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竜を駆るもの  作者: なろうなろう
第三章
31/33

The Dragoon

 イナの面持ちは、すぐに元の通りには戻らなかった。泰然自若な彼女も、今度の告白から受ける衝撃はあまりに大きい。それでもウィルが数回瞬きをする間に、イナは再び安寧の表情を作っていた。


「冗談じゃ、ないんだよね」

「うん、本当だ」

「……そっか」


 イナはウィルの瞳を見つめ返す。そこに合わせ鏡で映り込むウィルの表情は、やはり真剣そのものだ。


「じゃあ、わたしを食べさせてよ」


 恐れも躊躇いもなく、イナは言った。まるでそれが、当然導かれるべき客観的結論であるかのように。


「……本気で言っているの?」

「そうする以外の選択肢がないもの。ライムを乗り回すことのできないわたしが残ったところで、追っ手に対して成す術はない。どちらとも食べられない道を選んでも、いずれ騎士たちに見つかって全滅しちゃうでしょう。でも、わたしが犠牲になれば、ウィルくんとライムは敵を打ち払うことができる。ここから逃げ延びて、安住の地を探すことができるんだ。――小さな子どもにでも理解できる、単純な話でしよ?」

「――君が、俺たちから離れていくという選択は?」

「ない。折角自分に正直になれたんだよ。わたしはもう、嘘つきになりたくない」


 断言するイナの態度は、ついさっき選択肢を突きつけた時のウィルのそれよりも、よっぽど頑なで、強かである。もう時間が残されていない事を知っているイナは、一刻も早い決断をウィルに迫っているのだ。


「わたしはもう、覚悟を決めたよ。後は、ウィルくんが一歩踏み出すだけ。どうか、勇気を出して――」


 どこかで聞いたような台詞。それを引き金に、ウィルは再び思考の渦に呑み込まれた。




 ――どうしてこんな事になったんだろう。いつ、道を誤ってしまったんだろう。


 ライムと巡り合ったのがそもそもの間違いだった?ううん、そんな事は無い筈だ。確かに、俺が竜に乗らなければ、全ての悲劇は起きなかったかもしれない。でも、ライムとの出会いが無ければ、何もかも始まらなかった。マグタンク教官と信頼関係を築くことも、イグルクの心の内を理解することも無かっただろう。イザが戦争に勝てたのもライムの功績のおかげであるし、こうしてイナと向き合っているのさえ、元はと言えばライムがその背中に乗せてくれたからだ。


 どこかに分かれ道があったはずなんだ。悲しみを防ぐ選択肢が転がっていたに違いないんだ。それも一つじゃなく、二つ三つ、あるいはもっと沢山。でも、一体どこにあったのだろう。いつ、見落としてしまったんだろう。


 初めて出逢った峙、ライムは脚に怪我をしていた。ライムのタフさを知っている今ならば大した傷じゃなかったようにも思えるが、俺はその黒竜を不憫に思って手当てをしてやった。それから、お腹を空かしている奴のためにイノシシを狩った。慣れない野生生物との格闘で、幾らか傷を作ったっけ。けれど苦労も虚しく、ライムは身を剥いだ残骸にかぷりついただけで、肝心の肉には一切口をつけなかった。


 翌日、俺はライムの為に沢山の食べ物を持参した。再会した時のライムが、前日俺が体を洗った池の水を啜っていたのをよく覚えている。ライムは、どんな食べ物も受け入れようとしなかった。例外的に唯一口にしたのが、胸ポケットから零れた小さなライムの果実。その様子を見て、出会ったばかりの黒竜にライムと言う名を与えた。昔飼っていた雛鳥と同じ名前だ。結局、ライムはあの時の雛鳥だったんだろうか。いくら問いかけてもそれには答えてくれないから、今の今までわからずじまいである。


 訓練所のレース当日、林檎の樹の下で燻る俺の頭上にライムは舞い降りた。ライムが興奮している姿を見たのは、あの時が初めてだった。沢山の同胞の姿を見て、興奮したんだろうか。俺たちはレースで優勝した。無敗のイグルクを破って、訓練所――いや、大陸で最速の存在になったんだ。


 その後しばらく、ライムは行方知れずだった。もしかしたら遠く人里を訪れて、人肉を喰らっていたのかもしれない。勿論、当時はそんな事思いも寄らなかったが。二度目にその背に乗ったのは、学友のサームが行方知れずになった時。久しぶりの再会に喜びながら、俺たちはサームの捜索を行った。そして、見てしまった。知ってしまった。ライムが、人を喰らう化け物であることを。


 今でも心に引っかかっているのは、あの時サームは生きていたかという事だ。彼の相棒には息があって、しかもその後無事助かったのだから、乗り手のサームが生存していてもおかしくはない。もし、もしもサームに息があったのなら、ライムは俺の言いつけを守ってくれなかったことになる。俺は、行方不明になった友人を見つけて、救出したいと伝えた。ライムはその言葉を理解しておきながら、自身の食欲を優先したことになるのだから。


 勿論、当時は俺たちの信頼関係がまだ十分でなかったことも否めない。ただし、それから間もなく直面した、ティメールの街の処刑現場やヘムス村の救出活動の際には食欲を暴走させることが無かった。この違いはどこから生まれたのだろう。何か大きな状況の違いがあっただろうか。例えば、理性のたがを外してしまうような要因が、ひそかに作用していたとか……。


 そういえば、ライムが露骨な興奮を見せる機会は他にもあった。前述したレースの際が一つ。その次は、イザ平原の軍営で多くの竜騎士たちを目にしたとき。シルデンの都で調竜師の宿舎を襲った時も似たような反応を見せた気がする。イグルクが死に瀕していた時も、旺盛な食欲を顕わにしていたっけ。これら全ての場面にあてはまる共通点など見当たらない。多くの竜、あるいは人間と相対することが必要十分条件だと思っていたが、イグルクの一件が双方の可能性を否定している。――いや、そんな結論を出すのは早計だ。今まで『量』にばかり注目していたが、もしや問題なのは『質』ではないか。そう視点を変えると、自ずと一つの共通項が見えてくる。


 ドラゴンボーン!ライムが興奮状態に陥る際には、常にドラゴンホーンが場に存在している。四つの例の内三件は、ライムの視界に初遭遇のドラゴンホーンが大量に映り込んでいる。イグルクの場合は以前から見知っているが、それが今まさに息を引き収った場面であった。もしやライムは、あらゆる人間のうち、特にドラゴンホーンを好む性質があるのではないか。そして、その中でも俺が食べていいと許可し得るもの――即ち、可食か不可食か未分のものと相対した時、食欲の亢進を抑えられないのではないだろうか。サームと、死刑囚及び憐れな村民の差も、ドラゴンホーンか否かと言う理屈で説明できる。


 だとしたら俺は、大きな間違いをしていた。ライムは確かに人間を喰らうが、特に欲しているのは竜の双子たるドラゴンボーンだけなのだ。黒竜ライムにとって一般の人間は、好物と形だけが似通った紛い物に過ぎないに違いない。俺の今までの行いは、殆ど自己満足に等しかったのだ。戦争に行く必要なんて、そもそも無かった。罪の無い多くの人間を殺す理由は、どこにも存在しなかった。もしそれを知っていれば、どれだけの人が血と涙を流さずに済んだことか。


 しかし、ライムがドラゴンホーンを欲する理由は何なのだろう。ドラゴンホーンが竜の双子であることと関係するのだろうか。恐らく、単に食欲を満たすだけが目的ではない。何故ならライムの腹は一般の人間を喰っても膨らむし、それを血肉に変えることもできる。何か別の、合理的理由があるに違いないのだ。ドラゴンホーンを喰うことで、ある種の目的が達成されると考えてよい。とすると……。


 そうか、『実』だ。ドラゴンボーンこそが、サラマンドラから邪神性を奪う実なのだ!ライムは、自身を災厄の象徴という呪縛から解き放ちたくて、ドラゴンボーンという『実』を探していたのだ。メイズの話に照らし合わせれば、『実』はとある属性の集合というより、単一の個体と考えるのが自然。つまり『実』は、この世にたった一つの特別なドラゴンボーン。即ち、ライムのツインである。ライムはそれを体内に含みたくて、疑わしきドラゴンホーンを喰らって回っている途上――……いいや、本当にそうか?違う。そうじゃない。ライムはもっと、正確にわかっているんだ。だって、ずっと前からサインを出していたじゃないか。そして指差したじゃないか。何か欲しいのか、自分に何か必要なのか、俺に問われたときに。


 そうさ。俺自身、本当はずっと前から分かっていたんだ。なのに目を背けてきた。もし違っていたらと思うと怖くて、また期待を裏切られるかと思うと恐ろしくて、長い事逃げ回ってきた。でも、もうやめよう。見えているのに見えない振りをするのは、いい加減やめにしよう。必死で目を瞑り続けたとしても、いつの間にか握っていた諸刃の鉄屑で、自分や誰かを傷つけるだけなのだから。それを、大切な友人から教わったのだから――。




「……わかった」

「ウィルくん――決心が、ついたんだね」

「うん。イナのおかげだ。どうして今まで、こんな簡単なことが見えてなかったんだろうって思うよ。君と、そしてイグルクが色んなことを教えてくれたから、全部理解できたんだ」

「理解できた、って……?」


 ウィルは大きく息を吸い込んだ。どもったり、噛んだりしないか、ちょっと不安になった。最後の一言くらいはきれいに決めたいという、当然の心情だ。


 振り返ったウィルは、愛しき相棒の姿を、上から下に眺め流す。そして残像を頭蓋の内部に焼き付けるように、ゆっくりと目を閉じた。


「ライム、お待たせ。もう、食べていいよ」


 血。


 紅い血。


 薔薇を溶かしたような鮮やかな絵の具が飛び散って、岩肌の洞窟に残酷な絵画を描いた。


 少年は、血肉の塊に様変わりした。少女は口を開いたまま、微動だにしていなかった。岩窟内で少女の悲鳴が蠢く粉砕音に共鳴したのは、それから少し後のことだった。


「いやっ、いや……!」

                           

 イナは目を瞑り、耳を塞ぐ。恐らく彼女の人生の内で、最も認知したくない音と映像。愛する人が目の前で砕かれ、物質に変わる過程。イナはただ、全てが終わるのを待った。恐怖以外の感情は、かの邪竜の食事が終わるまでは湧き上がって来そうになかった。もっとも、冷静さを取り戻したところで、眼前の事態を正しく理解するのは不可能だっただろう。イナが持ち合わす情報は、少年が相棒に食われた合理的な説明を導くのにはあまりに不十分である。


 その固い瞼をこじ開けたのは、陽光よりも眩い黄金の閃きだった。気づけば、悍ましい音は止んでいる。イナは、光を直視しないように上体をやや捻りながら、うっすらと上瞼を持ち上げた。


 目の前には、光る大きな黒岩があった。察するに、先程まで『ライム』と呼ばれていたもの。しかし、生命としてのそれは既に息絶え、物言わぬトカゲの抜け殼と化していた。


 イナは烈光から網膜を守りながら、ライムの残骸の様子をよくよく観察した。体表を覆っていた岩石状の鱗がボロボロと崩れ落ちて、大きな隙間をいくつも作っている。その割れ目からは、何やら毛羽立った光る物体が顔を覗かせていた。目を焼き付けるような光は、ライムの体内から現れ出ていたのだ。


「きゃっ」


 瞬間。熱い疾風が、イナの真横を通り抜けた。思わず瞳を再度見開くに、黒岩の残骸は、光る中身を失っている。それは、今まさにイナの隣を通り抜けた熱風に変容したようだった。


 イナは洞窟の入りロに走って、空を仰いだ。上空には、ライムの体から飛び出したと思しき眩い生命体が、両の翼をはためかせている。炎を編んだような体色に、猛禽のような優雅な飛行姿勢。天地に伝うその鳴声は、神木を穿って成した木笛の音色のよう。


「あれって、もしかして……」


 イナは、その名を知っている。


「フィニクス」


 災厄の象徴は、千年の幸福をもたらす不死鳥へと転身した。


 もう、イザがシルデンを攻める理由は無い。民衆の不安をよすがとするメルセル商団は、これまでの降盛を保てないだろう。争いの種は、潰えたのだ。不死鳥が空を駆るのを見た時、生きとし生ける全てのものが平和の訪れを知るだろう。


「……そっか。サラマンドラとフィニクスは、同じ生き物だったんだね」


 雲の上では、尊き幻の存在が思考を紡いでいる。それは、ようやく習合を果たした人竜の思念。いや、懐かしき再会を果たした双子たちの会話であった。


 ――久しぶり。すごく、遅くなっちゃった。

 ――まだ、意気地なしは治ってないみたいだね。

 ――根本的な性格はなかなか変わらないんだ。これでも、大分よくなった方だよ。

 ――うん、ずっと見ていたからよく知ってる。この身に魂を宿した時から、ずっと見てきたから。


 二つの魂は、懇ろに意思を交わす。完全に合一するまでの、ごくわずかな猶予。その間に、きょうだいは絆の色を確かめ合う。


 ――これから、どうすればいい。

 ――ドラゴンたちに会いに行こう。ぼくたちにはまだ、成し遂げねばならない使命が残されている。


 甦りし不死鳥には、まだ一つ役目があった。即ち、かつて大陸に存在した奇跡を取り戻すこと。それは、竜とそのツインたるドラゴンホーンを結びつけることで達成される。


 フィニクスは手始めに、ダルネフの空を駆る飛竜たちに呼びかけた。すると、竜は仮初の主人を放り出して、フィニクスの後ろを追いかけ始める。ドラゴンたちは、自らが何に従うべきか、ちゃんと理解しているのだ。


 ――長い道のりになると思うよ。

 ――構わないよ。ひどく残酷なことを沢山したんだ。これで罪を帳消しにできるとは思えないけど、せめてほんの少しでも、散って行った魂に報いたい。

 ――償い?

 ――……出発だよ。夢を現実に還す、長い道のりへの。


 フィニクスは、各地の竜を攫って行く。そして率いた竜たちを、逢うべきツインの元へと案内するのだ。超越なる不死鳥は、その神通力を通してツイン同士の魂を呼応させる。すると彼らは、災厄の千年の内には信じられなかった奇跡の力を、その身に宿すのだ。


 ある大声量の軍人は、どんな困難をも眺ね除ける鋼の肉体を得た。ある自由の商人は、風無き日も宙に舞える見えない翼を得た。またある孤独の白竜は、いずれ生まれ出づる新たな半身を待つ、悠久の旅路を歩み始めた。


「フィニクスだ。空に、不死鳥フィニクスが飛んでいるぞ!」

「千年王国の再来だ!もう商団に辛酸を嘗めさせられる日々も終わる。俺たちは、あの大きな鳥のように、自由に羽ばたけるんだ!」


 大地に暮らす民衆は、空を泳ぐ大翼を見ては歓喜に沸く。歴史書を読んだことがなくとも、叙事詩を聴かされたことがなくとも、皆わかるのだ。聖なる火を身に宿した天空の怪鳥が、伝説に謳われる不死鳥であることを。


 世界は、塗り替えられていく。蒼き星が美を謳う闇夜から、流星と陽光が人を照らす暁へ。




 時が経ち、かつて調竜師だった少女は、戦没者を祀る寺院にて巡礼者たちの案内をしていた。地上からドラゴンが失せたことで、調竜師と言う仕事もまた、大陸から名を消したのだ。少女はかつて愛した人の業を少しでも背負うべく、この道を選んだ。


「イナ、こっちを手伝ってくれる?」

「あ、はーいいただいま!」


 同僚の老女に呼ばれて、イナは寺院の外に繰り出す。大理石の真新しい外壁の天頂部は、淀みない日光を眩しく反射していた。一方の西に面した出入り口は建物の影にすっぽり覆われていて、昼と夜のように鋭利な明暗を成していた。


 イナは空を見上げた。遠い西の空に流れ星のような黄金の光が飛んでいる。その尻尾を追いかけるように、豆粒のような小さな影が無数に連なっていた。


「そろそろ地上のドラゴンは全て回収したのかな?でも、引き連れている数はあんまり減っているように見えないよ。まだまだあなたたちの仕事は終わりそうにないね、ウィルくん」


 大陸には、もはや竜騎士も調竜師も存在しない。生ける全てのドラゴンは、猛き不死鳥に導かれているのだから。




 少年は、世界で唯一の、竜を駆るものである――。


『竜を駆るもの』はこれで完結です。

ご愛読ありがとうございました。


後日、後書きを掲載予定です。

詳しい予定は活動報告をご参照ください。

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