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竜を駆るもの  作者: なろうなろう
第二章
21/33

英雄の帰還

 ――彼らの正義は、力にならなかった。




 テジュータ西方八十里。南北に走る二つの街道を繋ぐようにして、長い戦線が築かれていた。地上の歩兵は、遮蔽物の少ない開けた土地で連日激戦を繰り広げている。空の騎士たちは互いの地上援護を牽制しあって、じりじりとした睨み合いを続けていた。


「それで、空の戦況は?」

「戦線南部で、竜騎士同士の中規模会戦がありました。敵小隊二個を撃破しましたが、こちらも毒弓によって十騎ほど損傷しました。追撃はいずれも失敗した模様です」

「……空中戦でも勝ちきれんか」


 戦況報告を聞くザスティンの顔色は、芳しくなかった。総司令官の心持は周囲に伝播し、周囲の参謀たちは一様に不安げな表情を浮かべている。


 イザ軍は、依然苦戦を強いられていた。前線はじりじりと後退を続けている。敵の竜騎士の練度は決して低くなく、数も多い。切り札のウィルとマグタンクが欠如している今、明確な有利をものにするのは難しかった。さらに問題なのは、地上の商団員。例の気味の悪い音楽でイザ兵たちを困惑させており、歩兵戦は圧倒的不利に陥っていた。


「地上はもう無理だ。戦線を解除し、全体を後方支援に回す。我々がこの場を切り抜けるには、竜騎士戦で勝つしかない……」




 同時刻。戦線の最南方にて、ジエン隊は奮戦していた。


「敵小隊、自軍左翼を通過!そのまま真っ直ぐ東へ進んでいます」


 最高地点を飛ぶ偵察兵が、ジエンに報告を入れる。それは、軍全体の生命線を絶ちかねない大危機への警鐘だった。


「補給隊狙いという訳か。誰か、急いで別部隊に応援を!」

「駄目だ。距離が離れすぎていて、他の隊がどこに居るのかわからない」

「……くそっ」


 周辺の地理を知り尽くしたシルデン軍は、急襲でイザを翻弄する作戦を取った。彼らの度重なるゲリラ行動によりイザ軍の戦列は度々崩壊し、前線はサバイバル戦の様相を呈していたのだった。


「私が向かいます」


 と名乗り出たのは、目つきの鋭い新米騎兵。


「イグルク?……まさか君も一人で行くと言い出すんじゃなかろうな」

「他に向かえる者が居ません」


 前日に右腕に傷を受けたイグルクは、前線を外されていた。そのため、この時点では十分に体力を余らせていたのである。


「抗戦するつもりはありません。奴らを陽動して、補給隊から目を逸らさせます」

「しかし――」

「迷っている時間はありません。今命令を下して頂かなければ、間に合うものも間に合わなくなります」

「……わかった。なるべく早く戻ってこい」


 ジエンにはもう、大切な部下の無茶を強いて止めるだけの余裕さえ残っていなかった。それでも、腸を断つような思いを感じるのは変わらない。ジエンは、東の空に小さくなるイグルクの背を見送ることもできなかった。


「隊長、北西から敵の増援が。……隊長?」

「なんでもない、――さあ戦おう」


 ジエンの精神は、既に押し潰されそうだった。また一人、部下を失うことになるかもしれない。不安と危機感だけが、彼の心にのしかかっていく。




 補給隊は、山脈麓の雑木林に足を止めて、怪我人の救護を行っていた。シルデン山脈経由で竜騎士と共にシルデンに渡ってきた彼らは、比較的軽量な衣服や水、薬剤の運搬を担っていた。


「空にドラゴンが……あれは商団騎兵だ!」


 一人の隊員が、遠目から空に浮かぶ影を捉える。商団騎兵と呼称しているのは、この時点で敵の竜騎士が商団由来だと判明していたためである。莫大な財力を背景にひっそりと竜騎士を養成した商団は、シルデン国軍に騎士を貸し出した。シルデンの鎧を身に纏っているのは、地上から敵味方の区別をつけやすくする狙いがあったかららしい。


「前線の竜騎士隊は突破されたのか……。武器を取れ、応援があるまで我々で応戦するぞ!」


 非軍人たる彼らも、従軍にあたって一応の戦闘訓練を受けている。馬車の荷台から素早く得物を取り出すと、慣れた手つきで刃の切れ味を確かめる。


 商団出身の騎兵たちは、上からその様子を眺めていた。思いも寄らぬ迎撃準備のよさ。だがそれを恐れることも、嘲ることもない。商団から教わった気品の精神を、彼ら全員が心の内に宿していた。


「物資はもれなく鹵獲せよ。敵兵の生死は問わない」


 指揮官の簡潔な命令の下、商団騎兵は動き出す。彼らがイザの騎士と大きく異なるところは、弓の使用。機動力や近接戦闘技術で劣る代わりに、敵の射程外から一方的に攻撃できるのが商団騎兵の強みである。


 イザの竜騎士たちの戦いを見慣れていた補給兵は、これに対応することができなかった。不利な条件の中勇敢に戦うも、一人、また一人と、シルデンの凶刃に倒れていく。


「同胞の仇、今まさに晴らさん……」


 若い指揮官は、地上の惨劇に目を細め、感慨に浸っていた。彼はテジュータの街に多くの友人を抱えていた。その街が無残にも滅ぼされたことでイザを深く恨んでいたことは、言うまでもない。


 時計の長針が五周もする頃には、イザの歩兵たちはほとんど壊滅していた。それでも飽き足らぬ商団兵たちは、仇の兵士たちを無残に切り刻んでいる。先ほどまでの行儀のよさはどこにいったのか、戦いが始まると騎士たちは血に飢えた獣と化してしまった。


「敵の援軍が来ないとも限らん。嬲るのもほどほどにして素早く撤退を……」


 という指揮官の言葉は中断された。背後から、強烈な一突きで左胸を貫かれたのである。彼の最期の言葉は、先の途絶えた命令句となった。


「敵兵だ!連隊長が討たれた!」


 即座に事態を察知した商団竜騎たちによって、白銀の竜騎士は取り囲まれた。辺りには十八の騎士。対するイザ竜騎兵は一匹狼。地上の補給隊にもまともに動ける者はない。


「一人で来たのか、大した度胸だ」

「しかもまだ随分若いようだ。新米騎兵か?」


 商団騎兵は相手の素性を窺うように言葉を投げかける。しかし、イグルクは何ら言葉を発さない。シルデンの下品な兵士たちよりは話が通じそうだが、交渉によってこの場から退却させられるとは思えない。彼は、無駄だと思う行動はしない主義だった。


 鋭眼の少年は、背中の手槍を素早く抜いて前方に投げつける。それによって敵が怯んだうちに、下方から左翼へと軌道を描いて包囲を抜け出した。


「逃げるぞ、追え!」


 逃げるつもりはない。彼の責務は、貴重な物資を敵の手から守る事。ここで逃げ出してしまえば、そもそも救援に駆け付けた意味がない。少しでも長く彼らを引き付けることに、意義があるのだ。


 半数ほどの竜騎が、イザの一匹狼を追いかける。イグルクの竜ワンダは、踊り子のような身軽さで体を半回転させると、密集した敵竜騎の合間を螺旋状に突き抜けた。


 それは翻弄と挑発。そして、逃げる意思はないという意思表示だった。


「面白い。それでこそ伝統あるイザの竜騎士だ。皆、奴の捕獲に全力を注げ。連隊長の仇は必ず討て!」


 思惑通り。少年は表情には出さずほくそ笑む。地上の補給隊は、何も指示せずとも、脱出の準備を整えている。プライドの高い商団兵のことだ。自分が注意を引き続ければ、地上の仲間たちに手を出すことはないだろう……。


 その予測は的中した。イグルクが敵を引き付けている間に、補給兵は態勢を整えて戦場を脱した。とは言っても、林の奥深くに身を隠したまでのこと。彼らが他の部隊と合流するためにできるだけ時間を稼がねばならぬが、若いイザの騎士はすでに大きく呼吸を乱していた。


 まだここに着いてから幾ばくも経っていない。矛も持ち出さずただ逃げ回っているだけなのに、このざまか。自分はびびっているのだ、この戦いに。少年は、己の小心を自嘲する。


 心の乱れは、動きの乱れに直結した。訓練所に居た頃には当たるはずもないひょろひょろとした弾道の弓矢。それが次々と白竜の背に命中して、硬い鱗を貫き始めた。一本、一つ外れて、また一本……。それは竜騎士の寿命を段階的に削りとっていくようであった。


「まずいな……」


 このままでは、墜落してしまう。イグルクは深呼吸して気持ちを落ち着かせると、左胸の前できゅっと拳を作った。胸ポケットに忍ばせた、光る石片を握りしめるようにして。


 その隙を、敵の騎士は見逃さなかった。白竜の動きが単調になったその一瞬。最前線を飛ぶ商団騎士は一気に間合いを詰めて、そのままイグルクの真横に躍り出た。イグルクには、瞬きする猶予すらなかった。鋭い矢が少年に向かって大きく引き絞られ、そして宙に放たれた。


 一騎の竜が、空から地に墜ちた。イグルクの眼前から、蒼白の鎧が一つ消える。代わりに現れたのは、全身黒づくめの、巨竜に乗った少年騎士であった。


「――間に合った」

「お前……」


 黒竜の騎士。大陸においてこれ以上恐ろしい存在は、今や存在しない。商団兵たちは揃って肝を冷やす。あの鬼神と対峙して、無事に帰れるとは到底思われないのだ。


 硬直する商団騎士たちを尻目に、ウィルとその相棒は、未だ名を呼んでくれぬ戦友のもとへ接近する。


「君は、無事みたいだね。でも、竜が毒矢を……」

「――皮膚に到達しているのは一、二本のはずだ。まだ闘える」


 イグルクはこの期に及んで強がりを通した。でもウィルは呆れを顔に出さない。これは、彼がまだ折れていない証拠なのだ。


「二、三騎なら相手できる?」

「補給隊を見張っている方の半分を片付ける。間違えて俺を斬るなよ」

「そんな見境なく戦わないってば」


 少しおどけたような会話は、安堵を隠すためだったのだろう。イグルクは決してウィルの瞳を見ようとはしなかった。そうすることに耐えられるほど、彼の心は強かでない。だから、背中を向けて敵と打ち合っている時の方が、よっぽど気が楽だった。


 戦闘はそう長くなかった。恐らく、彼らが補給兵を屠っていた時間の方がよっぽど長かっただろう。それくらい、この二騎の力はずば抜けていた。


「本当に、半分倒しちゃうなんて」


 有言実行を成したイグルクを、ウィルは驚嘆の目で見張った。この商団騎士たちは決して弱くなかった。どこで鍛錬を積んだのか知らないが、イザの正騎士と同等並の強さはあるだろう。


「これなら、一人でも全騎やれたんじゃない?」

「ジエン隊長と、一人では戦わないと約束した」

「律儀だなあ。でも、やっぱり強いんだねイグルクって」

「……」


 自分から賞賛を浴びるのはどんな気分なのだろうか。それを測りきれなかったウィルは、それ以上褒めるのをやめた。


「すぐに調竜師を呼んでくるよ、待ってて」

「いい」

「『いい』って……そのままじゃ、君の竜は弱ってしまうよ」

「こいつの面倒は俺が看る。お前は前線に入って加戦しろ」

「でも……」

「しつこい!早く行け!」


 これ以上の手助けは、彼の誇りを傷つけてしまうのだろうか。そう察したウィルは、仕方なくその場を発った。


 夕日が目に痛い西に向けて竜を駆る。地上には白鱗の相棒を優しく介抱する少年が、短い影を落としていた。その小さな虚像からは、微細な感情を読み取るのは難しい。ウィルが進行方向に目を逸らすまで、その顔が空に向けられる事は遂に一度もなかった。




 死したと思った黒竜の騎士の復活。それは敵方にとって、まさしく青天の霹靂であった。そして、悪夢の再来であった。


 音よりも早く風を伝う黒い弾丸は、目についた全てのシルデン兵を肉塊に変えた。戦況を全く把握せぬウィルにとって、そうするのが最も適当且つ簡潔な敵軍撃退法だったのである。その日、彼に発見されて無事に帰った兵士は、ただの一人も居なかったという。


 悪魔の来襲を知ったシルデン兵たちは、統率もなく戦場から離脱し始めた。命を守るために、上からの指令を待っている余裕はなかったのだ。ウィルの到着から半時も経たぬうちに、戦線全体で敵兵の姿は失われた。結果だけ見ると、それは久々のイザ軍の大勝であった。


 その日のイザ軍の高揚っぷりと言えば、筆舌に尽くしがたかった。劣勢のなか、どうにか敵を追い払っただけにすぎぬのに、まるで敵将の首を討ちとったかのような狂喜乱舞を誰もが演じた。それほど、この窮地を救ったウィルの働きは甚大だった。


 またしても「英雄、英雄」と連呼された。実際ウィルの急行によって命を救われた者も多かっただろうし、その称号は有名無実とは言えなくなったのだろう。かねてウィルを慕うゲディら傭兵たちは勿論、それまで反感を抱いていただろうボドワール隊の面々も、ウィルの帰還を祝福した。


 ただ、全員が諸手を挙げて喜んだわけではない。ウィルの直属の上官は、浮かない顔をしていた。その理由をウィルが知ったのは、隊の生き残りが再集結した日没後のことだった。


「隊長。ウィル二等兵、ただいま戻りました」

「――おかえり、ウィル。君が来てくれて本当に助かったよ」


 それでもジエンは、できる限りの力で、暖かさを取り繕った。勿論、そのニュアンスを読み取れぬウィルではない。小隊長の笑顔は、穴だらけになった手縫いの靴下のような印象だった。


「処分は、甘んじて受け入れます」

「……残念ながら君の処遇を決めるのは俺じゃないんだ。後で、ザスティン司令官に直接賜ってくれないかな」

「承知しました」


 ウィルはピントを左右にずらして、周囲の様子を観察した。多くの者が真新しい傷を負っている。まだ適当な処置を受けておらず、生々しい内組織をむき出しにしている者もあった。


 と、ウィルは見慣れた人物が一人その場に居ないことに気付いた。


「あの、副隊長は?」

「……ソドムは戦死したよ。流れ矢が竜の眼に刺さって、撃墜された」


 ――戦死。あの剛腕の副隊長が。俄かには信じがたい。しかし。


「そうか……そういうことも、あるんですね」


 自分たちが敵兵を殺すのと同様に、向こうも自分たちの命を狙いにくる。これは狩りじゃないんだ。闘いなんだ。ウィルはようやく、自分たちの置かれた状況を正確に理解した気がした。


「……ご遺体は?」

「既に火葬した。重い屍を引きずりながら行軍するわけにはいかないからな。対面したいのなら、今夜にでも遺骨を引き出そう」

「いえ、お手を煩わせたくありません。今は、その報せを聞けただけで十分です――」


 ウィルは急に、自分の死を身近に感じた。今まで殺すことばかり考えてきた。いつ、どこで、誰を、どうやって殺すか。そんな思考で頭蓋は埋まっていた。でも、自分がいつまでもその立場に居られるとも限らない。自分は侵略国の騎士。まして、その働きが大陸中に伝わる有名人だ。いつどこで命を狙われてもおかしくない。


「ウィルも、気をつけろよ。まだまだ戦いは続くんだから――」


 ジエンのその忠告は、ウィルの昏く底の見えない未来を暗示しているかのように思われた。

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