)を投げ入れて、内臓の取り外し作業を進めていった。
今日はもう1話!