人魂のお雑煮
1皿目《丸ごと河童汁》が始まりました!
お楽しみください!
《part1》
某県某所。
閑静な住宅街の只中に、風雨で汚れたコンクリート建築がそびえている。
この建物はかつて地域医療を担っていた個人病院であった。だが経営難で廃業した後は所有者が転々とし、今では管理責任者も定かでないまま荒れ放題にされている。
しかし特筆すべきはそこではない。
曰く、地脈の流れを遮る建物であるため悪い気が溜まりやすい。
曰く、処刑場の跡地なので無数の人骨が地下に眠り続けている。
曰く、古くから建っていた謎の祠を潰して建設された。
曰く、当時の非人道的医療行為によって無数の患者が苦しめられていた。
曰く、経営者一家が借金苦の末に無理心中した現場である。
要するに――文句なしの心霊スポット。神道仏教陰陽道その他あらゆる専門家たちが揃って匙を投げる大役満の事故物件である。霊障がひどすぎて取り壊すための重機を入れられない、という噂すらあながち誇張ではないように思えてくる。
どんなに霊感の無い人間も心霊現象に出遭えるスポットとしてまとめサイトにも掲載されているが、あまりに容赦のない祟り体験談に冷やかしの足は遠のき、最近では近隣住民から寄せられる人魂の目撃情報以外に事件も起こらない、そんな静謐な廃墟である。
某月某日、丑三つ時。夏のさなか、虫も鳴かない新月の熱帯夜。
その夜も病院の割れた窓ガラスの向こうに、ふわり、ふわりと青白い光が浮き上がった。
呼応するように現れた五つあまりの人魂は息をするように脈動し、うら悲しい内装を淡く照らしている。車軸の折れた車椅子……無法者の落書き……牢獄じみた鉄格子つきの個室……倒れて瓶を撒き散らしている薬棚……。やがてそれらは示し合わせたように水平移動を始め、廃材が横たわる廊下を抜け、奥まった一室へと入っていった。
そこは以前、複数の患者が入居する大部屋として使われていた場所だ。割れたブラウン管テレビが入口脇に転がり、十数年前の雑誌やカレンダーが散乱し、天井のレールから埃と泥に汚れた布切れが垂れ下がっている。
……しかし、かつての面影を残し整然と並べられていたはずの八台のベッドは、今や壁際に寄せられていた。他のガラクタ類も脇に除けられ、中央には広場のようなスペースが作られている。
そこには人魂とは違う暖色の明かりと、入口を背にしてしゃがみこむ一つの人影があった。
手元に夢中な後ろ姿を目指して人魂が忍び寄っていく。少しずつ距離が詰まり……標的の少女は気付くよしもなく……そして人魂たちは哀れな被害者の背後一メートルまで近づき、
「いただきますっ!」
暗闇から飛び出してきた少女の両手が、瞬く間に人魂たちを捕らえて握り込んでいた。
「だから、『いただきます』はまだだって」
しゃがみこんだパーカー少女が振り返りもせずに呟く。彼女の前には光源の電池ランタン、キャンプ用の小型ガスバーナーと片手鍋。小気味良い燃焼音を聞きながら少女は火加減を調節し、後ろのもう一人へと声を掛けた。
「ペコ、それ入れちゃって」
「はーい」
お行儀の良い返事。人魂をぐにぐに弄っていた少女――ペコが灯りの輪へ入ってきた。跳ね放題の長髪を楽しそうに揺らし、インスタント出汁と具材が煮立った鍋へと青白い物体を投げ込んでいく。火の番をしていた少女がすかさず鍋蓋を閉じて、待つこと五分。
改めて蓋を取った鍋の中では、ぐったりと生気を失った人魂たちが人参や小松菜と並んでコトコト茹で上がっていた。
「人魂のお雑煮。完成、かな。季節外れだけど」
「わぁ、かまど、すごい!」
ペコの賞賛の声に、調理人であるボブカットの少女――かまどは、「別に大したことしてないよ」と打ち消しながらおたまとお椀を手に取った。
「水から煮るかちょっと迷ったけど、これでも十分いけそうだね。ペコ、何個食べる?」
「二つ!」
「え、三つ入れちゃった。三つ食べて」
「じゃあ三つ!」
ペコは元気にお椀を受け取ると、「いただきますっ!」の掛け声と共に、握り込んだ箸でぶすりと人魂を串刺しにしてかぶりついた。うにょーん……と伸びる青白い発光物と格闘しながら食べ進めていく。
喉に詰まらないよう入念に咀嚼……飲み込んだ彼女はカッと目を見開き、一言。
「スースーする!」
「まさかのミント系……。まぁ薬味と思えばいいか。冷製のほうがよかったかもね」
「そう? あたしは好きー」
追随したかまどは微妙な顔だが、ペコは意に介した様子もなく人参と人魂を一口で頬張った。
「かあお、ふいわあいはへう?」
「食べてから喋りなって……。リクエストあるの?」
「んっ、ん……、ん。えっと……ネッシーステーキ!」
「大物はちょっと」
「マタンゴのソテー!」
「どこに居るの」
「人面犬?」
「都会の動物は体に悪いよ」
「うーん……」
ランタンの明かりの中でペコは人魂をぐにぐに突つきながら思案モードに入る。彼女の瞳がくるんと輝いたのは、かまどが二つ目の人魂を食べ切った頃だった。
「あっ、河童! 河童食べたい!」
「河童、かぁ……」
続きます