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竜を駆るもの  作者: なろうなろう
第二章
9/33

試練②

 黒い竜を駆る訓練生は、直ちに先を往くマグタンクの姿を捉えた。その影は、まるで望遠レンズのピントを合わせるかのごとく見る見るうちに拡大されて、やがて鮮明な像になった。


 追われるマグタンクも、その接近にいち早く気が付いた。大気の流れが異常に乱れているから、否が応でも追跡者の存在を悟るのだ。ただしかような状況に置かれても、その表情には一片の曇りも差していない。


「もうここまで詰められたか。いやあ、本当に速いな。けれど、私とてこれが本気では無いぞ」


 マグタンクは、突然加速を始めた。ピントの拡大速度が、急激に緩やかになる。


「すぐに追いつくと思ったけど、速い――」


 橙の竜騎士は、ウィルが今まで見たどんな生き物よりも素早く飛んでいた――無論、自身が駆る相棒を除いての話だが。こちらも今出せる最高速度を出しているというのに、なかなか距離が縮まらない。ライムと同等とまでは言えなくても、それに近い速度を出しているのではなかろうか。


 それでも、いずれあの背中には追いつくだろう。レースコースは十分な長さがある。この速度差を保てれば、山の麓につくまでには確実に追い越せているはずだ。問題はそれまでライムのスタミナが持つかどうかだが……。


 がしかし、その予測は意外な形で裏切られた。地上の平原が終わり、間もなく深森の上空に差し掛かろうというところで、マグタンクが、今度は唐突に速度を落とし始めたのだ。


「このタイミングで減速――どういうつもりだ?」


 間近に迫る背中を注視すると、先ほどまで威勢よく飛んでいた騎士は高度すら大きく下げており、さながら翼を傷めてふらつく野鳥のごとき見てくれである。


 窪地を抜けた後のコースに高度制限は課されていない。ウィルがどう頭を捻っても、得心のゆく理由は思い浮かばなかった。どう穿って見ても、勝負を投げている風体である。


 とはいえそれを訝しんでいる猶予もなかった。黒竜の訓練生は微塵も速度を落とさぬまま、無心に師の頭上を通過していった。


 下方のマグタンクは、首を大きくもたげてその光景を眺めていた。彼の顔からは、未だ余裕の色が剥がれていない。


「少しでも体力を使わせようと思ったが、無駄だったかな?しかし結構、我々はこの後追いつく。落ち着いていこう、ネオタンクよ!」

「…………………………」

「……気を抜くなよ、カーネリアン」


 深森上空。先のイグルクたちの動きに倣って、ウィルもやや高度を下げて飛行していた。こちらの森には霧が出ておらず、街道も真っ直ぐ続いている。特に警戒する余地はなさそうである。ウィルは、順調に後続との距離を広げていた。


 ところが、間もなく山の麓に差し掛かろうというところで、木々の一切が禿げ上がった不気味な荒野が突如地上に現れた。真下を見遣ると、確かにさもしい街道の跡が続いている。決して道を外れて見当違いの場所に来てしまった訳じゃなさそうである。


 危機を察知したウィルは、殆ど本能的に号令をかけてライムを減速させた。


「なんだ、一体どういう訳だ――?」


 遠くから見る限り、森の途絶えているところなどどこにもなかった。自分の目はおかしくなってしまったのだろうか。


 烈しく訝るが、ここで立ち止まらんとすれば折角のリードを棒に振ってしまうだろう。眼前の光景を見て見ぬ振りして、構わずそのまま荒野を横切ろうとする。すると。


「どうしてわたしのお墓をあばいたの。あなたがそうしなければ、わたしの身体はずっと綺麗でいられたのに」

「ふざけた真似しやがって。俺は間違いなく助かるはずだったんだ。体は浮かんでたし、後は岸まで泳ぐだけだった。それなのに、てめえらがやってきたせいで……!」

「わたし、何も悪いことしてないじゃない。助けを求めただけじゃない。生きようとしていただけじゃない。あんたは、利己心のために罪のない人間を犠牲にしたのよ」


 どこからともなく、男とも女ともつかぬ奇妙な声。その言葉の中身は、ウィルの心を抉らんとするものだった。これは、ライムの餌となった人々の声……。


 どうして、どうして、どうして――。


 彼らはウィルの行動の理由を、いや、その正当性を追及している。ウィルはそれに対する回答を備えていない。当たり前だ。ずっと考えないようにしてきたのだから。


 けれど、黙っていても不吉な声は鳴りやんでくれない。執拗な詰問に堪えられなくなったウィルは、ついに口を開く。


「ライムを生かすためには、そうするしかなかった。避けようがなかったんだ。人が生きるために動物を殺すのと一緒のこと。必要な犠牲だったんだよ――」


 ありきたりの反論をする。どうにか、自分の罪を取り繕うように。けれど荒地の声は、まともに受け止めちゃくれない。


「あの時、君が黒竜から目を離さなければ、僕は生きていられたかもしれない。きっと、まだ息があった。全て、君の不注意のせいだよ」

「お前は目障りだ。突然竜を連れてきたと思えば、気まぐれに乗り回して厄介事ばかり引き起こす。訓練所の皆が迷惑している。早く消え去ってくれ」


 声は続いて、ウィルと近しい者たちのものに変わった。今のは、サームとイグルクだろう。思わず耳を両の手で耳を塞ぎこむ。しかしそれも空しく、声はするりとウィルの頭の中に直接流れ込んでくる。


「ウィルくん、何故未だにライムに乗っているの?それは人殺しの竜だよ。一緒に居たら不幸になる。あなたも、あなたの周りの人も。早くそいつを捨てるか、あるいは殺してしまおうよ。そうすれば、きっとフィニクスの千年も訪れるのだから」


 イナの声。落ち着いて、かつ抑揚のある、心地よい声。しかし、台詞の中身は、穏やかなものではない。


「……言ったじゃないか、君の、君たちのために乗るって。いろんな人の期待や責任を背負ってる。こいつに乗れば、それに応えることができる。だから――」

「そんなの方便でしょ?耳触りのいい言葉を並べて、自分を納得させて、わたしを気分よくさせて、それで勝手に自己満足しているだけ。あなたは、自分の気持ちから逃げようとしているだけなんだ」


 なぜ、こんなに責め立ててくるんだ。イナは、自分の味方をしてくれているのではなかったのか。――いや、違う。これは彼女自身ではなく、俺の中にある彼女の虚像なのだ。


「大切なんだよ、こいつが。幼い頃に出会った雛鳥なんだ。せっかく再会できたこいつと、別れることなんてできない。妹を救えず、雛鳥のこいつを見捨て、俺は今まで何も守れずに生きてきた。だからせめて、今回だけは――」

「ウィル、もう十分だよ」


 声色が変わる。イナよりももっと甲高く、幼さの残る女の子の声。


「ぼく、ウィルが竜騎士になるところを見れたもの。これ以上何も望まない。ウィルが傷ついていくのを見る方が嫌。だからもう、そこから降りて――?」

「そんな……」


 ティナ。最愛の妹のティナ。ウィルの全ての、行動原理。それだけに、彼女からの否定は、特別な意味を持つ。


「――でも、こいつはすごく大切なんだ。俺の事をよくわかってくれる。近寄っても怖がったりしない。俺が困っていると、どこにでも現れて手を貸してくれる」

「ウィル。本当はわかっているはずだよ。その子は決して、命を賭して守るべき存在なんかじゃない。ウィルが期待し、夢描いているような――」

「ライム!!」


 全てを崩壊させてしまう言葉。それを聞く寸の手前で、ウィルは相棒の名を強く叫んだ。


「止まって。止まってくれ――」


 その命令を、ライムは素早く実行に移す。風が止まり、景色は直前の姿で凝り固まった。同時に、奇妙な声も止んだ。


 乱れた呼吸を整え、辺りを窺う。進行方向には、木々の生い茂るビシュレーの麓。眼下には殺風景な荒野が広がる。胸をざわめく不吉な感じは消えていない。きっと自分はまだ、あの幻の術中にいる。今は一時的に醒めているだけで、動き出そうとすれば同じ目に遭うだろう。


 額の汗を拭い、どうにか思案を巡らしていると、不意にとある噂話を思い出した。


『ダルネフ訓練所の北に、精霊の棲む森がある。それは人に懺悔を強いる精霊。森に侵入した者に、その罪や咎を想起させ、改心を促す』


 その森というのが、ここだったのだろう。名物爺さんは「精霊は皆、力を失った」などと言っていたが、今でもしっかり息づいているじゃないかと、ウィルは内心不平を漏らした。しかし、こうまで強烈に責め立てられたら、改心どころではなくないか……。


 ウィルの思索は、次いでこの難所の攻略法に及んだ。一体どうやってあの不気味な声の中を突破しようか。耳を塞いで無視することは叶わない。かといって、正面から受け止めるには、あまりにも重すぎる言葉だ。


 そういえば、マグタンク教官はどうするのだろうか。コースに精通している教官ならば、この妖しき荒野の正攻法も熟知しているに違いない。


 と思いを馳せるに、そのマグタンクが後方から近づいてくるのがわかった。その影はみるみる内に大きくなる。かなりのスピードを出ているらしい。減速するつもりはないのだろうか――。


「ンナアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァ」


 次の瞬間。激甚な叫び声とともに、橙色の疾風がウィルの真横を通過した。声は近づくときは次第に高音に、遠ざかるときは低音に。それは丁度、物理学の授業で教わった、なんとかという現象の再現だった。


 ウィルは唖然とした。開いた口が塞がらないとは、この事だった。


「そんな馬鹿な……丸っきり力技じゃないか」


 果たしてどんなスマートな突破法を取るのかと期待していたが、まさか自分の大声で精霊の声をかき消して進もうとは、夢にも思わなかった。


 正直納得できない。しかし、代わりの方案が思い浮かばない以上、先達のやり方に倣うほかなかった。


「ライム、俺たちも真似するぞ。ここ一番の咆哮をあげていけ」


 ウィルは喉が擦り切れそうなほどの叫びをあげながら、再びライムを走らせた。マグタンクほどの轟音は出ない。しかし、ライムの咆哮も手伝って、幻の声は殆ど耳に届かなかった。


(いける。これなら何の問題もない――!)


 あれほど悩まされたのが嘘のように、あっけなく荒野を切り抜けてしまった。時には策を弄するより力で押し切った方が賢明であることを、若きウィルは今初めて悟ったのだった。


 そのまま雪崩れ込むように、黒竜の訓練生は山の麓上空へ侵入する。マグタンクとの距離はそこまで大きくない。全力を出せば、すぐにでも追いつけそうだ。


「――これ以上は無理か、ライム?」


 しかし、ライムは最高速を出せずにいた。一度止まってしまったせいだろう。加速には速度の維持以上の多大なエネルギーを要する。ライムには、再度全速まで到達する体力が残っていなかった。


 ただしそれでも、ライムの方がまだ速い。ゴールまでに追いつく余裕はありそうである。


「無理はしなくていい。俺たちは速いんだ。絶対に負けない」


 マグタンクは山の斜面に沿うように、穏やかな上昇飛行を続けていた。ウィルもそのルートをなぞる。二者間の距離は、少しずつ、少しずつ詰まっている。


 途中で、マグタンクの姿が視界から消えた。山の中腹過ぎにある、スプーンで抉ったような平地の上空へと踏み込んだのだ。


 やや遅れて、ウィルもそれに続く。そこには一面、透き通った水を湛えた大きな湖が広がっていた。底に沈む石の微細な形まで、はっきりとわかる。藻や魚があまりにも生き生きと揺れ動いていて、かえって現実らしくないほどだった。


 ウィルの頬に冷たい水飛沫が躍る。湖の果てにそびえる、長大な滝から滴が零れだしているのだ。あの滝を超えれば、もうすぐに頂上である――。


 前を飛ぶマグタンクは、後方にウィルの姿を見とめると、例によって大声で呼びかける。


「レースは楽しいなあ、ウィルよ!」


 その声は、心底愉快そうだ。荒野で喉を消耗しきったウィルはそれに返す余裕が無く、ただ向こうにも見えるように大きく頷いた。そうしてから、ようやく言葉の意味を考えた。


 楽しい?このレースが?――うん、そうかもしれない。荒野の幻術に嵌った時は苦い思いをしたが、こうして誰かと競い合って飛ぶことは心躍る。後方を見て焦る。抜かされて悔しいと思う。追いつきたいと強く願う。その全てが、楽しい。


「竜騎士になって、よかったなあ!」


 そう、良かった。風を切り、空を進むこの感覚は、竜騎士以外に味わえない。訓練所に入ったのは正解だった。途中で投げ出さずに踏みとどまったことが、やっと報われた。


 ウィルの黒目に、もう一つハイライトが加わった。今の彼は単なる競争者ではなく、誇り高き竜騎士の瞳をしている。


 さて、マグタンクは高度の上昇を抑え、水面のすれすれを平行に飛んでいる。それを保ったまま滝壺まで進み、そこから滝登りをするかの如く真っ直ぐ上へと昇って行った。


 すぐにはその意図が読めぬウィルであったが、滝壺の間近に迫った時、瞬時に理解した。滝の向こう側、ゴツゴツした岩肌の絶壁には、無数の剣が突き刺さっている。レース開始前に説明された「ゴール時に突き刺す剣」とは、これの事だろう。


 橙の竜騎士は降り注ぐ滝水を全身に浴びながら、手ごろな剣を引き抜いた。これでゴールの準備が整ったわけだ。


「よし、俺も――」


 ウィルもそれを真似て、手近にあった剣の一本に手をかける。が、うまく引き抜くことができず、却って体を持っていかれそうになる。


「うわっ」


 体重がかかったことで、どうにか剣は引き抜けた。しかし、ライムの背からは引きずり降ろされ、滝の水と共に落下を始める。咄嗟に、脇にある黒い岩の影を掴んだ。それはライムの尻尾だった。苛烈な水流を受けながらも、どうにかしがみつき、体勢を安定させにいく。


 ウィルはライムに速度を落とせとは言わない。ここでまたスピードを緩めれば、今度こそマグタンクに追いつけなくなってしまうだろう。剣を鞘に納めて両腕を自由にすると、どうにか元の背の位置に這い上がった。それは丁度、滝の落ち口に到達する頃合いだった。


 自身の左隣。結露で曇ったゴーグルの奥で、師マグタンクの姿を捉えた。自分より頭一つ高い場所に居たマグタンクは、次に瞬きをした後には、頭頂部の旋毛をこちらに見せていた。抜かした。わずかに、こちらの方が早い。


 その次の瞬間――二騎の竜騎士が、ほぼ同時に滝から姿を現した。やや早く飛び出たウィルは、ゴールとなる旗印を捕捉し、最後の加速体勢に入る。


 その横目でウィルは、競争相手の駆る竜が脊椎を軸に体を回転させるのを見た。何をしているのだ?あれでは勢いを殺すだけではないか……。


 しかしその意味を、ウィルは直後の加速中に知ることになる。


「つめ、たい――」


 ゴールに向かって動き出した瞬間、ウィルの身体から急速に熱が奪われていった。イザ一の標高を誇るビシュレーの山頂は、地上よりもずっと気温が低い。そんな中で、全身濡れた体を強風に晒せば、痛烈な寒さを味わうことになる。


 マグタンクはそれを知っていた。だから、ああして体を振り回して、水気を切ったのだ。多少、スピードを犠牲にしてでも。


 ウィルとゴールまでの距離は僅かだった。しかし、寒さで四肢が半分麻痺している。このまま地上に飛び降りれば、無事に着地できる保証はない。止む無く、ライムに減速を命じた。地表すれすれで、安全な速度で飛び降りる他ない――。


 一方のマグタンクは、徐々に加速していた。そして、ゴールより少し離れた場所で、竜の背から勢いよく飛び出した。前方に進む勢いをそのままに、あたかも滑空するかのような形で空を駆ける。


 全くの同時に、ウィルも竜から飛び出していた。飛び降りた高さもほぼ同じ。どちらが先に地上に剣を突き立てるか。それは、近くで眺める審判員にも見当がつかなかった。


 ザクリ、と地面を抉る快音が響く。ほんの少し遅れて、地面を鳴らす靴の快音。勝負は、決した。


「うおおおおおお!勝ったのは私だあああ!」


 勝者の雄叫び。遠く訓練所の生徒たちの耳にも届いてしまいそうな轟音。レースに勝利したのは、マグタンクだった。


 ウィルは息を切らせ、腰を直角に曲げながら、届かなかった師の背を見つめていた。審判の教官が何やら声をかけてきているが、殆ど耳に入らない。


「負けたのか、俺たち――」


 勝敗ははっきり認識していた。けれど、悔しさや悲しさと言った感情は湧かなかった。強い憔悴のためだろうか、ただ自分の力は全て出し切ったという達成感だけが心に渦巻いていた。


 どれほど時間を経た後だろうか。暫くして、イグルクも他の教官に引率されて山の頂上へやってきた。


「……ごめん、勝てなかった」

「結果は既に聞いた。負けたのは俺のせいだ。あれほど大きなハンデを貰いながら、優位を引き継ぐことができなかった」


 イグルクは、それ以上何も言わなかった。二人は少し離れて並び立ち、山の頂から南の景色を眺めていた。


「いい風景だろう。こんな晴れている日には、どこまでも見渡せる。なにせビシュレーは、今やイザの最高峰。この地からの眺望を遮るものなど何もないからな」


 二人の間に割り込むようにマグタンクが立ち、少し妙な台詞を吐いた。


「今や、ということは、以前はもっと高い山があったのですか?」

「ああ、あったさ。イグルクと私たちが通ってきた、あの窪地の場所にな」


 マグタンクは、レースで通った絶壁囲いの窪地を指差して、注目を促す。


「信じられないと言った顔だな。しかし本当の話だ。あそこにはかつて、ビシュレーよりも高く険しい火山が聳えていた。だが、千年前に大噴火を起こした際に山崩れが発生して、その威容は崩壊した。今や平地どころか、周りよりも深く落ち窪んでいる惨めな姿だ。頂に立つ者は、いつか自らの力に依って身を滅ぼす。あの姿は、我々にそれを教えてくれている」


 その言葉には、簡単には推し量れない重みがある。マグタンクは、山の運命に何かを準えようとしているようだった。


「だが同時に、あの火山は燻り続けている。イグルク、お前は溝の奥にマグマの吹き溜まりがあるのを見たな。あの窪地の地下には、今でも熱い血潮が流れているのだ。一たびそれを爆発させれば、大地に大きな爪痕を残し、あるいはかつての威容を取り戻すやもしれん。だから、決して侮ってはならぬのだ」


 イグルクは山の下の景色に目を向けたままだが、マグタンクの話をしかと傾聴している。ウィルよりも深く、話の内容を理解しているように思われた。


「さて、無駄話が過ぎたな。ここに来たからにはやるべきことがもう一つある。これから君たちには狩りを手伝ってもらいたいのだ。この山の北側の斜面には、でかい角を生やした大牛が生息している。その肉がまた絶品でな。ぜひ一頭捕えて、今晩のご馳走にしようじゃないか」


 すっかり体力を使い果たしていた二人だったが、その求めに快諾した。審判員の教官も加わって、大勢で獲物探しをする。些細な自然の機微にはしゃぐ教官たちの姿を見て、ウィルも童心に還ったように狩りを楽しんだ。イグルクは相変わらず無表情だったが、退屈しては無さそうだった。


 狩猟を終えたウィルたちは、竜をゆっくり飛ばして、訓練所に戻る。辺りはすっかり暗くなっていた。


 ドラゴンたちを竜舎に返すと、一行は食堂へ向かった。中央の竈には大火が燃え盛っている。あの炎で、獲物の大牛を丸焼きにするのだ。


「今日は皆ご苦労だったな。さあ食え食え。肉は焼き立てが一番うまいぞ」


 マグタンクが音頭を取って、ざっくりと切り分けた肉塊を皆に振る舞う。味付けは塩だけ。しかし、その味は格別だった。


「美味しいですね。こんな美味い肉、食べたことがない」

「そうだろう、そうだろう。この肉はな、特別なんだ。卒業試験を通過して、訓練所を去る者たちが、最後に喰らう晩餐。皆その味が忘れられなくなり、もう一度食べたいと願う。そして誓うんだ。訓練所を出ても全員元気でやって、いつかまたこの場所に集結し、再びこの味を分かち合おうと」

「――えっ、それじゃあ……」

「ウィル、それからイグルク。君たちには戦争に行く資格がある。レースを通じて君たちは、己の、そしてお互いの弱点を知った。イグルク、君は己に全ての責務を背負わすあまり、自分を押し潰してしまうような節がある。ウィル、君は心の内に何か抱えるものがあるのだろう。その重荷は、いつか君を現実の形で蝕むことになるやもしれん。未だそれらの弱点は克服されていない。が、君たちは自覚することが出来た。これからは欠点を埋めようと努力することができるし、お互いの弱みを補い合うこともできる。だからこそ、戦地に赴くに値すると私は言いたい」


 まさか予想だにしていなかった言葉だった。これには、イグルクも目を丸くしている。しかし昼の時と異なり、今度には喜びの感情が密かに零れている。


「君たちの事は私から直接、軍のお偉いさんに口利きしておこう。なに、こう見えても私は軍の内部で顔が利く。きっとうまいように取り計らおう」


 マグタンクの言葉は、決して誇張ではなかった。訓練所においてはその強烈な個性故に半分忘れ去られているが、彼は先の北方戦争における大英雄。竜騎士を目指す者はおろか、凡そ言葉を操るイザ人ならば彼の名を知らぬ者はない。軍幹部に自身の意向を申し伝えることなど、確かに造作もないことなのだろう。


「明日、君たちは私と一緒にここを出立する。学友たちに別れを告げ、心残りがないようにするといい。長い旅になるやもしれぬからな――」


 ウィルとイグルクは、マグタンクが差し出した葡萄酒を一杯口にした。そのほろ苦い甘みを、二人は生涯忘れることがなかった。

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