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竜を駆るもの  作者: なろうなろう
第一章
7/33

幕開け

 ――フィニクスの命は尽きない。死んでも、灰になるだけ。その灰からまた新たな肉体が生まれる。それは、サラマンドラも同じ。




 六の月の末。間近に迫った竜乗りレースのために、訓練生たちはそわそわしていた。訓練所では毎月見られるお馴染みの光景である。


 しかし今回に限っては、何故か教官たちもピリピリしていた。教官たちはレースの審判と結果の記録を行うだけで、何ら緊張するような役回りはないのに、である。


 その様子を見る訓練生たちは、口々に噂する。


「やっぱり、戦争が近いって話は本当なんだな」

「戦争?」

「知らないのか?近々シルデン聖国とやり合うんじゃねえかって話だぞ。もし本当になれば、相当大規模な戦争になるだろうな」


 イザ王国は、西の大国シルデン聖国と対立していた。元々あまり友好関係になかった両国だったが、ここ数年に及んでその対立は先鋭化していた。その原因は専ら、数年前に即位したイザの若き国王にある。


 千年遷移の伝説に傾倒し、幸福の千年の実現を掲げる新国王は、シルデン領内のとある地域への立ち入りを聖国に打診していた。その地域は通称、『別れの大地』と呼ばれる。別れの大地は千年前にサラマンドラが出現した場所とされ、多くの関連遺跡が残されていると言われる。イザ国王はそこに多数の学者を派遣し、サラマンドラではなくフィニクスを出現させる方法を模索しようと考えていたのだ。


 しかしその申し出を、シルデンは頑なに拒否している。幸福の千年の実現はシルデンの民にも益があるし、必要ならばシルデンの学者や軍人を同行してもらっても構わない。そう説得しても、シルデン聖王は一向に首を縦に振らなかった。その背景には、メルセル商団の存在があると思われた。メルセル商団は今の世情において莫大な富と権力を有しており、千年遷移によってその状況が大幅に変わることを良しとしない勢力である。商団の干渉を強く受けているシルデン王室は、彼らの意向を汲まざるを得ないという訳だ。


 痺れを切らしたイザ国王は、着々と軍備を進めている。無論その情報はシルデンにも伝わり、彼らも戦いの準備を整え始めているだろう。国と国とが全力でぶつかり合う大戦争が、現実に迫っていた。


 その話を遠くから耳に挟んでいたイグルクは、我関せずといった風に槍をふるい続けていた。今自分にできることは、流言に惑わされず己の鍛錬を積むことだけだと、彼は知っていた。


 一方その頃、ウィルは焦りを募らせていた。彼は、相棒のライムに食事を提供できない日が長く続いていた。というのも、当てにしていたティメールの処刑が行われなくなってしまったのだ。湖に沈めたはずの受刑者の体が浮かんでこない事例が続いたことで、街の執政官は刑の執行を中止したのだろう。


 最後に食を提供してから、既に十日。未だライムは著しく健康を損ねてはいないが、大きな体力を消費するレースには参加できないと思われた。


 ――とにかく、一刻も早く新たな食糧源を確保しなくては。しかし、他に命を奪っても構わないような人間が居るとも思えない。もう選り好みなどせず、適当に人を襲わせてしまおうか。例えばほら、訓練所の人間とか――。いや、そんなことをすれば、すぐに真相が白日の下に晒されるに決まっている。身体の大きいライムが訓練所の敷地を練り歩いていたら、否が応でも目につくはずだ……。


 結局答えは出せず、悶々とするばかりの日々が続いていた。




 各々が思いを巡らせる中、レース当日の朝は来た。吹きすさむ、激烈な嵐とともに。


「わちゃあ、こりゃレースは禁止だな」

「残念だな。イグルクとウィルの直接対決、見たかったのに」

「お前、自分の順位はいいのかよ」

「もちろんそれも重要だけどさ」


 早起きした訓練生たちは、寄宿棟の玄関前に集まって、窓から外を眺めていた。「レースは来週に持ち越しかな」等と、勝手な見当をつけて話している。


 間もなく教官の一人が来て、正式にレースの中止を伝えた。生徒たちは「残念でーす」とか適当にぬかしながら、一斉に自室へと引き上げていく。レースの代わりに、今日は室内で座学をすることになったから、皆萎えた風である。


 嵐は講義の終わる昼過ぎには収まった。体力の有り余る訓練生たちの多くは、竜に乗るため外に出かけたが、ウィルは自室へ戻った。


 が、生憎なことに、部屋の真ん前でルームメイトと鉢合わせしてしまった。イグルクは別段の感慨も見せずに、すっと狭い室内に滑り込んでいく。ウィルも黙ってそれに続けばいいだけのはずなのだが、どうにもその一歩が踏み出せない。これから消灯までの長い時間を彼と二人きりで過ごすとなると、大変気が重いのだ。


 ウィルは書籍の名を伝えられたあの出来事以来、イグルクとの接し方に困っていた。ライムについて知っていることがあるようだが、こちらには何も言ってこない。かと言って、周囲の者に口外していることもないようだ。だからこそ、何を考えているのかわからず、ある種の恐ろしさを感じるのである。


 ウィルは身を翻した。どこか、別の場所で時間を潰すことにした。こうなった場合、筆頭となる選択肢は図書室――なのだが、今回は別の場所を選んだ。


 訓練所一階、玄関を入って右に曲がった突き当りで、こげ茶色の引き戸を開く。赤紫色の壁色と、埃っぽい空気。ここは、訓練所の応接室だ。


 本来の用途は勿論、訪問者をもてなすことにある。しかし、来客の殆どないダルネフでは元々の機能がすっかり忘れ去られ、置き場に困ったものが捨て置かれる場と化している。言わば、品の良い第二の物置である。


 ウィルにとって注目すべきは、部屋の奥の戸棚にしまわれた古文書の束。大方が軍事資料であるが、その中に混じって遠征地域の風俗や伝承を記した文書が残されている。曰く、この訓練所の前身となった大昔の軍事拠点にて保存されていたものらしい。


 資料の年代はかなり古く、最も時代が遡るものでは九百年以上前のものと推定される。以前のサラマンドラは、出現してから空に五十年近く留まっていたと聞くから、あるいは記録の中に手がかりが含まれているかもしれない。ウィルには、そんな打算があったのだ。


「相変わらず、並びがめちゃくちゃだなあ。教官たち、全く整理を進めてないみたいだ」


 古文書の閲覧許可をもらったウィルは、教官たちにその整理整頓を依頼していた。ところが、幾日経っても並びが整う兆しは窺えない。寧ろ、時たま資料を覗きに来るウィルこそが、少しずつ仕訳を進めている始末である。


 一枚一枚ばらばらの古文書には、頁も日付も記されておらず、書かれた内容を頼りに分類するしかない。しかも、筆記された言語は現代のイザの国語とはかなり異なる。一枚の紙切れを分類するのにも、かなりの労力を要した。


「ふう」


 ウィルが大きなため息を吐き出した頃。西に面した大きなガラス窓から、茜色の光がじんわりと室内を照らし出していた。


 間もなく暗くなる。そうしたら、灯りをつけないと文字を読むのも難しい。ウィルは作業をそれで切り上げることとした。結局、サラマンドラに関する記事はこれっぽっちも見つかっていない。


 古文書を真鍮のクリップでまとめて棚に戻すと、窓を開けて、埃っぽくなった手を叩く。西日の鈍い鮮やかさが、ウィルの暗い髪と血のような瞳の区別すらもなくしていた。その濁った色味の光は決して好きではなかったけれど、夜を支配している蒼色よりはずっとましだと感じられる。


 用を済ませて、窓を閉じる。備え付けの分厚いカーテンは微妙に尺が足りなくて、ウィルの細い腕一本分くらいの隙間を作っている。そこから漏れ出す光を何気なしに目で追うと、反対側の壁に飾られた二枚の肖像画へ行きついた。


 全く同じ額縁で平行に並んだ二枚の絵画は、確かに並列で扱うべき理由を備えている。肖像のモデルは、かつての戦役でイザに栄光をもたらした英雄たちだ。


 向かって右側の肖像の男を、ウィルは今まで嫌と言うほど直接拝んでいる。重厚な額縁の中で恭しくポーズを取っているのは、ダルネフの主任教官マグタンクだ。何かの間違いではない。彼は十一年前にあった北方諸島との紛争における、第一の功労者である。今でこそ弟子煩悩の熱血漢という印象ばかり先行しがちであるが、こと空中戦において彼の右に出るものは大陸に存在しないだろう。都から遠く離れた辺境の地ダルネフで多くの訓練生が集まるのも、ひとえに彼の名声の成果である。


 さてもう一方――左の絵に映る男の顔を、ウィルは自分の目で確かめたことがない。いや、確かめることができないと言った方が正しい。その男は、もうこの世に存在していないのだ。


 男の名はハイスと言う。マグタンク同様、十一年前の戦いで名を馳せた剛腕の竜騎士である。純粋な武力ならば、マグタンクをも悠に凌ぐとされ、とりわけ槍の扱いはぴかいちだったらしい。敵がいくら居ようが、どこから襲い掛かってこようが、一切お構いなしに単騎で敵陣を突破していく破天荒ぷりで、敵兵は彼の飛竜の影を見るだけで畏れおののき退却したと伝わるほどだ。


 ところが、その無謀が災いしてか、ハイスは戦半ばで敵に墜落せしめられてしまった。今やイザに残ったのは英雄の片割れのみ。その生き残りは爵位を固辞して田舎で教鞭を振るい、一方の没英雄は伝説が独り歩きして神格化されつつある。なんとも名状しがたい、数奇な顛末だったと言えよう。


「しかしいつ見ても、凄まじいサイズの槍だな……」


 厳かに直立するマグタンクと違って、絵画の中のハイスは長槍を左手に構え、今にも突き出してきそうな迫真の姿勢を取っている。そしてとにかく、その槍が長い。あくまで絵画なので多少の誇張はあろうが、長身であったという彼の身の丈をも平然と超える代物だ。それを竜の背上にて片手でぶんぶんと振り回していたというのだから、全くもって恐ろしい限りである。


 鑑賞する絵画が徐々に暗くなってきたことに危機感を覚えたウィルは、漸く応接間を脱した。自室には戻らず、その足で食堂に向かい、夕食を戻る。そして取り立てて語るような出来事もないままに、やっと自室へ帰ってきた。


 ルームメイトの姿は無かった。そういえば、食堂でも見かけなかった気がする。どこかに出かけたのだろうか。ウィルは見当をつけようとしているのかそうでないのか、曖昧な思考状態で部屋の床板に靴底を置いた。


 下段ベッドの中を覗き込むが、やはり学友の姿はない。その代わりに見つけたのが、机の上に置かれた数冊の本だった。見覚えのない表紙。自分が借りてきたものではないから、イグルクのものだろう。


「!……これは」

 

 本の題名から察するに、千年遷移やフィニクス・サラマンドラに関する書物らしかった。例の、ハジュ図書館から借りてきたのだろうか。

 

 やはりイグルクは、何かを知っている。いや、知ろうとしている。しかし、その後どうするのだろうか。自分に助言を寄越すためとは思えない。かと言って、ライムを攻撃するような意思も今のところ感じられない。だとすれば、残った可能性は?


「――考えても無駄、か」


 不可解なルームメイトに関する思念を払うと、ベッドに横になり、ライムの食糧問題に頭を切り替えた。


 誰を食わせればいい。どうすれば、バレない。どこで、実行すればいい……。

 

 考え込んでいる合間に、ウィルの瞼は重くなっていた。そしてそのまま、朝まで目を覚まさなかった。




 翌日、訓練生たちが食堂で朝食を摂っている頃合いだった。


「皆、おはよう!」


 堂内に響き渡るは、マグタンク教官の声だ。同僚を数名引き連れた主任教官は、勇ましい足さばきで食堂の中心部へと歩いてくる。


 訓練生たちは一斉に食器を持つ手を止めて、口をつぐむ。訓練時間外に教官たちが大挙して現れる時は、大抵何らかの周知があると決まっているからだ。


「早速だが頼みがある。昨日の大雨により、近隣のヘムス村で土砂崩れが起こった。その救助活動にあたって、君たちの力を借りたい」


 続く補足説明によると、地域の保安組織から成る救助隊が、既に被災地へ派遣されているらしい。しかし少数の徒歩部隊のみでは、如何せん効率が悪い。土砂に流された生存者の発見を円滑に進めるために、上空から村を俯瞰できる竜騎士の手が必要――というのが話の筋だ。


 ウィルは、渡りに舟だと思った。被災地には、土砂に体を呑まれて助かる見込みのない者がいるはずだ。どうせ死ぬ人間ならばライムに食べさせても良心の呵責は少ないし、単独行動できれば人目につかずに事を済ませられるだろう。


 ウィルは真っ先に手を挙げて、救助隊への参加を表明した。他に数名の生徒が協力を申し出る。その中に、ウィルの親しい顔見知りは含まれていない。


「協力志願者の皆、どうもありがとう。これで村人の救助はつつがなく進んでいくことだろう!私は別の仕事があって同行できないから、詳しい事は担当の者に聞いてほしい」


 マグタンクから指揮権を譲渡された若い教官に従って、救助隊志願者たちは身支度を始めた。多くの者は寄宿棟に寄った後、竜舎に。ウィルだけは真っ直ぐ南の森へと向かった。


 日が高く昇り始めた頃、ダルネフ救援隊はヘムス村へと出発した。隊員は教官一名に、訓練生三名。訓練生の志願者がごく僅かだったのは、今日が休日だからである。ドラゴンたちはしっかり曜日を認識しており、普段訓練が無い休日に使役しようとすると、拒絶反応を示す。訓練生たちは相棒の竜の機嫌を損ねるのを恐れ、今回の要請に応じなかった訳だ。引率の教官が一人のみというのは、恐らく例の戦争に関係しての事と思われた。


「間もなく村上空だ。目的地に着いたら全員散らばり、自分の担当区画を巡回してほしい。私は東側、エインは西側、ルストは南側、ウィルは北側をそれぞれ担当する」


 この寡勢は、ウィルに有利に働いた。場所が限定されているとはいえ、単独行動が許されたのだ。これならば、目的を果たすこともそう難しくない……。


 それからほんの少しして、一行はヘムス村上空へと到着した。ヘムスは谷間に設けられた関所から発展した村である。といっても、そこを通る街道は既に廃止され、関所自体も機能を果たしていない。過去の威光を残しているのは、倉の残骸らしきいくらかの巨石群のみである。

関所としての役目を終えた後は、周囲の豊かな自然を頼りに細々とした営みが続けられてきたのだが、十数年前から様相が一変した。メルセル商団に駆逐された在来の商人たちが寄り集まり、密かに商工業を発展させたのだ。今のヘムスはいわば、商売戦争に敗れた者たちの隠れ蓑である。


 そのヘムスの土地は、ひどく荒んでいた。あちこちの木々がなぎ倒され、木造の家屋の多くは原型を留めないほど崩壊している。山の麓から流れ出た土砂は村の表面全体を覆っており、でこぼこになった地形のあちこちに、濁った水たまりができている。人口増加に伴い無計画に山地開拓をしたことが、仇となったようだった。


「これはひどいな……。とにかく我々は生存者を探そう。見つけたら一人で無理しようとせず、地上の救助部隊の応援を呼ぶように」


 その命令を合図に、四人の竜騎士は方々に散った。ウィルが担当する北側は、半分禿げ上がった山の急勾配に面していて、特に土砂の散らかりようが凄まじい。反面建物の数は少なく、人的被害は少なかったように思われる。


 ウィルはライムを旋回させて、上空から地上の様子を窺った。靴や衣服など、人の痕跡は多く見つかるが、なかなか人間本体は見つからない。


「ん、あれは人か――?」


 と、村の一番北の高台に、人の腕らしきものが砂の山からはみ出ているのを見つけた。慌てて高度を下げる。表面の薄橙色に、先端が細く五つに分かれた形状が見て取れた。間違いなく、人の腕である。


 地上に羽を下ろし、目標物を間近に観察する。腕はぴくりとも動かない。触ってみても熱を帯びていない。ミリアの時と同じだ。これは、既に人間ではない――。


「可哀そうに。――ライム、これは食べないよな?」


 ライムは首を横に振る。やはり、屍肉は好まないようだ。


 死者を発見した際の報告は命じられていない。ここは放っておき、もう一度空に上がろう。そう思い、再びライムの背に跨ったその時。


 やや遠くの方から、「助けて」という女性の声が聞こえた。生存者が、近くに居る。ウィルは自分の目的も忘れて、何処から湧き出た強烈な正義感に襲われた。

助けなきゃ――。


 声は、高台の更に奥から聞こえているようだ。急ぎ駆け寄り、剥き出しになった急斜面の周囲を歩いて回る。すると、先ほどの地点からでは見えなかった場所に、三角錐状の土砂の塊を見つけた。

土砂の最下部には、若い女性が上体だけを大気に晒すような形で生き埋めになっている。その真上には女性の身をすっぽり影に包むような巨木が不安定に横たわっていて、どうやらこのせいで上空からは発見できなかったようだ。


 先ほどの遺体とは異なり、女性は意識をはっきりと保っていた。救援隊のウィルを見て、感極まったように表情を崩す。


「ああ、やっと来てくれたのね!早く助けて、お願い!胸が圧迫されて呼吸が苦しいの」


 女性は確かに息苦しそうに、捻り出すような声で叫んだ。表情から窺える憔悴っぷりを見るに、かなり長いこと生き埋めになっていたのだろう。


 試しに女性の両腕を引っ張ってみる。びくとも動かない。重たい土砂の中に、完全に埋まってしまっている。これならば、女性の腕を引きちぎる方がよっぽど現実的だ。


 今度は土の方を見遣る。水気をたっぷり含んだ土砂はウィルの背丈の倍以上に積もっていて、簡単に取り除ける量ではない。自分とライムだけでは、成す術がない。


「少し待っていてください。応援を呼んできます」


 そう言って場を離れようとした時、俄かに強い雨が降り出した。見上げると、先ほどまで晴れ間が広がっていた空を、分厚い雲が一面覆っている。疲弊した女性は、更に風雨にまで晒されることになる。なんと無情な天気なのだろう。


「雨はしんどいでしょうが、どうかご辛抱ください」

「嫌よ!待って!」


 ウィルの慰めに、女性は強く反発する。その歯はガタガタと震え、何らかの恐怖と闘っているようだった。


「見て、あっちの方から土砂が流れてきたの。今度雨が降れば、きっとまた土砂崩れが起きるわ」

 

 女性が指差すのは北、山の麓方向。じっくり見るとなるほど、木々が無造作に伐採されていて、それが為に山崩れを起こしたようだった。緩い地盤の土砂は、いつまた勢いよく流れ出してもおかしくない。


「だから今すぐに、ここから引っ張り出して!のんびりしていたら私、本当に全身が土に埋まってしまうわ」


 女性は悲痛に叫ぶ。しかし、ウィルとて取れる手だてがない。思案して立ち尽くしていると。


「きゃっ」


 女性を影に包んでいた巨木が、バランスを崩して倒れてきた。辛うじて直撃は免れていたが、あとわずかずれていたら無事では済まなかっただろう。


「お願い、一刻も早く助け出して。じゃないと私――」


 雨は次第に烈しさを増している。そう、このままだと女性は死んでしまうだろう。だが自分にはどうすることもできない。応援を呼んだところで、この雨の中、迅速に救出ができるとも思えない。寧ろ、二次災害が起こるだけではないか。


 ……だったら。


 ウィルの心は、突如暗い陰に染まった。瞳は鮮度の落ちた果実のように、潤いを失った。


「今、楽にして差し上げます」

「えっ――」


 女性はその声に、慈悲よりも冷酷さを色濃く感じ取った。この人は私を助けない。いや、息の音を止めようとしている。どうして。何の為に。


「やめて。何をするつもりなの。ねえ、冷静になって。私、まだきっと助かるわ。ほら、もう今すぐ助けてなんて言わないから、村に走って応援を呼びに……」


 彼女の言葉は、もうウィルには届いていなかった。その命を絶つため、たった一言だけ短い台詞を吐いた。


「ライム、食べていいよ」


 弾丸のように飛んでくる黒竜の首。次の瞬間、女性の上体はそこに無かった。ライムはそれをひとしきり咀嚼すると、土の中に口を突っ込んで、一心不乱に残った下肢を食い漁り始める。


 ウィルはその光景を、愛おしく思った。夢中でご飯を食べ、喜び、力を蓄えるライム。生きている。こいつは生きている。そして、ずっと一緒に居られる。あの時自分が願って、そして叶わなかったことが、今なら実現される。


 始めは意識していた周囲への警戒も忘れ、ただひたすらに愛すべき相棒の食事を見つめていた。もしここが人気の少ない北側でなければ、きっと誰かに目撃されていただろう。


 ライムが食事を終えると、ウィルは他の生存者がいないか一通り確認した後、合流地点となっていた村の役場前へ向かった。他の隊員たちは、すでに全員顔を揃えていた。


「ウィル、戻ったか。そっちはどうだった」

「すいません、生存者は見つけられませんでした」

「そうか。北側は人口自体少ないそうだし、それも然るべきだろう。こちらも全部で七人しか生存者を確認できなかった」


 教官は訓練生たちを軽く労うと、村長や別働の救援隊代表たちと話を始めた。今後の動きなどについて協議しているのだろう。


「そんなの嘘だ!」


 そこに、男の怒声が響いた。周囲の者が振り返るに、身なりのいい若い男性が何やらわめき散らかし、話し相手の救助隊員に掴みかからんとする具合である。


「何があったんだろ?」

「さあ」


 訓練生たちは至って他人事である。ウィルも心中その態度であったが、男の次の言葉を聞いて、顔色が変わった。


「妻は確かに、北の高台で生き埋めになっていた。俺はこの目でそれを確かめて、救援隊に助けを求めたんだ。それなのに、そこには誰も居なかったなんて絶対にあり得ない!」


 男はライムに食われた女性の夫だったらしい。ウィルの後に現場を訪れた救援隊が何も発見できなかったことを、厳しく追及しているようだ。


「本当にちゃんと探しましたよ。あなたの見間違いだったんじゃないですか」

「そこまで言うのなら、ご自身でもう一度見てこられたどうですか。もっとも、その怪我でこの雨の中歩いたら、相当体に堪えるでしょうが……」


 男に対し同情的な意見は少なかった。この状況ならば、自分が不利になることはないだろう。しっかり証拠隠滅を図っておいてよかったと、ウィルは内心安堵した。


「うわあ、荒ぶってやがるぜ。災害のショックでどこかおかしくなっちゃったんだろうな。ウィルも、そう思うだろ?」

「ん、ああ。そうかもしれないね……」


 心苦しかったが、同調せざるを得ない。ここでわざわざ自分の立場を悪くする道理はどこにもない。


「そうだ、竜騎士隊!彼らなら、妻を上空から発見しているはずだ。なあ、あの場の空を巡回したのは誰だ?絶対に妻を見たはずだ!」


 ついに、矛先がウィルたちに向けられた。騒ぎを感知して、教官が駆けつけて仲介に入る。


「あなた、少し落ち着いて。捜索の詳細についてなら、私を通してお答えしましょう。北側の被災状況についてお尋ねですね?」

「いや、面倒だ。直接話を聞かせて頂こう。さ、北側を廻った者を差し出せ!」


 男は教官の申し出も聞き入れない。完全に暴走状態である。


「……北側を巡回したのは僕ですが」


 仕方なく、ウィルは自分から名乗り出る。いつまでも黙っていては、後々心象が悪くなると判断された。


「お前か。で、どうなんだ。北の高台の土砂に妻が埋まっているのを見ただろう?」

「……」


 ここで嘘をつけば、男の立場は一層苦しくなる。全身が埋もれて見つからなかっただけではと示唆したところで、いずれその可能性も否定される。男は一生、ほら吹き、あるいは狂人の烙印を押されたまま過ごすことになるだろう。


 周囲の誰もがウィルに注目している。皆この珍事の行く末に興味があるのだ。ウィルは胸の高鳴りを沈め、努めて冷静に言い放った。


「知りません、全く――」




 次の朝、ウィルは鈍い頭痛とともに目を覚ました。昨晩は、深い眠りにつくことが出来なかった。問いを否定した瞬間に男が向けてきた、恨みと憎しみのこもった視線が脳裏に焼き付いて離れない。罪悪感。いやそれよりも、自分に憎悪が向けられる事への恐怖が、精神に蠢いて離れなかった。


「やっぱり、リスクが高いな。罪のない人間を糧にするのは」


 殺される謂れのない人間を食べさせるのは、大変な危険が伴う。事件が明るみに出れば大きな騒ぎになるし、追及の目を向けられる可能性も高い。これを繰り返していれば、いずれ確実に真実を暴かれ、重い裁きを受けることになるだろう。自分だけでなく、ライムもきっと。


 しかし殺してもいい、死んでもいい人間なんて、死刑囚の他に居るだろうか。探せば見つかるかもしれないが、安定した食糧源として確保するのはまず無理に違いない。


「八方塞がり、か」


 ウィルの表情に皮肉な微笑が浮かんだ。それは、一種の諦観の現れだった。


「おい」


 声が掛かった。ルームメイトのイグルクだ。先に朝食を摂りに食堂へ行ったはずだが、何故だか部屋に戻ってきていた。


「マグタンクがまた食堂に来て、演説しようとしている。大事な話だから、訓練生全員が集まってから話すとのことだ。お前も早く来い」

「――わかった、ありがとう」


 二日連続で、休日に周知。しかも、全員居る場で話すという条件付き。こんなことは今まで一度も無かった。それほどまでの重大事とは、一体。


 ウィルはイグルクの後に続いて、急ぎ食堂に馳せ参じる。中に入ると、マグタンク教官の「来たか、これで全員だな」という呟きが聞こえたから、ウィルが最後だったのだろう。


 マグタンクは周囲の教官たちに目配せし、一度大きな咳払いをしてから話を始めた。


「では、話を始めよう。単刀直入に言う。これから、戦争が始まる」


 やはり――。ウィル含め多くの生徒がある程度予想していた事だったが、いざ本当に伝えられると動揺が広がる。堂内は俄かにざわついた。


「静かに!話はまだ終わっていない。戦争の相手はシルデン聖国。我がイザ王国とは数年来緊張状態にあったが、いよいよそれが直接衝突に至るわけだ。私は国の要請に従い、これから戦地に赴く。他の教官何名かも同様に出立するが、全員がここを空けるわけではないから安心してくれ」


 ダルネフの教官たちは、その殆どが現役軍人であり、戦時となれば一将兵として遠征軍に編入される。今度の戦争では訓練所の全教官九名中、五名が召喚されていた。マグタンク教官は訓練所の実習は滞りなく行われると言っているが、職員が半分以上不在となれば、これまで通りの訓練の実施は難しくなるだろう。


「明後日、私はこの訓練所を発つ!私にこれまでの感謝を伝えたい者、あるいは借りを返したい者は、それまでに私の元へ来てくれたまえ」


 マグタンクは最後に「では、諸君らの検討を祈る」と言い捨て、すたすたと食堂を立ち去っていく。そのあまりにいつも通りの様子に、訓練生たちはこれから戦争が起こるという事態を実感できずにいた。


「戦争、本当に起こるのか」

「シルデンとやるんだろ?この前の北方紛争とは比べものにならないぜ、きっと」


 教官たちの退出後、再び訓練生たちの会話が弾ける。齢二十以下が殆どの訓練生たちは、十一年前にあった北方紛争を除いて戦争を知らない。その北方紛争も彼らが幼かった時分の出来事の上、大陸の北端で起こった局地戦だったため、詳しくその様子を知ってはいない。よって実質的には、彼らにとって生まれて初めての国家間戦争と言ってよい。


 宣告の衝撃がおおよそ収まった頃、彼らが見せている感情は様々だった。戦いに興奮する者、戦禍におびえる者、訓練所の今後を憂う者。そして、ウィルが面に見せた感情は、“希望”だった。


 朝食を終えたウィルは、その足でマグタンクの自室へ向かった。教官たちの部屋は本棟の二階に置かれていて、食堂からだと階段を昇ってすぐである。ドアをノックすると、マグタンクの威勢のいい声で、「入れ」という応答があった。


「うむ、ウィルか。なんとなく君が一番に来そうな気がしていた。で、用はなんだ?お礼の手紙を書いてきたか、それとも私をぶん殴りに来たか」


 ウィルは首を横に振り、どちらでもないと答えた。


「期待を裏切って申し訳ありません。僕は、教官にお願いを申し出に来たのです」

「お願い?なんだ、言ってみろ」


 ウィルはマグタンクの、刺すような力強い視線に正面から応じながら、慎重に言葉をひねり出した。


「僕を、戦争に連れて行ってください」


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