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神性と魔性

 実の兄を惑わさせる、とてつもない魅力――それを「魔性」と言わずして何と言うのだろうか?


 ――しかも、本人には惑わせている自覚がない、それが問題だ。


「ねぇ、大雀(おおさざき)兄さんは本当は誰が好きなの?髪長比売じゃなくて?やっぱり磐之媛?」


 何なんだ、この白々しい対応は。私を振ったのは、その場で直ちに振ったのは――




「大雀様、よろしくお願いします。」


 磐之媛(いわのひめ)が私に頭を下げる。


「あ、ああ。よろしく頼む。」


 なんとなく、腑に落ちない。この女性が私の新しい妻なのか・・・。

 髪長比売(かみながひめ)とは全くタイプが違う。それにしても、磐之媛と髪長比売の関係はどうなるのだろうか?


「磐之媛はお前の正妻だからな、大切にしろよ。」


 そう言った父の言葉が脳裏に浮かぶ。「正妻」つまり、正式な妻はこれからは磐之媛なのだ。

 しかし、何とも腑に落ちない。私は髪長比売を愛していたのではなかったのか。これからは髪長比売への愛情を磐之媛に注がないといけないのか?

 愛とは、何か「義務」のように感じる。少なくとも「恋愛」とは無関係だ。恋愛感情ならば、私は一人の女性にしか、向けられていない。


「そう言えば大雀様は女鳥王様とお仲がよろしいとか。」

「ああ、私の一番大切な女性だ。」


 そう言って私は「しまった」と思った。妻相手に言う言葉ではない。


「大雀様は妹思いなのですね。そんな夫の下に嫁ぐことができて幸せです。」


 磐之媛が微笑む。どうやら都合よく勘違いしてくれたようだった。

 そうか、まさか妹に恋愛感情を抱いているなど、誰も思わないか――そう考えて納得した。

 父は磐之媛が「権力」を手に入れるために必要だ、と言った。もしそうだとしたら、それは磐之媛の実家と関係あるのだろう。

 そう、磐之媛はあの武内宿禰(たけうちのすくね)の孫だ。

 百年単位で生きてきて大和政権に隠然たる影響力を及ぼした、武内宿禰。その孫娘を大切にしないと権力など握れないだろう。


「磐之媛は天神地祇(てんじんちぎ)について詳しいですか?」

「え?」

「いや、何か神様について話ができる女性と出会いたくて。」


 何か高尚な話題を――と思って、こんなことを口走ってしまった。


「私、神々のことは好きですよ。」


 そう言って磐之媛は微笑む。


「だって、青人草(あおひとぐさ)はみんな神様ですものね。」


 それを聞いて私は磐之媛を見くびっていたことを、悟った。


「そうだ、だけどそのことを知るものは少ない。――人間だけじゃない、生きとし生けるもの(ことごと)くが神のいのちを生きているのだが。」

「ええ、それが本来の神の解釈ですわね。だけど、神の解釈は人によって違う。ある人は神は死んでからなるものだといい、またある人は神とは特別な魂のことを指すのだという。」

「それも、実は間違ってはいないんだよなぁ。大王(おおきみ)はすべての蒼生(あおひとぐさ)衆生(いけるもの)とを天照大御神(あまてらすおおみかみ)分霊(わけみたま)として拝んでいるけれども、それを押し付けることはしない。人によって解釈が違うのは当然だからだ。」

「そうなんですか、大雀様はお詳しいのですね。」


 ちょっと、仲良くなるための話題には似つかわしくなかったようだ。

 神々の世界に足を踏み入れているという武内宿禰の孫と仲良くなるには、高尚な話をした方が良いと思ったのだが、女性との会話は難しいものだ。


「優れた魂を神と言う、そういう解釈の場合――」


 不意に磐之媛が(つぶや)くように言った。


「神の逆、鬼や魔と言った魂もあるのでしょうね。」

「ああ、そうだろうな。」

「私の祖父はどちらなのでしょうか?」

「え?」


 何百年も生きているとなれば、化け物だ。――とは、まさか妻の祖父のことを言えまい。


「何百年も生きていれば、それは神様でしょうね。実際、神々の部類に入る男だと評判ですし。」

「そうですか。大雀様から見ても、その評判は正しいのですか?」

「正しいと思いますよ。大和のために尽くしてくださっていますから。」

「大王様も神であると言われていますよね?」

「ああ、父ですか――正直、息子からすると同じ人間に見えないこともないです。」

「やっぱり――みんなそういうものなんですね。」


 磐之媛が微笑んだ。毒のない女性だ。


「だけど――」


 私は続ける。


「――やっぱり、父と私は違いますね。私は父みたいに偉大な人間には、なれない。父が神だと言われるからには、やっぱりそれだけのものがあるんです。」


 そうだ、この愚かな大和の群臣たちをうまく率いて国を纏めている、そんなこと、人間には無理だ。やはり、父は神なんだ。


「そう――お爺様も、そんな大雀様に神と言われるからには、さぞかし立派な方なんでしょうね。身内だとどうも客観的に見れないところはありますが。」

「父と並んで神と言われるのは、武内宿禰ぐらいですよ。」

「ありがとうございます。――だけど、祖父と私が違う存在と言うのは、なんだか寂しいですね。一方は神で、もう一方は人。」


 磐之媛は本当に寂しそうに笑っていた。


「ですから、それも一つの解釈ですよ。先程磐之媛ご自身が言われていたように、全ての人間が神だという解釈もあるのですから。」

「――だけど、お爺様を崇敬する方はいても、私を崇敬する方はいない。」

「――私もです。」


 私はこの時、磐之媛のことを「似ているな」と感じた。

 どちらも偉大な父、偉大な祖父の子供であり、孫であることを誇りにして生きていた。自分も父なり祖父なりと同様の存在なのだ、と。

 だが、心のどこかではそれが欺瞞であることに、気付いているのだ。

 私と父は同じ「人間」ではない。では「神」か?――いや、それは本質的な問題ではないのだ。

 先程、私は「息子からすると同じ人間に見えないこともない」と言ったが、正確には「息子からすると同じ人間に見たくなる」のだ。

 しかし、本当は私と父は「同じ」カテゴリーに入ることはない。そして、磐之媛も自分と祖父の関係をそのように見ている。


「大雀様、私は神になれるでしょうか?」


 磐之媛が発した言葉に、私はハッとする。


「そう言えば・・・。」

「え?」

「異母妹に『神』がいた、と聞いたぞ?」




「あれ?大雀兄さん、どうしてこちらに?」

「女鳥王・・・貴女もどうしてここに?」

「姉の家に来ておかしいですか?」

「それを言うならここは私にとって妹の家だ。」

「あ、そこにいるのは磐之媛?」


 いきなり女鳥王が話を逸らした。


「女鳥王様、よろしくお願いします。」


 磐之媛が頭を下げる。

 ここは異母妹の一人である大原郎女(おおはらのいらつめ)の邸宅だ。


「あらまぁ、次期大王とその妃がここに来られるとは。何の準備もしていなかったわ?」


 奥から大原郎女が侍女を連れて出てきた。


「あ、判った!兄さんはお花との会話の仕方を姉さんに教えてほしいんだ!」

「え?大雀兄様も草花と会話をしたいの?」

「そうよ、この前も花に『元気か、好きだ』と声をかけていたもの。」

「おい、俺は『好きだ』とは言ってないぞ。」


 思わず大原郎女と女鳥王の会話に口を挟む。


「だいたい、俺が好きなのは――」

「え?誰なの?」

「いや、何でもいい。――磐之媛、この人が私の異母妹の大原郎女だ。」


 私は視線を女鳥王から大原郎女に移して磐之媛に紹介する。


「よろしくお願いします。」

「こちらこそよろしくお願いします。」

「磐之媛、実は大原郎女は玉依姫(たまよりひめ)の生まれ変わりらしいんだ。」

「そんな――大したことありませんよ。」


 大原郎女は否定はしなかった。


「た、玉依姫!?」


 磐之媛が驚いた顔をする。無理もない、玉依姫は大王家の祖神だ。


「玉依姫の転生がただの非力な姫で驚いたでしょ?次期大王の貴女の旦那様の方が、余程素晴らしいわ。」

「ちょっと待て、さっきから言おうと思っていたけど、いつの間に私は次期大王になったんだ?」

「え?違った?」

「次期大王と言うのはな、そこの美少女の同母兄だよ。」


 そう言いながら私は女鳥王を指した。


「いやいやいやいや、お兄様が次期大王とかあり得ないから!無理だから!」

「いや、父上が特別に王仁(わに)博士を家庭教師につけて可愛がっている、唯一の子供だ。」

「バカだから家庭教師を付けているの!二度と国書を破ったりさせないためにね。」


 国書を破る――あの日の光景を思い出す。あの時はヒヤヒヤしたものだが、女鳥王の口から聞くと――


「あはははははっはは、ギャハハハハハハ、あ~、だめだ、笑いが止まらん、ふふふふふ。」


 不覚にも爆笑してしまった。


「そうやって笑い話にできるならば、良かったです。」


 そう言って大原郎女が微笑んだ。


「あの時はあんなにヒヤヒヤしたものだが、暫くたつとここまで笑えるものなんだな。」


 自分でも驚きながら言う。


「他人事だから笑えるんですよ。」


 女鳥王が不服そうに言った。


「私は大原姉さんほど美人ではないけど、大原姉さんが美人だということは判る。同じように、政治については何も知らないけれど、政治を担うことができるのは大雀兄さんだということは判るんです。お兄様ではなく。」

「女鳥、残念ながらそれは間違っている。私の異母妹で一番の美人は、貴女だ。」


 私がそう言うとその場の空気が凍り付いた。妻、女鳥王、大原郎女――さらには侍女たちまで。


「大雀様、もうそろそろお(いとま)しましょうか?」


 磐之媛が私の右腕に手を添えながら言う。


「そうですね、大雀兄様、あまりこちらで長居されましても・・・。」


 そう大原郎女が言っている間に磐之媛が私の右腕を抱きしめる格好になった。


「どうした、磐之媛?」

「どうしたって・・・。」


 すると女鳥王が笑いながら言った。


「ねぇ、大雀兄さんは本当は誰が好きなの?髪長比売じゃなくて?やっぱり磐之媛?」


 女鳥王のその言葉には若干の悪意が感じられた。


「なぁ、女鳥王・・・。」


 私はそう言いながら彼女の眼をまっすぐ射貫く。


「私が本当に好きなたった一人の女性が誰か、貴女が『知らない』ということは、出来ないはずなんだけどな。」


 本来ならば言うべきではない言葉、しかし、言わざるを得ないのだ。

 ここで「磐之媛が好きだ」と言うのが、恐らくは正答なのだろう。だが、それをすると私のメンタルは恐ろしく止むだろう。

 私は、貪欲になった覚えはないが、禁欲をしたことはないししたくもない。我慢、等と言うのは私の最も嫌いな言葉だ。


「いや、私は本当に判らないから。」


 そう笑いながら言う女鳥王の目は、全く笑っていなかった。


「判らないとすれば、貴女が愚かなだけだ。――どんなに愚かでも好きだが。」

「私は、貴方の妹です。妻ではありません。」

「それがどうしたんだ?異母妹であることと妻であることは両立する。」


 そう言いながら私は磐之媛から体を離した。


大帯彦(おおたらし)大王の御代(みよ)大枝王(おおえ)(しろかね)王の先例もあることだ。」

「私はそんな先例は知りません。」

「女鳥、貴女は私を嫌っているのか?」

「大雀兄さんがそう言うからにはそうなんでしょう。」

「そうか――なら仕方ない。」


 そう言うと私は磐之媛の方に向き直った。


「帰ろうか。」




「大雀様らしくなかったですね。」


 自宅の一室で磐之媛が言う。


「そうか。」

「まるで、魔物に憑かれているかのような。」

「魔物?」

「ええ、魔物です。」


 磐之媛が意を決したように言う。


「あれは、魔物ですよ。卑しくも女王に対して言うことではないのは承知していますが、あれは人ではないし、かと言って神でもない、魔です。」


 そう語る声は確信に満ちていた。


「そうか、磐之媛はそう思うのか。しかし、私にとっては神なんだよ。」


 信用できない――私は磐之媛のことをそう思った。女鳥王のことを悪く言うからだ。

 所詮は政略結婚による夫婦である。父は「権力のために必要」と言うが、好きで結ばれているのではなく権力維持のための絆なのだ。

 磐之媛が女鳥王を悪く言うからには、それは政治的に思うところがあるに違いない。


「どうして女鳥王が神なんですか?あの女が貴方に何かをされたのですか?」

「いいや、何も。」


 何かをされたから好きになる、それだと商人の取引と何が違うというのか。

 恋愛とはそういうものではないはずだ。


「よもや、女鳥王が妹であることを忘れた、とか?」

「忘れていない!」


 磐之媛はどうしてこうも私を不快にさせることを言うのか。

 確かに、最初に――私の記憶の中では、最初に――女鳥王と知り合ったとき、私は彼女を妹とは認識していなかった。

 だが、すぐに異母妹と知っても好意は消えなかったのだ。


「私と髪長比売ではどちらが好きですか?」

「貴女だ、磐之媛。」


 本当はどちらか判らないが、そう答えた。

 正直、幼いころから一緒に暮らしている髪長比売の方が、信頼できるのだが。


「では、私と女鳥王だとどちらが好きなのですか?」


 そういう質問はずるいと思う。


 ――言うまでもなく、沈黙がその場を覆った。

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