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竜を駆るもの  作者: なろうなろう
第二章
11/33

洗礼②

 マグタンクを見送ったウィルは、ライムに元の場所へ帰るよう告げて、客人用の天幕に戻った。イグルクは既に起きだしていて、着替えを済ませたところだった。


「どこへ行っていた」

「教官を見送りに。もうパスティナへ発った」

「そうか」


 こんな会話でも、彼らにしては饒舌な方である。先日のレースを経て、少しは距離が縮まったのかもしれない。


「お前が出かけている間に、伝達役の兵が知らせてきた。半時後に朝礼をするから、全員集合だそうだ」

「どこで?」

「知らない。寝起きで虚ろだったから、聞き返せなかった」

「……」


 違う、虚ろだったのではない。機嫌が悪かったのだ。イグルクは決して朝が弱い訳ではないが、予定よりも早く起こされることを激しく嫌うのだ。以前朝方まで読書していた時に、うっかり物音を立てて、イグルクを起こしてしまった。その時のひどい不機嫌っぷりから、ウィルは彼の朝方の気性の荒さを、身を以て知っていた。


「適当に出よう。他の人についていけば、きっと朝礼の場に着くはずだ」

「ああ」


 二人は一緒に外へ出て、天幕だらけの野営地をほっつき歩いた。しかし、それらしき広場は見つからず、まだ早いためか、人の姿も殆どなかった。


「あっ、すいません」


 と、ウィルが天幕の角を曲がろうとしたところ、死角だった右手から人が現れて、ぶつかりそうになった。


 若い男。柔和な顔つきで、細身だが背はかなり高い。


「おっと、こちらこそ申し訳ない。――ん、君たち見ない顔だね」


 声色も穏やかだった。体勢を立て直すウィルの代わりに、イグルクが応答する。


「昨晩、ここに着きました。ダルネフ訓練所の者です」

「ああ、そうか!君たちがマグタンク教官の。俺はジエン。君たちと同じダルネフ出身の竜騎士だ」


 ジエンに続いて、ウィルとイグルクも名乗り申し上げる。それが済むと、ジエンは二人それぞれと軽やかな握手を交わした。


「君たちの面倒を見るよう、教官から仰せつかっているよ。可愛い後輩のためだ。何でも頼ってくれ」

「では、早速なのですが……」


 二人の情けない質問にも、ジエンはにこやかに応じた。朝礼は東側の高台で行われるという。なんだ、さっき教官を見送った場所ではないかと、ウィルは思った。


「兵営の者、特にダルネフ出身者たちの間では、君たちの話題で持ちきりだぜ。訓練課程を終えてない騎士が参戦を許可されるなんて、一体どんな大物が来るんだろうってな」


 皮肉のように聞こえたが、ジエンにはその意図はなかったようだ。こんな重圧ある台詞にも、二人は殆ど動じていなかった。イグルクは、自分には既に正騎士に劣らぬ実力があると信じていた。ウィルは、相棒の類稀な力を以てすれば、きっと十分に働けると想定していた。


 朝礼の場には、既にちらほらと人が集まり始めていた。ジエン曰く、所属部隊ごとに整列するらしい。


「僕らはどこに並べば?」

「君たちは特等席だ。司令官の隣」

「えっ」


 嘘や冗談ではないらしい。ウィルとイグルクは他の将兵たちに紹介されるため、司令官と共に隊列の前に立ち、皆と向き合わされるという。


 ジエンによって隊列の手前まで引き出されると、そこに丁度司令官――名はザスティンという――が現れた。


「おはようございます、司令官」

「おはよう。その者達は……さては、例のマグタンクの秘蔵っ子か」


 五十にも満たぬであろう初老の将官は、思いの外しわがれた聞き苦しい声を発した。ザスティンと言えば、数十年来イザの前線を支えてきた老練の騎士である。ウィルらもその名はよく知っていたが、実際に対面すると、その威厳に畏れを感じずには居られなかった。馴染み深い英雄騎士と初対面した時とは、心持ちが正反対である。


「君たちのことは今朝の朝礼で紹介する。居心地が悪いかもしれないが、私の隣で控えていてくれ」


 ウィルとイグルクは、なるべく明瞭に返事をし、その指示に従った。ジエンはすぐにその場を離れたため、司令官ザスティンの真横に二人だけで取り残された。取り立てて交わす言葉もなく、大変息苦しい。


 朝礼の時間が近づくと、途端に群集の密度が増大した。何も言わずとも整然と並び始めるのを見るに、軍の風紀は極めて良好のようだ。


 そのうちに、全ての兵士が集まったらしい。ザスティンは東の空を仰いで日の位置を確認すると、大きく咳払いをして話し始めた。まずは最近の戦況について口述する。それにはマグタンクらダルネフの騎士の動きも含まれていた。次いで、イザの理想と、それを標榜する国王を讃える言葉を声高に叫ぶ。ここまでは、恐らく毎日変わらぬ内容なのだろう。


 それが終わるとようやく、ウィルたちの紹介に移った。


「さて、今日は新しい仲間を紹介しよう。ダルネフの訓練生であるウィルとイグルクだ。彼らはまだ正規兵で無いながら、自ら志願してこの兵営にやってきた。きっとその行為に恥じぬ優れた技量を発揮してくれることだろう。彼らの働きに大きな期待を抱きたい!」


 重圧をかけるような言葉。何も知らぬ新兵に多大な期待を抱くなど、通常あり得ない。ウィルは即座に、自分たちは試されているのだと悟った。だからこそ一切動じずに、毅然とした態度で真っ直ぐに前を向き続ける。イグルクも、全く同じ姿勢を示した。


 なるほど、これはただの未熟者ではない。その場に居た騎士たちの多くにそう思わせることができただろう。真横から二人を盗み見るザスティンも、感心したように鼻息を漏らす。


 二人の簡素な挨拶が済まされると、解散が宣言される。騎士たちの整列は積み木を崩したかのように、忽ちバラバラになった。


 手持無沙汰になった二人は、その場で立ち呆けになる。人気が失われると、先ほどまで見逃していた薄ら寒さが殊更意識されて、俄かに肌がざわめき立つ。ウィルは試しに息を吐き出してみる。が、吐き出した呼気は透明なままで、的外れな意見をした時のようなきまりの悪さを覚えた。


 それを誤魔化すようにそっと流し目で隣を覗き込んでみるが、彼の瞳孔は一向に正面を見据えたままである。ウィルはなんだか負けたような気分になって、ちょっぴり悔しい気分になった。


 そんな風にウィルが独り想像を遊ばせている内に、人影が一つ迫り寄ってきた。先ほど顔を合わせた青年、ジエンだ。


「ご苦労様、二人とも堂々として立派だったよ」


 ジエンは二人の気持ちを慮って、労いの言葉を掛ける。


「ありがとうございます。ところで、僕らは誰の指示に従えばいいのでしょう」

「暫くは俺につき従ってくれればいい。君たちの所属は第二師団下第四小隊。その隊長がこの俺になる。隊のフルネームは長くて覚えづらいだろうから、ジエン隊と呼んでもらって構わないよ」


 つまり、ジエンはウィルらの直属の上官だ。気性の激しい人物の下に就かなくてよかったと、ウィルは少しだけ安堵した。


「朝礼の後は、何を行うのですか」

「一口に言ってしまえば、訓練だね。俺たちにはまだ出撃命令が出ないから、それ以外にすることが無いんだ。剣を交わしたり、竜を飛ばしたり……まあやってることは訓練所と大差ないよ。勿論、より実践的な内容ではあるけど」


 ジエンは話の途中で後ろを振り返り、少年たちの顔つきを訳ありげに窺い見る。それから、少し気まずそうに言葉を続けた。


「君たちにも訓練へ参加してもらうけど、他の連中には気を付けた方がいい……。悪い奴らじゃないんだが、司令官があんな風に言ったから、きっと君たちを試そうとしてくる」


 それは言われずとも察していた。あの老練熟達なザスティンが、プレッシャーを掛けるためだけにかのような言葉を放ったとは思えない。発言によって正騎士たちをけしかけ、新米兵の器を測らせるのが目的だったに違いないのだ。


 言葉を交わすうちに、一行はジエン隊の天幕の前に辿り着いた。他の隊の物と変わらない、真っ白い布製の小屋。配置は、ウィルたちが昨夜泊まった客人用天幕の三つ横隣だった。


 隊の天幕入り口正面には広々としたスペースがあり、騎士たちが武器を携えたまま体操や素振りに勤しんでいた。中には、既に立会いを始めている者の姿も見受けられる。厳格な統率の上でなされる訓練ではなさそうだが、個々人の主体性は極めて高そうである。


 さて、ウィルたちを視界に捉えた者たちの反応は様々であった。品定めをするように眺める者、口元を歪ませ不気味な笑みを浮かべる者、何も目に入っていないかのようにてんで無反応な者もある。多様性は豊かだが、概して新参者に少なからぬ興味を抱いてると言えよう。


 他方、ウィルが関心を向けたのは、先輩方の立会いの様子であった。保護のない鋭い刃を相手に向け、加減してるとは思える剛力で烈しく打ち合っている。文字通りの真剣勝負。なるほど、確かに訓練所のそれとは訳が違う。


「今日のところは、二人とも見学していてもらおうと思う。昨晩着いたばかりで疲れも取れていないだろうし、ここの訓練がどんなものなのか把握に努めてほしい」


 とジエンが口にした途端、立会い中の騎士の一人がおもむろに手を止め、ぐるんと体を捻じる。


「は?何をふざけた事を言ってるんだ?」


 悪人層の大男は、両手に構えた大槍を地面に突き刺し、その場で演説を始めた。


「一日目は見学だと、甘ったれるな。ここは保育所じゃないんだ。どんな経歴だろうが、軍営に身を投じたからには同じ一兵卒。そいつらにも立会いに参加してもらうってのが、当然の筋ってもんだ。それに、明日から嵐が来るって言うじゃねえか。今日訓練に加わらなきゃ、次の機会がいつになるのかもわかりゃしねえ」


 男の面には、奥に隠したつもりであろう下卑た笑みが透けて浮かび上がっている。理屈は通っているが、言動の本質は単なる挑発に過ぎない。幼いウィルとイグルクにも、それははっきりと知覚できた。


「落ち着けよ。こいつらは訓練所の課程さえ終えてないんだ。それを今すぐに実践的な打ち合いをさせようだなんて――」

「ジエン、別にお前から回答を引き出そうだなんて思っちゃいない。俺は本人の口から答えを聞きたいんだ。なあ、どうなんだ訓練生くん?」


 『訓練生』。侮辱だ。明らかに下に見ている。そもそも、矛盾している。つい先刻は一人前とみなすような発言をしておいて、次の瞬間には未熟者呼ばわりだなんて。


「二人とも、やつの挑発に乗らなくていいぞ。さっきも言った通り、彼らは君たちを試すつもりなんだ。ここで誘いを受けても、メリットなんて全くない」


 ジエンは必死で二人を宥めすかす。しかし、その言葉は一切の効力を持たなかった。


「やります。立会い、参加しますよ」

「ウィル!」


 ウィルが受諾を示すや否や、辺りは花火が弾けたかのように忽然とざわめき立った。下劣な笑い声が沸き起こり、甲高い口笛の音が吹きすさむ。


 ウィルはこうした場面に慣れているから、極めて憮然と振る舞う。が、却って傍目で見るイグルクの方は眉を顰めて嫌悪感を露わにしていた。


「……おい、あまり頭に血を昇らせるなよ」

「わかってる。俺は至って冷静だよ」


 ウィルは別に、挑発にいきり立った訳ではない。ただ、いずれこのように試される機会があるのなら、早い方がいいと思っただけだ。


「ようし、坊ちゃんの相手は俺が務めよう。随分と細い腕をしているが、槍は握れるのかな?」


 また下品な笑いが上がる。しかし、ウィルは依然動じない。何も反応を示さず、訓練用の槍を受け取り、淡々と戦いの準備を始める。


 それを見た小隊長は、諦めたようにため息を一つついた。


「止めても無駄か……。わかった、勝負を認めよう。その代わり審判は俺が務める。俺が止めといったら、双方直ちに武器を地面に置くこと。いいな?」

「わかりました」

「へいへい。それじゃあ早く始めようぜ」


 審判ジエンは、対照的な返事をした二人を定位置につかせる。それから再度戦闘準備の確認を取って、慇懃に「始め」の合図をした。


 反応はウィルの方が良かった。相手に一歩も動かせぬまま間合いを詰める。男はようやく脇を締めて至近距離の迎撃態勢をとったが、もう遅い。柄を長く持って、最大射程から左脇腹に突きをお見舞いする。


 無抵抗な物体を叩いた感触。確かによい手ごたえだった。しかし。


「おお、やるな。びっくりしたぜ」


 男に然したるダメージは無いようだった。槍を刺したといっても、厚い鎧の上から。打撃以外の損傷は一切与えられていない。どころか、隙を作ったのは寧ろウィルの方だった。


 ウィルは男の反応に怯み、体勢をやや崩した。その瞬間、右方向から長柄の槍が飛んできて、体を強かに薙ぎ払われる。


「ぐっ……」


 およそ体三つ分くらい吹き飛ばされた。受け身は取れたから、外傷は大したことない。しかし問題は追撃である。最速で体を起こしたものの、男は既に自身の射程圏内まで間合いを詰めていた。


「これ以上躱せるか!?」


 悪辣顔の男は、乱暴のままに槍を振り回す。技も術もあったものではない。まるっきり力任せだ。どうにか体勢を立て直したウィルは、それを一つずつ器用に受け流していく。見切るのは容易だった。だが、先手を取られてしまった事で、守勢から抜け出せずにいた。


「じれったい!」


 やがて痺れを切らしたらしい男が、不用意に両腕を大きく振り上げた。上体を守る刃ば消え失せた。まさしく隙だらけだ。


 それを見逃さなかったウィルは、ここぞとばかりに攻撃に転じた。体勢を低くし、突進の構え。狙いは胸。全身のうちで上に位置する部位を思いつき突いて、後方に押し倒してやろうと思ったのだ。


「甘いなお前は。目の前に餌をちらつかされると、飛びつかずにはいられない。まるで小さな餓鬼だ」

「な――」


 接触したと思った男との距離が、不意に拡大した。男の不用意な動きは誘いだったのだ。守備の堅いウィルを攻勢に回らせ、大きな隙を作るための――。


 打撃は頭頂部と腰を直撃する。ウィルはその場に倒れ込み、そのまま気絶するような形となった。


 ――強い。自分よりも遥かに。技術はともかく、腕力も経験値も、ずっと相手の方が上手だ。ここまで手も足も出ないのは、訓練所では経験したことがない。教官たちが本気を出す事は無かったし、イグルクとの差もそこまで圧倒的ではなかった。現職の騎士が全力を振るえば、ここまで強いものなのか……。


「止め!勝者はソドム。すぐに武器を置け」


 朦朧とする意識の中、ウィルは男の名前を聞き洩らさなかった。ソドム。それがこの男の名。よく、覚えておこう――。


 そのソドムは、ジエンと何か話をしているようだった。台詞はよく聞き取れないが、ジエンの声が少し怒気混じりに聞こえる。今の立会いの内容について、何か物申しているのだろうか。


 やや経って音声が明瞭になってくると、全く別の声が彼らの会話に参加していることに気が付いた。そして、その声の主が次のように言うのをはっきりと聞き取った。


「次は、俺の番だ」


 そうか、そりゃあそうだ。これは武術大会の試合じゃない。一つ立会いが終われば、すぐに次の立会いが始まる。それが道理だ。


「無理だ。ウィルはこの通り気を失って――」

「起きてます」


 ジエンの背後で密かに立ち上がったウィルは、再びその言葉を遮ってなるべく通りのよい声で言った。


「もう大丈夫です。次の方、お相手しましょう」


 よろめきもせず真っ直ぐ立ち上がり、次の対戦相手の目を見据えて言い放つ。その得体の知れぬ気迫に、観衆は暫し言葉を失った。


 今度の相手は先程とは打って変わって痩せ細っており、背もウィルよりいくらか低かった。ただし表情だけはソドムとそっくりである。気丈に起き上がったウィルを見たことで、更に好奇の色すら加わっていた。


 あくまで立会いの続行に反対するジエンは、無言の抗議を行う。しかし、ウィルが平気な面持ちで小さく頷くのを見て、結局次の試合を許可したのだった。


「決まりだな。ほら、受け取れ」


 痩身の男がウィルに向かって放り投げたのは、これまた身の細い一本の剣。手入れが行き届いているらしく、刃の先端がぎらぎらと輝いている。


「剣……?剣術をやるのですか」

「ああ。竜騎士だって、ひとたび竜を降りればただの軽装歩兵。剣を扱う技術も必要なんだよ。さあ、得物を持ち替えな。訓練所で握ったことくらいはあるだろう?」


 止む無く承諾して、足元に転がる剣を拾い上げる。普段用いる長槍よりもずっと軽い。振り回すのは楽そうだが、扱い方を間違えると、根元からぽきりと折れてしまいそうだ。


 わざわざ剣術の試合を持ちかけるからには、かの男、相当腕に自信があると思われる。だが、ウィルも剣術には心得があった。幼い頃に父から手ほどきを受けていたから、槍よりも長い期間振るってきたのである。


「……双方、準備はいいな?では始め!」


 二度目の開戦の合図。今度は相手に先手を取られた。素早くウィルの体側に回り込んだ男は、両手握りの剣を勢いよく振りかざした。


 ウィルも応戦する。腰を落として斬撃を剣で受け止めると、そのまま密着しての打ち合いになった。俊敏ではあるが、腕力は大したこともない。さっきのソドムよりも幾分やりやすいように感じられた。


(……見切れる。これなら、俺にも対処できそうだ)


 反応速度の面で、ウィルは相手を上回っていた。ウィルが正確に相手の攻撃をいなすのに対して、男はやや反応が遅れるために衝撃を受け流し切れていなかった。戦況は、次第にウィルの有利へと傾いていく。待っていれば、そのうち大きな隙ができるはずだ。


「上品な剣術だな」


 と思った矢先、男がふっと言葉を漏らした。かち合った剣を弾くと同時に、右脚で前方を蹴るような動きをする。足払いだ。


「うっ」


 全身のバランスを崩したウィルは、前に倒れ込もうとするのをどうにか堪え、横にのけぞるようにして距離をとった。


「――つっ……」


 汚いやり方。――いや、そうではない。恐らく彼は、ずっとこの方法で戦場を生き抜いてきたのだろう。戦地においては、殺すこと、そして生き残ることが全て。彼のやり方は、兵士として頗る正しいのだ……。


 その時、土を抉る鈍い裂音。ウィルのすぐ足元に、一人の騎士の身体が放り出された。騎士は捻ったらしい足首を押さえながら、よろよろと立ちあがる。その顔は、ウィルがよく見知ったものだった。


「大丈夫か……?」


 ウィルは同郷の騎士に手を差し伸べる。しかし、騎士はその手を掴もうとはしない。振り払おうともしない。まるで、それが目に映っていないかのように振る舞った。


 即座に、ウィルは理解した。これは彼の尊厳を踏みにじる行為に他ならない。真剣勝負に臨む者が外野から憐みを掛けられるのは、どれほどの屈辱だろう。野次を飛ばすより、実力を誹るより、ずっと罪深い。


 それがわかったからウィルは、もう二度と立会い中のイグルクに声を掛けようとはしなかった。たとい相手が、どれほどの傷を背負っていても。


「おい、訓練生。他所の立会いを気にしている場合か?こっちに集中しておくれよ」

「……ええ、わかっています。今に再開しましょう」


 立会いは日が落ちるまで続いた。本来適宜休憩を取るものだが、対戦の申し込みが絶えなかったウィルとイグルクは、ほとんど打ち合いしっぱなしになった。見かねたジエンが、途中で武器を木製のものに差し替えさせたが、それでも二人の身体はようようボロボロになっていた。




「――痛むか?」

「少し。でも大丈夫です」


 日暮れの天幕の中。ウィルはジエンの手当てを受けている。足技を何度もくらったせいで、足首に沢山の傷が出来てしまった。


「さてと、次はイグルクの方か。彼、少し近寄りがたいんだよな。常に怖い顔しているし」

「怖い……確かにそうですね。僕も、少し怖いです。未だに何を考えているのかよくわからない」


 ジエンはうんうんと頷く。二人はイグルクの印象を、大部分で共有していた。


「でも、そんなに悪い奴じゃないと思います。多分、僕たちがよく理解できていないだけ――」


 その夜に、嵐はやってきた。ごうごうと、風の唸る音が天幕の内部にもよく伝わる。雨はまだ降りだしていないが、そうなるのもきっと時間の問題だろう。


 ウィルたちは、未だ客人用の天幕に泊まっていた。ジエン隊の天幕に、二人のベッドが用意されていなかったからだ。ウィルはベッドの下の段で、持ち込んだ本を読んでいた。今宵は、消灯にうるさいイグルクが不在のため、気ままに本を読むことができる。しかし、彼はまたこんな嵐の夜にどこへ行ったのだろうか。


 そんな事を考えていたら、天幕の戸が大きな音を立てて開かれた。蒼く淡い光の中に、灰色の影が浮かび上がる。


「――付き合え」


 言葉はそれだけだったが、ウィルはその意味するところをすぐに察した。彼が、まだ土埃がついたままの甲冑を身に纏っていたからだ。


 ウィルの頭に、断ろうという選択肢は浮かばなかった。返答もせずに素早く支度をして、外に向かう寡黙なルームメイトについていった。


 着いたのは、朝礼を行った高台だった。草花に乗った水滴が、雲間から覗く蒼星の光を乱反射してうるさい地面を作っている。


 少年たちは、無言のまま槍を構える。まるでずっと前から示し合わせてきたかのように、二人の所作は呼応した。


 竜の双子を唸らせる蒼光の元、二つの槍が交叉する。始めにはそのぶつかり合う音しか聞こえなかったが、やがて騎士たちが息を切らすにつれ、虚勢を張るような声もこだました。


「全然駄目だな」

「――何が?」

「腰が据わってない。フットワークも滅茶苦茶だ。竜に乗りすぎて、地面の踏み方を忘れたか?」


 イグルクは、得意の皮肉交じりの言い方をする。普段は平然と受け流すウィルも、この時は疲れのためか、黙っておけなかった。


「君こそ、両手に力が入ってないよ。そんなに槍を握るのが怖いのかい?」

「なんだと――?」


 言い返した途端、俄かにイグルクの太刀筋が激しくなった。怒りを誘うのには十分だったようだ。


「訓練所でやり合った時の方が強かったな」

「偉そうだな。教官に認められて、もうエリート気取りか?そういう台詞は、せめて俺に勝ってから言え!」


 二人の立会いは夜を徹した。そしてまともな休眠も取らぬまま、翌日の訓練に出席する。新しい傷をいくつも作りながら、必死で槍を振るう。そうして日が沈むと、夜にはまた、二人きりで立会いをする。そんな生活が、何日も続いた。けれども、努力の甲斐も虚しく、そうすぐに成果は表れなかった。


「全然成長がねえな、お前ら。ちと期待外れだったか」


 ある日の立会いが終わった時、ソドムがぽつりと呟いた。二人はそれを聞き洩らさなかった。やはり、自分たちは試されている。そして、それに対して結果を出せていない。このままでは、軍から追い払われるかもしれない。


 二人は焦った。そして、より一層厳しく自分たちを追い詰めていった……。


 ウィルとイグルクが軍営に到着して十日後。そろそろ二人の心身は限界に達しようとしていた。だが、どちらも「特訓をやめよう」とは言い出さない。今更諦めを口にしたところで、相手を罵ろうとは思わない。けれど向こうが折れていない以上、自分からリタイアを申し出るのは己の誇りが許さなかったのだ。


 ただ、厳密に言えば、より意志が強固だったのは、イグルクの方であっただろう。


「……手を抜いているだろ」


 夜半の立会いの途中、唐突にイグルクは言った。


「――今、本気で槍を振るう訳にはいかない」

「どういう意味だ?」

「こんな疲れ果てた状態で思い切り力を出せば、相手に怪我をさせる!」


 イグルクの語気に気圧されぬよう、ウィルも怒鳴りつけるように返答する。けれど、それで向こうが怖気づくことはない。イグルクは却って、怒りを増したようだった。


「それがどうした!やれるものならやってみせろ!」


 イグルクは、ある限りの力で槍を振り払った。ウィルはそれを受け止めきれず、手に持った長槍が宙に放り出される。


「とっとと槍を取れ。殺すつもりで来い」


 イグルクの剣幕は凄まじい。何かに取りつかれたかのような、狂気じみたものを感じる。ウィルは仕方なく槍を握り直し、再び打ち合う。だが、はなから本気を出すつもりがないウィルでは、今のイグルクを抑えられるはずもなかった。何度も何度も、ウィルはイグルクの槍に敗れ、終いには地面に突っ伏したままになった。


 イグルクは尚も怒りが収まらぬ様子で、寝転がったままのウィルににじり寄る。


「おい、立て!まだ終わりにはしないぞ!」


 声が大きい。これでは天幕の者たちを起こしてしまうではないかと、ウィルはあらぬ懸念を催した。


「……『おい』、じゃない」

「何?」

「俺の名前は『おい』じゃない。ウィルだ。ちゃんと、名前で呼んでよ」


 イグルクはしばし沈黙した。表情には然程変化がなく、感情はなかなか読み取れない。


「この軍営に二人で残れたら、名で呼んでやる」

「そんなに、ここに残りたいのか」

「…………残らなきゃ、いけないんだ」


 なぜ?と問う前にイグルクは言葉を続けた。


「俺は戦争に行って、武勲をあげなきゃいけない。そうしなきゃ、竜騎士になった意味がないからだ」


 そこまで言わせるだけの何かが、イグルクにもある。ウィルはそれで納得して、心の内でもそれ以上の追及は止めた。


 そう、自分も必ず軍に残らなきゃいけない。ライムを生かすためには、それ以外の手法がないのだ。この思いを捻じ曲げる訳にはいかない。自分とイグルクは今、同じ状況下に置かれている――。


 ウィルは再び、本気で槍を交えようと決めた。そうすることが、彼の烈しい思いに対する義理だと思ったからだ。


「殺しにはいかない。でも、全力でやろう」


 二つの影はそれから、互いの感情をぶつけ合うように、無遠慮に矛を交え始めた。ここで怪我をしたのなら、そいつの覚悟が足りなかったということ。そんな暗黙の了解を共有していたのだろう。


 暫くの後、イグルクの槍が地面に転がった。その情熱に反して、握力は漸次低下していたのだった。


「――今日は、もうやめておこう」


 ウィルは、その横たわった血濡れの槍を見ながら、ぽつりと呟いた。


「……なぜ?」

「このまま続けたら、本当に二人とも死ぬ。訓練のための特訓で死ぬなんて、あまりにも馬鹿馬鹿しいだろう」


 イグルクは一瞬呆けたような表情を見せた後、口を結んだ。その口元があまりに苦しそうに動くから、きっと唇の裏で歯を食いしばっているのだと思われた。悔しいのだろう。己の無力さが、あまりにも、悔しいのだろう。


 天幕に戻ってからは一言も言葉を交わさなかった。着替えを終えて、寝支度の済んだ者からベッドに入る。どちらが先だったかもよく覚えていない。それくらい、濃い霞のかかった夜だった。


 地面に霜が降りた翌朝。『未熟な訓練生』の動きは、激変していた。


「そこまで!双方武器を置け!」


 いつもの立会い。次第に顔と名前が一致してきた先輩騎士たちと組み合う。正騎士たちもよっぽど暇なのか、相変わらず少年たちの試合には多くの観客が集まっている。ただ唯一普段と違うところは、今度勝ったのが傷だらけの新米兵たちであることだ。


「おい、訓練生に負けてどうすんだよ!」


 聴衆たちは、ばつが悪そうに槍を収める騎士を嘲笑する。彼の無様を卑しめているのだ。


「――違うな」

「ん、何がだい?」


 しかし、いくらかの騎士は違う反応を示した。初めにウィルと対戦した男、ソドムもそうだった。


「あいつら、昨日までと動きが違う。何か掴んだな」


 二人の特訓は、決して無駄な働きではなかった。けれど、今日に至るまであまりに休息を取らなかったがために、その成果を十分発揮することが出来ていなかったのである。


「おい、髪の長い方。名は何て言ったか?」


 ソドムは、少し離れた物陰の隅から、少年兵に語りかける。


「――ウィルです」

「ウィル、俺とやろう。本気で来い」

「はい。では、遠慮なく……」


 この勝負に、ウィルは勝利した。それは驚きと喝采を以て迎えられた。ウィルとイグルクがこの軍営に到着して十二日。ようやく二人は、配属部隊からの歓待を受けたのである。


「……イグルクも三勝四敗か。悪くない。昨日までとは別人のようだな」

「俺が言った通りだったろう?」

「お前は散々、期待外れだの言ってたじゃないか。ひどい掌返しだな、全く」


 そう語るジエンの口元は少し緩んでいた。後輩が成長していく様を見るのは、やはり喜ばしい。


「おや、またイグルクが立会いをするみたいだ。審判に行ってくる。ソドム、暫く備品の在庫確認を頼む」

「小隊長さまはお忙しそうだな。やっておくよ、さっさと行きな」


 ウィルたちはその後、めきめきと頭角を現していった。正規兵と完全に五分とまではいかないが、それに準ずる力がある。ジエン隊の面々も、次第に彼らを認めていった。


 南方パスティナからの報せが届いたのは、丁度その時分だった。


「皆、高台に集まれ!緊急集会だそうだ」


 八の月の終わり頃。訓練中をジエンに呼び止められた兵士たちが高台に赴くと、例によって司令官ザスティンが演説を開始する。どこか高揚した調子の老司令の言葉に、皆殊更傾聴する。その口から語られた内容は、まさしく驚くべきものだった。


「昨晩、パスティナ義勇軍から便りがあった。同軍は、連戦連勝。破竹の快進撃を続け、つい一昨日、敵対諸侯領全域を制圧完了したとのことだ」


 ――制圧完了?誰もが耳を疑った。小さな領邦と言っても、それはあくまで広大なパスティナ帝国の中での話。面積はイザ国土の十分の一ほどにもなる。


 遠征軍が本格的に動き出したのはわずか十四日前だ。そんな短期間の間では、敵地を制圧することはおろか、無抵抗の土地を横断するのさえ甚だ困難である。それをイザ軍は、迎え撃つ敵を蹴散らして制圧してみせたというのである。

一体どういうからくりか。答えは簡単。化け物の仕業である。


「現在、竜騎士隊が西端領邦の首都を制圧している。地上部隊は漸次進軍しているが、まだ道のり半ば程度であると報告を受けている。竜騎士隊は地上部隊が到着次第、わがシルデン遠征軍への合流を図る次第だ」


 さらりと言っているが、とんでもない事である。竜騎士隊は歩兵や騎兵を完全に置き去りにして、単独でパスティナ諸邦を制圧したことになる。


「やっぱりいかれてるぜ、あの人……」


 誰かがポツリと呟いた。言葉は悪いが、決して貶しているわけではない。賞賛、いや畏怖しているのである。ウィルは、親しい教官のことを頗る誇りに思う。


 ――十一年前の英雄は、この千年遷移を巡る戦いにおいても、紛うことなき英雄であった!


 その夜、幹部たちの会合が催され、迅速なる進撃開始が決議された。パスティナの大戦果が敵に漏れぬうちに奇襲をかけるのが、得策だと思われたからだ。一般の騎士たちにそれが周知されたのは、次の日の朝礼のことであった。

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