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片想い

 私は、ずっと違和感を持っていた。


 恋愛を、恰も美しいものであるかのように、言っている人たちに。






「ちょっと聞きたいんだけど。」


 目の前の女性は、訝しげに私の方へ向きなおす。


「お前って、俺に惚れたことがあるか?」

「どうしてそんなことを聞くのですか?」


 その女性――私の妻は、不思議そうな顔をする。


「いや、世間の者は恋だの惚れただの腫れただの騒ぐが、お前はどうなのかな、と思ってな。」

「縁があれば、惚れなくとも愛するものでしょ?」

「ああ、そうだな。」

「惚れたとか、恋に落ちたとか、そういう感情って、私には動物の発情の同類としか思えませんわ。良縁を求めて縁のある方と愛し合う、それこそ人間に相応しい、大人の愛と思いますの。」

「確かに。」

「ところで、貴方。」


 妻は急に姿勢を正す。


大雀(おおさざき)って、本当に私のことが好きなの?」


 私は、ヒヤリとした。

 この種の言葉自体は、聴きなれている。しかし、今の言葉は明らかに意味が違うと、判ったからだ。


「大雀は、私のどこが好きになの?」


 これならば、よく聞かれていた。

 妻として、夫にどこが好かれているかは、気になるものであろう。私だって、妻のどこが好きかを上手く言語化するのは難しい。

 「好き」という感情は、言語では充分に表現できない、理屈を超えた感覚なのだから。

 「好きな理由」と言われても、表現できないのは、あたりまえ。上手に表現できないからと言って愛情を疑われるほど、私たちの絆は浅くはなかった。


髪長比売(かみながひめ)。」


 私は、なるべく落ち着いた声で言った。


「私たちの愛情って、そんな疑いをはさむ余地のあるものだったか?」

「ええ。」


 あっさり、あまりにもあっさりと、髪長比売は首肯する。


「髪長比売。」


 私は、妻の名前を呼びながら泣きそうになっていた。


「私がどれだけ、お前を愛しているのか、よく判っているだろ?」

「判りません。」


 この時、私の中の何かが壊れてしまったのかも、知れない。


(貴様の悩む恋など、所詮は羝羊(おひつじ)が催していることと同じなんだよ。)


 ふと、そんなことを髪長比売が言った気がした。無論、それは気のせいであったが。




 そんなある日、私は父に呼ばれた。


「どうだ、髪長比売でお前は満足しているか?」

「え?」


 私は父の言う「満足」という単語に引っかかった。


「どういうことですか?私は愛しているつもりですが?」

「その反応は、お前が恋に満足したことのない証左だな。」


 そう言って父は笑う。


「覚えているか、お前が髪長比売に惚れた日のことを・・・。」

「その言い方、やめてください。」

「うん?どうした?」

「いや、いえ・・・。」

「まぁいい、あの日、髪長比売は私の妃の一人に加わる予定だったが、どうもお前の初恋であったようだからな。」


 そうだ、あれは初恋の日の思い出だ。




 ―――美しい女性がいた。私よりも数歳年上であることは、雰囲気で判った。それでも、愛おしかった。

「お前、あの()が好きなのか?」

 私は、小さく頷いた。ここで頷かないと一生後悔する、そんな予感に駆られて。

「そうか、じゃあ、あれは私ではなく――お前の妻だ。」

 そう言った時の父の微笑(ほほえみ)は、とても優しかった―――




 そして、今の父の笑いからは「優しさ」を感じない。


「どうした?」

「いえ、父上――今ひとつ、何の話をしているのか、読めなくて。」

「お前もまだ子供だな。」

「・・・どういうことでしょうか?」

「今あるものに満足できなければ、満足できそうなものを手に入れればよい。」


 そういった後、父はこう続けた。


「ところで大雀、お前が今、一番欲しいものは何だ?」


 私が欲しいもの――そう聞いて、私は先日の光景を思い出した。


「私は――権力が、欲しいです。」

「ほぉ、権力か・・・。」


 父が少し驚いた表情をする。


「権力を握ってどうしたいのだ?」

「――群臣たちを正しき道に導いてやりたい。」

「そうか、そうか、汝の希望は聞き遂げられたり。」


 そう言って父は笑う。


「では、帰ってよいぞ。」




 父の部屋を退出した後、武内宿禰(たけうちのすくね)とすれ違った。彼は私の顔を見て微笑む。


(それにしても、相当な長寿だよなぁ。)


 一体、彼は何十年生きているのだろうか?いや、数百年かもしれない、武内宿禰とはそういう存在であった。

 しばらく歩いていると、二人の男女が話し合っていた。


「女鳥王じゃないか!会えて嬉しいぞ!」


 私は女性の方に声をかける。


「大雀兄さん、お久しぶりです。」


 女鳥王は私を見ると笑顔になった。


「兄上、お元気そうで何よりです。」


 そう言った男は速総別(はやぶさわけ)王だ。


「速総別、君は女鳥が好きなのか?」

「またまた御冗談を。私たちは兄妹ですよ?」


 そう言って速総別王が笑ったの見て、女鳥王も同じく笑いながらこう言った。


「あら、誰も恋愛の話はしてないわよ?兄妹としてなら私は速総別兄さんも大雀兄さんも好きなんだけど、速総別兄さんは違ったの?」

「そそそそ、そんな!好きに決まってるじゃないか!」

「うふふ、大雀兄さんは?」

「大好きだよ、女鳥。」

「嬉しい!ありがとう!」


 そう言いながら女鳥王は破顔する。


「二人は何をしていたんだ?」

「兄上、花を見ていました。」

「ほう、そうか。」


 二人は宮殿の回廊から花を眺めていた。


「確かに、綺麗な花だな。」


 そういって、私は履物を履いて下に降りる。


「こんにちは。元気にしてるか?」


 私がそう花に向かって話しかけていると、速総別王が笑いながら回廊から降りてきた。


「さすがは兄上、花とも会話ができるそうで。」

「いや、会話は無理だ。一方的に声をかけているだけだな。」

「そうなんですか、しかし、花は人間の言葉を理解するそうですよ?」


 すると、いつの間にか一緒に降りてきた女鳥王が話に加わる。


「え?花が人間の言葉を?どうして?」

大原郎女(おおはらのいらつめ)がそう言っていた。」

「あ、あの綺麗なお姉さまね!」


 そう二人が談笑しているのを聞きながら私は花を眺めていた。

 大原郎女、か。確か、そう言う異母妹もいた。なんで覚えているんだったっけ?

 と、ふとブーンという低い音がする。そちらの方を見てみると、蜂が飛んでいた。


「あわわわわわっ!」


 思わず動揺を声に出してしまう。


「兄上、どうなされたのですか?」


 速総別王が訊いてきた。


「いや、蜂がいてな・・・。」

「大雀兄さん、蜂が怖いのですか?」

「怖いって・・・誰も刺されたくはないだろ。」

「私、蜂を怖がったことないわよ。」

「・・・結構なことです。」


 女鳥王はたまに私を小ばかにするような発言をする。不思議と不快感は無いのだが。

 それにしても、どうして蜂を見ても怖がらない人がいるのだろうか?蜂に刺されると死ぬかもしれないのに。

 命の危機がある以上、蜂とは距離を置かねばならぬ。どうすれば蜂が来なくなるのだろうか?


「蜜・・・。」

「え?」


 突然の私のつぶやきに、女鳥王がやや驚いたようだ。


「いや、蜂は蜜を求めて集まるんだな、と思ってな。」

「え、それ凄い!シンクロ!私たち、ちょうど三つの話してたんだ!」

「え?女鳥王、そうなのか?」

「うん、あのね、花ってなんで魅力があるんだろう、と思って。」

「そりゃ、綺麗だからだろ。」

「そうなんだけど、なんで綺麗か話してたの。すると、速総別兄さんが『蝶々や虫が蜜を食べる際の目印になる為だろ』って。」

「まぁ、そうだわな。」

「そこへちょうど、蜂が来たでしょ?凄くない?」

「う~ん、あ、そうか。」

「うん?どうしたの?」

「いや、確かに、女鳥王の言う通りだ。花というのは実は稲にも咲くし檜にもさく。」

「え?そうなの?知らなかった!」

「だが、そうした植物の花はあまり綺麗ではない。そして、それらは蜜がないんだ。」

「なるほど、綺麗である必要がなければ綺麗にならない訳ね。」


 女鳥王は感慨深げに言った。


「兄上は植物にも詳しいのですね。」

「いや、幼いころちょっと気になって調べたことがあるだけだ。」

「そう言えば竹の花はどうなんでしょ?咲くと良くないことが起きるといいますが・・・。」

「ああ、数百年に一回ぐらいの割合で咲くと言っているな。その後は災害が起きる、と聞いたことがある。」

「なるほど・・・。花のすべてが美しいものではないのですね。災いをもたらす花もあるのか・・・。」


 速総別王も何かを感じ取ったようだ。


「だけど、どちらも同じ花よね?」

「ああ、そうだが?」


 ふいに女鳥王が発した問いに私は反応する。


「同じ花でありながら、色々な形の花があり、綺麗な花もあれば災いをもたらす花もある――不思議よねぇ。それじゃあ、花とは一体何なの?」

「え?花の定義って、ことか?」

「いや、定義とかそういうことじゃないの。私たちは『花が綺麗だ』というけれど、それって、花の表面しか見ていないのかな、って。」

「表面?」

「だって、そうでしょ?花だから綺麗な訳じゃないんだから。たまたま、花弁の綺麗な花もある、ってだけで。」

「なるほど・・・。」


 中々深いをしている。さすがは女鳥王、私が好きな女性だけはある。

 このまま女鳥王たちと楽しいひと時を過ごしたいものだ。だが――




「お前は満足しているか?」




 ふと、父親の言葉が脳裏に浮かぶ。

 恋愛において「満足」とは何だろうか?いや、言うまでもないだろう。




「恋に落ちたとか、そういう感情って、私には動物の発情の同類としか思えませんわ。」




 髪長比売の言葉も浮かんだ。だが――動物の発情である、と言われても良い。

 だいたい、髪長比売の言葉も一面しかとらえていないのではないか。

 恋愛感情というのは、根本的には花の美しさを愛するのと同じ感情だろう。ならば、それは人間特有のものだ。

 獣が花の美しさに惚れるなどとは、聞いたことがない。同様に、獣の世界に女性の美しさに惚れる、等ということはあり得ないはずだ。

 まぁ、外見的な好みというのは禽獣にもあるかもしれないが、人間みたいに内面の美しさに惚れるようなことは、獣にはないはずなのである。

 そうと判れば髪長比売の言葉に気を捕らわれる必要はない、あとは行動あるのみだ。


「女鳥王、ちょっと二人で話したいことがあるのですが?」

「何でしょう、兄さん。」

「ちょっとこちらへ・・・。」


 私は女鳥王を少し離れた所へ連れて行った。


「女鳥王、貴女のことが好きだ!」

「あはは、ありがとう!」


 ・・・どうも、この女は告白された自覚がないようだ。

 私は頭を下げて、改めて告白した。


「私の妃になって下さい!」


 暫く、沈黙が続いた。そして、頭上から予想通りの答えが返ってきた。


「ごめんなさい!私たち、兄妹だし。」






 翌日、私は再び父に呼ばれた。


「お前は権力が欲しいのだよな?」

「あ、はい。」

「権力を手に入れるには、何が必要か判るか?」

「地位でしょうか?」


 すると、父は笑いながら言った。


「私は大王の地位についているが、大王だからと言って権力を握れるとは、限らないんだよ。地位を活用するためには、必要なものがある。判るか?」

「いえ、判りません。」

「そうか、いいか、よく覚えておけ。権力を握るのに必要なのはな、女だ。」

「女?」


 父の言葉は皆目理解できなかった。政治は言うまでもなく男性の者である。


「そうだ、地位に見合った権力には、地位に見合った妻が必要なんだ。」


 そう言いながら父は笑う。


「これが理解できないのは子供だぞ?」

「はぁ。」


 女鳥王と結ばれたら、私は権力を握れるのだろうか?

 そう考えて、慌てて私はその思考を頭から追い出した。女鳥王は、私を振った女だ。妻になることはない。


「余はこれまでお前の欲しがるものはみんな与えてきたつもりだ。違うか?」

「さようでございます。」


 父が改まった口調でいうから、私も改まる。私はあまり物をねだった記憶はないが、確かに何かがくれなかったことはない。

 そう言えば、自分の妃になる予定だった髪長比売を譲ってくれたことも、父の愛情なのだろう。


「今回も、お前が権力を握るために必要な女を用意した。」

「え?」


 もしかしてそれは女鳥王だろうか?


「ふふふ、その名を知りたいか?」

「あ、はい。」

「判った。その名前はな、磐之媛(いわのひめ)だ。」

「磐之媛?」

「ああ。武内宿禰の孫で葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)の娘である、あの磐之媛だ。」

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