僕はライムを守らなきゃいけない
今回の話には残酷描写が含まれます。
苦手な方はご注意ください。
――僕は、ライムを守らなきゃいけない。
翌未明、ウィルら陽動隊は野営地のそばで肩をならしていた。
「ゲディさん、改めて言いますが、僕の命令は遵守してください。あなた方の処遇は僕に一任されていることをお忘れなきよう」
「ああ、わかっている。部下たちにもしっかり言っておこう」
「逆にそれさえ守ってくだされば、あなた方の待遇改善のために最大限尽力します。なんとしても、この作戦を成功させましょう」
文面は厳しいが、穏やかで優しげな口調。ウィルの元来の性格が滲み出ていた。この温厚さが、傭兵たちからの人気の秘訣だったことは言うまでもない。だからこそ彼らは、目の前の少年からあんな命令が下るとは、この時思いも寄らなかった。
暁の時刻、一行は目標テジュータに向けて一斉突撃した。ウィルとライムは空路、傭兵たちは陸路を、猛然と疾走する。
森林での戦闘に臨む他の騎士たちは、まだ目覚めてすらいない。軍の動向を悟られぬうちに奇襲をかけるのが、この作戦のポイントの一つでもあった。
小雪の降る大気を垂直に切り裂きながら、ライムは街に迫った。野営地からの距離は四半里ほどあっただろうか。しかし黒竜にとってそれは、道のりと呼称するのにも物足りなかった。
街の南側の防壁に迫る。随分な高さだ。歩兵が登ろうとすれば、妨害がなくても大分苦労するだろう。凹凸状の胸壁から、数多の守備兵が顔を覗かせている。さすがに夜半でも警戒を解いていなかったようだ。ウィルは、彼らの勤勉に感謝した。
「ライム、食べていいよ」
断末魔もなく、物言わぬ肉片がいくつか出来上がっていた。周囲の兵士は一瞬身じろぎしたが、抗戦の構えを見せる。妙に肝が据わっているのは、彼らが都から派遣されたエリート軍人だからだろう。
「やはり、化け物か。撃ち落とせ!」
銀光りする大量の矢が一斉に放たれる。例の毒矢だろう。しかし黒曜石の全身装甲は、一切の射撃を通さない。
無駄を悟った弓兵は乗り手のウィルに狙いを変えるが、俊敏な黒竜に狙いを定めることができなかった。そのうちに、矢は尽きてしまった。
勿論、黒の竜騎士はそれを見逃さない。市街地に向かって進行しながら、猛烈な火炎弾を連続で発射させる。凡そ有機体は成す術なくその熱に呑みこまれ、後には黒い影と灰ばかりが残った。ウィルが街に到着してから、未だ時計の長針は動いていない。
「ライム、今度は西へ向かって」
呼吸も置かず、竜の舵を切る。ウィルは城壁の守備兵を壊滅させるつもりだった。大勢の兵士の気を長時間引き続けることよりも、殺してしまう方がよっぽど楽だと思ったからだ。
ザスティンから、多少の交戦があってもいいと許可をもらっている。少々暴れ回ったところで、命令違反にはなるまい……。
ウィルは時計回りに四方の城壁を襲っていった。それは、戦闘ではなく蹂躙だった。
幾重の実戦経験を積んだウィルは、今や名実ともに軍最強の騎士である。そこに無慈悲を加えた黒竜の騎士は、さながら悪魔に乗った鬼神と喩えられよう。
テジュータの防壁は、白雪と紅血で絵画のように染まっていく。当直の守備兵が全滅するまで、ものの四半時も掛からなかった。
「た、頼む。命だけは助けてくれ……」
城壁の上から息吹が絶えた後。ウィルは、東側で指揮を執っていた将官を一人生け捕りにしていた。作戦遂行上の尋問をするためだ。
「では僕の質問に正直に答えてください。――城門は、どうやって開けるのですか」
「ま、街の内側にあるレバーを引けば開くよ。ただし、錠を解くための鍵が必要だ」
「その鍵はどこに?」
「部隊長だけが所持している。私の部隊の長は、今宿舎で眠っているはずだが……」
「それじゃあ、厄介ですね」
部隊長を引きずり出してもらってもいいが、この男が途中で逃走を図る可能性もある。ライムの食事を見られた以上、それだけは絶対に許してならない。
「では、僕らをそのレバーの前まで案内してください」
件のレバーは、城壁のすぐ真下にあった。金属製で所々錆びついている。台座のところに太いバーが差し込まれていて、それに大きめの南京錠が施されていた。
レバーの脇にある堅牢な造りの建物は、どうやら兵舎らしい。地図上で剣のマークが描かれているし、捕虜の男がしきりにそちらを気にしているから、恐らく間違いない。ウィルは男の脱走に注意を払いながら、慎重に竜の背を降りた。
「ライム、壊せそうか?」
相棒は無言で頷く。こと力仕事にあたって、この黒竜にできないことはないみたいだ。
ライムが勢いをつけて噛り付くと、錠はパキンッという甲高い音を立てて砕かれた。早朝の静けさの中だと、殊の外大きな音に聞こえる。
ウィルはバーを慎重に引き抜くと、腰を落として目一杯レバーを引いた。すると、からくり音を立てながら、眼前の城門が緩やかに垂直に持ち上がっていく。
人の背の倍くらいまで風穴が開いた時、街の外に控えていた傭兵騎馬隊が、一斉に街へなだれ込んできた。捕虜の男はびっくりして声をあげそうになっていたが、その前にウィルは男の首を叩き落とした。
「おおし、俺が一番乗りだ」
「何を馬鹿な。一番はウィル隊長だろうが。それに、二番手は俺だぞ」
傭兵たちはこの期に及んで、緊張感の無い会話を続けている。ウィルは城壁上の出来事を目撃されやしなかったと少々不安だったが、彼らは言いつけどおり城門の真ん前で控えていてくれたらしい。
「で、隊長。俺たちはこれからどうすればいい?」
「隣の建物が兵舎です。まだ騒ぎに気付いてないようですから、速やかに制圧し、敵の兵力を削ぎます」
「ははあ、そうこなくっちゃ」
ウィルは傭兵と共に、寝込みの衛兵たちを襲った。いくらか抵抗を受けて激しい物音が立ったが、人的被害はほぼ皆無だった。兵士たちの武装解除を行い、縛り上げて建物の地下に軟禁する。ここまでは完ぺきな流れだ。
ただし、周辺の住民が騒ぎを聞いて無行動に留まるとは思えない。生き残りの衛兵に事の次第を伝えるだろう。何も手を打たねば、本格的な市街戦が始まってしまう。
とは言え、陽動隊は既に十分すぎるほど役目を果たしていた。これだけの被害を与えれば、イザ軍の目標がテジュータの即時攻略にあると錯覚させられるだろうし、敵の大幅に戦力を削ることもできた。このまま街を引き上げたとしても、賞賛こそされ何ら非難を受ける心配はないだろう。
「目的は達成しました。すぐにこの場所から――」
と撤収を命じようとしたその時、ライムが注意喚起するような鋭い咆哮をあげ、ウィルの耳をつんざいた。
反射的にライムの視線の方向へ顔を向ける。すると、北側の城壁で豆粒のような小さい人影が、地上に下ろうとはしごを降りているのが目についた。
「あれは……」
――まずい。城壁の衛兵の中に生き残りが居たのだ。奴はライムの凶行を全て目撃しているだろう。生きて街の中に還すわけにはいかない!
「ゲディさん、門を下ろしてください。僕が命令するまで、決して誰も外に出すことがないように」
「へえ、それは承知したが、隊長はどこに行くんだい?」
「――大切なものを守りに」
ウィルはゲディに指示を出しながらライムの背を跨ぐと、再び疾風になった。
(大丈夫だ、奴が地上に降りるまでには十分間に合う)
男がはしごを下るペースは大分ゆったりしている。左脚を痛めているようだ。動作の途中で一々体を強張らせている。
と、距離を半分ほど詰めた時、黒竜の接近に気付いたのか、男ははしごから手を放した。そのまま大気に身を任せ、歪な体勢で地上に急速落下していく。
「あの高さで、そんな無茶な……」
それでも黒竜に追いつかれるより望みがあると思ったのだろう。事実、ライムは速度に勢いをつけるあまり、男の落下地点へと放物線を描ききることはできなかった。
地上の男は、砕いた両脚を引きずりながら、必死に市街地へ逃れようとする。ライムはそれを素早く視界に捉えて、体側を壁に擦りながら急旋回する。
あとは鷹が獲物を狩るが如きだった。男がいくら足掻いても、それはまな板に載せられた食材が鮮度を誇示しているのと変わらない。赤い体液が、冷たい空中に炸裂した。
「危ないとこだったね。ライムが見ていてくれなかったら、どうなっていた事やら……」
ほっと胸をなで下ろす。まさか城壁に生き残りが居るとは思っていなかった。全部人の形を留めないくらいに破壊したから、完璧だと思い込んでいたのだ。恐らく、死骸の下に隠れてやり過ごしていたのだろう。今度からは屍の下も確かめ
「きゃああああああ」
思考を切断する、女の悲鳴。
――どこから?
周囲に人影はない。首をぶんぶん振って辺りを見回すと、向かっての右手の建物。その上階の小窓から、髪の長い若い女が、ウィルたちを覗き込んでいた。
「あのドラゴン、人を、人を……」
ウィルの位置からははっきり何と言ったか聞き取れない。が、その青ざめた表情を見るに、事態を目撃したのは確かなようだった。
「しまった――」
あまりにも無警戒な行動だった。こんな開けた街の通りで行動に出れば、いくら早朝といえど人の目につくに決まっている!目撃者を仕留めねばと焦るあまり、元も子もない事をしてしまった。
「ライム!」
男の肉片を急いで呑み込ませて、相棒を駆り出した。女が慌てて閉めた窓をぶち破り、ウィルは単身部屋の中に侵入する。カラフルな壁紙に、植木鉢と人形が並ぶ少女趣味の部屋。そこに女の姿はなかった。ベッドの下にも、クローゼットの中にも潜んでいない。
逃げられた。
「――どこへ行った」
生かしてはおけない。あの女を放置すれば、街の人間にライムの秘密が知れ渡ることになる。一刻も早く尻尾を捕えて、息の根をとめてやらねば。
部屋の戸を乱暴に開き、家の中を捜索する。見当たらない。そこで階段を下っていくと、一階の玄関が開け放しになっていた。女は外に出たのだ。
玄関は、さっきの路地の一つ隣の、広々とした大通りに面していた。視界が開けている分、人を捜すのは容易い。女は、自宅の右斜向かいにあるタバコ屋の前に背を向けて立っていた。
「見つけた」
ウィルは、凄まじい俊足で女に駆け寄った。あの女、タバコ屋の主人に話すつもりだ。させない。その前に、息の根を止める。
その接近に気が付いた女は、一瞬後ろを振り返った後、向かって右方向に体を捻って全力で逃げ出した。なかなか足が速い。鬼神が重い甲冑によって思うように走れないのも相まって、もしや逃げ切れるかもしれないと思われた。
しかし、履き物が命運を分けた。擦り減った傷だらけの革靴を履いた女は、路上の凹凸に足元を掬われて、その場に転げ落ちた。と同時に、背中から刃の厚い槍が、無慈悲なほど深々と刺さり、前胸部から突き抜けた。
「ぎっ……」
女は、瞬間に絶命していた。槍の先端に刺さるのは、鳥や獣のそれと何ら変わらない未加工な肉だ。
タバコ屋の方を振り返る。木製の古ぼけたカウンターの先に、眠気眼をこする老人の姿がある。事態を呑み込めていない所を見ると、女から話を聞く前だったのだろう。ウィルの鼓動は、急速に落ち着きを取り戻した。
「……ふう」
今度こそ本当にすれすれのところだった。あと少し追いつくのが遅れていたら、どうなっていたかもわからない。少し、大胆な行動に出過ぎたか。イグルクの一件以来、誰にもライムの食事現場を見られたことが無かった。だからきっと、自分の心の中に油断があったのだろう――。
女の家の前に置き去りにしたライムが、上空から舞い戻ってくる。思わぬトラブルがあったが、ようやく仕事は終わった。さあ今度こそ、皆の元へ帰るだけだ。
「わあ、そいつが人食い竜か!」
残酷な、一声。ウィルの体から、再び血の気が失せた。通りの奥で、青年二人がウィルたちを指差して、腰を抜かしたように後ずさりしている。
遅かった。女は既に目撃したことを話していたのだ。あの青年たちだけ?そうとも限らないし、彼らが他の者に伝言しているかもしれない。現に、彼らは大声でライムに対する雑言をわめき散らしている。
「終わった――」
ふと、ライムとの思い出が蘇った。初めて森の奥で逢った時のこと。レースに臨み、大勝利を飾ったこと。サームの行方を捜して飛び回ったこと。ライムの食糧を求めて、苦労を続けたこと。自分が困っている時に、いつも助けに来てくれた事。
懐かしき時間が、名画のように美しく脳裏に浮かびあがり、そしてひびが入っていった。もう駄目だ。修復できない。打てる手だては、何もない。
だってそうだろう。イグルクのように、見たことを黙っていてくれるなんて訳がない。砦の時と違って、事実を知った者を全員始末するなんてこともできない。誰が女の話を聞いたかなんて、わかるはずもないからだ。
また逃げ出そうか?駄目だ、民間人に見られた以上は、噂は国中……いや大陸中に広まるだろう。
逃げ場なんてどこにもない。成す術はもう、何もないのだ――。
「いいや、手段はある」
ウィルの知らない誰かが、頭の中で囁いた。ウィルの思考の川は、付近の土砂を巻き込んで、急激に逆流を始める。
地図を見ただろう。この街の出入り口は、東西南北、四方の門だけ。そして今、それは全て閉まっている。
だから、どうしたというのだ。
厄介な城壁の守備兵たちは全滅させた。あとはおもちゃの剣を振り回す、弱弱しい兵隊がいくらかいるだけだ。
無茶を言うな。それに、そんな事が許されてたまるものか。
何の為に今まで散々手を汚してきたのだ?たった一つ、守りたいものがあるのではなかったのか。
その通りだ。だがしかし、いくらなんでもこれは――。
また、大切なものを失うのか。
嫌だ。もう嫌だ。それだけは絶対に、嫌だ。
それでいい。だったらもう、答えは出ているだろう。
……そうだ。俺には一つ、できることがある。ライムを守るために、できることがある――。
ウィルの目に、邪悪な光が灯った。それは、ひたすらに残虐な決心だった。
「全員、殺そう」
騎士は三度、突風となった。まずは男二人を矛の先で捕える。そのまま直進すると、噴水のある大広場に通じた。
十才くらいであろう幼い少年が、極度に怯えた表情でライムから逃れるように地上を走り回っている。
恐らく、女の話を伝え聞きしたのだろう。真っ先に仕留めておかねば――。
ところがすばしっこい少年は、噴水の中に飛び込んでライムの急襲を躱してみせた。真冬の冷水は尋常でない冷えをもたらすだろうに、大した向こう見ずである。
「あれは……」
焦るウィルの視界に、いくつかの見慣れた顔が映り込む。今はウィルの配下にある、ならず者の傭兵たちだ。
「噴水に敵が潜り込んだ!そいつの口を塞げ!」
「あん?おや、隊長殿じゃねえか」
「敵って、あの餓鬼のことか?なんだかよくわからんが、とにかく手伝おうか」
傭兵たちは上空からの突然の命令に狼狽しつつも、指示通り少年を捕まえて、その口を両手で押さえ込んだ。それを見て、若い部隊長はライムの背からひょいと飛び降りる。
「ありがとう。よくやってくれました」
「いやびっくりしたぜ。この餓鬼、何かやらかしたんで?」
その質問に、ウィルは答えなかった。無言のまま、手持ちの短剣で少年の喉を一突きする。澄んだ赤い血が、侵略者たちの衣服に飛び散った。
「――驚いた、いきなり殺すなんざ。それほどの厄介をしでかしたんでしょうね」
「いや、そうじゃない。そうじゃないけれど、どうしても殺さなきゃいけなかったんです」
傭兵たちはしばし口をあんぐりと開け、ぽかんとしていた。温厚なはずの部隊長の凶行が、よほど不可解だったようだ。
「あなた方、この少年の讒言に耳を貸しましたか?」
「讒言?何の話だい?」
ウィルは傭兵たちの瞳の奥を見つめた。そこに嘘の色はないように見えて、一安心した。少なくとも今は、ジエンとの約束を守っていられる。
「お気になさらず。ところで、皆この辺りに居られるのですか」
「ええ。ゲディのお頭以外は、大体広場に集まっているけども」
「なら皆に伝えてください。街の住人を全て殺せと」
傭兵は一瞬耳を疑ったが、ウィルの言葉は聞き返す余地を許さないほど明瞭だった。
「全てって……一般市民も含めてかい?」
「そうです。武器を持とうが持つまいが、例外なく屠ってください。いいですか、一人残らず殺すのですよ」
ウィルは傭兵たちが頷くのを見ると、再び風になった。それは、触れた者から血が噴き出るかまいたちという名の風だった。
取り残された傭兵たちは、尚も夢見ごこちの気分で相談する。
「――今の話、本気だと思うか?」
「だと思うね。そうじゃなきゃ、こんなちっこい餓鬼をいきなり殺したりしねえよ。戦いに明け暮れすぎて、奴もおかしくなったんじゃないかね」
「だとしても、こりゃまたとない機会だ。軍隊の許可の下好き勝手に殺しができるなんて、相当あったもんじゃねえ。久々にひと暴れしようじゃないか」
根の残虐な傭兵たちは、特に悩むでもなく、この要請に従った。軍から支給された程度のよい武器を取り、徒党を組んで非武装の民家に押し入っていく。それは、他に飾りようがないくらい、あまりにも虐殺だった。一方的に、ただ一方的に、人の頭をかち割り、体を引き裂いていく。
血。悲鳴。生臭い匂い。ぶよぶよした足触りの地面。テジュータの街は、未曽有の生き地獄へと化していった。
街の中央で傭兵たちが暴れる間、ウィルは東を除く三方の城門レバーを破壊して回った。ついでに地下を走る水路の出入り口を塞ぎ、城壁に抜け道が無いかも念入りにチェックした。市民が容易に脱出できぬようにするためだ。鉄壁の要塞都市は、今や脱出不可能の死の牢獄へと変貌したのである。
諸用を済ませて街の中央に戻ってみると、ナイフや鉄パイプを手に立ちあがった市民と傭兵たちが、激しい戦闘を繰り広げている真っ最中だった。流石に多勢が無勢、騎士たちとともに死線を潜り抜けてきた傭兵たちも押され気味である。皆あちこちから血を流し、幾人かは地面に横たわって動かない。
ウィルは胸が締め付けられた。彼らは死んでいるのだろうか。だとしたら、ジエン隊長との約束を守れないじゃないか。
ウィルはその悲しみを市民にぶつけるように、猛突進した。するとさっきまで健闘していたのが嘘みたいに、テジュータの民はあっけなく続々と倒れていった。
「隊長!いやあ、流石だ。一瞬で敵が居なくなった」
窮地における英雄の登場に、傭兵たちは子供のように喜ぶ。
その歓声に応える意思はないが、ウィルは彼らのすぐ近くに足を下ろした。屍を踏みつけながら歩き回り、敵味方の損害状況を細かに調査する。
「何人くらい仕留めましたか」
「さあ、各々が好き勝手にやってるんでわからないね。四、五百人はやったんじゃないかと」
「五百人?この街に何人の人が暮らしていると思っているのですか。このままじゃ日が暮れてしまう」
「時間制限があるんかい?」
「本隊が森林の伏兵を破るまでに片をつけなきゃいけません。彼我の実力差から言って、夕暮れまでに戦闘は終わるはずです。急がなくては」
傭兵たちにはウィルの狙いがてんでわからなかった。しかし、英雄と認めた上官の命令に背く理由は、特段無い。お馴染みの腑抜けた声で、了解の意志を示した。
「ライム、お前は暫く休んでおいで。俺は地上で、皆に命を下さなきゃいけないから」
愛竜を空に遊ばせたウィルは、傭兵たちの指揮を執り、計画的な殺戮を開始した。三人一組の編成を組み、手つかずの民家を順に襲わせる。三人の内二人が家の中に押し入って、中の住人を屠り、屋内から逃げ出した者は外に控えるもう一人が仕留めるという算段だ。
始末を終えた民家は地図上で印をつけ、無駄足を踏まないよう最適なルートを構築した。無彩色だった地図は、あっという間に赤く染まっていく。ウィルはこの戦闘において、指揮官としての優れた才覚をも発揮しつつあった。
自らが先頭に立ったウィルは、とにかく素早く殺しを行った。機械的に、かつ狂信的に。それは強い衝動に突き動かされた情熱の殺戮者だった。
一方で傭兵たちは、この残虐を楽しんでいた。彼らにとってこれは娯楽であり、極上の宴のようだった。ただ中には、殺しだけで欲求を済まさない者もある。一人の傭兵は若い女の首根っこを掴んで引きずりながら、ウィルにものを言う。
「なあ、隊長。どうせ殺しちまうなら、ちょっと味見してからでもいいですよね?」
ウィルはひどい侮蔑の目で発言の主を睨んだ。任務への怠慢にも、女性への凌辱にも、激しい嫌悪感を覚える。
「ふざけるな!そんな暇があったら一瞬でも早く住人を殺せ!勝手な真似は許さない!」
ウィルが言葉を荒げるのは、軍に入って初めてのことだった。女を掴んだ男は忽ちひるみあがって、小さく「すまねえ」と呟いた。
次第に傭兵たちのスローペースに嫌気が差したウィルは、単独行動を始めた。鎧も脱ぎ捨て、兜も剥いだ。大事な貰い物の槍も置き、細身の剣一本で街を蹂躙していった。傭兵が一人を殺す間に、十人を殺した。ウィルの体は返り血一色になり、その姿はおとぎ話に出てくる吸血鬼のようになった。
「……まだ千人くらいかな」
ウィルは街の壁に寄りかかって、誰のものかもわからぬ血を拭いながら呟く。
……テジュータの人口は五万人と推定されている。戦火が迫ったことで市民の多くが西の地へ疎開したと聞くが、それでも一万人は下らないだろう。ウィルの額には焦燥の汗がぽつぽつと滲んでいた。
目に入った血を洗い流すため、ウィルは民家脇の貯水樽を開けた。ぱしゃぱしゃと水飛沫が音を立てる。こんな非日常な場面で、水の音だけがいつも通り響くのが、ひどく不自然に思われた。
その背後から、一つの影が迫っていた。斧を片手にした壮健な青年は、足音を殺して、じりじりと仇の少年に近付く。ウィルは水の音に誤魔化され、それに気が付かない。
青年は息を潜める。手、足、頭――全ての部位の稼働を、音を立てぬよう制御する。己を人間だと思うのをやめた。獣だとも思わなくした。脚のある植物になったのだと、自己暗示をかけた。
やがて青年は、標的の影を踏んだ。敵の耳は水の戯れの中に埋没している。目は閉じられていて、開いたとしてもそこに映るのは透明な水面のみである。
捉えた。やれる。青年は、渾身の力で斧を振り下ろした。
「わあああああっ!」
ザクリ、という悲しい音と共に、青年の体が地面に沈んだ。斧は、標的に届いていなかった。
ウィルは気付いていたのだ。彼の斧が振り下ろされる寸前、水面の端に刃の弾いた煌めきが映り込んでいたために。
「よく、ここまで近づいてこれましたね。でもごめんなさい。僕はあなたより、ずっとずっと強いんだ」
ウィルは本当に悲しそうな声で、絶命間近の青年に語りかけた。青年の最期は、自身の非力を嘲笑うかのように、ふっと口元が緩んで見えた。
それから時間を経るうちに、中心街は静寂に包まれた。呼吸音が途絶え、殺戮者の足音だけが不気味にこだまするようになった。しかし、全てが滅んだわけじゃない。生き延びた市民たちは、殺戮者の居ない街の外縁部に避難したのだ。
ウィルは傭兵たちと合流すると、広場に参じた傭兵頭ゲディに問いを投げかけた。
「ゲディさん、さっき注文した油は用意できましたか」
「ああ、できるだけ集めてみたぜ。五斗缶分くらいはあるんじゃないか。それで、これをどうするんだい」
「街中に撒きます。上空から撒けば容易いでしょうね」
「撒く?おい、まさか……」
「街の外縁に火を点けます。そうすれば、火災から逃れた市民が、自然とこの広場に集まってくるでしょう。それを一人ずつ、丁寧に仕留めていきます」
およそ人の情がある者の発言でなかった。だが、この場にそれを反対する者は居ない。
「じゃあ、油を半分譲り受けますね。そちらの指示はゲディさんにお任せします」
ウィルは街の南側への散布を傭兵たちに任せ、自身は相棒とともに北側の油撒きを行った。流石に街全体に被せることはできなかったが、民家には木も多く使われているしちゃんと燃え移ってくれるだろう。そう期待しながら、ウィルは街に点火した。マッチや火打石なんかじゃない。伝説の暗黒竜から放たれる、特大の火種だ。
火はたちどころに街中に燃え広がり、テジュータの地は一つの音楽に包まれた。バチバチと重いものが燃え崩れる音と、人々の怨嗟の声。それは世にも悍ましい調べだった。さすがの傭兵たちも気分を悪くし、罪悪の念に駆られるものも出始めた。戦闘が一段落し、ある種冷静になってしまったせいだろう。
やがて広場にはやけどまみれの醜い人形が集まってきた。女子供、老人に怪我人。現れたのは社会的弱者と呼ばれるものばかりだった。
「さあ、来ましたね。もう一仕事ですよ」
傭兵たちの多くは手を出そうとしなかった。あまりにも悲痛に助けを求める人々を前に、すっかり縮み上がっていた。ただ、隊長のウィルだけが、何かに取りつかれたかのように、一心不乱剣を振るっている。
それを見た部下たちも、仕方なしに手伝い始める。吐き気と涙を耐えながら、もう刃のなまりきった武器を必死で振り下ろす。早くこの時間が終われと願いながら。
「隊長」
剣を上下運動させ続けるウィルに、一人の傭兵が語りかける。先ほど、若い女を犯そうとしていた者だ。今度は年端のいかない小さな女の子を伴い、その頭頂部を掌で押さえつけている。
「生き残りにこんなのが居ましてね。見ての通り、目立ったやけどはしてないんですよ。こいつは生かしてやってもいいでしょう。まだ子どもで、しかも女の子だ。それにこの顔立ち、将来は相当な美人になりますぜ」
次の瞬間、女児の首から下は地面に転がっていた。
「あ……」
殺戮者はその屍に、視線を移す事すらしないで淡々と言う。
「言ったでしょう、全員殺せと。例外は無いんです」
傭兵は深くうなだれた。独りよがりかもしれないが、彼なりの良心だった。それが、こんなにあっけなく打ち砕かれたのだ。
ウィルは、悲しむ傭兵を慰めるような、それでいて無機質な調子でそっと囁いた。
「あなたは悪くないですよ。殺したのは僕ですから」
「――煙だ」
森林で戦闘中の騎士たちは、街の煙を視界に収めていた。
「街で火事でも起こっているのか?……それにしては随分範囲が広いな」
「まさか本格的に交戦しているんじゃないだろうな、あの少年兵」
闘いの最中に関わらず、他所の事を噂し始める竜騎士たち。そのせいで、隊列がやや乱れつつあった。
「……阿呆どもめ。おい、前線の騎士たちに戦いに集中するよう伝えろ!煙に気を取られて負傷したものには手当ても出ないとな!」
ザスティンは憤慨しながら、士気の乱れを窘める命を下す。しかし彼も内心、気が気でなかった。砦の一件もある。あの訓練兵、また無茶な行動をしているんじゃなかろうか、と。
そして、軍の中でウィルを一番よく知るであろう少年は、後方で医務の手伝いなどしながら時折無言のまま街の方角を眺めていたのだった。
黄昏時。火の勢いは頂点に達し、広場は周囲を炎の壁に囲まれていた。既に傭兵たちは東の城門から脱出させた。ここにあるのは、ウィルとライム、それから辛うじて息のある、瀕死のやけど人が幾ばくかだけだ。
その命の灯も、やがて滅した。これでようやく全てが済んだ。そう思い体を拭うウィルの前に、またも新たに生存者が現れた。
「……おや、まだ居たのか」
それは胸に何かを抱えた三十くらいの女だった。足を二本とも負傷したらしく、芋虫のように情けない姿で移動している。這ってきた方向から察するに、広場の前の商館から出てきたらしい。
――商館は言う間でもなくメルセルの所有物で、彼らの経済活動の拠点である。シルデンの都市では市民生活の中心になっており、多くの蓄財が保管されていると聞く。そのため傭兵たちは真っ先にここを襲ったはずなのだが、どうやら建物のどこかに隠れ潜んでいたらしい。
体を翻し、じわじわとにじり寄る。腰まである長い髪を一つに束ねている。今は他の屍と同じように嫌な臭いを放っているが、きっとその前までは健やかで美しい髪の毛の持ち主だったのだろう。
女は五感が鈍っているのか、女は目の前に剣を突き立てられるまでウィルに気が付かなったようだ。
「あ……」
ようやく敵――それも、最低最悪の――を視認した女の瞳に、絶望の色がふっと宿る。喉を焼かれた女は、中年男のようなしゃがれた声で喚いた。
「や、やめて!殺さないで、お願い。どうか命だけは……私、何も聞いていませんから!」
嘘つきの目だ。大体、何も知らないならそんな発言をするわけがない。それにしても、見覚えのないこんな女にまで話が伝わっていたとは。やはり街を全滅させておいて正解だった。
「生き残りたいなら、もう少し利口になったほうがいいですよ」
まるで喜劇の悪役が言い出しそうな、徹頭徹尾冷酷な台詞だった。それでも女は、少年の中に残るであろう情に懸けた。
「子供がいるんです。この子だけは、この子だけはどうか――」
女の胸には生後数か月であろう、小さな赤ん坊が抱きかかえられていた。手に小さなやけどがあるが、まだしっかり息をしている。
女は反応を窺うように、少年の顔をじっと見つめていた。その眉がわずかにひくついたのがわかった。それから、口元を小さく動かし、ぶつぶつと小さく何かを呟いている。だが、その冷酷な雰囲気に変化はない。
そうして、女はついに悟った。目の前の少年は、誰も生かすつもりはない。自分が何と懇願しようが、必ず私たちを始末するだろう。
その予測をなぞるように、少年は剣をゆっくりと頭上まで持ち上げた。今日だけでもう幾らの命を奪ったか数えきれない、そのなまくらの刃を。
死の間際の女は、ふと気になった。この惨劇を引き起こしたであろう稀代の狂人が、人を殺すときに、一体どんな残酷な言葉を吐いているのだろうと。きっと常人には理解できぬ、悍ましく嗜虐的な台詞に違いないだろうと。
少年の口の動きはあまりにも微細で、そこから発言内容を読み取ることは不可能だった。が、剣と共に上体が傾いたその瞬間、辛うじてその言葉の輪郭が耳に届いたのである。
母たる女が最期に聞いた殺戮者の言葉は、
「――僕はライムを守らなきゃいけない」




