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竜を駆るもの  作者: なろうなろう
第二章
25/33

決戦①予感・誓い

 ――一方では他人をひどく軽蔑し、他方では同じ人間を深く敬愛している。けれども、表に現れるのは片方ばかりで、それだから自分は、いつまで経っても苦しいままなのだ。




「全部で、三本か」


 イザの総司令ザスティンは、参謀天幕にて、机上の三本の矢を眺めていた。それはシルデン・商団混合軍が使用する、竜殺しの矢。撃ち落とした敵騎兵から鹵獲した、貴重な切り札である。


「しかし三本だけとなると、迂闊に攻撃には使えませんね。どう運用しましょう」

「あちこち動き回る竜騎を貫くには使いたくないが、迫ってくる竜を追い払う護身用としてはこの上ないだろう。特にハイスが出てくるとなれば、大変頼れるお守りになる」

「ハイス対策。それは妙案です、司令。して、誰がその矢を持ちましょうか」

「一本は総司令官であるこの儂。もう一本はハイスの宿敵であるマグタンクに持たせるのが妥当だろう。最後の一本は――やはり若き英雄に持たせておくべきだろうな」

「ウィル二等兵に?しかし彼は、弓の扱いに長けていないと聞きますが」

「いいさ。こういうのは名誉として持たせておくのが肝心なのだ。いざとなったらそのまま手に持って投擲武器として扱わせればいい。さあ、そう決まったら早速二名へ矢を渡してこい。これが貴重な切り札であるという説明も忘れずにな」

「畏まりました、ただいま」


 状況の知れぬ丘陵地での作戦協議の為に、ザスティンたち幹部は夜を徹して会合に当たっていた。しかし、初老の軍人の神経は決して途切れていない。寧ろ、夜明けが近づくにつれ研ぎ澄まされてきたきらいすらある。


「司令、報告です。丘陵の北面で青い竜騎を見かけたという偵察からの連絡がありました」

「敵の偵察騎だろうな。放っておけ。丘陵の外側から見つかるような間抜けな偵察ならば、なんら恐るるに足らん」


 ザスティンは盤上に広げられた古い地図を見つめる。描かれるはシルデンの都の周辺地理。地面の細かな凹凸まで記載された詳細なものだが、物が古いために、現在の状況とどこまで合致しているかは定かではない。


「数百年来、イザの進行を拒み続けてきた天然要塞か。だが、今度こそ届いて見せる。シルデンの愚王よ、待っておれ――」




「うわあ、すっごい大軍だなあ」


 竜乗りの商人ノートルは、愛竜に跨り木立ちの隙間から東西を眺めていた。彼の佇む入り組んだ丘陵を挟むようにして、イザ・シルデンの両軍が対峙している。両陣営とも、間もなく火蓋が切って落とされる決戦に向けて態勢を万全にしていた。


「ノートル、そんな目立つ場所にいたら見つかるぞ」

「大丈夫だって。辺りはまだ暗いし、こんな見通しの悪い林に潜んでいる人間なんて見つけられっこないさ」


 シルデンの建国者の名が冠されたこの丘陵は、水に溶けやすい石灰岩の地盤を持っている。そのために地形は複雑な凹凸模様を描いており、外部からはおろか内部からでも先が見通せぬ立体迷路の様相を呈している。ノートルの潜む林の崖は、先端部が滑り台のように反り上がっており、丘陵の外からはなかなか目がつかない立地だ。


「その楽観視のせいで、何度僕らが大変な目に遭ったと思ってる。偵察が済んだならさっさと降りて来い」

「心配性だなあ、メイズは。わかったよ」


 学者の友人の催促で、しぶしぶ地上に降りるノートル。何やら物申したげに眉を顰めるメイズの周囲には、他の仲間たちも顔を揃えていた。


「どうだった、ノートルちゃん?」

「予想以上に沢山のお客さんが居るよ。両軍合わせて五万は居るんじゃないかな。こりゃ大激戦になるよ」


 いつもの調子で軽々しく話すノートルの言葉はしかし、至って穏やかではない。幾人かの商人仲間は、面から血の気を引かせてみせた。


「困ったなあ。せっかく都に通じる隠し通路ができたっていうのに、これじゃ戦いが終わるまで使えないよ」

「それだけで済むといいけどね。イザとシルデンの大軍が投入されるなら、隠し道が見つかってもおかしくない」

「うっ、それだけは勘弁してほしいなあ。俺と相棒が一週間がかりで掘ったんだぜ。碌に活用されもせず閉鎖されたら大損だ」


 ノートルら隊商は、メルセル商団の目を盗んで都からの仕入れ物を輸送中であった。ところが丘陵に差し掛かったところでイザとシルデンの大軍に挟まれてしまい、進退窮まったという具合である。


「だから僕は忠告したんだ。戦争が終わるまでは危険が多いから、山道で大人しくしておこうって」

「せっかくの戦争特需を見逃したくないって意見には、皆同意してただろ?俺だけのせいにしないでよ」

「いや、僕はちゃんと反対した。商機は戦争が終わっても暫く続くはずだから、今焦る必要は無いって」


 ノートルとメイズは言い争う。二人ともそれなりの年齢なのだが、幼い見た目と相まって、子供の喧嘩のように見える。


「二人ともやめなさいよ。暫く両軍に見つからずにやり過ごせばいいってだけでしょう?力を合わせて頑張りましょうよ」

「……その通りだな。ノートル、無鉄砲な真似はしないでよ」

「言われなくても大人しくしてるっての。でも、敵に襲われた時は別だ。俺が相棒と一緒に皆を守る」

「あら、頼もしいわねえ」

「君たち本当に戦えるのか?今まで商団に見つかった時は、真っ先に逃げるばっかりだったと思うが」

「それはそれ。今回は俺も意気込みが特別なの!」


 それを受けて一斉に笑い出す商人仲間たち。ノートルの隊商は、本当に家族のように仲がいい。


「でも、本当にイザがここまで迫ってくるなんて怖いわ。噂じゃテジュータの街は住人一人たりとも逃さず皆殺しにされたらしいし。奴らが戦勝してシルデンに居座ったりしたら、何が起こるかわかったもんじゃない」

「とは言っても、イザの目的は別れの大地とやらの調査なんでしょう?シルデンが戦争に負けたとしても、市民の生活に影響はないんじゃないからしら」

「それはどうかな。イザの新王は野心家と聞くし、千年王国の再建は建前で、本当の目的はシルデンを属国にすることにあるかもしれない」


 次いで商人たちは、此度の戦争の行方について議論を始める。商団と敵対する彼らとて、生まれはシルデン。その論調は明らかなシルデン贔屓である。


「あっ、ごめんなさいノートルちゃん。イザに縁があるあなたの前で悪口ばっかり言って」

「ううん、大丈夫。別に俺は、イザの味方をしてるって訳じゃないから」

「あら、じゃあやっぱりシルデン側を応援してるの?」

「どっちでもないかな。でも、全くの中立って訳でもない。この戦争に、訓練所時代の友達が来てるらしいんだ。そいつには死んでほしくない。皆にとっては憎むべきイザの騎士かもしれないけど、俺にとっては特別だから……」

「ウィルちゃんから聞いたのね。私たちも祈らせてもらうわ。あなたの友達が、生き残ってくれることを」


 暗く沈んだ夜は、やがて朝日の暖かな光に侵されていく。シルデンの西端の地は、遂に決戦の日を迎えつつあった。


「ジエン、生きててくれよ。俺そのうち絶対、お前に恩返しに行くからさ――」




 憂いの士官ジエンは、竜舎の天幕内で薄黄色の相棒に寄り添っていた。何か重大事が待ち受けている時、ジエンは決まってこうする。それが一番心を落ち着かす方法だと知っているからだ。


「今朝は早いのだな、ジエン中尉」


 と、背後から声を掛けてきたのはかつての恩師マグタンク。この緊張の局面においても、訓練所で教鞭を振るっていた時と全く同じ振る舞いを保っている。


「相棒の傍にあって気分を落ち着かせたかったのです」

「変わらんな。君はいつもそうしていた。レースがある日の朝はいつも君が竜舎に一番乗りだったと記憶している。新米の調竜師が、泥棒が入ったと勘違いして大騒ぎになったことがあったな」

「よく覚えておいでですね。恥ずかしい思い出です」

「忘れんさ。特に君たちは、私の初めての教え子だったからな」


 マグタンクはジエンと会話を交わしながら、天幕を奥に進んでいく。彼の相棒は天幕の一番深部の一画で眠りこけていた。


「さあ行くぞ、ネオタンク!決戦の朝が来た!」

「……」


 他の竜を起こしかねない大声で威勢を張るマグタンク。一応これでも声量をセーブしているらしいが、恐らく隣の天幕で眠る人間まで起こしている。――のだが、肝心の朱色の飛竜は鼻ちょうちんを膨らませたままである。


「……カーネリアンさん、朝ですよ~」

「オオオォォォッ」


 名を呼び換えて慎ましい声で囁くと、途端に目を覚ます朱色の相棒。よくよく見慣れたお馴染みのやり取りに、ジエンは思わず笑みをこぼしてしまう。


「――漸く笑みを見せたな中尉。何か、不安事かね?」

「……不安しかありませんよ。俺は仲間を守ることすら碌にできない若輩です。今日の戦いが、怖くて仕方ないのです」

「ソドム曹長か。彼の件は悔やまれる。特に君たちは訓練所時代から親交があったから、猶更ショックは大きいだろう」


 ジエンの竜は目を薄く開いて、主人のかけ声に耳を貸している。意識は明瞭のようだが、体はぐったりとして、呼吸による膨張と収縮を繰り返すばかりである。


「君の竜、あまり元気が無いように見える。戦場で負傷したのか?」

「いえ、怪我はありません。ですが、先日から急に消沈してしまって。多分、ツインが死んでしまったのだと思います。これと同じ状態を、今まで何度か見ました」

「ツインが……そうか、そういう事か」


 マグタンクは背後にある事情を推測できたが、ジエンに語ることはなかった。悩めるもう一人の若き教え子を守るためだ。


「でも俺、落ち込んでばかりいる訳ではないんです。将軍――いえ教官は、ノートルを覚えておいでですか?」

「ああ、勿論だとも。個性的な発想の持ち主で、いつも私たちを驚かせてくれる子だった。君たちは格別仲が良く、いつも行動を共にしていたな。確か、戦闘訓練が嫌でダルネフから去って行ったと記憶しているが」

「はい。そのノートルが、このシルデンの地で商売をやっているそうです。なんでも、商団に支配された経済構造を打破し、真に自由な商いの確立を志しているとか」

「全く彼らしいな。しかし、商団と敵対する道は困難が多かろう」

「並大抵の困難じゃないと思います。だから俺、戦争が終わったらあいつを見つけ出して、商売を手伝ってやろうと思うんです。この通り、俺の竜はもう戦える状態じゃありませんし、軍人以外の道を探すのも悪くないかなって」

「私は君の選択を尊重する。それが君の望む道ならば、全力で応援しよう」


 外の薄明かりが、竜舎の中に少しずつ漏れ出してくる。間もなく朝当番の騎士たちが起きだす頃だろう。ジエンは、恩師が立ち去ってしまう前に一つの問いを投げかけた。


「教官は、戦争が終わった後にやりたい事がお有りですか?」

「特別変わった事はしないさ。またダルネフに戻り、若者たちに教鞭を振るうのみ。出発前にした約束を果たす必要もあるからね」

「どんな約束ですか?」

「軍事科の生徒一人一人から、殴られる約束だ」


 この人は一体どんな教育をしているのだろうと気になったジエンであったが、長話は憚られたので訊かないでおいた。そのため、マグタンクはマイペースに話を続ける。


「だがしかし、必ずや陛下と国民が望まれる千年王国の再建を見届けたいとは思う。この長く苦しい夜を終わらせ、大陸に眩い日の光を降らすためならば、どんな助力も惜しむつもりはない。だからこそ私は、無理を押してこうして前線に戻ってきた」

「どうして、そこまで強かに決意できるのですか。――目の前に立ちはだかるのが、かつての親友であるかもしれないのに」

「親友だからこそ、だ。奴を止められるのは今も昔も私だけ。奴にはたっぷり教えてやらねばならない。人が竜を駆ることに、どんな意義があるのかという事をな」


 マグタンクは伝承の再現でしかない遥かな理想を、鮮明な色彩で脳裏に描いている。しかしその瞳は、決して彼方の景色を見つめる虚ろなものでなく、しかとピントが合っているようにすら見える。それは彼が、自分が成すべきことをはっきり認識しているからだ。


「待っていろよハイス。次こそは私が勝つ。二八四回目の正直だ――」




 旧英雄の片割れハイスは、メルセル商団の拠点にて、ユウェイン・クヴィスとの会見に臨んでいた。


「ハイス将軍。今日の戦いには出陣なさるんですよね?」

「勿論。今日のこの戦いの為に羽を休めてきたんだ。ここで出撃しなきゃ、とんだ置物将官だろう」


 クヴィスは、ハイスの顔色を一々窺うようにしながら話を進める。一つ言葉を継ぐ度に手汗が滲んで、竜乗り用の軍手との間に水滴が溜まって気持ちが悪い。なまじ昔のハイスの気性の荒さを知ってるだけに、クヴィスの緊張はひとしおだった。


 実はシルデン側の要人三人が一堂に会すのは、これが初めてである。総司令官という立場でありながら商団に従属的なクヴィスには、会合を持ち掛ける余地がなかった。集まって合議することを好まないユウェインは、なるべく書簡で話を済まそうとするし、ハイスに至っては、そもそも軍議を催す必要すら感じていなかった。


「それでクヴィス将軍、他に確認しておく事はありませんか」


 眉目秀麗のユウェインは、膝の上に乗せた竪琴を撫でながら問いかける。腕木の曲線に沿うように柔らかな軌跡を描くその右手は、まるで飼い猫を扱っているかのようである。例によって古のほこらを改築したらしい隠れ家は、種々の楽器に溢れている。これと同じような拠点が大陸中にいくつもあると言うのだから、音楽好きもここまで来ると酔狂と言わざるを得ない。


「……愚問は承知ですが、一つお聞かせ願いたい。この戦いの勝算は如何ほどと考えておいでですか?」

「必ず勝ちます」


 ユウェインはクヴィスの婉曲的な質問とは対照的な、端的な言葉で返答する。それは、絶対的な自信の表れであった。


「昨日までのシルデンは、イザに成す術無く敗走を続けてきたように見えます。しかし我々は、そもそも勝つ必要が無かったのです。この大丘陵の地にて、有利な状況を作り出すことが真の目的だったのですから」

「兵站の不十分なイザが、物資面で消耗したという事でしょうか」

「それが一つ。付け加えるなら、彼らが比較的大きな編隊で動くようになったことが大きいですね。こっちの竜騎士団から攻撃を受けたことで、伝統的な小隊編成をやめてくれました」

「それによって、メルセルの商団員による楽奏が機能しやすくなると。しかしイザ軍はとうに兵士たちの耳栓装着を徹底させており、音楽による攪乱はうまくいかなくなりました」

「問題ありませんよ。今度の主戦場たる丘陵は見通しが劣悪で、我々の待ち伏せ行動が非常に有効になる。そこで耳栓をして聴覚を制限しようものなら罠にかけるのは容易になりますし、外そうものなら楽奏が機能します」

「――なるほど」


 クヴィスは未だ不安を拭えずにいる。戦争の何たるかを知らないこの商人の男は、少々事態を楽観視し過ぎている。彼の提唱した作戦はあまりに不確定要素が大きいし、一つ歯車がずれたら、全て崩壊してしまうような脆いものだ。その分、成功した時のリターンは限りなく大きいが……。


「クヴィス将軍は、作戦がうまくいかない可能性があるとお考えですね」

「……恐れながら、そう感じております」

「これが戦争の初期に行われる衝突であれば、失敗の可能性が高い作戦だったでしょう。ですが、イザは戦争を通して大きく変わった。特に大きいのが情報伝達網の強化です」

「それは前線の私たちも実感しています。我々の攻撃に対するイザの対応は、日を追うごとに迅速になっている。しかし、それがどう私たちの得になるでしょうか」

「やってみればわかる事ですよ。イザは急速に発達させた付け焼刃の情報網のおかげで自壊する。私にはその未来が見えます」

「はあ……」


 夢想主義が過ぎる。と言いたいクヴィスであったが、流石に口にできない。商王ユウェインはこの世に又とない尊い存在であるが、一方のクヴィスは外れ役を押し付けられた代役司令官に過ぎないのだ。


「話は済んだのか。だったら俺は退席させてもらう。出撃前にもう一眠りしたいところだ」

「ええ、どうぞ。今日はどうかよろしくお願いします」


 クヴィスの見送りに欠伸で返答すると、ハイスは楽器づくしの大部屋から出て行った。残ったユウェインは、これまたスイッチが切れたように音の鳴る猫を無心に撫でている。


「ユウェイン殿。最後にお一つお聞きしてもよろしいですか」

「何でしょう」

「戦争が終わった後の世界。あなたが見据える未来は何ですか。フィニクスが復活しない、続く災厄の千年の中に、どんな希望を見出しておいでですか」

「それこそ愚問ですね。私たち――メルセル商団自体が希望ですよ。今の商団はひたすら金儲けを追及する亡者にしか見えないかもしれない。ですが我々はその全てを還元するつもりでいる。大陸の全ての者に、安らぎを与えるためにね」

「商団が――あなたが、フィニクスの代わりになると」

「ええ、そうです。サラマンドラの千年とやらが夜と喩えられるなら、それはそれでいい。夜は永遠に明けなくていいんです。たとえ日の光が無くても、蒼い光が人々を照らし、導いてくれるのですから」


 ユウェインの野心は果てしない。彼はこの世の救世主になろうとしている。伝説に謳われる霊獣たちと等しい役割を、自ら果たさんとしている。そしてそれを成し遂げるだけの力を、現に彼は持ち合わせていた。


「もういいでしょうか。私も家族たちと顔を合わせておきたい」

「はい、お引き留めして申し訳ありませんでした。私のこの命、あなたの為に捧げましょう――」


 ユウェインは妖艶な笑みでそれに応える。クヴィスの事をちっとも気に入ってはいないユウェインだったが、興味のない人物にも色気を振りまくことは、尋常の美人よろしく得意とする所である。


 この麗しき豪商、他人の容貌にも多大な美を求める。それは詰まる所、美人好きである。商団員が美男美女揃いなのは、ひとえに彼のこの性癖ゆえであった。


「そういえば、彼は元気かな。戦場で未だ見かけないが、無事であるといい」


 以前イザの兵営の近くまで足を運んだ時に遭遇した少年。彼はユウェインが求める美を体現したような、類稀な姿をしていた。あの後もう一度その姿を拝みたいと願って何度か前線に足を運んだが、結局会えずじまいである。


「もう一度君に会いたい。そして一緒に歌おうじゃないか、ウィル――」




 ウィルは、イザの兵営を一望できる位置にある小高い丘を登っていた。今朝から降り出した雪で地面は白く染まっており、土質の柔らかな坂道は特に転びやすくなっている。ウィルは何度か体勢を崩しながらも、急ぎ足で丘の頂上を目指していた。


「ここに居たんだ」


 丘の先で振り返るのは、白き竜を駆る少年。白い息を吐き出すウィルを見つめる瞳は、「またお前か」と言わんばかりである。


「寒くない?その格好で」

「別に。どうってことない」


 イグルクは甲冑を身に着けていない。薄い肌着に、綿の織物を一枚羽織っただけの格好である。大してウィルは、既に鎧を着込んで、出撃準備を整えている。


「今日、出るのか。戦いが怖くなったんじゃなかったのか?」

「まだ、怖いよ。でも逃げてばかりじゃいけないと思うし、やれることは頑張ってみようと思って」

「そうか」


 イグルクはあまりにも短い相槌で、会話を終わらせてみせた。これが尋常の人間ならば『つまらない奴』と烙印を押されるだけだが、それなりに付き合いの長いウィルはなかなかどうして簡単には引き下がらない。


「何があったのか訊いてくれないの?」

「話したいなら勝手に話せ。この通り、耳の穴は常時開いている」

「何それ。おかしな言い回し」


 ウィルは、イグルクが見ているのと同じ方向を見つめた。西に広がるのは、これから赴く凸凹の大丘陵。その遥か先には、海に囲まれたシルデンの都が小さく顔を覗かせている。


「イグルクには話したよね、『実』のこと。サラマンドラ――ライムを災厄の象徴から解き放つ食べ物が、この世のどこかにあるっていう伝承。その実の手がかりを掴んで、ライムと一緒に南の集落まで探しに行ったんだ。だけど、結局それは外れだった。多分、そんな実はどこにもないんだと思う。あったとしても、普通に生きていて手に入る代物じゃない。それを、千年前のサラマンドラの友人が教えてくれた」

「……そうか」


 淡々と相槌を打つイグルクの言葉には、しかし確かに淀みが渦巻いている。決して無表情を崩さずとも、その心の水面がざわめきたっているのは間違いない。


「ライムはずっと今のまま。災いの化身。大陸に暗く苦しい千年をもたらす悪神。その運命を変える術はどこにもない。それでも、俺はあいつと一緒に生きようと思うよ。俺はライムを守る以外の生き方を知らないからさ」

「好きにすればいい。少なくとも俺は、それを咎めるつもりはない」

「――本当に?俺はイザの理想と背反するような事をしているんだよ。今この場で斬られたっておかしくない」

「俺は国の意思に沿って動いている訳じゃないからな。だが、軍にサラマンドラ討伐命令が下ったりしたら話は別だ。そうなった場合は、真っ先に俺が、お前とその竜を討ちに行く」

「その時は、今度こそ再戦できるね。夏のレース以来、君とは勝負できなかったから。漸く決着がつけられそうだ」

「負けた方は死ぬことになるがな」


 ウィルは一歩前に進んで、イグルクと肩を並べた。背はほんの少しウィルが高いのだが、地面の高低差によって、丁度全く同じ高さに頭頂部が並ぶ。


「イグルクは、戦争が終わったらお母さんに会うの?」


 その質問に、眉を顰めて苦悶を表明するイグルク。ウィルとてこの反応は予測していたが、そこに遠慮をしないのが今のウィルのスタンスである。


「わからない。なるべく早くそうしたいとは思っている。だが、今の俺に母に会いに行く資格があるとは思えない」

「……どうして?」

「確かに、俺は竜騎士になった。だが、階級は一番下の二等兵止まりだし、お前のように目立つ功績を挙げられてもいない。母の言う『立派な竜騎士』になったとは到底言えないだろう」


 ウィルは、イグルクを馬鹿だと思った。新米騎士とは思えぬ十分な働きを示しておいて、自分の功績は不十分と主張する。謙遜でそう言うならまだしも、至って本気のようだから性質が悪い。


「じゃあ、お母さんと会う時には俺がついていくよ」

「――はあ?どうしてそうなる」

「俺の口から説明してあげる。イグルクがどれだけ速くて、強くて、素晴らしい活躍をした竜騎士だったかって事をさ。黒竜の騎士の名は、今や大陸中に知れ渡ってる。その有名人から太鼓判を押されたら、きっとお母さんも納得するよ」

「……馬鹿馬鹿しい。下らない冗談も程ほどにしろ」


 そう呟くイグルクの口元は、やや綻んでいる。その目もとは、怒っているようにも、泣きそうなようにも見えた。


「イグルク、笑ってる?」

「あまりの下らなさに、おかしくなった。ある意味才能だな」

「憎まれ口は変わらないね、本当に」


 ウィルはそう言いつつも、もっとイグルクを笑わせてみたいと思った。この仏頂面が笑顔を作った時にどう崩れるのか、ぜひとも拝んでやりたいという好奇心が湧いてくる。


「何だ、にやにやして」

「ううん、何でも。そうだイグルク、もしお母さんと会ったらさ、ぜひ君の白竜に乗せてあげてね」

「ワンダに?どうしてだ」

「きっと喜んでくれるから。竜を駆るのは、竜騎士だけの特権。その背に乗ることで、お母さんは感動するはずだよ。空を飛ぶって心地がいい。ドラゴンってすごい生き物だ。そして、その竜を駆るイグルクはとても立派だって。俺が子どもの時そう感じたから、お母さんも多分、同じ気持ちになってくれる」

「……無理だな。ワンダはとりわけ気難しい性格だ。ドラゴンボーンでもない母を背に乗せて飛んでくれるとは思えない」

「そっか。それは残念だね……」

「――だけど、悪くない。悪くない提案だ。もし可能なら、そうしてみたい。あの人に、空を駆る心地を味わわせてやりたい。そうすれば、色んなわだかまりを清算できる気がする……」


 イグルクは右の掌をぎゅっと握りしめている。ウィルはその中身を窺い知れていないけれども、きっと例の石片が握られているのだろうと想像した。絶対に捨てることのできない、イグルクの生きる動機。


「あ、そうだ。大事な用を忘れていた。イグルク、これを君に」

「弓矢?――なんでこんなものを」

「シルデン兵が使っていた竜殺しの矢だよ。今朝方、参謀本部から俺に届けられたんだけど、君に譲るよ」

「敵から鹵獲した貴重なものだろう?軍の要であるお前が持っておくべきものだ。俺が受け取っていいものじゃない」

「参謀本部はそう判断したんだろうけど、今日の俺に与えられた任務は、南にある国境沿いの石橋の破壊だ。パスティナからの援軍の足止めをするための工作任務で、敵と交戦することは想定されない。俺が持っていてもしょうがないものなんだよ。だったら、前線に出る君が持っていた方がいい。イグルクは、弓の腕も確かだったよね?」

「……お前よりはよっぽど上手い自信があるが」

「じゃあ決まりだ。これは君が自分の身を守るために使ってよ。敵の竜騎士もそこそこやるからね、持っていて損はないよ」

「――後悔しても知らないぞ?俺はお前を背後から撃ち抜くつもりかもしれない」

「それは傑作だ。でも大丈夫。俺は何があっても、この戦いで死ぬつもりはない」


 そこまで断言されて、やっとのことイグルクは矢を受け取った。細い見た目に反し、かなりの重さが両手にのしかかる。矢尻の先端は、薄紫色の光沢を帯びていた。飛竜の血を固めると言う、凄まじい猛毒だ。


「じゃあ、俺そろそろ行くね」

「待て。貰いっぱなしは癪だから、代わりにこれをやる」


 と、イグルクが差し出したのは、どこかで見覚えのある橙色の腹巻。ダルネフを発つ前、マグタンクがイグルクに贈ったものに間違いない。


「これ、教官から君への贈り物でしょ?受け取れないよ」

「いいんだよ。どうせ平等を見繕うために渡しだけのものだ。マグタンク教官だって、誰に贈ったかなんて覚えちゃいない。それに、寒がりのお前の方がよっぽどこいつを必要としているだろう」


 言い切るなり、有無を言わさず腹巻を押し付けてくるイグルク。自分が矢を強引に渡した手前、ウィルもそれを拒否できなかった。


「そこまで言うなら受け取るけど。――君、これ一度でも使ったの?」

「そんな事聞いてどうする」

「あ、いやなんでも」


 決戦前のプレゼント交換――もとい押し付け合いを終えた二人は、丘の道を下り出す。歩調を合わせようとするウィルに対し、イグルクは大股と小股を使い分けて、どうにかウィルの隣に並ぶのを避けようとする。二人一緒に歩いているのを見られるのが、よっぽど嫌ならしい。


「イグルクは、お母さんを憎いって思いは消えたの?」


 だからウィルは、敢えて言葉を投げかける。こうでもしないと、イグルクは益々ウィルから遠のくばかりである。


「……消えてないさ。だけど、ずっと憎んでいるつもりもない」

「許すつもりになったんだ」

「――まあ、そのうちにな」


 前を歩くウィルとの距離は、大股で四歩ほど。相手の耳に届けようという意思がなければ、言葉は向こうに届かない。


「だって、俺があの人を許してやらなきゃ、誰があの人を許してやれるって言うんだ――」


 イグルクの微かな呟きは、雪の粒に溶け込んで消えいってしまった。その感情を聞き止めた人間は、この世に存在しない。少年は、もうこれ以上自分の内面を吐露するつもりはなかった。誰にも自身を語らず、苦しみをずっと手許に置いておく。それを美徳とすら感じていた。


 やがて、兵営の奥から、よく煮込まれた香草のスープの香りが漂ってきた。朝当番の仕事が終わって、丁度皆が起きだす時刻だ。群集する天幕の内部から、何かが擦れ合うような音がじわじわと漏れ出してくる。


「じゃあ俺、参謀天幕に寄ってくね。司令に呼ばれてるから」

「ああ」


 丘を下ったところで、二人は別れを告げた。次に会うのは恐らく、戦いが終結した後。それを互いにわかっていながら、敢えて口に出すことはしない。どこかで怖がっていたのかもしれない。次の再会が不確定なことを、明確に再認識してしまうことを。


「おい」


 背を向けたウィルを、イグルクは今一度、いつもの呼称で呼び留める。声は少し上ずっている。そして、触れられなかった暗闇に少しだけ手を伸ばしてみせた。


「何?」

「一つだけ、言えていないことがある。戦いが終わったら言うから、もう一度その面を貸せ」

「――わかった、約束だよ。どんな言葉を聞けるか、楽しみにしているから」


 雪が地面の色を隠している。世界は色彩を忘れてしまったかのように真っ白で、この空を黒竜が飛んだら、どれだけ速く動いても目立って仕方ないように思われた。


 間もなく、全てを決す戦いが始まる。多くの人が死ぬことを、誰もが分かっている。しかし、誰が死ぬことになるかを知る者は、一人として居ない。

更新が停滞しており申し訳ありません。

今後の更新予定については活動報告にてお知らせしておりますので、ご一読頂けますと幸いです。

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