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竜を駆るもの  作者: なろうなろう
第一章
1/33

dragoons

 ――少年は訓練所で唯一の、竜に乗れない者である。




「そら、もっと高度を上げておくれ。この高さじゃ、皆に置いていかれちゃうだろ」

「もたもたすんなよ!俺の相棒はせっかちなんだ」


 ダルネフ竜騎士訓練所の空に、若き声が響き渡る。少年たちが乗りこなすは、固い鱗に大翼を備えたドラゴン。彼らは皆、王国イザの要たる『竜騎士』になることを嘱望される者たちだ。隣国との緊張状態が続くイザでは、若い竜騎士の養成がとりわけ急務とされており、日夜熱心な指導が行われている。


「またあの白竜に先を越されちまうぞ!」


 少年たちは己の乗る竜を操りながら、しきりにお互い声を掛け合っている。数人のチームを組んで行う、集団飛行訓練の真っ最中だ。


 その様子を、地上の丘でじっと眺めている少年があった。林檎の木の下、少し青みがかった暗い髪の合間に、淡い赤色の瞳が覗く。名はウィル。兵舎で唯一の、竜に乗ることができない訓練生である。


 竜に乗れないとは言うが、操縦技術が拙いという意味ではない。ウィルは、竜に嫌われているのだ。背に跨らんとすれば、尻尾や翼で振り払われてしまう。どうにかうまく乗り込めたかと思えば、次の瞬間には体を強く揺すられて振り落とされてしまう。とにかく、何らかの形で騎乗を拒絶されてしまうという始末なのだ。


 さて、ドラゴンに騎乗できるのは、竜と双子の関係にある者――通称、ドラゴンボーンと呼ばれる存在だけである。双子と言っても、同時に一つの母胎から産まれたという訳ではなく、魂を分け合った存在という意味だ。


 凡そ全てのドラゴンボーンには、それを指し示す明確な証が、体のどこかに刻まれている。上空を駆ける少年たちの素肌から見え隠れしている、万年筆で引っ掻いたような独特の幾何学紋様。暗色だが、仄かに青みがかったこの奇妙な紋様こそ、ドラゴンボーンの証だ。当然ながら、ダルネフ訓練所に所属する全ての青少年は、件の紋様を体のどこかに宿している。ある者は手の甲。ある者は右の頬。またある者は左のふくらはぎ、と言った具合に。


 ウィルも、この紋様を首の付け根の右側に持っていた。だから、彼が訓練所に居ることは何ら見当違いではないのである。


「おい、見ろよ。ウィルの奴、またあんなとこに居るぜ」

「本当だ。おーい、悔しかったらここまで飛んできてみろよ!」


 上空から、地上には届かない嘲りの声。余所見がちな訓練所の問題児たちは、遥か下方の光景に目を向けては、幼稚な笑いの種を探している。


 ――少年ウィルは、他の訓練生たちに蔑まれていた。竜に乗る力を持たないせい……だけではない。ウィルは、竜乗り以外の才覚には大変優れていた。学業、武術、芸術、実戦演習に至るまで、訓練所で一、二を争う好成績を収めており、教官たちからの評価は抜群である。加えて言えば、その容姿も類稀な美しさで、訓練所に出入りする女性たちを数多虜にしている。これだけ恵まれた素養を持ち合わせていれば、周囲から激しくやっかまれることは必然であろう……。


 特段の異常もないまま、訓練は進行していった。若い竜騎士たちが飛び去った空には、薄灰色の雲がいくつか残るばかりである。ウィルは文字通りの虚空を見つめながら、特に何か思い馳せることもなく、ただ時間が流れるのを待っていた。


 やがて、訓練を終えた一団が、地上の草原に舞い戻ってきた。数十のドラゴンが一斉に地上へ足を着けると、その翼が紡ぎだす烈風が、草原に幾重もの円状波を巻き起こす。ウィルはなんとなく、その光景を見るのが好きだった。風の動きを見るのが楽しみなのか、訓練が終わってほっとしているのかは、本人でさえ定かでないけれど。


 足場を固定する留め具を外して、少年たちはひょいと竜の背から飛び降りる。小柄な竜が屈んでも、その体高は大人の背よりも優に高いというのに、まるでへっちゃらの様子だ。訓練所に入所して一年以上が経つ少年たちは、すっかり竜騎士の振る舞いが板についている。


 少年たちの多くは、自身の乗ったドラゴンを連れ、兵舎の建物の方向へ歩いていく。今日の訓練はもう終わりだから、後は引き上げるのみである。


 ところが、その集団から外れて別の方向へ歩く訓練生の一味がある。彼らの足が向いているのは、林檎の木が立つ丘の頂上。竜に乗れない少年ウィルの、見学地点だ。


「よお、ウィル。今日もそんなとこでお留守番で、楽しかったか?」


 木の下で座り込むウィルの前に立ち塞がって問いかけるのは、いがぐり頭の細い目をした少年。ウィルをとりわけやっかむ少年四人組の、リーダー格である。


 ウィルは、片膝を曲げて、やおら立ち上がる。背はその場に居る誰よりも高い。だから、いがぐり頭の後ろに隠れている下っ端たちの顔も、よく見渡せる。その面持ちは、いつもと変わらぬ、下卑た意地汚い様相。もうすっかり見慣れた彼らの感情を眼前にして、ウィルは恐ろしく淡々とした調子で応答する。


「うん。皆、先週の時よりもずっとうまく飛べていたからね。見ていて楽しかったよ」

「――ふん、そういう澄ました態度が一番むかつくんだよ。本当は惨めで仕方ないんだろ、自分だけ空を飛べずに、地面にすわりこんでいるのが!」


 ウィルの態度は、却って少年たちの嗜虐心を逆撫でする。これも、毎週のように繰り返されるお馴染みのやり取りだ。だが、今日のいがぐり頭たちは、更なる追撃の手札を用意していた。


「どうせお前の印は偽物なんだろ?本当は、訓練所に居る資格なんて無いんだ。さっさと白状しちまえよ!」


 ウィルの瞳の色が変わった。簡単に受け流せないのは、それを自らの心の奥底で暗に意識してしまっているからだ。


 それでも、偽物の筈がない、とウィルは思う。ドラゴンボーンの印は、日中こそ黒に近い青紫色だが、夜になれば一度見たら忘れられない程の、強烈な蒼い光を放つ。それは空の色とも海の色とも違う、決して人の手で作り出せない代物だ。ウィルの印もまた、他の者と同じ、幻想的な蒼い眩さを纏う。


 しかしだからこそ、ウィルが竜に拒絶される理由は、誰にも合理的に説明できなかった。印が本物なら、竜と心を通わせて、親しく接することができるはずなのに。その大きな体躯を乗りこなし、大空を駆ることができるはずなのに。それが、どうしてだができない。


 ――と言っても、ウィルには一つだけ心当たりがあった。


 ウィルは幼い頃、小さな雛鳥を飼っていた。身内の不幸の直後に、怪我をして地面に横たわっているのを見つけて拾い上げたのだった。可愛らしい名前をつけ、餌をあげて、一日中つきっきりでお世話をした。ウィルにとってその雛鳥は、失った家族の代わりとも言える、かけがえのない存在だった。だが、その様子を気味悪がった母親に、雛鳥を捨てるよう命じられた。肉親に逆らうことを知らぬウィルは、唯々諾々とそれに従う他なかったが、今でも当時の行いを悔いている。


 鳥と竜の雛は、容姿がとても似ているという。もしかしてあの雛は竜の子どもだったのではないか。そしてそれを捨てたがために、ドラゴンボーンでありながら竜に嫌われているのではないか。


 ……と、ウィルは心中推し測っている。勿論それは、単なる憶測、あるいは妄想の域を出ないものであるが。


「おい、そこ何をしている。もう今日の訓練は終わりだ、早く竜を返しに行けっ」


 話し込む少年たちの少し遠くから、勇ましく野太い青年教官の声。丘の上でウィルたちが話し込むのを見つけて、停留をたしなめたのだった。


 いがぐり頭たちは「はーい」とやや間延びした返事をしてそれに従った。背丈がばらばらの四つの影が、ゆっくりと丘の斜面を下っていく。


「や、待て」


 ウィルも黙ってそれに続こうとする。が、俄かに教官に呼び止められた。


「また、彼らに何か言われたのか?」

「――いえ、大したことは言われていません。ご心配ありがとうございます」

「ふむ。竜に乗れないことに悩む気持ちはあるだろうが、あまり気負いする必要はないぞ。君には勉学の才能がある。たとえ竜騎士の道が難しくとも、きっとよい形で仕官できるだろう!」


 力強い口調でウィルを労うこの教官は、マグタンクという。彼はダルネフ訓練所軍事科の主任教官で、その竹を割ったような性格から、訓練所では一種の有名人となっている。


「ところで、例の転学の件、考えてくれたか」

「ああ、都の士官学校の話ですか。すみませんが、その話は……」


 前々から、よその士官学校に移って勉強するよう勧められていた。無理に竜騎士を目指すのではなく、勉学の才を存分に活かせる場所の方が為になるだろうという、マグタンクの計らいだった。


 しかし、ウィルにはそのつもりは更々無かった。彼にはどうしても、竜騎士になりたい理由があった。


 幼い頃のウィルの憧れは、竜騎士である父だった。取り立てて素晴らしい功績をあげたわけでもない。飛行技術がずば抜けているわけでもない。それでも、国家直属の竜騎士として大空を駆る父の姿は、紛れもなく英雄であった。


 父のようになりたい。大きな飛竜の背に乗って、あの空を駆け抜けたい。その思いは、身の丈が伸びても決して変わることはなかった。


「――そうか、わかった。しかし、もし気が変わったら言ってくれ。君が最大限の利益を得られるよう、全力で支援しよう!」


 提案が断られても、マグタンクは嫌な顔一つしなかった。そもそも、ウィルは彼がそんな顔するのを見たことがなかった。この主任教官は、人前で負の感情を露わにすることを滅多にしない。


 マグタンクとウィルは、二人連れだって竜舎の方へ歩を進めた。竜舎は文字通り厩舎のドラゴン版で、普段役目が無いときの竜はここで飼われている。大型の竜も搬入できるように天井の高い造りになっていて、隣の人間用の兵舎よりも背が高い。そのため、来客があると、大抵先に竜舎の方を訪れるなどという笑い話まである。


「お疲れ様。今日は結構スピード出てたね、凄かったよ!」


 舎内に足を踏み入れると、ドラゴンたちの吐息やうなり声と共に、透き通る女性の声が響いた。調竜師の少女、イナの声だ。


 調竜師は竜のお世話をする職業。食事や体調管理の他、訓練中のパフォーマンスの記録等も担っている。竜と接する職だから、無論ドラゴンボーン以外が就くことはない。また、その多くは女性である。


 少年たちは順番に、自分の乗ったドラゴンをイナに引き渡している。彼女の手に移った竜はどこか甘い鳴き声をあげ、嬉しげである。竜たちは空を舞うよりも竜舎で過ごす時間の方が圧倒的に長いから、大抵の場合は騎士よりも調竜師の方にずっと懐いているのだ。


 イナは手綱を渡された竜を宥めながら、訓練生たちとも会話を弾ませる。相手が誰であっても眩い程の笑顔を向け、心の底から楽しそうに。この社交性ゆえに、彼女は生徒たちの間で絶大な人気を博していた。


 しかし、ウィルだけは彼女と話したことがなかった。竜を返す必要が無いウィルは、彼女と接触する機会を持たないのだ。


 ウィルは最後の者が竜を返し終えるまで、ぼうっとその様子を眺めていた。少女の、少し赤みがかった明るい頭髪を、自身の睫毛にかかった暗色のそれと漠然と比較しながら。


 すると、イナが竜舎の入り口の方を見据えた瞬間、ふと目が合ってしまった。硬直するウィルとは対照的に、イナは緊張を解き崩したようににっこりとはにかんで、手綱を握っていない左の手を小さく左右に振った。


 ウィルはその仕草が自分に向けられたものという確信が無かったから、殆どそれと分からないような微妙な会釈だけして、体を向き直った。建物の入り口からは濁った日の光がやたらと強く照りつけていて、ウィルの面持ちを顰ませる。ウィルは瞼の裏で西日の閃光が消えたのを確かめてから、直前に見た少女の立像を再生した。


 竜舎の入り口に立っているのは自分の他に居ない。調竜師の彼女は、恐らく自分に手を振ったと考えて間違いないだろう。全く面識のない、自分に。――あれは、どういう意図だったのだろう……。


 竜舎の用を済ませた訓練生たちは、その北側にある寄宿棟に向かう。寄宿棟は、兵舎内で唯一の古い木造建築。規模こそそれなりであるものの、浸食の進んだ外装は見るからに頼りなく、訓練所の予算不足を思わせる。


 二階の一番北端の自室に戻ったウィルは、素早く着替えを澄ますと、これまたボロボロの木机に向かって読書を始めた。


 タイトルは『北方山脈の植生』。とりわけ興味のある訳ではなかったが、訓練所にある未読の書物の中では、まだ為になりそうな内容だった。植物学関連書だけに挿絵が非常に多く、堅苦しい内容の割には一頁あたりの文字数は多くない。四畳半もない狭い室内に、時計の針音と呼応するような一定のリズムで、分厚い紙を捲る音がこだました。


 暫くして、灰褐色の髪をした目つきの鋭い少年が、部屋に入ってきた。ウィルのルームメイト、イグルクだ。


 訓練所で毎月行われる竜乗りレースでは常に一位を取る実力者で、学業もウィルに次いで二位の成績を堅持する優秀な生徒である。


「おい」


 そのイグルクが、ウィルに話しかけた。彼らは普段殆ど言葉を交わさないから、これは大変珍しい。


「この本、片づけてくれ。邪魔だ」


 彼が指さすのは、部屋中央、作業台の上に積まれた本の束。ウィルが、部屋へ戻る前に兵舎本棟の図書室で借りてきたものだ。そんなに広げて置いてはいないのだが、装備の手入れをしたいから、台の上を完全に片してほしいということらしい。


「すまない、すぐにどけるよ」


 ウィルは素直に従う。ルームメイトと言い争って面倒ごとを起こそうとは、露とも思わなかった。イグルクはウィルの動きを目で追う中、その両手に抱えられた本のタイトルに視線を留めた。


『新版 解毒薬研究』

『イザ王国 第一王朝の系譜』

『形而下学の限界』


 撤収した本は、自分のベッドの端っこに積み重ねる。大部分が共同スペースのこの部屋にあって、ベッドだけが唯一の個人空間なのである。


 作業を終えたウィルは、二段ベッドの上階から床面に降りる。ところが、イグルクは依然として冷ややかな視線をルームメイトに向けていた。


「お前、いつまで訓練所に居るつもりだ?」

「えっ?」


 それは、ウィルも予想していなかった言葉だった。


「学者ごっこがしたいだけなら、他所でやってくれ。目障りなんだよ、ここでそんな事をされたらな。さっさと消えてくれないか」


 ウィルは、何も返せなかった。返す言葉が浮かばなかった。ただただ茫然と、暫くその場に立ち尽くしていた。


 やがて日が落ち、食事を終え入浴を済ませた後も、部屋に漂う気まずさは変わらなかった。正確に言うと、気まずさを感じていたのはウィルだけなのだが。


 居たたまれなくなったウィルは、消灯時間も間近になって部屋を抜け出した。どこかで気分を入れ換えよう。そう思った。


 一階に降りようとしたら、巡回の教官に見つかってしまうだろう。ウィルは廊下突き当たりの窓から体を乗り出し、そのまま地面に落下した。もう何度も繰り返しているから、すっかりお馴染みの動作だった。


 夜の空には一際大きい青紫色の星が輝いていた。あの星の今の名前は知らない。その時代で最も権力を持つ者が自らの名前を冠するから、呼び名がころころ変わるのだ。この間までは南方のパスティナ帝国の皇帝の名がついていた筈だが、その死後に権力闘争があったとかで、現在の名称は人口に膾炙していない。


 この星の光は唯一、ドラゴンボーンの印の輝きにどこか似ていた。一定の筈なのに、少しずつ煌めきが変化しているかのよう。それは丁度、風に晒されて揺れる炎に似ていた。 


 他のドラゴンボーンたちはこの光を見て安心するというが、ウィルだけは無性に心がかき乱された。ずっと見つめていたら、精神が侵されるような気さえした。


 すぐに星から目を逸らすと、隣の本棟の方に体を向けた。光を受けて紫がかった建物は、昼間よりもずっと妖しく、かつ厳かに見える。


 足音を殺してゆっくり近づくと、錠が壊れている裏口から内部へ忍び込んだ。東西に延びる一階の長廊下を、真っ直ぐ東進する。突き当たり、アーチ状のゲートをくぐった先には小さな区画があった。


 区画の奥には、台座に乗った石像が安置されている。実寸大より少しだけ小さい、女性の像。高く掲げた右手には細長い棒状のものが握られているが、先端が失われているため、それが何かは判別できない。


 曰く、太古に信仰された、『吉夢を見せる精霊』を象ったものらしい。ウィルは今宵の眠りを少しでも良いものにするため、ここに来たという訳だ。


「無駄じゃよ。何も叶いはしない」


 祈りを捧げようとしたその瞬間、後方からしわがれた声が響いた。驚いて振り向くと、石像の反対側の壁に白い髭を蓄えた老人が立っていた。彼は部外者でありながら勝手にこの社を訪れる名物爺さんとして、訓練所内では有名だった。しかし、ウィルが老人に遭遇するのは、これが初めてだ。


「……無駄、とは?」

「フィニクスの千年王国はとっくに崩壊した。その精霊像は今や何の力も持たぬ。ああ恐ろしや、サラマンドラの千年は、一体いつまで続くのか……」


 老人は意味不明な言葉を並べた。ウィルは信仰に水を差されたような気分を感じながらも、老人の忠告に耳を貸そうとは思わなかった。


 台座の前に頭を垂れ、両腕を胸元に抱く。これがイザ王国の祈祷スタイルだ。


「どうか、今日の夢が悪夢でありませんように……」




 ――その日の夢は、鮮烈だった。


 まるで現実かのような、いやともすると現実よりも鮮やかな色彩が次々と脳裏に現れ、精神を刺激した。


 ウィルは、紅い鱗の竜の背に乗って、大空を旅していた。前方には父の、頼りがいのある大きな背中。後ろからしがみついてきているのは多分、双子の妹・ティナだ。


 夕焼けに染まりつつある空。肌を触る冷たい烈風。細い躯体に響く竜の雄たけび。


 よく、覚えている。これは、現実にあった光景だ。


 丁度十二年前、その日はウィルたちの誕生日だった。二人は父に無理を言って、竜の背中に乗せてもらった。上空の環境は子どもには過酷で、思ったほど乗り心地は良くなかったが、それでもウィルたちは大いにはしゃいだ。父と同じ場所に立てたのがよほど嬉しかったのかもしれない。


 ティナはしきりに、「父さん、父さん」と呼びかけている。一方、ウィルの方は熾烈な風に耐えるかのように殆ど押し黙っていた。昔から、妹の方が活発だった。父の傍に居るのは大抵ティナの方で、ウィルはそれを少し後ろの方から追いかけていた。けれどその日は偶々、ウィルが父親のすぐ後ろについた。もしかしたら、前後から二人に守ってもらうためだったのかもしれない。


 眼下に飛ぶ野鳥たちを追い越すのを見て、ティナは次のように尋ねた。


「ねえ、フィニクスってもっと速いの?」


 フィニクスというのは、千年を生きるという伝説の生き物だ。何度死んでも蘇る霊獣として、人々に崇拝されている。別名、紅の不死鳥――。


「さあ、どうだろう。でもフィニクスは鳥だから、きっと飛ぶのは得意なんじゃないかな」

「ふうん。このドラゴンも、すっごく速いのに」


 今まで何度も、繰り返し見た夢だ。だからこの後誰が何て言うのかも、もうわかっている。


「父さん。引退したら、ドラゴンに乗らなくなっちゃうの?」

「そうだな。こいつも軍のものだから、引退したら返さなきゃいけないし。乗りたくても乗れないだろうなあ」


 そうしたら、もう三人で空を舞うことはできない。ティナはそれを悲しく思った。


「あっ、そうだ。じゃあぼくが竜騎士になるよ!それで、父さんとウィルをドラゴンの背に乗せてあげるね」


 ティナは自分の事を『ぼく』と呼称した。多分当時のウィルの真似事だったのだろう。男勝りな性格も由来したのかもしれない。


「ティナ、残念だがそれは無理だ。女の子は竜騎士になれないんだよ」


 イザ王国の軍人は、極一部の兵種を除いて、原則男子のみで構成される。それは竜騎士も例に漏れない。


 ティナは「そうなの?」と元気なく問い返した。父は前を向いたまま、静かに「ああ」とだけ言った。その光景を、ウィルはとても寂しく感じた。


「じゃあ……僕が竜騎士になるよ」


 地上を発ってから、初めて口にした言葉だった。どうしてあの時そんな勇気のある台詞が言えたのか、今でもウィルはわからない。 


「なに、ウィルが――?」

「うん。男の子なら竜騎士になれるんでしょ。だったら僕がそうなって、ティナを空に運んであげる」


 父はほんの少し沈黙した後、「ウィルも立派になったなあ」と言った。今度は、凄く嬉しい一言だった。


 次いで、ウィルは首を捻って後ろを見遣った。少女の紫色の瞳は、風でからからに乾いている筈なのに、採れたての果実のように潤い輝いていた。


「ウィル、約束ね。必ず竜騎士になって、ぼくを空へ連れて行ってね」 

「うん、約束。でも、ティナの代わりに竜騎士になるんじゃないよ。僕が竜を手に入れて、そしたら二人で一緒に竜を駆ろう。二人合わせての竜騎士、きっとそうなろう」


 ティナはウィルの頬にキスをした。そして、「ウィル、だいすき」と言った。


 その夢が吉夢だったか悪夢だったかは判断が難しい。今ウィルの隣に父と妹が居るのならば、きっとそれは暖かく懐かしい記憶の再生だっただろう。


 しかし、既に二人ともこの世には居ない。妹はあの飛行から数か月以内に病死し、父も一年絶たずして戦死した。


 ウィルは、独りぼっち。あの約束を覚えている者は、もう他に誰もいない。


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