苛立ち
「使えない。」
全く、何の役にも立たないやつらだ。
「お前らなんかが、女鳥王の代わりになるわけがないだろ!」
そう叫んで、私は目を醒ました。
しばらく呆然としている。
どうしてあんな夢で一日を始めないといけないのか。夢の内容を詳しくは覚えていないが、女鳥王に関する夢だったことは、確かだ。
磐之媛も髪長比売も所詮は女鳥王の足元にも及ばない存在だ。しかし、現実に私の妃となっているのはこの二人であって、女鳥王は「私を振った女」だ。
だいたい、妃は二人もいるものか。
「兄妹そろって地獄に落ちろ、って話なのか?」
「大雀様、どうかなさいましたか?」
思わず呟くと、磐之媛が心配そうに声をかけてきた。
「あ、そうか・・・。」
この女と同じ部屋で寝ていたのか。夫婦だと当たり前か。だが、それが今の私にとってはストレスだ。
「だいぶ、うなされているようでしたが?」
「大丈夫だ。」
「あまり無理を為されないように。」
「その心配はいらない、俺は我慢とは程遠い人生を歩んできたのだ。」
恋愛以外では、な。
「今日は大王様に呼ばれているのだとか。」
「ああ、そうだな。」
確か、今日は将来のことを話すとか言っていた。
父は私に権力を授ける、と言った。だが、大王位は菟道若郎子に譲る気だ。それはあまりにも露骨すぎるので嫌でも判るのだ。
もっとも、鈍感な兄――大山守はそのことに気付いていないようであるが。
「今日お前たちを呼んだのはほかでもない、お前たちもそろそろ子供を持ってもおかしくない年齢だ。」
「はぁ、また妃を娶れと?」
大山守が首を傾げる。
「お前は摩奴良比売で十分だろ。そうではない、子供の話だ。」
「育児についてアドバイスをくださるのですか?」
「ま、大山守、似たようなものだ。お前は兄である子供と弟である子供、どちらが愛しいか?」
「それは、まぁ、長男が一番かわいいと思いますが。」
「そうか、私は次男坊のお前のことも可愛がったつもりだが、お前はそうではない訳だな?」
「あ、いや、そういう訳では・・・。」
大山守には額田大中彦という同母兄がいる。
自分が同母兄を差し置いて父に重宝されているのに「長男が一番かわいい」はないだろ。だが、それ以前にこれが政治的な会話であることに気付いていない時点で、アウトだ。
私はこんなダメな異母兄とは違う。
「大雀、お前の意見はどうかね?」
「すでに成人している年上の子供については、何の心配をする必要もないので、特に愛でる必要があるとは思いません。」
そう言いながら私は大山守の方を見た。すると大山守、「なるほど。」と言った顔をしている。
自分と額田大中彦のことだと思っているのだろう。単純な男だ。父親は一緒でも母親が違えばここまで変わるのか。母上に感謝だな。
「しかし、まだ未成年の、そうですね、例えば妃も娶っていないぐらいの若い子供というのは、特別に可愛がってやらないといけないような気がします。」
「なるほどな。」
そう言いながら父は満足気に頷いた。
「それで話は変わるがな、私が死んだ後のことについて話をして置きたい。」
いよいよきた。
「大山守、お前には野山のことを任せる。大雀、お前には食国(国土)の政治を任せる。そして、ここにはいないのだが、菟道若郎子を次の大王にしようと思うのだが、どうだ?」
「父上、それは素晴らしい案だと思います。」
私はすかさず返した。
「ええと、それは・・・いえ、素晴らしいことでありますね。」
大山守がぎこちなく返事をする。
「菟道若郎子だと人望もあってよろしいとは思います。」
大山守が若干を間をおいてから、付け加えた。
「そういうことだ、これで今日の話は終わりだ。」
「承知しました。父上。」
大山守が立ち上がって部屋を出る。私も続いて退出しようとすると、父が言った。
「お前が欲しいものはあげたのだから、あまり欲張るなよ。」
「え?」
「権力が欲しいのはそれがお前の天分だからだ。天分に合わぬものを欲しがるなよ。」
「心します。」
まるで、恋愛については何も求めるな、とも言いたげな父の言葉であった。
「大雀兄さん、何の話でしたか?」
帰ろうと宮殿の門をくぐるとき、聞きなれた声がした。
「女鳥王!」
思わず大声を出してしまう。
「元気だったか?会えて嬉しい!」
「こちらこそ。ところで、何の話でしたか?」
「次の大王の話だ。」
「え?だ、誰が・・・。」
「悦べ、お前の兄だぞ。」
そう言って私は微笑む。女鳥王も先日のことはなかったかのように接してくれる。
「お兄様が・・・どうしてですか?」
「君たち兄妹は誰にも好かれるからね。君たち以外、むしろ誰がいるんだろ?」
「いえ、国政を担うのは大雀兄さんが適任です!」
「こらこら、同じ腹から産まれた兄を信じないといけないよ。」
女鳥王も政治の才能があるから、父王も王号を与えたのだ。その兄の菟道若郎子が大王に相応しいと父王が判断したのも、無理はない。
菟道若郎子と女鳥王、この二人は人に好かれる特性を持っている。これはお世辞でも何でもなく、事実だ。
「人に好かれるということでしたら、大雀兄さんも人気者です。速総別兄さんも大雀兄さんを尊敬していると言ってましたし。」
「――だけど、君は私をどう思っている?」
「え?」
「私はね、君と結婚したいのだけどね。」
「ありがとうございます。だけど、それは無理です。」
「そうか・・・。」
「大雀兄さんだと、絶対に良い人が見つかりますから。」
「それはないな。君よりも良い女など存在しない。」
「何を言っているんですか、しっかりして下さいよ!大雀兄さんがそんなに女性を見る目がないなんて、私は信じたくありませんよ?」
「女性を見る目があるから言っているんだけどなぁ。」
どうも、女鳥王には自分が最高の女性であるという自覚がないようだ。
「お前は自分のことも、兄のことも、過小評価し過ぎだな。無論、私もやりたいことはある。それはきちんと菟道若郎子に提案するよ。」
私たちがそう話をしているところに、速総別王が二人の男を従えて来た。
「兄上。是非とも兄上と話をしたいという人が二人ほどいたので、連れて参りました。二人とも私の縁戚で信用のおける人物です。」
二人の男は私を見るなり平伏している。
「名乗れ。」
「和邇臣口子と申します。」
「山部連大楯と申します。」
「そうか、面を挙げよ。」
見ると二人とも気の強そうな顔の男ではあるが、口子の方がどこか穏やかな顔をしているように見える。もっとも、それは大楯が如何にも武骨な面相と体つきをしているから、余計そう見えてしまうのかもしれない。
「で、二人の要件は?」
「大雀様の政を手伝わせていただきたい、と思いまして。」
答えたのは口子の方であった。
「それは大楯もか?」
「如何にもそうでございまする。」
「ふむ。政治を手伝うと言っても、太子は菟道若郎子に決まったばかりだ。私が出来るのは国政への提言だけだぞ?」
「その、国政への提言と申しましても、やはり殿下お一人で為されることには制限がありますでしょう。」
「口子、じゃあ聞くが、もしも私が税の無い国家を築きたいと言ったら、お前は協力できるか?」
「え・・・いえ、大雀様の真意は測りかねますが、そう言われるからには実現可能なことなのですね?」
「大事なのは実現可能か、どうか、じゃない。実現させるか、どうかだ。大楯、判るか?」
「ええ、諦めることは宜しくありませんな。」
「いや、何事も諦めないといけないことはある。時宜に会わぬ場合、神の御心に背く場合が、そうだ。しかしな、苟もその神から国政を預かる身で、決して言ってはならぬことがある。それが『仕方ない』だ。」
国政は、人間に行うことは出来ない。私はそう思う。
「判りました。」
口を開いたのは口子の方だ。
「大雀様、具体的にその政策を教えてくださらないでしょうか?その政策実現のための方策を考えたいと思います。」
私は女鳥王とは別れて、速総別王たちと四人で彼の家にいる。
「減税による国力の発展、ですか?」
口子は今いち私のプランが読み取れないようであった。
「要するに、兄上が言っているのはこういうことですね?例えば、民衆がこれまで税として納めていた分を土器や鉄器の購入に充てると、土器や鉄器を作る職人がよく働くようになりその技もどんどん磨かれる、そうすると結果的に国力も増大する、と。」
速総別王が簡潔に私の抗争を纏めてくれた。
「う~ん、難しい話だなぁ。」
大楯はそれでも理解できない、と言った顔をしている。
「大楯は今払っている租税が無くなるとどうする?」
私は聞いてみた。
「米の収穫を大王様や部曲に払わなくても良い、ってことか?それじゃあ、俺たち家族はいつも満腹になれるなぁ。」
すると速総別王が呆れたような声で言った。
「・・・あのなぁ、お前って確か、将軍だったよな?」
「うん?あ、そうだが。」
「じゃあ、お前の家の田の面積を考えて見ろよ。とてもじゃないが、家族全員で満腹になるまで食っても余る量だと思うぞ?」
「あ、そうか。じゃあ、誰かと交換しないといけないな。」
大楯もようやくそこまで考えが及んだようだ。
「そこなんだよ、大楯。人間って食べて寝るだけじゃない、余ったものがあったら何かと交換するだろ?大楯だと収穫の残りは何と交換したい?」
「そうだな、俺は武人だから良い武器を買いたい!」
中々向上心のある武人だ。
「そうか、それは良いことだ。で、あんたが武器を買うと解部の武器職人もご飯を食べられるようになる。しかも、武器を作る数が増えると彼らの腕も上がるから、大王家もより良い武器を整えやすくなる。それは大王家にとってもメリットになるよな?」
「あ、なるほど!」
「それだけじゃない。土器もそうだ。今、須恵器を始め新しい土器がどんどん開発されている。だが、土器職人も政府に米で租税を払わないといけないから、農作業に時間を取られており作業の合間に土器を作っている状態だ。もしも租税を無くすとどうなる?みんなは税が無くなった分、土器を買いやすくなる。儲かった土器職人は農作業しなくても食っていけるから、より土器の製作に専念できる。すると新しい土器の開発も進むだろう。新しい土器が出来るとそれは大王家にとっても、国家にとっても、有益だ。」
私がここまで言うと、口子がハッとしたかのように「そうか!」と言った。
「凄い!さすがは大雀様!そうですね、これまで租税を支払わないと国は運営できないと思っていましたが、よく考えると租税を無くした方が活気が生まれますよね!」
「やはり兄上は天才ですね。こんなこと、誰も思いつきませんよ?」
「何を言っている、本来ならば誰でも思いつくはずのことなんだ。ただみんな、思いついても深く考えないか、考えても実行しないだけだ。だからな、私はこの案をもっと具体的について、実行できるレベルにまでしてから提案したいんだ。」
「なるほど、確かに兄上の仰られるとおりですね。」
「是非とも協力させていただきたいです!」
「俺、いや、拙者も武人としてできることがあれば何なりとお申し付けください。」
「ありがとう。ただ、大楯。別に私はクーデターを起こしたいわけではないがな。」
「兄上、そこで笑いを取られても・・・。」
「速総別、私にとってはお前の微笑は笑いに入らないが。」
何はともあれ、私はこの時に始めて同志を得たのかもしれない。
(役立たずな人間ばかりではないな。こうして理想を共有できる仲間もいる。)
私が彼らに語ったのは、私の構想の一部だ。私の一部は、この小さな国の発展などでは断じてない。
世界を天照大御神様の御心で統一すること――これが、私の最終目標だった。