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竜を駆るもの  作者: なろうなろう
第二章
16/33

破滅の前触れ

 ――家に戻ったつもりがそこには知らない人が居て、何を話しても出て行ってくれない。家はもう、彼のものになっていた。




 この男が商団の当主。傲慢専横な見るからの悪辣漢を予想していたが、実物はまるで違った。美しく気品があり、言葉の鱗片に人徳の高さまでをも窺わせる。


 それにしても、メルセル当主の名があの星につけられていたとは。改めて、商団の力の隆盛を思い知らされる。


「少年、君の名は?」


 衝撃に心を泳がしていたところ、目覚めを促すような問いを投げられた。今一度、人と対話する姿勢に切り替える。


「ウィル、と言います」

「ウィル――イザ人らしい、いい名だ。さてウィル。君は、今私が話した伝説を信じるかね」

「まるっきり鵜呑みにすることはできません。しかし、完全な出鱈目とも思えないのも事実です」

「私も同じ感想だよ。この世に竜という不可思議な存在がある以上、伝説は幾らかの真実を含んでいると考えるのが妥当だ。しかしね、フィニクスの復活等という絵空事に縋ろうとは思わない。言ってしまえばそれは、虚構の世界に逃げているに過ぎない。私はもっと現実的な方法で世界を変えてみせる」


 現実的な方法――彼にとってそれは商売なのだろうか。ウィルはユウェインの言葉に、不吉な力強さを感じた。


「さて、名残惜しいがそろそろお暇しよう。しかしその前に、今宵の楽しい出会いの礼として、一つ忠告を授けようじゃないか。ウィル、もう気付いているかもしれないが、君たちの隊は敵方にターゲットされている。何故だかわかるかね」

「僕たちが、最後方に飛ぶ隊で、かつ輸送隊が同行しているからでしょう」

「勿論それもある。だが、真の目的は噂の黒竜だよ」


 ウィルは再び驚きを覚えた。まさかライムが狙われていたなんて、夢にも思わなかった。


 しかし、自分たちの活躍を鑑みれば然るべきかもしれない。黒竜の騎士が居なければ、イザ軍は今よりも多くの損傷を被っていたはずだ。進軍ペースも、もっとずっと緩やかなものだったかもしれない。


「彼奴はね、シルデンに暮らす者にとって憎き敵軍のシンボルだ。同時に、イザにとって突如現れた英雄でもある。丁度北方紛争の時の、ハイス・マグタンクと一緒だよ。そして、奴さえ居なくなれば戦況はまたガラリと変わると、シルデンのお偉いさんたちは信じ込んでいるのさ」


 ウィルは知らなかった。自分たちがいつの間にか、そこまで大きな存在になっていたことに。やったことと言えば、砦の単独制圧と、民兵組織の摘発くらい。砦の方はともかく、そのあとの任務と言えば地味そのものだ。黒竜の騎士の働きは、少々誇張して伝わっているのではなかろうか……。


「君は、あの騎士と知り合いかい」


 一瞬、首を傾げるような問い。ああそうだ。この者は自分が黒竜の騎士とは知らないのだ。普段上空を移動する竜騎士は顔を見られる機会が少なく、詳細な顔のつくりまでは広まっていないらしい。


「はい。私と同じ隊の者なので……」

「ならば身の回りに用心したまえ。黒竜の騎士の身近に、君らの居場所を知らせる密告者が居る。無闇に彼と親しくして、身を危うくしないことだ」


 密告者。これまた思いがけぬ言葉だった。ユウェインの口ぶりからして、隊の中に内通者がいるらしい。一体、だれがそんな真似を――……。


「ありがとうございます。肝に銘じておきます」

「君の武運を祈るよ。戦場で死ぬには、あまりにも惜しい美貌だ」


 それを捨て台詞に、ユウェインは場を立ち去ろうと身を翻した。


「――あの!」


 反射的に、ウィルは美声の麗人を呼び止めていた。そうして言葉を発した後に、尤もらしい口実を考え出す。


「ん、何だい」

「……また、あなたの歌を聴かせてもらえますか」


 ユウェインは横顔だけを僅かに覗かせながら、くすりと笑って答えた。


「ああ、必ず。今度は戦場でお聞かせするよ」


 不可思議な言葉とともに、ユウェインは青白い大気の中に消えて行った。その時のおどけた表情は、奇妙なほど色濃くウィルの脳裏に焼き付いて離れなくなった。


 詩人と別れた後、ウィルは道を引き返した。往きの足跡は、途中から殆ど消えかかっていた。風が強く吹く度に、心臓が音を上げる。もう少し厚着をしてくればよかったと、ウィルは後悔を覚えた。


 野営地の手前まで戻ると、篝火の前の目立つ所にイグルクが立っていた。遠くからウィルを見留めて、珍しいものを見つけたかのように目を見張っている。勿論声を掛けてくるわけでもないし、まして手を振ったりもしてこない。それでもウィルはなんだか嬉しくなって、歩を弾ませて駆け寄った。


「やあ、待っててくれたんだ」

「野垂れ死にでもされたら困るからな」


 本当に雪くらいで死ぬと思っていたのだろうか。というか、心配なら追いかけに来てくれればいいのに。


「捜し物、見つけたよ。はいこれ」

「!本当に、見つけてきたのか」


 イグルクはいくらか虚をつかれたような表情をした。小石を受け取る手が、わなわなと震えていた。そして、暫くの間放心状態になった。


「――大切なものなんでしょう?」


 改まって問いかけると、イグルクの口元は一度きゅっと結ばれて、零れ落ちるように思いが漏れだした。


「……ああ。すごく、――すごく大切なものだ」




 翌朝、ウィルは隊長ジエンに前夜の事を報告した。話すべきかどうか少々迷ったが、公にした方が隊の益になると思ったのだ。


 ジエンは話の内容に驚きを隠せないようだった。ユウェインとの邂逅も勿論だが、彼もまさか、ウィルとライムがそこまで重大人物になっていようとは想像もしていなかったらしい。


「ウィル、これからは兜を被りなさい」

「兜ですか?」


 イザの竜騎士は普通、兜をしない。空を縦横無尽に駆けるにあたって、視界を遮られるのは好ましくないからだ。にも関わらず着用を勧めたのは、軍の外部に正体を漏らさぬためらしい。


「本気で黒竜の騎士を狙っているなら、戦地の外で暗殺を図ってくるに違いない。まだ顔が知られていないなら、今からでも兜で顔を隠しておくべきだ。民兵から接収したフルヘルムを幾らか預かっているから、それを使うといい」

「わかりました。ありがたく拝借します」


 ウィルは瞳の高さに横長のスリットが入った、ものものしい黒兜を手渡された。ある物のうちから最も軽量な物を選んだのだが、それでも十分重い。


 試しに被ってみると、視界は当然限定され、真横のものは確認できない。これだと、ライムの目に大分頼ることになりそうだ。


 イザの鎧は元々黒いから、兜と竜を合わせて、これで本当に全身真っ黒になった。自分でその姿を確認することはできないが、きっと子供が見たら無条件で泣き出すくらいには恐ろしいだろうと思われた。


「最初は色々と息苦しいだろうが、そのうち慣れるだろう。平時から身につけているといい。戦いの時にいきなり着用しようとすれば、思わぬトラブルになったりするからな」


 平時から着用とは、本気で言っているのだろうか。こんな格好で兵営を歩き回ったら、不審人物と間違えられそうだ。やはりこの隊長は、少々天然気味である――。


 密告者の件はとうとう告げなかった。ウィルは犯人について思い当たる節があり、その者に疑惑の眼差しが向けられるのを嫌ったのだった。


「しかし、目標が明確な割にはあまりにも攻撃の手が温いな。前線にもさした戦闘は起こっていないようだし、今頃力を蓄えているのだろうか……」


 ジエンは敵の動向について思いを巡らしている。兜を脱いだウィルは、それについて色々と自分の意見を述べたりした。




 さて当のシルデン中央軍本営は、テジュータの街郊外に控えていた。


 その数はおよそ一万五千。最新のマスケットや高価な剣で装備を整えているが、兵士の練度は物足りない。やる気は総じて低く、とりわけ貴族出身の将校たちはまるで戦いに臨む姿勢がなってない。


「はあ……」


 深いため息を漏らすのは、司令官のクヴィス。彼は齢四十足らずの若輩だった。というのも、開戦から今までにあたって既に何人もの前任者が更迭されていた。ベテランの将官は完全に淘汰され、ついに経験不足の彼にまで役が回ってきた次第なのである。


 未だ本格的戦闘は発生していないものの、既にシルデン軍は瀬戸際に立たされていた。無謀な遊撃は各個撃破され、ただでさえ貴重な戦力が余計に削がれている。中央からのせっかちな要求により、歴任者たちは無鉄砲な突撃命令を下すしかなかったのだ。残った兵力も士気の低下が著しく、このままイザの竜騎士と衝突すれば、間違いなく敗北する。いくら兵力差が甚大なものであっても、だ。


「報告です。南方八十里の地点に竜騎士小隊が出現しました。パスティナから侵入してきた偵察部隊かと」


 頭を悩ますクヴィスに、不穏な伝令が入る。


「……それは本当に偵察隊か?」

「不確かな情報筋ですが、敵将マグタンクが率いている遊撃隊という話も。ですが、敵はあくまで七、八騎。戦況を大きく変えるほどの脅威にはならないかと」

「馬鹿っ、お前たちはあの男の恐ろしさが分かっていないのだ。奴は怪物だ。マグタンクが竜騎士本隊に合流した時、我々はいよいよお終いだ」


 クヴィスはマグタンクの実力をよくわかっていた。若いときにパスティナの士官学校で寝食を共にした経験があり、彼とは旧知の仲なのである。


 伝令の兵は上官の言い分を解せぬ風だったが、クヴィスにはどうでもよかった。今は司令官としての体面より、早急に対策を講じることが重要だ。


「マグタンクがこの地に到着する前に勝負に出る。テジュータの攻略に手をこまねいている竜騎士どもを叩くのだ!」




 九の月の二〇日。ジエン隊一行は雲間に見え隠れする本隊の背中を捉えた。


「見えたぞ、仲間たちだ。ついに追いついた!」

「なんとか日没までに間に合ったな。ようし、急げ」


 途端、竜騎士たちは嬉々として加速した。隊長も苦笑交じりに、それを黙認する。地上を走る傭兵たちなど、まるでお構いなしだった。


 ウィルの駆るライムは少々興奮気味に息を荒げ、無闇な咆哮を飛ばしていた。野営地では竜舎が設けられていたから、ライムがこれほど夥しいドラゴンと対面するのは初めてだ。あまりに多くの同胞を見て、気持ちが昂ぶっているのかもしれない。


「どうどう、落ち着け。焦らなくても、すぐ追いつけるからさ」


 ウィルは相棒の気持ちを静めると、無理に加速しようとせずそのままゆっくり飛んだ。


 乗り手のウィルの方は、本隊との合流など別段嬉しくなかったのだ。寧ろ、周りに人が多い方が厄介事も多く、少々憂鬱なくらいなのである。


 それとは全く別の動機だろうが、イグルクの白竜も何事もなかったかのように平常で飛行していた。加速する竜騎士群に対して少年騎士たちだけが鈍足で取り残され、変な並びになる。が、会話は行われない。気まずさでなく、彼らの生来の性質がその沈黙を成していた。


「任務ご苦労さん。ぎりぎりだったな。あと半日遅れてりゃ、お前たちを置いてテジュータに入るところだったぜ」

「こっちも色々あったんだよ。知ってるか、俺たちには褒賞が出るんだぜ」

「司令が話してたぜ。凄い活躍だったらしいなあ。敵の急襲に何度も晒されたが、その度撃退してみせたとか」


 ウィルたちの前方では馴染みの顔同士が竜を寄せ合い、互いの健闘を称えていた。その顔つきに長い飛行路の疲れは感じられない。間もなく侵攻の第一目標へ到達できるとあって、士気は大変高まっていた。


 やがて地平の奥から、四角い形の街が現れた。遠くからでもわかる高い石造りの城壁の内部に、背の高い建築群。典型的なメルセルの都市だ。


 市への入場は翌日果たすこととして、騎士たちは街から少し離れた場所で羽を下ろした。


 ウィルたちにとっては久々となる、千人単位の野営。消して大人数が好きではないウィルだが、敵地に膨大な数の天幕が並び立つのを見るとやはり勇ましい気分にさせられた。


 日没後には、例によって宴会が催された。目標は目と鼻の先とあって、いつも以上の大盛り上がりである。


 ウィルも珍しく酒の場に出席した。顔見知りと少し話を交えようと思ったのだが、見知らぬ者にも次々話し掛けられて引っ張りだこ状態になった。ウィルの名誉が届かぬ場所は、もはや大陸のどこにもないらしい。


 その最中、参謀や竜舎の天幕に忙しなく人が出入りするのを見た。何か問題でも起きたのだろうかと時折目を向けていたが、宴もたけなわの頃に天幕から司令官が出てきた。


 ふと、視線が合う。するとザスティンは、真っ直ぐウィルの方へ向かって歩いてきた。


「半月ぶりだな。よく働いてくれた。まずは君の功績を讃えよう」

「恐縮です。――僕に、何かご用でしょうか」

「いかにも。君に頼みごとがある」


 周囲の騎士たちは息を呑む。そもそも、かの総司令官が最下級の兵士に声を掛けること自体稀である。しかも司令の側から依頼を申し出ようとは、頗る珍妙な光景だと言えよう。


「まずは状況を説明しよう。我々は明朝、テジュータの街に無血入城を果たすつもりだった。が、今しがたあった報告に依ればそれは叶わないらしい。と言うのも、街が完全に要塞化されているのだ。大砲、投石器、バリスタ……それに少なくない守備兵。迎撃態勢は申し分ない。更に、奴らには秘密の切り札がある」

「秘密の切り札、ですか?」

「毒弓だ。人でなく、竜に効くタイプの。私も初め耳を疑ったが、現に偵察組の竜が何体か被害を受けている。筋肉が痙攣してまともに飛べなくなる代物だ。今治療を受けさせているが、あの分だと当分飛べないだろうな」


 ははあ、それで竜舎の方も騒がしかったのだろう。ウィルは得心した。


 しかし、竜に効く毒というのは驚きだ。竜には人の毒は効かないし、並の劇物じゃびくともしない。今までドラゴンに有効な成分なんてものは殆ど発見されておらず、あったとしても量産が難しくて、軍事活用はされていなかったのだ。恐らくシルデンは、今度の戦いに備えて、密かに竜対策の科学研究を進めていたのだろう――……。


「テジュータの入場には激しい戦闘が伴うと予想される。ここまでならなんてことはない。多少の被害を覚悟で攻め入ればいい話なのだが、障害はそれだけでないのだ。我々の背後――つまり南東の森林に敵が潜んでいるという報が入った」

「……要するに、無理にテジュータに攻め入れば挟撃を喰らう恐れがあると」

「その通り。我々はテジュータ攻略の前に、背後の伏兵を討つ必要が出てきた。そこで、君の手を借りたい。聞けば君の黒竜、火炎弾を吐くというじゃないか。そいつで森を焼き払い、敵の隊列を崩してほしいのだ」

「なるほど、お話は理解しました」


 ウィルは困った。森を燃やして敵を炙り出すなど、造作のないことだ。しかし、多くの観衆の前でライムの力を使えば、また自分たちの知名度をあげてしまう。それで得るものがあるならまだしも、ライムの腹が満たされることはないし、寧ろ徒に体力を消耗させるだけだ。ザスティンの申し出は、ウィルにとってデメリットしか感じられないものだった。


「その仕事は、僕にしかできないのでしょうか」


 ザスティンは、その問いにふっと眉を顰めた。


「森に火を点けて突撃するだけなら、確かに誰でもできる。しかし、他でもない、国王陛下自身がそうすべきだとご勅命なされたのだ。陛下は、君を此度の戦争の立役者にしたいとお望みなのだよ」


 つまり、ウィルを英雄にしたいのだ。演出の裏にある細かい政治的意図など、ウィルには汲み取れない。だが、目立つ事それ自体を望まぬウィルにとっては、道具扱いに等しい不人情な処遇だった。


「失礼ながら、一つよろしいでしょうか」


 そこに、意外な人物が口を挟んだ。知らぬ間にウィルの隣に立っていた、鋭眼灰髪の美少年であった。


「この者は、今度の作戦に適任ではありません。彼らを矢面に立たせるのは得策でないと存じます」

「ほう、それはどうしてだ」


 ザスティンはイグルクの発言を無下にせず、真摯に取り合った。案外、懐の深い人物なのかもしれない。


「かの黒竜は、大規模な戦闘になると興奮状態に陥り、敵味方の見境なく襲い掛かります。此軍が多く伴う今度の戦いにおいては、大きなリスクが伴います」

「――それは本当か、ウィル少年」


 興奮状態。確かに、ライムは時として明らかな気分の高揚を見せる時がある。しかしそれは戦闘時でなく、大勢の竜と遭遇した時だ。砦の時も、民兵を攻撃した時も、ライムはいたって冷静だった。反対に、先ほど本隊と合流した時や、初めて訓練所のレースに臨んだ時は、甚だ平和な状況にも関わらずライムは鼻息を荒くしていたのである。


 しかし、そんな事実照合はどうでもよい。これは紛れもなく、イグルクからの助け舟だった。


「事実です。僕もその懸念があるために、ご依頼を快諾できずにいました」

「ふむ。だがそうなると君の活躍の機会が失われてしまうな」

「それでは、こうしたらどうでしょう。ウィル訓練兵には単独テジュータに突撃してもらい、街の守備兵の足止めをしてもらう。この任務でしたら、黒竜が暴走しても此軍に被害は及びません」


 イグルクは続いて、突拍子もない提案をした。自分とライムの利益だけを考えるウィルでさえ、思いも寄らない作戦だ。


「話を聞いていなかったのか?テジュータは要塞化しているのだぞ」

「それを一人で押さえ込むからこそ、英雄なのでしょう」


 ザスティンはしばし閉口した。やがて、ウィルを一瞥して問いを発した。


「ウィル少年、君の意志は?」


 単独での軍事行動。好都合に決まっている。ウィルとしては、この舟に乗らない手はなかった。


「それでしたら、何の不安もありません。可能とあらば、ぜひお引き受けさせて頂きたい所存です」

「……よろしい、ならば彼の意見を採用しよう」


 ウィル含め、その場に居た全員が驚き動揺した。まさかそんな軍事的大決定が、酒の場の隅っこで決まってしまうとは。ザスティンの様子を見るに、強ち冗談で言っている訳でもなさそうだった。


「だが一人で行かす訳にはいかない。砦の一件もあるからな」


 抜け目ないザスティンは、どさくさ紛れに鎌をかけた。しかし、ウィルの顔色に一切の変化はない。老人の試みは不発に終わった。


「となると、我々ジエン隊が同行するのでしょうか」


 お人好しの隊長が口を挟む。ザスティンは首を横に振って、それを否定した。


「君たちはだめだ。相手は竜に効く毒弓を持っているのだぞ。並の竜じゃ撃墜されてしまう。それより、おあつらえ向きの戦力があるじゃないか。竜に乗らず、戦死したところでどうでもいいものが」

「まさか……お言葉ですが司令官、彼らは我らの同胞。同じイザ人ですよ」

「国を捨てて他所に逃げた者など、イザの民にあらず。我々の勝利と栄光のために犠牲となるならば、その魂も少しは報われるだろう」


 ザスティンの有無を言わせぬ態度に、ジエンも押し黙る他なかった。部下への寛大さと、よそ者への冷徹さ。その二つを併せ持つのが、ザスティンという将官なのだ。


「ウィル少年、君もそれで異論ないな?」

「……はい、構いません」

「では、今作戦において特別部隊の編成を宣言する。目的はテジュータへの侵入および都市守備兵の陽動。隊長はウィル、君だ。配下の傭兵たちは君が直接指揮しろ。もう時間が残されていない。早速集会を開いて、作戦の旨を周知せよ」


 ウィルは非正規兵の身分でありながら、指揮官に任じられた。ライムの食糧の確保さえできればいいと考えていた出発時からは、想像だにできない大出世であった。


「ああ、それからこれを持っておくといい。テジュータの街内部の地図だ。捕虜としたメルセル商人が持参していたよ。愚かな奴らめ、これが敵に接収されてはならない軍事機密ということもわかってなかったようだ」


 日に焼けて色が濁っているが、厚みのある上等そうな紙切れを渡された。四つ折りを開いてみると、中に黒インクで詳細な街の俯瞰図が描かれている。街の内部に深く入り込むかはわからないが、これは役に立ちそうだ。


「傭兵たちに話を済ませたら、私の天幕まで来い。作戦の最終確認を行う。明日の朝にゆっくり話をしている時間はないだろうからな」


 ザスティンは自分の仕事をするために、参謀の天幕に戻っていった。あまりに冗談めいた出来事に、大人たちは一様に困惑している。経験の浅い少年兵たちの方が、却って冷静のようだった。


 ウィルは、不安げな顔色を隠せないジエンに、そっと語りかけた。


「大丈夫ですよ、隊長。彼らは殺させません。敵兵にも、勿論ライムにも」

「ウィル……」


 ウィルはそれから、野営地に到着したばかりのゲディたちと面会した。作戦の意図を正直に話したが、傭兵たちは臆する様子も、怒る素振りも見せなかった。


「決死の陽動作戦だって?面白そうじゃねえか」

「堅実な騎士さんたちには出来ねえ真似ってことだろ。ここは一つ、俺たちの力を見せつけてやろう。大将があんたなら、怖いもんなしだ」


 ウィルは既に、傭兵たちのスターになっていた。黒竜の騎士と共に戦うことは、彼らにとって名誉だった。ウィルの意向とあらば、それを否定する者は誰も居ない。


 部隊編成と大まかな作戦を取り決めて、その日は解散した。今宵は、長旅で疲れた体を癒すことに費やすのが肝要だった。


 宴会は早々にお開きになり、静寂が訪れた。大きな戦いの前夜。誰が何を語るでもなしに、兵営地には緊迫した空気が流れていた。


 寝つけぬウィルは、天幕の戸を開き、夜空を眺めていた。ユウェインの星が凛と輝いている。雪がその蒼光を反射して、辺りは夢幻のように明るかった。


 と、右奥の天幕から誰かが出てきた。小さな像だったが、得物の先端が鋭く輝いているのがわかる。こんな時間に武器を持って外に出る男を、ウィルは一人しか知らなかった。


「――またか」


 静かに尾行していたつもりだったのだが、途中で後ろ振り向かれ、気付かれてしまった。こんな行動ももう何度目かで、イグルク呆れた風にウィルを見ている。


「自主訓練でしょ?俺も付き合うよ。一人で槍を振るうのは張り合いがないだろう?」


 それならばと、イグルクは頷いた。二人は久方ぶりに矛を交えた。ウィルは自身大分成長したつもりだったが、イグルクも決して劣っていなかった。イザを発ってからもずっと、一人で腕を磨き続けていたのだろう。


「……で、本題は何だ?」


 しばらく槍を振るった後、イグルクはウィルに問いかけた。完全に下心を見透かされているらしい。


「君には隠し事ができないね。――礼が言いたかったんだ。君が口添えしてくれなきゃ、面倒な仕事に巻き込まれるところだった」

「それだけか?」


 イグルクは、あまりにも下らない話をするものだと、辟易しているようだった。急に気まずくなる。ウィルは寒気で口が塞がってしまう前に、どうにか話を繋いだ。


「――イグルク、君の本当の目的は何?」


 以前から疑問だったことを、思い切って口にしてみる。勿論、まともな返答が来るとは思っていないが。


「何度も同じことを言わせるな。俺はこの戦争で武勲をあげる。ただそれだけだ」

「それにはライムの力が必要だから、便宜を図ってくれているの?」

「そうだ」


 やはり、想定以上の言葉は引き出せなかった。ウィルはやむなく、その話を中断した。それで、次はもっとあてのない質問をした。


「――人を殺すのは悪いことかな」

「またそんな話か。やめろ。俺はその手の話が嫌いだ。考えても何の得にもならない」


 得。話というものは、損得勘定でするものだろうが。決してそんな風には思えなかったけれど、無闇に論を交える気にはなれず腑抜けた同意をした。


「……うん、そうだね。もう、あまり考えないようにするよ。俺にとって本当に大事なことは、一つだけだから」

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