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高麗の国書

 この世に、こんなにも可愛い女性がいるとは、思わなかった。


「君は本当に花が似合うね。」


 私は一人の少女に声をかけた。


「私の屋敷で一緒に食事しませんか?」


 玉砕のフラグが立つ、あまりにもストレート過ぎる言葉。しかし、その答えは――


「ありがとう!お兄様。」


――予想外の形での失恋であった。






 どうして私は権力が欲しいのだろうか?

 我儘(わがまま)をしたいからか?いや、それならば必要なのは金であって、権力ではない。

 金と権力、どちらが欲しいかと言われれば、権力だ。

 全財産を差し出すと権力を与える、と言われると喜んで全財産を差し出そう。

 誰のために?言うまでもない、日本のために、だ。

 私が権力を握ることこそが日本のため――そう確信することになったのが、この日だろう。

 この日、私は公務のために屋敷を出た。外出先は、大隅宮(おおすみのみや)。我が国の大王の宮殿である。


「殿下、お待ちしておりました。」


 茅葺(かやぶき)の大きな宮殿の門の前に立つと、一人の男が出てきた。木菟宿祢(きつのすくね)だ。


「ご苦労様。よろしく頼むよ。」

「はい、殿下。式典は滞りなく進みますので、ご心配なく。」

「そうか。」


 木菟宿祢は私を控室に連れていく。


「それではこちらでしばらくお待ちください。」

「ああ。」


 部屋の中には既に二人の異母兄弟がいた。


大雀(おおさざき)、お前が一番遅いじゃないか。」


 そう言ってきたのは異母兄の大山守(おおやまもり)だ。


「ごめんごめん、ちょっと最近疲れていてね。」


 まさか、恋の悩みでスランプ状態になっていたとは言えない。ましてや、その相手が――


「大雀兄さん、いつも一番早いのに。そんなに疲れているんだね。」


――無邪気に聞いてくる、この異母弟・菟道若郎子(うじのわきのいらつこ)の同母妹であることなど、絶対に気付かれてはならない。


「いやいや、大したことはないよ。それよりも君こそ、いつも儒学の勉強で忙しそうじゃないか。疲れやしていないか?」

「それは大丈夫だよ。王仁(わに)博士はとても判りやすく教えてくれるからね。」

「そうか。素晴らしい家庭教師を持ったものだな。」

「うん!父上に感謝だよ。」


 最近、この三人で公務に出席することが多い。他ならぬ、父である大王の命令だ。

 大山守は既に大王の実務を補佐している。言わずと知れた次期大王候補だ。

 一方、菟道若郎子は百済人の学者・王仁を家庭教師につけられている。恐らく、父上が一番かわいがっている子供は菟道若郎子だ。

 この二人に私が並んでいる理由、それは判らない。だが、恐らく「あの事」と無関係では、ないだろう。


「ところで大雀、高句麗についてどう思う?」


 大山守が聞いてきた。


「我が国と関係の深い百済や新羅は、高句麗の侵略を受けています。北方の騎馬民族によって建国された彼らはかなり攻撃的な国であると言えるでしょう。しかし、彼らは決して野蛮人ではなく、高度な文化を持っているとも聞きます。見習うべき点も多いと思いますが。」

「そうだよな。さすが、お前はよくわかっている。だからこそ、今回の式典は重要なのだ。」


 そう、今日は高句麗と日本とが国交を樹立する、記念すべき式典なのだ。この大隅宮を高句麗の大使が訪問し、我が国の大王に国書を奉げるのである。


「侵略国家とどうして友好を結ばないといけないのですか?」


 菟道若郎子が聞いてきた。


「侵略国相手だからこそ、仲良くするのだよ。相手を怒らせて日本に攻めてこられたらたまったもんじゃないからな。」


 大山守が答える。


「だけど、高句麗による百済侵略を黙認していてはダメでしょ?」

「筑紫の方では百済や任那に援軍を送っているが、大和からわざわざ大軍を派遣するほどのことではあるまい。」

「そう言って、侵略を黙認することが国益だというのですか?」

「侵略、侵略っていうけどな、我が国だっておばあ様が新羅から金銀財宝を奪ってきただろ。新羅が津波で沈んで大変な時に金銀財宝を要求したんだ、相手側から見たら侵略と変わらん。」

「とはいっても、おばあ様の新羅討伐は住吉大神の御心でしたよね?それに、先に筑紫のあたりを侵略してきたのは新羅ですし。」

「そうだ。要するにな、どこの国も侵略をしたりされたりしてるんだ。お互いに侵略をしない、されない関係になるためには、友好を深めるしかないんだよ。」


 二人が対高句麗政策について議論していたが、私には上の空だった。

 この時、私の脳裏にあったのは一人の女性だけだ。あの方と結ばれたならば、何もかも失ってよい、そう思っていた。


「大雀、お前はどう思うんだ?」

「ああ、平和は大切ですね。」


 とって付けたような私の答えに、大山守が怪訝な顔をする。

 無理もない、いつも私は政治の話になると熱く語っていた。だが、今の私は好きな女性のことで頭がいっぱいだ。


「殿下方、そろそろ時間でございます。」


 木菟宿祢が部屋の外から声をかける。


「おお、ご苦労!」


 大山守が叫んだ。私たちは立ち上がって部屋の扉を開ける。


「それでは案内します。」


 木菟宿祢が私たちを会場の部屋へと案内した。

 会場は竜胆(りんどう)野路菊(のじぎく)野紺菊(のこんぎく)の花で飾られていた。上座には大王が座っている。

 私たちが案内されたのは大王に向かって右側、つまり父上からの視点では左側になる席だった。奥から順に大山守、私、菟道若郎子の順で座る。


「では、高句麗国の大使が入場されます。」


 司会のアナウンスとともに大使が入場してきた。通訳に王仁が同行している。

 長袖の服の上に袖なしの衣を着るという、大和では見慣れない格好の高句麗の大使は、中央をまっすぐ大王の方に向かって歩き、大王の数歩前で丁寧に頭を下げた。

 そして、懐から国書を取り出して語り始めた。


「고려왕교일본국・・・。」

「高麗王、日本国に教える。」


 通訳の王仁の顔が、一瞬曇る。あまりにも傲慢な国書だ。

 しかし、高句麗の方が進んだ国なのだから、それも致し方ないのかな・・・と思っていた矢先のことだった。


「ぶ、ぶ、無礼な!」


 突然、左の方で叫び声が上がった。次の瞬間、椅子が倒れる音とともに、目前で高句麗の大使に掴みかかる弟の姿があった。


「こ、この、大和の国に対して何たる無礼ぞ!」


 そういうなり菟道若郎子は大使から国書を奪い、ビリビリに破り捨てた。


「さすがは、我らが菟道様!」


 一人の臣下が叫ぶと、他の人たちも付和雷同した。


「さすが、菟道若郎子様は違う。」

「我が国を舐めるな、高句麗!」

「おい、百済人!俺たちの声もそこの高句麗人に通訳しろよ!」


 高句麗大使の顔が怒りに震えている。しかし、それすらも群臣にとっては揶揄の対象だ。


「おい、高句麗!お前が悪いんだろ!」

「わが大和の国を侮辱したのはお前の国だろ!」


 この日本国の群臣が、日ごろの格式ある凛々しい姿を捨てて、その醜い本性を現していた。

 これを見て、私は気が付いた。

 弟は、彼らに喜ばれるためにこの行為に及んだのだ、と。

 温厚で、素直で、他者を重んじるように生きている弟が、このような蛮行に及んだ理由――それは、群臣の間にある空気を尊重し、それに素直に従ったからなのだ。

 しかし、何という愚かな群臣であろう!

 このことがきっかけで高句麗と戦争にでもなれば、一体、どうする気なのか。いや、彼らはそこまで考えていないのである。

 私はこの日を境に、権力者の義務ということを考えた。権力者は群臣の代弁者であってはならない、群臣の指導者でなければならないのだ。


「大使殿、先程は弟が非礼な態度をとり申し訳ない。」


 気が付くと大山守が大使に声をかけていた。


「また日を改めて・・・・。」


 そういう大山守に対して、大使は何も言わずに振り向き、群臣たちとは目も合わせずに去っていった。


「それでは、本日の式典はこれで終わらせていただきます。」


 木菟宿祢がアナウンスする。これで今日の公務は終わった。


「大雀兄さん、少しいいですか?」


 帰ろうとすると、ふと声をかけられた。

 振り向くと、知性的で整った容姿の青年が立っている。


「君は?」

「覚えていてくれなかったのですか?以前も紹介しましたが、速総別(はやぶさわけ)王と申します。」

「ごめんごめん、覚えていなかったのは顔だけだ。確か、糸井比売(いといひめ)の息子だな?」

「そうです、兄上。」


 相手が些か不可解な顔をする。止むを得ぬことだ、名前も血縁も覚えられているのに、顔だけ忘れられるとは、普通はないであろう。


「失礼した、話があるのかい?」

「ええ、出来れば二人きりで。」

「良いだろう、私の家はどうだ?」

「恐縮です、それではお言葉に甘えて――。」


 私は彼を自分の屋敷に案内した。

 座敷で座って向かい合うと、彼の容姿を見て思わず口が滑ってしまった。


「君は――こう言っては失礼かもしれないが、可愛いね。」

「ありがとうございます。」


 戸惑いながら彼は返事する。その様相も可愛い。いや、あまり可愛いとか言っていると変な趣味があると思われるかも、知れない。

 私には容姿の良い男性へのコンプレックスが、どこかにある。だから、こういう言葉がつい口から出てしまうのだ。


「そう言えば、君は女鳥(めどり)王のことは知っているか?」


 私の口から出た名前を聞いて、彼は驚いたような顔をする。


「あ、はい。存じておりますが。」

「その様子では、かなり親しいようだね。」

「親しいと言いますか、大王家の者同士仲良くしたいと――」


 そこまで言って、彼は一瞬「しまった!」という顔をした。


「――それで、大雀兄さんとも親しくしたい、と思いました。」


 見え透いた口実だが、それが却って可愛い。憎めない男だ。


「そうか、それは有難いことだ。君は人から愛される人間だろ?」

「え?いや、その、兄上ほどには・・・。」

「変に気を遣わなくてもいいから。私は中々人から好かれなくてね、人から好かれる人間が自分を慕ってくれると、とても嬉しいよ。」


 そう私は微笑みながら言う。彼を味方につけるには、彼を警戒しているとは思われない方が良い。

 彼が私に声をかけた理由は、私が権力に近いからではない。彼が権力者に媚びる人間であるならば、とっくに私と親しくしているはずだ。

 女鳥王と親しい間柄なのは大いに気になるところである。彼は女鳥王が好きなのかもしれいないし、或いは・・・。

 言われてみれば、彼は何となく女鳥王の好みそうな雰囲気をしている。


「ところで大雀兄さん、今日の件はどう思いますか?」

「今日の件?高句麗のことか?」

「そうです。」


 彼の口から政治的な話題が出るとは、意外だった。

 容姿に恵まれて、誰からも愛されて育ったように見える彼は、政治のことも何も知らず苦労なく育った、温室育ちの王族に見えたからだ。


「まぁ、大変だったね。菟道若郎子の気持ちも判るよ。」

「高句麗の国書は無礼だった、と?」

「日本にもプライドがあるからね。そういう君はどう思う?今回のこと。」

「――菟道若郎子兄さんには、親しくさせていただいていますよ。」

「それは良かった。」


 なるほど。彼は菟道若郎子に近い人間と親しくしているわけだ。今回の菟道若郎子の行動を見て動揺しているのだろう。


「ところで君、女鳥王のことは好きか?」

「え?」


 またもや彼は驚いたような顔をする。


「そんな、腹違いとはいえ、実の妹を――」

「私は好きだが?」

「え?」


 再度、彼は驚いたような顔をした。


「ああ、確かに、妹のことは好きですね。」

「いや、そういう意味ではない。女性として、だ。」


 しばらく静寂がこの空間を支配した。そして、速総別王が呟いた。


「兄上、狂ってますよ・・・。」

「私は正気だが?」

「自分の妹に惚れる兄が、一体どこにいるのですか?」

「過去には大枝(おおえ)王と(しろかね)王の先例もある。あの二人も異母兄妹だが、結ばれた。」

「――そうなんですか。だけど、私には理解できません。」


 どうも、彼が恋のライバルだというのは、杞憂だったようだ。しかし、味方でもなかった。


「こんな私と仲良くなろうとしたこと、後悔したか?」

「いえ、してません。」


 速総別王は真っ直ぐ私を見据えた。


「大雀兄さん、私は兄上こそ我が国の大王に相応しいと思っているのです。」


 今度は私が驚く番だった。


「アハハハハハハハハハハハ、中々面白いことを言うねぇ、君。」

「本気ですよ?兄上の女鳥王への愛情と同じぐらいに。」

「そうか、そうか、それは愉快だ。だけどな、父上の跡を継ぐのは大山守兄さんと決まっている。」

「本当に決まっているのでしょうか?この度、重要な儀式には大山守兄さんだけでなく、大雀兄さんに菟道若郎子兄さんも参加するのが慣例ではないですか。」

「そうだな、まぁ、それは色々事情があるものだ。菟道若郎子は我々の中で、一番父上が気に入っている子供だしな。」

「ええ、能力では大山守兄さん、人望では菟道若郎子兄さんでしょう。それなら、大雀兄さんには何があるのでしょうか?」

「ハハハ、何もないよ?見ての通りだ、私は妹に惚れるような男でね。」

「そうです、そんな兄上が大山守兄さんや菟道若郎子兄さんに並んでいる、それには意味があるはずです。」

「いやいやいや、それは買い被り過ぎだよ。とりあえず、次の大王は大山守兄さんで決まりだ。大山守兄さんに何かがあれば菟道若郎子だな。」

「菟道若郎子兄さんは、大王の器ではありません。」


 速総別王が驚くべきことを言った。


「確かに、菟道若郎子兄さんは人望があります。しかし、人望があるだけではダメなことが、今回の件でよく判りました。」

「それはどうかな?同じことをしても、人望があるのとないのとでは、違う。」

「いえ、やはり女鳥王の言う通りです。この国の大王に相応しいのは、大雀兄さんだ。私は最初それを疑っていましたが、今回の菟道若郎子兄さんの行動を見て女鳥王の正しさを確信しました。」

「女鳥王が?」


 信じられない。あの、私を振った女が、私をそんな風に評価していたとは。


「ええ、女鳥王はかなり大雀兄さんを評価しています。」


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