ゾンビのステーキ
B級映画のようなデタラメなエンタメ+少女たちの百合=最強無敵!! そんな気分で書き始めます!
オカルト×グルメ×百合、まずはプロローグをお楽しみください!
《part0》
撮影じゃない!
こちらに迫ってくる人影は明らかに異形と化している。
演劇部から借りてきた主演俳優のイケメン、暇さえあれば饒舌に女を口説いていた彼は咽喉部の肉が抉り取られ、赤黒い穴の奥には太い管が見えている。
足の肉離れに悩まされていたカメラ助手は膝から下が千切れかけており、骨や筋肉繊維が剥き出しになっていた。
美術係の女は頭皮がごっそり剥がれ落ちて頭蓋骨が見えてしまっている。
そんなメイクを施す技術が白石たち学生映画部にあるわけがない。
「本物の、ゾンビ……」
「はぁ? 何言ってんのあんた――えっ?」
物言わぬゾンビたちは足を引きずるような動きでずるずると、監督の白石とヒロイン役のいずなに迫ってくる。そのあまりにもグロテスクな姿と恐怖に引き攣った白石の表情を見て、いずなもようやく事態の異常さを察した。
「逃げないと……ッ」
「ちょっ、なにすんのよッ! コラァ!」
喚き散らすいずなの手をひっつかみ、白石はなんとか近くの調理室へ逃げ込んだ。
そこには水と食糧があり、入口が両開きの扉であるこの場所はバリケードを築いて立て籠もるのに向いている。すぐさまモップを閂のように使い、椅子や机で扉が内側に向かって開かないようにした。
「これでもてばいいけど……」
椅子に上って天井付近の窓から廊下を覗けば、そこには地獄絵図が広がっていた。
合宿に来ていたのは白石たち映画部だけじゃなかった。アメフト部の男たち、テニス部の男女、その他交流系のサークルが二つ、広大な合宿場を利用していた。
逃げ遅れた学生たちがゾンビに全身を噛まれて絶叫する。大量出血で意識を失って死ぬまで、一分ほどかかっていた。それはつまり、一分間は全身に突き立てられる歯の感触から逃れられないということ。
無理矢理引きちぎられる肉と、その下に現れた自らの白い骨を凝視しながら泣き叫ぶことしかできない。これほど最悪な死に方があるだろうか。
白石は吐き気をこらえ切れず、窓から廊下に向かって胃の中身をすべて吐き出した。
「うっそ……こんなことって」
いずなも白石の隣で窓から廊下を覗いて息を呑む。
ゾンビの大軍が今まさに合宿施設を埋め尽くさんとしている。噛まれた人間は傷の大小にかかわらず数分でこと切れる。そして起き上がると、本能に従って人肉を求めてさまよう奴らの仲間と化す。漫画や映画通りなら、頭を潰すか首を斬り落とす以外に奴らを止める術はない。
――ドンドンドンッ
「ひっ!」
何体ものゾンビが調理室の入り口に殺到している。次から次へと身体をぶつけ合い、単純な数の暴力で扉に圧力をかけているのだ。
「白石! なんとかしなさいよ! あんた映画オタクでしょ!」
「映画オタクにも限界があるよ!」
言い争っているうちにも、調理室に集うゾンビはその数を増している。生者の気配を察知する能力があるのかもしれない。合宿場で生き残っているのはもはやふたりだけなのだろうか。
「ちょっと、ドアが……もう……」
分かってはいるがどうしようもない。
見る見るうちに増えた屍たちの圧力で即席のバリケードは無残に崩れ、ゾンビたちが室内へ殺到する。うち何体かは机に足を取られて転び、その身体に深々と裏返しの椅子が突き刺さった。
白石といずなは急いで調理室の一番奥に逃げると、調理用のテーブルに飛び乗った。ゾンビが段差を登れないのなら、僅かでも死ぬまでの時間稼ぎになるはずだ。戦おうにも室内にあるのは包丁や鍋といったリーチの短い武器か、折れやすい木製のモップのみ。
万事休すの状況で、白石は撮影用カメラを起動して録画を始めた。
「いやぁぁぁ! ちっ、近寄らないでぇ!」
モップを振り回す寺田いずなのGカップの巨乳が、白石の眼前でこれでもかと揺れている。バインバインに跳ねている。
デカい胸はそれだけで興味を集める誘蛾灯となる。ゾンビたちも心なし、白石よりもいずなに群がっているように感じる。
ガリガリのオタクよりナイスバディのミス大学様の方が美味しいに決まっているものな。
白石は自嘲気味に笑った。おかしくて仕方がない。カメラの向こうの景色は、本当に現実の出来事なのだろうか。
「来ないでよぉ! どっかいってぇ!」
調理室はいまやゾンビで埋め尽くされた。かつて同じ映画部の仲間だった奴らも、全員死んでくれと思った運動部系の奴らも、交流系という名の出会い系サークルの奴らも、みな等しく肉を求める肉塊となっていた。
「助けてっ! 助けてぇ!」
白石はもはや抵抗することさえ忘れていた。ゾンビの手が足首を掴んでも、白石は構わずカメラを回し続けた。
上下左右に激しく揺れる美少女のおっぱいを何としても映像に残しておかなければ。
彼の中の映画オタク魂はかつてないほど燃えていた。
「いやぁぁぁああぁぁ!」
最悪の状況で、映画オタクは自分の命よりも映像を優先してしまう。そこに最高の映像があれば他に何もいらない。
白石は思わず叫んでいた。
「地獄でなぜ悪い!」
いずなの振り回すモップが虚しくゾンビたちの腐肉を叩く。
飛び散った赤黒い液体がテーブルを汚し、いずなはそれに足を滑らせて盛大にすっ転んだ。涎を垂らした屍たちがいずなを取り囲み、肉片の詰まった歯を光らせる。
誰かの血液が滴る口を大きく開けたゾンビたちは、今まさにいずなの柔肌を食い破らんと――
「――いただきまーす!」
突如、室内に紅の嵐が吹き荒れた。
「死にたくない死にたくない死にたくな――っえ?」
いずなに迫っていたゾンビたちが破裂し、内臓と血液がいずなの頭から降り注ぐ。さらに白石を掴んでいたゾンビたちも吹き飛び、窓をぶち破って階下へと投げ出された。
「な、ななな――」
白石の眼前で次々とゾンビの身体が弾け飛び、肉や骨や内臓があたり一面に派手に飛び散っていく。巨大な竜巻が木々をへし折って巻き上げるように、木偶の坊の死者たちを鮮血の暴君が蹂躙する。
血と臓物の嵐の中心にいるのは、紅に染まった長髪を振り乱す一人の少女。返り血で赤く染まった雨合羽を身にまとい、ひょろりと長い手足を鞭のように使って一方的な暴力を振りまく悪魔。その口元には獰猛な獣のような笑みが浮かび、瞬きひとつしない目を大きく見開いて憐れな獲物を捉えては屠る。
超展開の連続に、白石は腰を抜かしてその場にへたり込んだ。股間の辺りが温かい。
隣では同じようにいずなが呆気にとられた表情で悪魔の暴力を見つめている。彼女もどうやら漏らしているらしかった。
「見て見て! 柔らかいよ、これ!」
ピンク髪の女がゾンビたちの首の高さで横薙ぎにその剛腕を振るう。吹き飛んだ頭部は派手な音を立てて調理室の壁にぶち当たり、脳漿をまき散らしながら派手に砕け散った。
「もう……またそんなに散らかして。これじゃどこの肉か分からないじゃん」
白石たちの隣のテーブルから呆れ声で答えたのはセーラー服姿の女子高生。毛先の跳ねた黒髪ボブカットの少女は、ガスコンロにフライパンを乗せて油を引いている。彼女の周囲にだけは臓物が飛び散っておらず、清潔さが保たれていた。
「えー、でもバーッて弾けて楽しいよ!」
赤紫髪の悪魔は満面の笑みでゾンビたちに殴る蹴るの暴力を行使していく。
突き出された拳がアメフト部員の胸に食い込み、プロテクターごと風穴を開ける。テニス部のゾンビは裏拳を食らって金髪に染めた頭部が破裂した。流行りの服に身を包んだ清楚系女子は女のハイキックで宙に浮き上がり、錐もみ回転しながらゾンビの群に突っ込んで爆散した。
「わぁ、服着てないよ! 美味しそう!」
悪魔はゾンビの中から全裸で繋がったままの男女を見つけ出すと、そいつらの胴体を吹っ飛ばして尻肉の辺りを丸かじりした。
「こらペコ! つまみ食い禁止!」
「だってお腹すいたんだもん! かまど、早く料理してよぉ!」
「分かった分かった、もうちょっとの辛抱だから。すぐ食べるならステーキだね」
かまどの見事な包丁さばきによってバラバラだった肉片が同じくらいの大きさに切り分けられ、塩コショウで下準備を施された。
コンロの上に置かれた鉄板が熱を持つと、かまどは次々に肉を並べ、豪快に焼かれていく。すぐに肉の表面に熱が伝わり、ジュージューという音と共に厚みのある肉から肉汁が溢れ出す。
調理室に本来の役目を思い出させるかのごとく、こうばしい香りがみるみるうちに広がっていった。
「ペコ、味見」
焼き上がった肉を一枚、かまどがペコの口元へ菜箸で直接運んだ。
「美味しい! なんていうか……ワイルド? な感じがする!」
「ふむふむ。やっぱちょっと臭いのかもね。肉食だし」
かまどは新しく焼き上がったゾンビ肉に、スクールバッグから取り出した瓶詰の特製ステーキソースをかける。
「はい、完成。ゾンビのステーキ、召し上がれ!」
「いただきます! はむ……んんっ! 美味しいっ! なんのソース、これ?」
ペコの一口は大きい。腿肉程度なら一瞬で消える。話している間も、かまどは忙しく肉を焼いていく。油の爆ぜる音がペコの食欲をますますそそる。
「玉ねぎとニンニクを、ワインと醤油とみりんで煮たんだけど……それだけだと普通すぎるから、隠し味を入れました。なんだと思う?」
「えぇー、分かんない……けど、なんか甘い気がする? 果物みたいな……」
「おお、ほとんど正解じゃん。答えはりんごだよ」
ゾンビの肉はイノシシの肉などに似て大味かつ独特のにおいを放っている。それを消すためにハーブや香辛料と一緒に二、三日酒に漬けてマリネにしたいが、そんな時間はない。そういう時に便利なのがりんごのペーストだった。ソースに入れれば肉の臭みをまろやかにしつつ、甘味を加えてくれる。
「りんご! そっか、これりんごだったんだ! アダムさんちで取ったやつ?」
「そうそう。蛇がくれたんだよねぇ」
ペコは肉を食べながら片手間にゾンビを掃討していく。手足が吹き飛び、頭部がもげ、内臓は天井や壁にぶち当たってボトボトと落ちる。
普通なら吐き気を催すような光景だが、あまりの肉片の多さに白石たちの感覚は麻痺し、ただただ奇妙な二人組の食事を眺めていることしかできない。
「ゾンビってもっとまずいのかと思ってた!」
あれだけいたゾンビも気が付けばほとんど残っていなかった。一時間もかからず、死者の大群は肉塊へと分解され、ジュージューと食欲を煽る音を響かせながら焼かれてしまった。
ペコはかまどが焼き上げた肉を端から頬張り美味しい美味しいと狂喜する。
「肉は腐りかけが一番なんだよ」
ゾンビは人を食べる。そのゾンビが人のような何かによって食べられている。食べるはずのものが、食べられてしまっている。
この光景を何と言い表せばよいのだろう。白石の脳裏に数々のゾンビ映画がよぎる。概念の乱れ、不合理、理不尽、因果律の逆転……いや、どれも違う。
暴力だ。圧倒的暴力こそが支配者なのだ。
この世は所詮弱肉強食。ゾンビパニックに際して適者生存なんて生ぬるい。強い者が弱い者を蹂躙して奪う。それこそ唯一不変の絶対法則、すなわち、食物連鎖!
「化け物には化け物をぶつけるんだ……」
白石が真理に気付きかけた頃、最後のゾンビがワンパンで砕けた。細かく千切れた肉片はかまどの包丁で整えられ、見る間に焼かれてペコの胃袋へと吸い込まれていった。
「ごちそうさまでした!」
ペコの口元についた油をかまどがキッチンペーパーで拭う。ペコは水道の水で口の中をゆすぎ、血に濡れた手足をジャブジャブと洗うと、雨合羽を脱ぎ捨てた。
そしてふたりは荷物を鞄にしまい、さっさと調理室を後にした。
まるで女子高生が帰りにファミレスに立ち寄るような感覚で、ゾンビの大群をペロリと平らげて消えていったのである。
嵐のような二人組が去った時、調理室はもはや調理室ではなくなっていた。壁も床も天井も、清潔さが売りだった四角い部屋は血液の赤と内臓の黒で染まってしまった。まるで漆塗りされた重箱。
白石といずなの他に、人の形をしたものは残っていない。
白石はゆっくりといずなの方を向く。
開いた口の塞がらないいずなは、訳が分からないといった表情で白石を見つめ返した。
それはまさに映画のファイナルカットに相応しい顔だった。
白石はカメラを持ち上げる。『ブレインデッド』だって目じゃない、スプラッター映画の最高傑作が出来上がる予感がする。
ただ一つの心残りは、あまりの衝撃に呆けていて、ふたりの少女が暴れて、調理して、食べている様を撮影できなかったこと。
「……私たち、生きているのね」
いずなが呟いたのは、白石たちが撮るはずだった映画の最後のセリフだ。
「そうだね……僕たちはまだ、人間でいられるようだ」
だから白石も映画のセリフで返した。本来は演劇部から借りてきたイケメンが言うはずだったセリフだが、奴は喉に穴を開けて死んでしまったし、今頃はペコの胃酸でドロドロに溶けて跡形もなくなっているはずだ。
調理室の窓から燃えるような夕陽が射し込む。
汗も、涙も、糞尿も、ふたりは液体という液体を身体から流した。そして血液や、脳漿や、正体不明の臭い液体といった、およそ人間に関わるありとあらゆる液体を浴びた。だからいずなの巨乳も濡れたシャツに張り付いて、ブラの形までくっきりと浮き出しているのだった。
「なによその顔」
いずなが白石を見ておかしそうに笑う。自惚れや毒気がすっかり抜け落ちた少女本来の飾らない表情。それはこれまで白石が見たいずなの表情の中で、もっとも自然で魅力的な笑みだった。
――前菜『ゾンビのステーキ』
プロローグはいかがでしたか?
次回からペコとかまどコンビが本格的に登場です!