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竜を駆るもの  作者: なろうなろう
第二章
26/33

決戦②賭博の勝者

 イザの前線兵たちは凸凹の道なき道を進んでいた。シルデンの逞しき草花は豪雪にも動じず茎を伸ばしており、ささくれのように地面のあちこちから顔を出している。


 本日の主戦場たる丘陵は、まるででたらめに掘り進めた坑道のよう々地形である。椀を逆さまにしたような石灰質の台地に、東西を貫く形で大きな道が三本走っている。三つの道それぞれが激しく枝分かれしており、大小様々な産みのせいで複雑な段差を作っている。更には、鋭くせり出した左右の崖が折り重なるようにして道の天井を成しており、上空からも緩く隔絶された形だ。


 このために、台地の上を飛ぶ竜騎士たちは、丘陵内部の様子を殆ど窺い知ることができなかった。意気揚々と出陣して間もなく任務が暗礁に乗り上げてしまい、すっかり手持ち無沙汰に陥っているという有様である。


「将軍、南の方面も殆ど天井は閉じています。少なくとも丘陵内部を広く見通せる地点はどこにも無さそうです」

「そちらもか。まるで巨大な洞窟を見下ろしているようだな。雪で視界も悪いし、想像以上に上空からの見通しは悪いことだ」


 百騎からなる竜騎士中隊を率いるマグタンクは、頭を悩ます。地表付近まで降下すれば、崖の隙間から少しは内部の様子を見通せよう。しかしそれでは、丘陵の上を警護するシルデン兵との衝突は避けられない。竜騎の十八番である奇襲攻撃も、全く機能しなくなるだろう。


「丘陵内の伸問たちを手助けすることは難しいな。どう動いたものか……」


 イザの主眼は、地上からの丘陵突破にあった。後の都包囲に向けて、歩兵たちの安全な通行略を確保することが必須条件だからである。マグタンクらに与えられた最優先任務も、上空からの地上援護であった。


 本来ならばここで、『上空の完令制圧』という第二目標に移行したいところなのだが、それも容易な事ではなかった。丘陵の周囲では、白鎧のメルセル竜騎が、二、三騎あまりの小隊編成で飛び交っている。が、イザ竜騎の接近を感知すると一目散に逃げ出すばかりで、断固として交戦を拒否する姿勢である。たとえ追いかけても例の毒矢を連射して牽制してくるので、近づくだけでも大変な困難を伴う程だ。天候の悪さも手伝って、この鬼ごっこはイザにとって非常に分が悪かった。


「くそ、これじゃあ俺たち何もできないじゃないか」

「諸君、落ち着こう。地上に何の影響も与えられていないのは向こうも同じ。焦らずゆっくり相手の動きを把握し、少しずつ撃破していこう」


 マグタンクは騎兵を分けて挟み撃ちの陣形を指示すると、高度を上げて空全体を見回した。遠くの竜騎は鎧の色を確かめるのも難しいが、飛竜の体色はかろうじて判別できる。そこに黒い竜の姿は無い。かつて背中を追いかけていたイザのもう一人の英雄は、どこにも見当たらなかった。


「ハイス、来ているんだよな。どうして姿を現さない。俺は逃げも隠れもしないぞ。今一度、積年の決着をつけようじゃないか……」



 

 進軍開始から半時あまり。丘陵中央を走る一番太い通りでは、イザの先頭集団が道のり半ばに達しようとしていた。小隊三つからなるこの竜騎部隊を率いるのは、中佐士官ボドワール。かつてウィルらと共に国境越えを行った堅物の士官である。


 彼らは当初の予定よりずっと順調に羽を進めていた。というのも、幾重にも小道に分かれた迷路を進むに当たり、迷ったり敵の奇襲を受けたりすることを想定していたからである。ところが、思わぬ水先案内人を得たことで、進軍は非常に円滑に行われていた。


「この先の、向かって左手の崖には気をつけた方がいいぜ。塹壕状の溝があって、伏兵が潜むには具合がいいんだ」

「あれか。よろしい、しっかり警戒を促そう」


 案内人の言葉通り、件の崖にはシルデンの弓兵が隠れていた。しかし予め攻撃を察知していたイザ側は被害を最小に押しとどめ、迅速に敵部隊を消滅させてみせたのだった。


「なかなか確かな地理情報を持っているな。敵国の傭兵も、場合によっては役に立つ」

「そうだろう。俺たち傭兵団は、以前ここを根城にしていたことがあるんだ。自宅の庭のように知り尽くしているぜ」


 なんと案内人は、長らくジエン隊と行動を共にしていたゲディの傭兵団であった。イザが未知の迷宮たる丘陵に攻め入るに当たって、自らこの役を申し出たのだ。傭兵たちは各方面の部隊に、散り散りに配属されている。イザの諸部隊は、人数の多寡に関わらず丘陵の地理に精通している形だ。


「もう少し先に行くと、分かれ道かあるんだ。太い道と細い道があるが、その奥で――」

「そこから先の地理は、古地図から確かな情報が得られている。もう君はお役御免だ。こちらから問いかけない限りは、口を出さないでくれ」

「……ちっ、都合がいいことだ。前の小隊長の方が、よっぽど気前がよかったぜ」


 悪態をつく傭兵の乗り込む竜騎を後方に下がらせ、ボドワールは先を急ぐ。彼の隊に与えられた任務は、敵軍の配置確認と敵本営の発見。これまでに遭遇したのはせいぜい百人規模の中小隊のみで、大部隊の発見には至っていない。だがボドワールは、行く手に敵の本軍が控えているだろうと踏んでいた。三つの道の中でも、中央の道は最も幅広で、かつ都までの最短ルートである。敵の突破を絶対に許してはならないこの通りに主力を置くのが、防衛側の道理と言えよう。


「待ち構えるはシルデンの若司令か、それとも楽団の長か……どちらと見えるにしろ、その顔を拝むのは楽しみだな」


 問もなく、隊は件の分かれ道に到達した。向かって右手は太く平坦な道。こちらが本筋と考えていいだろう。一方の左手は凹凸の激しい隘路で、竜が二頭横並びで進むのも厳しそうだ。


 迷うことなく右手に進まんと舵を切る。すると、俄かに奇妙な合奏が聞こえてきた。笛と弦楽器が織りなす魅惑の音。これを聴くと、心臓が意図せぬ鼓動で動きだし、全身を不吉な意思に乗っ収られてしまう。市場で聴いたなら、商人の言いいなりとなり喜んでがらくたを買い漁ってしまう。戦場で耳にしたなら、すっかり戦意を失ってふらふらと敵の眼前まで躍り出てしまう。商団の用いるこの奇術に、イザは当初大きく苦しめられた。


「楽団の奴らですね。右の通りの奥から響いています」

「ふむ。音の厚みから判断するに、相当の大所帯のようだ」

「耳栓をして進んでいきますか」

「いいや、わざわざ正面から当たる必要はない。どうせこの二つの道は、奥で繋かっていろのだ。右の道から迂回して進み、奴らの背後から接触する。敵の数が多ければ無理せず撤退だ。後衛に援軍を求める」


 ボドワールは隘路を進む選択をした。遭遇する前から演奏を始めるなど、挑発以外の’何物でもない。何らかの罠が仕掛けられている可能性を考えても、正面切っての進軍は得策じゃないと考えられた。


 さて、この細道の見通しは非常に悪かった。両脇の崖は天井付近まで伸びているし、道は途中から外側に大きく湾曲している。おまけに崖の側面の岩肌は凹凸が激しく、熟練の騎士でも飛行には神経を使うほどだ。


「わかっているとは思うが、気を付けて進むように。隊列は縦に組め。高中低の一列を組んで、周囲との距離を一定に保つように」


 指示は的確である。騎士たちは悪路を整然と、速度を落とさずに進んでいく。すると、湾曲部に差し掛かった所で、天井の裂け目を発見した。大きな楕円状の穴からは曇った大空が覗いていて、その真下に砂糖の粉末を盛ったような雪の塊が堆積している。丘陵内に潜ってから初めての外界との接触に、騎士たちは幾分気を取られた。


「集中を乱すな。これから急カーブを曲がる。また伏兵の姿が見えるかもしれないから、武器の構えを忘れぬように」


 というボドワールの注意喚起は、的を違えていなかった。カーブを曲がり終えた直後の、少し間隔の広い空間。そこには、シルデンの軍団が控えていた。敵はボドワールらの到着を待ちわびていたかのように、一様にその方向を見つめ、得物を力強く構えている。それも、ちょっとやそっとの規模じゃない。地面、崖の上、空中。全ての空間に、まさしく所狭しと言った具合に夥しい数の敵兵がひしめいでいる。その数、およそ五千。


「イザの竜騎だ!撃て!」


 指揮官の合図と共に、一斉に弓矢あられが飛ぶ。無論、毒がたっぷり塗られた竜殺しの弓だ。予想外の大軍に怯んだイザの騎士たちは、この射撃をまともに受けた。一瞬で、最前列に居た大部分の竜騎が撃ち落とされる、


「なんだ、この数は……」


 ボドワールは動揺を隠せなかった。こんな幅の狭い脇道の途中に、なんだってかような大軍が潜んでいるのか。それに、もう片方の道の奥に潜んでいた楽団の連中はどうなっている。まさか楽器しか持たぬ一団を単独で行動させているはずがない。……と思い至ったところで、ボドワールは気が付いた。


 あれは、こちらの裏を掻いた罠――いや、賭けだったのだ。道の先から大合奏が聞こえれば、敵の大軍が待ち受けていると判断して迂回するのが筋。まさか丸腰の楽団員を放って、隘路に大軍を配置していようとは誰も思わない。そう油断してのこのこ進んできた竜騎部隊を討つのが、敵の思惑だったのだ。


 隘路における密集隊列が、却って仇となった、本来地上からの攻撃を意に介さない竜騎士だが、低空を飛ぶ隊列はその射撃をまともに喰らってしまう。一旦距離を取ろうにも、後方の味方騎士との距離が詰まりすぎていて、攻撃の回避は困難だった。


「退却だ。全員、速やかに小路を脱出せよ!三列とも高度をぎりぎりまで上げて、低列の被害をなるべく抑えるように!」


 ボドワール部隊は即座に旋回して、幅の狭い小路を器用に抜けていく。さすがに悪路での飛行訓練も積み重ねてきたイザの竜騎士たち。心理的劣勢にも関わらず、敵の竜騎に距離を詰めさせない。


 だが、敵は追ってくるばかりではなかった。脱出を急ぐ騎士たちの眼前に、別の場所で控えていたと思しき商団の竜騎兵が現れる。得物がやや上等なのを見るに、いくらか位の高い騎士でありそうだ。


「隊長、どうされますか」

「……この隊で一番速いのは誰だ?」

「それなら、第二小隊所属のロウだと思われますが」

「その者に単騎脱出を命じろ。この状況を、なんとしても他の部隊に報告する必要がある。地表すれすれを駆け抜ければ、一人くらいは脱出できるはずだ」

「わかりました。それで、我々は?」

「目の前の敵を蹴散らす。何騎墜ちるか知れないが、勝てない相手ではない。イザの誇りを、今こそ見せつけよ」

ボドワール隊は、疾走する勢いそのままに前方へ突進した。敵の毒射撃は依然脅威だが、近接戦に持ち込めば負ける理由は無い。これに紛れて、報告役の竜騎ロウは敵の網を突破した。メルセルの竜騎士たちはその動きに気づいているが、追っ手を差しむける素振りは見られない。

「敢えて伝達を許す腹か。舐めた真似を……」


 黒鎧の騎士たちは新手の騎士部隊に優勢を取ったが、やがて後方から迫いついてきた竜騎に追撃される。それだけで総崩れになるほど柔ではないけれども、横幅の無い空間で挟み撃ちにされては、全く身動きが取れない。隘路の空中戦は、膠着状態に陥った。敵の援軍がこれで打ち止めならば勝機はあるが、そのうち騎馬や歩兵の軍団が合流してくる。ボドワール隊は、迅速に事態を打開する必要があった。


「このままではジリ貧になる。相打ち覚悟で突っ込め!前方の騎士隊が機能しなくなれば、脱出が可能になる」


 力で押し切る。もうそれしかなかった。部下たちは普段のボドワールの冷静さとはかけ離れた指示に戸惑いながらも、忠実にそれを実行する。白鎧と黒鎧が交互に地に墜ちては、鈍い衝突音をこだまさせた。下方の地面には、動かなくなった飛竜とその乗り手が、いくらか重なり合うようにして地面に横たわっている。


 程なくして、道が開けた。前方のメルセル騎士を、大凡撃墜せしめたのだ。この時点で、ボドワール隊は二十数騎にまで数を減らしていた。


「進め、進め。一人でも多く生き残るんだ。我々が生きて帰りさえすれば、イザの勝利はより確かなものとなる!」


 満身創痍の部下たちを激励しながら、先を急がせる。ボドワール自身が受けた傷も小さくなく、一刻も早い戦場離脱が望まれた。


「隊長、さっき目にした天井の穴が」

「よし、あそこから脱出しよう。外に出たら隊列は崩していい。とにかく己が生き延びることだけを考えよ!」


 不自然な隊列を無理に維持して進むより、外に出て自由飛行した方がよほど生存率は高いだろう。伏兵が潜む可能性はあるが、分の悪い鬼ごっこを続けるよりはずっと希望がある。そう判断したボドワールは、自ら先陣を切って天井穴を突き抜けた。


 外の叫界は白銀の静止画である。小粒の雪だけが上から下ヘとひらひら降りて、まるで魔法のかかった絵本の中のようだ。付近の空にメルセルの竜騎兵は見られない。雪降る上空は、イザ騎兵にとって頗る安全な飛行路だ。


「待ちわびましたよ、イザの竜騎隊長殿」


 空を見ることに慣れすぎていたボドワールは、地表で姿勢を低くしていた敵の存在に気が付かなかった。地を這う者を侮る悪癖。竜騎士の誰もが少なからず持つその資質を、ボドワールも土壇場で拭い去ることができなかった。


「あなたは、シルデンの――」

「クヴィスと言います。この国の、四番目の総司令官です」

「……願い叶ったりか。少し、タイミングが悪かったな」


 クヴィスの放った矢は、ボドワールの竜の側頭部を真っ直ぐ貫いた。一瞬溺れた魚のように奇妙に空を泳いだ赤錆色の飛竜は、間もなくその体躯を地面に激しく叩きつけ息絶えた。


「残った部下もすぐに送り届けますよ。どうか、ご心配なく」


 クヴィスは隊長の後を追って穴を抜けてきた竜騎を、続けざまに射抜いた。後ろの約半数は異常に気づいて丘陵内を直進したと思われたが、深追いする必要はないと判断し、弓の構えを解く。


 やや遅れて、ボドワール隊を追いかけていたメルセル竜騎隊の一部が、天井穴から顔を出す。取り逃がしたイザの敗走騎兵に関して、クヴィスに助言を求めたのだった。


「手負いの騎士を無理して追う必要はない。それより、敵方は伝令の騎士を飛ばしたのか?」

「特に素早い竜騎が一騎、東に飛んでいきました。最初に接触するのは、大路を逸れた五百程度のの混合歩兵部隊かと」

「すぐに迫いかけて、伝令の有無を確かめろ。もし伝令が届けられなかった場合は、速やかに陣形を変更するよう伝えるんだ」

「承知しました」


 竜乗りたちが去り、一人丘陵の上にに取り残されたクヴィスは、雪の草原を歩く。視線の先にあるは、自らが撃ち落としたイザ騎兵の残骸。墜落の衝撃で動けなくなった敵兵たちの最期の言葉を預からんとしているのである。


 遺言を聞き終えて屍の後始末を済ますと、クヴィスは遠くイザの本陣に目を向けた。方角は確かだが、敵の本営らしい輪郭は一切掴めない。宙に細かな雪の舞い散る中では、一寸先の見通しも明瞭でないのだ。


「まずは我々に、天が味方したか。この危ういからくりが一体どこまで動き続けるのか。その小さな歯車の一つとして、最後まで見届けさせてもらいましょう」




「ボドワール中佐の隊が壊滅……」


 ボドワール中隊の悲劇から、少し後。ジエンは、説出した竜騎兵ロウの報告に耳を賞していた。彼が所属するのは、長槍と弓を装備した戦闘員と、掘削具や建設具を運ぶ工作員から構成される地上部隊。竜を失ったことで翼をもがれたジエンは、一士官としてこの部隊に配属されていた。


「妙な策に打って出たのう。今後も同じ手を使ってくる気だろうか。だとしたら、演奏が聴こえぬ方向に進むのは危険だのう」

「かと言って、音の嗚る方に迂闊に進むのも危険です。今度こそ、ちゃんと護衛がついているかもしれませんし」

「その通り。とかく慎重に進もう。我々もこの先で枝分かれに突き当たる。そうだったのう、ゲディ氏」

「ああ、間違いない。因みに二つの道は、すぐ先で繋がっている。それを更に進んでいけば、竜騎士部隊が進んでいった大路に通じているはずだぜ」


 この部隊に同行していたのは、傭兵隊長のゲディだった。ジエンと、訛りのひどい陸軍将校を合わせたこの三人が、隊の進路を決定づけている。


「ロウ上等兵、あなたはどうされます?」

「分かれ道に突き当たるまで、この隊に同行させて頂きたい。敵の動きをもう少し探りあげてから、本幕に報告差し上げたいので」

「それは心強い。竜騎士が一騎あれば、我々の安心感も全然違ってくるものだからのう」


 こうして竜騎士を一名迎えた混合部隊は、間もなく件の岐路に辿り着いた。足を止めて警戒を払っていると、ここでも魅惑的な音色が、道の先から流れてくる。


「本当に同じ状況を作ってくるとは、驚きよのう。さて、どっちの道から聞こえてこよう」

「右……いや左?道がすぐ奥で通じているだけに、判別がつかないな。どうする、どっちか適当に進んでみるか?」

「いえ、それはよした方がいいでしょう。敵はまたも大軍で我々を待ち構えている可能性がある。ここは様子見を出して、行く手の状況を確かめるのが常套かと」

「ジエン氏に賛同だ。それぞれの道に二人ずつ偵察を送ろう。さて諸君、君たちの中に偵察任務の志願者はあろうか。危険な任務ゆえ、遂行者には特別な褒賞が出ようぞ……」


 志願者はすぐに現れた。四人の偵察役は、危険周知用の鐘と遮音性の高い高級耳栓を持たされる。商団の音に対抗する諸道具は、ばっちり揃っているのだ。


 こうして首尾よく送り出した偵察隊が戻ってきたのは、四半時近く経った頃だった。メルセルの商人たちに出くわすまで、意外な道のりがあったらしい。二つの隊はほぼ同時に戻ってきたが、なんとどちらの組も「道の先に、メルセルの楽団が護衛なしにあった」と報告する。


「丸腰の楽団が、どちらの道の奥にも配置されている。これは一体、どういう訳だ」


 ジェンらは、結論を出すのに窮した。何らかの罠であることは間違いなさそうだが、敵の意図が見えない。先のボドワール部隊の件も手伝って、安易に足を動かすことは躊躇われた。


 頭上から軋む物音が聞こえたのは、その時だった。兵の整列の一部に、暗い影が落ちる。その一瞬後、影の本体がイザの兵士たちの体に覆いかぶさった。


「ぎゃっ……」


 文字通り潰れたような声を出して、落下物の下敷きになるイザの黒鎧たち。崖から落ちてきたのは、飛竜よりも大きな巨大岩石。不運な落石――ではない。岩はイザの整列を狙い澄ましたように、立て続けに転げ始めたのだから。これは敵の攻撃。立ち止まるイザの歩兵部隊をターゲットした、奇襲攻撃だ。


「真横の崖からだ!前後に散開して、落石を避けろ!」


 指示を出しながら、ジエンはしてやられたと思った。部隊は、敵の術中にまんまと嵌ってしまったのだ。シルデン軍の狙いは、イザ歩兵隊に警戒を促して分岐地点にて釘付けにすることにあった。移動を続ける集団に落石を命中させるのは至難の業だが、長時間同じ場所に留まる部隊を岩の下敷きにするのはそう難しいことではない。先行部隊からの伝達を許したのも、不自然な商団員の配置も、全てその目的を達するための布石だったのだ。


 落石は隊列のど真ん中に突き刺さり、兵の三分の一が犠牲になった。更には、多量の岩が道を塞ぎきったために、生存者も前後に分断される形となってしまった。幸いジエンたち指揮官は進路方向に対して後方に回避し得たが、一度に多くの仲間を失った兵士たちの狼狽は激しい。


「総員、冷静に!すぐに岩をどかして兵士の救助にあたろうぞ」

「待ってください。敵は、こちらの出方を窺いつつ沈黙を保っているだけかもしれません。まず今の状況をしっかり整理しましょう――」


 ジエンは、事の顛末を本部に通達する事が何より先決であると感じた。シルデン側が奇妙な策を弄している事を味方に知らせねば、益々敵の思うつぼになってしまう。がしかし、肝心の報告騎兵の姿が見当たらない。


「あ、あそこにドラゴンが転がっているぞ!」


 竜騎兵ロウは、岩と岩の間に挟まるようにして体を埋めていた。頭から多量の血を流し、下肢は完全に岩陰に呑みこまれている。飛竜の方は左翼を掠っただけのようだが、騎士に関しては命が助かるかどうかも危うい状況に思われた。


「なんということだろう。これでは報告騎を飛ばせないではないか」


 嘆く訛りの指揮官。しかし、その状況を打開する術はあった。


「それなら心配ご無用です。私が、この竜に乗ります」

「何?ジエン氏が?」

「私はドラゴンボーンです。この子がよほど扱いの難しい性格でない限り、乗りこなせるはずです。すぐに本営へ飛んで、事を伝えましょう」

「そうか、そうだったのう。ではその務め、氏に任せよう。私はこの場に留まり、部下の救出を試みたい」


 ジエンはロウの相棒たる灰色の竜騎に跨る。気性は穏やかだ。問題なく飛行できそうである。


「待った、小隊長。俺も乗せて行ってくれないかな。丘陵に散らばる仲間たちに情報を共有したい」


 と引き留めるは、傭兵頭ゲディ。


「そうしてやりたいですが、この子が嫌がるかもしれません。ゲディさんはドラゴンボーンじゃありませんから」

「なるほど、それもそうだな。わかった、俺は徒歩で向かおう。生きていたらまた会おうぜ小隊長」


 こうして、部隊は散り散りになった。その後遂に合流を果たせなかったジエンが当該部隊の壊滅を聞いたのは、戦いが終わった後の事だった。




 イザの悲劇は、尚も留まる事を知らなかった。ユウェインの仕掛けた細工は、ものの見事に次から次へと嵌っていったのだ。楽器使いを巧みに配置し、敵に心理的な駆け引きを強いる。この賭博で勝利したシルデンは、本来兵力で勝るはずのイザに局地的な連勝を重ねていったのだった。


 イザの諸部隊は、竜騎士ジエンの報告によって漸く、戦況を把握し得た。前線での大敗という報せは彼らに大きなショックを与えたが、それごときで士気を失うイザ軍ではない。すぐさま落ち着きを取り戻すと、最善の行動を検討する。


 何よりも重要なのは、これ以上徒な被害を出さないことだ。敵はイザ側の部隊編成と陣形を知った上で、策を弄しているようである。ならば最も手頃な対策は、近隣部隊と合流して足並みを揃えることだろう。と、多くの指揮官が思い至っていたが、シルデンの計略は更にそれを上回っていた。


「ごふっ、ごふっ……。ああ、心臓がおかしくなりそうである。まさか同じ黒鎧に追い回されることになるとは、夢にも思わなかった」


 息を荒くしているのは、先日ウィルが世話になった口髭の護衛部隊長。彼の隊は、ジエンが同行していた部隊の更に後方で、馬車隊を率いながら行軍していた。


 つい先程、部隊は遠目に味方集団を発見して、接近を試みた。が、それはイザの黒鎧を着込んで変装した、敵の一隊だったのである。


 声をかけるなりいきなり牙を剥いてきた偽装集団に、部隊は大混乱。口髭の隊長は辛うじて脱出をし得たが、隊員の半分以上が離散し、率いていた五つの馬車は二つだけとなってしまった。


「隊長、あの崖の向こうから、何やら勇ましい歌が!」

「む、確かに。どこかで聞いたようなメロディ――……いやはや、これは!」


 意気消沈の部隊の耳に届いたのは、イザの軍歌。それも、都に配属される一部の兵士しか歌唱を許されない、由緒正しき歌曲である。無論、敵国のシルデン兵はこれを知る筈がない。


「味方に本物のイザ兵有りと伝えるために、軍歌を斉唱しておるのだ!さすが我が同胞、なんと機転の利くことか」


 口髭隊長は配下の兵を走らせた。やっと味方と合流できる喜びで、その表情は綻んでいる。


 細道の角を二つ曲がったところに、黒鎧の騎士たちは居た。顔全体を覆う大兜を見るに、重装歩兵の一団らしかった。走り寄ってくる口髭たちを見て、万歳の格好でそれを迎え入れる。


「同胞よ!やっとお会いできた。私は今作戦下、歩兵第十二部隊を指揮するナーブと申す者である。敵兵の襲撃を受けて部隊が散開したため、助けを求めたい」


 それを耳にして前へ一歩進み出た一人の黒鎧は、長槍の鋭い一閃で以て、呼び声に応じた。口髭隊長は、何が起きたかを理解できず、その場に倒れ込むことすら忘れている。


「な、何を……?」

「鈍い方ですね。既に別の変装部隊と遭遇したのでしょう?刺された時点で察して頂きたい」


 琴を鳴らしたような麗しの声。それを聞いてようやく、口髭は全てを理解した。


「目だけでなく、耳までも騙すとは。貴殿、随分歌が上手いお方とお見受けする」

「多分、大陸一上手いですよ。あなた方が楽団と愛称する、大組織の主ですから」


 ユウェインは、兜を剥いだ。絹糸のごとき髪が、天井の隙間から落ちた粉雪に映えている。瞳を閉じる口髭が最後に見た画。それは、世界の覇者たる貴人が、敵国の甲冑から姿を現す、なんとも奇怪な一瞬の光景であった。


「……無念」


 彼の配下の者たちも、間もなく命を散らせた。ユウェインの周りに控えるのは、シルデンの近衛部隊にも勝る、商団の精鋭私兵たち。勇猛なイザの戦士たちも、まるで太刀打ちすることができなかったのである。


「この部隊が進軍軍団の最後尾と見て間違いなさそうです。中央通りの敵は、これで掃討完了しました」

「よろしい。――しかし、ここまでうまく事が運ぶとは思いませんでしたね。計略の半分が機能すれば御の字だと考えていましたが、まるで不思議な力が私たちを後押ししているようだ」


 ユウェイン自身も、この戦果は予想外――いや予想以上のものだった。そしてそれは、敵であるイザも同じはず。イザの参謀本部は、今頃大混乱に陥っているに違いない。


「次は、どうされます?」

「絶好の機会には最大の利益を追い求める必要がある。今こそ、我々の勝利を決定づけるタイミングです」

「ではやはり……」

「行きましょう。狙いは、敵大将の首です」

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