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竜を駆るもの  作者: なろうなろう
第二章
10/33

洗礼①

 ――人々は血を流す。大空に、赤い不死鳥を飛ばすために。あるいは、それを防ぐために。




「どうしてわたしを殺したの――」


 ウィルは、昨日レース中に聞いた声を思い起こしていた。一度そうすると決めた事だから、今更自分の行動を深く顧みようとは思わない。けれども、脳裏にこびりついた台詞は、なかなかどうしてそこから離れてくれなかった。


「おい、何をぼさっとしている。用が済んだなら、さっさと行くぞ」


 その夢中は、イグルクの呼び声によって醒まされた。今日は戦争に向けて旅立つ日。ウィルは、世話になった訓練所の者たちへの挨拶を終え、自室で最後の身支度をしていた。


「ごめん。イグルクは、もう皆とのお別れは済ませたの?」

「教官たちには昨日の内に話をしておいた。それ以外に声を掛けるべき者などいない」


 なるほど、確かにイグルクは訓練所内でいつも一人行動だ。それにしても、はっきりと割り切っているものだなあとウィルは感心を覚えた。


 ウィルにしても、友人が多かった訳ではない。ついこの間まで全方面から疎まれていたし、今だって必ずしも皆と良好な関係を築けている訳ではない。しかし、いざ別れを告げると、皆それを惜しんだり、祝ったり、何らかの好意的な反応を示してくれたことである。


 ただし、竜舎における報告の際には激しく困惑した。仕事に勤しんでいたはずの調竜師イナは、話を聞くなり人目も憚らないでウィルの両手を強く握りしめ、「必ず帰ってきてね。ずっと待っているから」と告げたのである。その場面は竜舎を訪れていた訓練生たちに目撃され、以降ウィルに対する態度は若干冷ややかになったのだった。


「さあ、行くぞ」


 イグルクの言葉で、回想は中断される。ウィルは深呼吸し、再度決意を新たにして、一年半慣れ親しんだ下宿を後にした。


 相棒をお迎えしたウィルとイグルクは、その足で訓練所の裏手に向かう。そこにはマグタンク含む数名の教官が、愛竜と共に佇んでいた。


「早かったじゃないか。もうお別れは済ませたのか?」


 二人が頷くと、マグタンクは事情を察したように含み笑いした。


「時に、ウィル。これを受け取りたまえ。出奔祝いというやつだ」


 そう言って、マグタンクは背中に預けていた大槍を引き抜き、ウィルの前に差し出した。柄はやや細身だが、随分な長さだ。ウィルの背丈の倍近くあろうか。槍の先端部は純金属製でなく、何らかの鉱物でできているようだ。翡翠色の結晶のような槍先は、複雑に光を反射して、宝石のように輝いている。


「――槍、ですか?」

「ああ。君は今の得物でも十分頑張っているが、その黒竜の体高から考えると、もっとリーチのある武器の方が、都合がいいだろう。少し重たいが、君なら使いこなせるはずだ」


 受け取ると、ずしりと重い。両肩だけでなく、体全体に重みがのしかかっているような、不思議な感覚を得た。


「立派な槍ですね。僕なんかが受け取ってもいいのでしょうか」

「その槍には持ち主がいないのだ。かつて私の友人が振るっていたのだが、そいつは既にこの世を去った」

「では、形見という事ですか?そんな大事なもの……」

「いや、その槍も埃っぽい部屋の片隅で眠っているより、戦地で暴れる方が本望だろう。どうか受け取ってくれまいか」


 さまで言われると、流石に断りきることはできなかった。ウィルは少々畏れ多く感じながらも、形見の大槍を力強く握りしめた。すると、掌に込めた力以上の反発力が働いているような不思議な感覚を得る。細く長い槍身のうちに、なにか特別な力が宿っているような気がしてならなかった。


 とその時、ウィルはある可能性に思い至った。もしやこの槍、マグタンクの戦友であった故英雄、ハイスの所有物ではあるまいか。肖像の中で彼の得物を幾度となく目にしたが、今自分が握る長槍はそれとよく似ている。切っ先の輝き、柄の長さ、あちこちについた生々しい傷跡――どれを取ってもそっくりである。


 ほんの一瞬の間に、予感は確信へと変遷した。自分は今、大変なものを手にしているのだ……。ウィルはついに己の持つものが恐ろしくなって、じっとりと心地の悪い手汗をかいた。注意深く握りしめていなければ、細い柄が手の内からすっぽ抜けてしまいそうである。


「さて、今度はイグルクの番だな」


 ウィルの反応に満足を得たらしいマグタンクは、体を向き直る。イグルクはなんだか嫌な予感がするという風に、顔をやや顰めていた。


「ウィルに祝い品を贈って、イグルクには何も渡さないというのは不公平だからな。君にはこれを用意した。受け取ってくれると嬉しい」


 マグタンクが差し出したのは、橙色に染められた毛糸の腹巻だった。


「シルデンの冬は冷える。これからの季節、高い空を飛ぶ竜騎士たちには必須アイテムだ」


 イグルクの表情は、明確に「要りません」と訴えていた。しかし上官の厚意を無為にする訳にはいかないので、口に出すのは憚られている。


「私もこの腹巻に何度も助けられたものだ。厳冬期のシルデン山脈の山越えに、北方諸島における長期滞在――。これがなければ、私はとうに凍え死にしていたかもしれん」


 しかも使用済みである。


「更に朗報だ。なんとこの腹巻、私の直筆サイン入りだ!」

「要りません」


 心の内に留めていた台詞が、ついに口を出てしまった。マグタンクは心底不思議そうな顔で暫く考え込んだ後、名推理を披露するかのような調子で言った。


「……イグルクは、青色が好きだったな?」

「色違いも欲していません」


 そう言われると、いよいよマグタンクはしょんぼりしてしまった。言葉には出さないが、両眉が悲壮なほど垂れ下がっている。心が痛んだウィルは、どうにかイグルクを説得し、やっとのことで腹巻を受け取らせた。


「ようし、では出発するぞ!目的地は西方、イザ西大平原。半日以上のフライトになるだろう。途中でバテないようにな!」


 急に元気である。訓練生二人は苦笑しながら相棒に跨り、尊敬すべき教官の後ろについた。空気が肌寒い。日が頂点に達するまでには、まだ時間があった。


 地表付近に、大小様々な風が沸き起こる。ダルネフ訓練所部隊は地上を発った。粗末な訓練所の建物群が、みるみるうちに小さくなる。何度も目にした光景だが、今度ばかりはいつ再びこの地に戻れるかわからない。あるいは、二度とこの地を踏めない者も居るだろう。それだけに、今日の景色は名残惜しく、もの悲しかった。 


 同行するのがウィルとイグルクだけに、教官たちも敢えて速度を緩めようとはしない。この二人なら自分たちの飛行について来られると確信しているのだ。


「緊張、してないみたいだな。肝が据わってやがる。俺たちが初めて戦争に行ったときは、体の震えが止まらなかったものだが」


 教官の一人が、ウィルに語りかけた。自らの戦争体験を詳細に述べ伝える。その語り口はさして上手とは言えなかったが、ウィルは興味深くそれを拝聴した。


「君たちは今度の戦争について、どれだけ理解しているかな」


 また別の教官は、この度の戦争――ひいては大陸数千年の歴史に横たわる因縁を語った。




 ――千年前、大陸全土に広がった王国・通称フィニクスの千年王国が崩壊し、大陸は多くの小勢力に分割された。およそ百年後、『パスティナ』と呼ばれる帝国が全土統一を成し遂げたが、その実態はいくつもの領邦が寄せ集まった連邦国家であり、国家基盤は脆弱なものだった。五十年も経たぬうちに大陸の北部で『シルデン聖国』が独立し、その後もいくつかの小国家がパスティナから別れた。さらに今から六百年前、シルデンからイザ王国が独立する。従って、イザは現存国家としては比較的若い部類に入る。


 さて、シルデン・イザ両国は大陸中央に南北に走る、シルデン山脈を国境としている。この険しい天然の要塞のために、両国の直接衝突はそう頻繁に起こらなかったが、国家間の緊張が緩むことはなかった。進歩的思想を自認する新興国家イザは、経済面・文化面・社会制度面、あらゆる次元において新しい色彩を打ち出した。その施策は、「大いなる自由」という言葉に象徴される。反面シルデンは極めて保守的で、旧来の貴族たちが未だ権威をふるう封建的国家である。


 この思想的相違故に争ってきた両国であったが、今度の戦いにおいてもそれは例外ではない。シルデンは、イザが求める幸福の千年再生への協力を拒んだ。それは国内に跋扈する新興勢力メルセル商団の顔色を窺ってのことだった。


 シルデンは腐敗している。民の事を一切考えていない。正義はイザに有り!これがイザ政府および軍隊の名分である。


 とは言っても、千年遷移に関する協力を拒んだだけで直ちに開戦するのは困難だった。現状著しい損害を被ったわけでもないイザがシルデンへ攻め込めば、国内外から非難の声が噴出するだろう。そうなれば、開戦後に多くの不利な状況が予想される。


 そこでイザは、まず周辺国と軍事的同盟関係を築こうと考えた。白羽の矢が立ったのは、パスティナ北部の領邦同盟だ。彼らは、北部自由同盟と通称される。イザと国境を接するかの地は、古くからイザ人との交流が盛んで、その影響を多分に受けていた。それだけに、在郷商人を駆逐しようとするメルセル商団に強い反感を覚えていた。


 そんな中、北部自由同盟中の一領邦・ディアン辺境伯領が、メルセルの不正を告発し、その拘束に動く。いち早く危険を察知した商団の構成員たちは、隣接する同盟外の領邦に逃げ込んだ。亡命先の領邦・ロアーズ侯爵領は親シルデン派で、メルセルの活動にも寛容だった。ディアン辺境伯は即座に亡命者の引き渡しを要求したが、先方はそれを拒否。ディアンがロアーズに攻め込む形で、戦争が勃発した。


 イザはこの戦において、ディアン辺境伯に軍事協力するつもりだ。と言っても、パスティナ国内の紛争に、堂々と参戦することはできない。イザ軍はあくまで義勇兵を名乗り、戦争に介入するつもりである。


 うまく事を運ぶことができれば、シルデン戦において北部自由同盟の協力を得られる他、パスティナ領内を経由したシルデンへの進軍路を確保できる。前述したようにイザとシルデンの国境には険しい山々が聳えているから、歩兵や騎馬が越境を遂げるのはそう容易くない。しかし南の平地を経由すれば、比較的楽に敵地に侵入することが可能なのである。


 マグタンクはじめダルネフの教官たちは、この前哨戦とも言える戦いへの参入を求められていた。遥か東にあるイザの都から竜騎士を派遣するよりも、地理的に都合がいいからである……。


「――と、すまない。歴史の授業みたいになってしまったな。こんな時でも教職癖が抜けなくて困る」

「いえ、為になりました。歴史の時間では、近年の国際関係までなかなか触れてくれませんから」


 ウィルは実際、こういった話を聞くのが好きである。イグルクも話に耳を貸しているようだが、変わらぬ仏頂面で、何を思っているのかは測れない。


 昼過ぎ、普段見慣れぬ山々の景色が訪れた頃。マグタンク以外の教官たちは南へ舵を取り、ウィルたちと別れた。南方のパスティナ領邦へ向かうためである。マグタンクも件の戦に臨む予定だが、その前に大本営に赴いて、今後の作戦について直接話を聞く段取りになっていた。


 三人の飛行になると、途端に話し声が少なくなった。マグタンクは決して無口ではないのだが、訓練生二人が必要なこと以外話そうとしないため、必然的に場は静まるのである。


 やがて、日が傾いた。西に沈みゆく紅の熱球は、自らの発する光を全方向に広げていて、空は生き血をこぼしたようなおどろおどろしい表情をつくっていた。


「二人とも、疲れていないか?」


 マグタンクがこの台詞を吐くのは、今日だけで何度目だろうか。ウィルは「大丈夫です」と答え、イグルクは無言で首を横に振った。会話のぎこちなさは、この先に待ち受けるものへの不安によって、一層拍車がかかっていた。


 三騎は目的地上空に到達したのは、その日の夜半のことだった。今日は蒼い星が出ていないから地表付近は真っ暗であるが、マグタンクはしっかり地上の天幕の姿を捉えた。


 地面に降り立つと、なんだか足元が浮ついて落ち着かなかった。ウィルやイグルクがこう長時間飛び続けたのは初めてだったため、その感覚すらも新鮮だった。


 若い二人が関節を伸ばす中、マグタンクは何事も無かったかのようにすたすたと歩き出し、付近に見留めた夜警の衛兵に声を掛けに行った。


「やあ、今しがた到着した。ダルネフ訓練所のマグタンクだ」

「これは将軍閣下!長旅お疲れ様です。皆あなたのご到着をお待ちしておりました!」


 若い衛兵は畏まって述べる。マグタンクがいかに大きな存在か、改めて思い知らされる。


「司令官殿はおやすみか?」

「いえ、今晩中に将軍が到着なさると聞いて、まだ床につかずにいらっしゃいます。ご案内いたしましょう」

「それはありがたい。だがその前に、客人用の休み処に案内してくれないかな。教え子たちを休ませたいのだ。それから、竜の預かり場所も知りたい」

「それでしたら……」


 マグタンクの計らいによって、ウィルたちはすぐに寝床へと通された。他とは違う朱色染めの大きな天幕で、ウィルはそこに入るのに気後れを感じた。


「私は君たちの竜を預けがてら、司令官殿の元へ行ってくる。先に休んでいてくれたまえ。私の自室という訳ではないから、何のもてなしもできんが」


 それだけ告げて、マグタンクは天幕を出て行った。ドラゴンたちは、マグタンクに一時預ける運びとなってしまった。ウィルとてライムから目を離すのは好まなかったが、変に特別待遇を求めて、余計な疑いをかけられるわけにもいかなかったのである。


 さて、天幕の中は仕切りのない大きな空間。床全体に蔓模様の絨毯が敷かれていて、天井中央からは、上品な硝子造りのガス灯が垂れ下がっている。外周を取り囲むように武器の立てかけや調度品が所狭しと並んでいて、左右の壁際にはサイズの大きな二段ベッドが三つずつ並んでいた。この天幕には、いっぺんに十二人が泊まれる計算だ。


 今は他に泊まる者も無いが、この後に誰かが訪ねてくるかもしれない。よって二人は、一つの二段ベッドを共有することに決めた。


「イグルク、どっちの――」

「寝る。明日にしろ」


 イグルクはウィルの言葉を遮って、そそくさと床についてしまった。上段・下段、どっちに寝るのか聞こうと思ったのに。イグルクは無言で上段を選んでいた。訓練所ではウィルが上だったから、密かに憧れていたのだろうか。


 ウィルも、装備を外した後、すぐに横になった。疲労のためか、思いの外すんなりと眠りにつくことができた。夢は見なかった。ここのところ珍しい、深い眠りだった。




 明くる日、張り詰めるような空気の冷たさでウィルは目を覚ました。天幕の中はほんのりと明るく、少し体を起こすと、布戸の入り口から細い光が一筋差し込んでいるのが見えた。光の具合から見るに、まだ日が昇って間もない頃だろう。もう一度眠ろうかと思ったが、不思議と目が冴えていた。外からは鳥の声とも虫の声ともつかぬ、囁くような鳴き声が聞こえてくる。薄暗い室内と相まって、あの戸の外側は別世界であるかのような錯覚を覚えた。


 ウィルはベッドから静かに這い出た。イグルクは、まだ眠っているようだ。起こさぬように、慎重に表へ出よう……。


 外は思ったよりも明るかった。けれども陽が眩しいということはなく、空気の粒がそれぞれに光を内包しているかのように、穏やかな明かりが辺りに充満していた。


 草木を丁寧に刈り取られた土色の平地に、白色の天幕が沢山並んでいた。その数は二百、いや三百はあろうか。一つの天幕に何人控えているのかわからないが、少なく見積もっても千以上の兵がこの場に居るだろう。そして、その殆どがウィルたちと同じ、竜騎士であるはずだ。


 ウィルはまだ見ぬ同胞たちの姿を想像しながら、静かな軍営地を歩き回った。が、天幕が決して広くない間隔でひしめいているので、全体像を把握するには見通しが悪すぎた。そこで、東側に少し歩いた先にある高台に向かった。高台と言っても、階段を置けば三、四段で済みそうな、ごく短い坂を昇っただけの場所だが。


「おや、ウィルではないか」


 そこにはマグタンクと、愛竜カーネリアンの姿があった。強い既視感を覚える。彼はこうして、見知らぬ場所に一人佇むようにして誰かを待つのが得意なのだろうか。


「今朝は早いんですね」

「これから出発するのだ。パスティナで待つ仲間たちのために、一刻も早く向こうに着きたいからな」


 ということは、司令官との談話は昨晩中に全て済ませたのだろう。大変仕事が早いものだと、ウィルは恐縮した。しかしそれだと、殆ど休息を取っていないはずだ。ウィルはマグタンクの体調を心配したが、隈一つない生々たる顔つきを見るに、それは杞憂のようだった。


「あの、一つ聞いてもよろしいでしょうか」

「うむ、何だ」

「一昨日のレース。ビシュレーの麓の荒れ地を、教官は大声を出しながら通過してらっしゃいましたね。それはつまり、人を苛ませるような声が聞こえていたという事。教官にも、何か後ろめたく思われるような事情がお有りなのでしょうか」

「いいことに気が付くな。その通り。私には後ろめたい事情がある」


 マグタンクは暗い話題に似つかわしくない、不敵な笑みを以て返答した。


「私はかつて、親友を殺した」

「えっ――?」

「と言っても、自ら手を下したという意味ではない。友を助けられたかもしれないのに、見殺しにしてしまったという意味だ」

「……」


 ウィルは黙って言葉の続きを待った。マグタンクは、南方の山々の景色を見つめたままである。


「私の友は、仲間内で、いや軍の中で最も優れた竜騎士だった。それだけに色々と無茶な作戦を敢行したし、またそういう指令が出れば必ず遂行していた。かの北方戦争。私と友も出陣に及んだ。友は目覚ましい活躍を見せた。戦が終われば、中将以上への昇進は間違いないと噂されていたな。だが、その末期でとんでもない指令が出た。『たった一人で敵大軍が待ち受ける砦に進撃し、これを制圧せよ』と。こんな無茶な指令が出されたのは、件の砦に司令官の弟将校が囚われていたからだった。同時期に敵本隊との全面衝突が予測されていたイザ軍は、そうする以外の手だてをとれなかったのだ。私はひどく心配した。いくら奴が強いと言っても、敵の大軍ど真ん中に単騎で乗り込み、無事で居られるはずがない。だが、周りの反応はそうではなかった。奴は天才だ。誰にも負けぬ、最強の騎士だ。今度の作戦も、きっとやり遂げられるだろう、と。本人も自身たっぷりで、まるで心配のないようだった。結局私はそれらの意見に押されて、自分の懸念を口にすることができなかった。奴はそのまま、砦に一人で特攻した」

「それで、どうなったのですか?」

「砦は壊滅した。敵兵はほぼ戦闘不能状態で、建物自体も守備機能を失い切っていた。人質も、無事に保護された。作戦は成功したんだ。だが、奴は――わが友は戻ってこなかった。遺体や竜は行方知れずだったが、その足の指と、奴のものと思しき大量の血痕が見つかった。――奴は、死んだのだ」

「もしかして、そのご友人というのは……」

「ハイス。北方戦争のもう一人の英雄。軍と親友によって殺された、悲しき竜騎士の名だ」


 ウィルの予想していた通りの名が出た。竜を駆る全てのものが憧れる騎士の名。ただしその死に様は広く伝わっていない。まこと世間に知られていない、隠されし歴史である。


「私は今でもあの時の自分を悔いている。もし一言でも助言してやれば、あるいは私自身が応援に駆け付けてやれば、結果は違ったかもしれん。例の精霊の声は、そんな私の暗部を抉ってくるのだよ」

「そうだったのですね……」


 ウィルは掛ける言葉に迷っていた。英雄ハイスが戦死したこと、マグタンクと友人関係にあったことはよく知っていた。しかし、彼の死の背景や、それがマグタンクを苦しめていようことは、夢にも想像していなかったのだ。


「戦いの前に、こんな話はよくないな。気を取り直そう。ウィル、竜に乗れ!」

「えっ?」


 突然の転換に戸惑う。そもそも、ウィルは今ライムを連れていない。


「ドラゴンならば、君が来てほしいと願えば来るはずだ。君たちはそういう風にできている」

「……わかりました」


 荒唐無稽な話だが、試しもせず否定する訳にはいかない。抗弁もせず、ひとまず言われた通りに念じてみる。


 ――ライム、来てくれ。俺は今、お前が必要だ。空に、つれていってほしい。


 ……すると。


「オオオオッ」


 背後から威勢の良い咆哮が響いた。念じてから幾ばくの時も無かった。まるでずっと、舞台裏で控えていたかのようだ。


「な、本当に来ただろう?」

「は、はい」


 思えばいつもそうだった。初めてレースに臨んだ時も、サームを探しに行こうとした時も、ハジュで倒れた時も。意識しているか否か関係なく、どこかでその力を必要としているときに、必ず駆けつけてくれる。どういった理屈かはわからないが、確かに『そういう風にできている』みたいだ。


 ウィルは寝巻のままライムの背を跨いだ。師の乗るカーネリアンの腹を仰ぎながら、上空へと昇っていく。


 マグタンクはそう高くない地点で、停留していた。ウィルが同じ高さに着いたのを見ると、自身が向かう南の方向を指差した。


「ウィル、あの山の頂にあるものが見えるか」


 その先にあるは、この地より北方から連綿と続くシルデン山脈の最南端、そこに聳える大陸で最も高い山岳。朝靄で薄ぼけたその頂には、辛うじて、曲線と直線から成る人工的な輪郭が見て取れる。


「大陸最高峰、エルドレイク。あの山の頂上には、かつて千年王国の都が栄えていた」


 千年王国の都。歴史書の中でその言葉を目にした時には、半ばおとぎ話の産物に思われた。しかしこうして実際にその痕跡を見ると、否が応でもその現実性を意識させられる。


「大きな塔が立っていますね。今の時代に、あんなものはない」

「興味深いだろう。この光景を目の当たりにすると、誰もがあの都に思いを馳せる。だが、実際にかの地に到達した者は居ない。山の頂上付近には得体の知れぬ瘴気が立ち込めていて、人が近づくことは叶わぬのだ」


 マグタンクは、強い憧れを隠さぬ口ぶりで言った。


「昔の人は、どうしてあの場所に留まれたのでしょう」

「さあ、千年前は瘴気が出ていなかったのかもしれないし、あるいはそれを無効化する術があったのかもしれん。あの時代には精霊たちが数々の奇跡を起こしたとも聞くからな」

「教官は、それらの伝説を信じておいでですか」

「いや、私は自分の目で見た物以外は確信しない。例えば、あの都の周りをフィニクスが飛び回っていたという言い伝えがある。フィニクスは体長十尺に及ぶ大鳥であると言うが、今の我々の常識からすると、到底信じられないいものだ。もしかしたらフィニクスという存在は作り話かもしれないし、一種の大型ドラゴンであったと考える者も居る。残念ながら、我々にはその真偽を確かめる術はない。よって、あくまでそういう可能性もあると心に留めておくだけだ」


 フィニクスがドラゴン。それもあり得る話かもしれない。サラマンドラはライム、すなわち黒色の巨竜である。ならば、それと対をなすフィニクスも、体の大きな飛竜と考えて然るべきだ。フィニクスは紅い炎を操るというから、カーネリアンのような鮮やかな朱色の鱗を持ち合わせているかもしれない。無論、ライムがサラマンドラであるという仮説が正しいとすればの話であるが……。


「我々はあの千年王国の栄光をもう一度取り戻すために闘う。それがイザの大義であり、兵たちが血を流す理由だ。ウィル、よく覚えておけ。騎士が戦地にあっては、必ず胸に大義を抱えてなければならない。そうでなければ、我々はただの人殺しに過ぎない」


 マグタンクの表情に、いつもの微笑はなかった。それは教官としてではなく、戦場の先達者としての言葉であると、ウィルは受け取った。


「では、ここを発つ。すまないが、イグルクに伝えてくれないか。――愛しているとな!」


 カーネリアンに跨りそう言い放つ時には、いつもの面持ちに戻っていた。おどけているようで頼りがいのある、敬愛すべき教官の顔に。


 ただしウィルは、名状しがたい気恥ずかしさによって、イグルクにその言葉を伝えることができなかった。それは生涯、ウィルの後悔の種になった。

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