かげふみおに(2)さっちゃんの祟り
干したばかりのシーツが風を含んではらみ、蛸の足がクルクル回る。靴下やハンカチ等を干したピンチハンガーも、目測で水平になっている。
良し、とベランダからリビングに入ると、カーテンを閉めて、均等に広げた。
天気がいいので、良く乾くことだろう。
ついで、掃除機をかけ、拭き掃除をし、風呂掃除をしたところで、直が来た。
「あれ。カーテンどうしたの」
「洗ったから、干してるんだ。カーテンレールに干すのが、一番いいからな」
「へえ」
冷たい麦茶をコップふたつに注いで、ひとつを直に渡す。
「昨日の件だけど」
直が口を開いたところで、ドアチャイムが鳴った。出てみると、エリカとユキだった。
「昨日の件がちょっと気になって」
「はああ。まあ上がれよ」
上がって来たら、直が2人を見てにこやかに笑った。
「なるほど。そういうことだね」
「はい。霊みたいで、気になりまして」
「知らないところで解決されたらつまらないもの」
エリカが頬を膨らませた。
「それより、どうしたの、これ」
「カーテンを洗濯したから干してるところだ。カーテンはここに干したら、邪魔にもならないし日も当たる」
「へええ」
本日2度目の解説である。
麦茶をもうふたつ出して、リビングに座った。
「昨日のあれは幽霊の仕業なんでしょ」
エリカが目をキラキラさせて言う。
「ユキは……」
「はい。見えませんでした。でも、そうだと感じました。そうですよね」
「ああっと……怖くないのか」
「……1人じゃないので、たぶん」
直は、にこにことして説明を待っている。
「京香さんにも相談してみたけど、あれは生霊だろうと思う。影の中から現れて、影の中から消えて行った。また出るだろうな」
ああ、冷たくて美味しい。
「出るだろうなって、何とかしないと」
「何とかっていうけど、生霊の本体を特定して、場合によっては自覚させて、それでやめさせないといけないらしいけど、無意識でやってる場合も少なくないそうだ。たぶんあの子と同年代、理論的に話のできないであろう小学生女児に、それを、だぞ」
想像するだに大変そうだ。でも、
「でも、放ってはおけないでしょ、怜」
やっぱりな。
「かわいそうだわ」
「ええ」
お前ら揃ってそんな目で見て、僕がかわいそうだろ。
「見てしまったものを見ないふりなんて、できないよね、怜。僕らも手伝うから」
ああ、なんでそんな、期待に満ちた目を……。
僕はガックリと肩を落とした。
「はあ。面倒臭い」
「言うと思ったよ」
「ふふふっ」
仕方ない。換気扇の掃除はまた今度だな。
取り敢えず昨日の亜里沙に話でも聞くかと、家を出る。
小学生でも人脈に組み込むか、直。
「ああ、いたいた」
図書館の中に併設された多目的室は解放されていて、数人ずつ固まって、宿題をしたりゲームをしたりただお喋りをしたりと、色々だ。その中に、昨日の女児グループがいた。
「やあ、おはよう」
NHKの子供番組の体操のお兄さんみたいな愛想の良さで、直が声をかけて近付いていく。
「あ、昨日のお兄さんとお姉さん」
アルバイトかボランティアかの大学生が、不審者ではないと判断したのか、警戒を解いた。
「あれからどう。変な事はなかった?」
「うん、大丈夫。ありがとう」
亜里沙が言った。
「昨日は名前言ってなかったね。ボクは町田 直。直でいいよ。こっちが怜で、そっちがユキとエリカ」
「田川亜里沙です」
「小東美羽です」
「下田夢愛です」
名前の入ったペンケースをチラッと見たが、これでユアか。最近の子の名前は難しい。そう思ったが、怜も、レンと読まれるよりはレイと読まれる方が多い。似たようなものか。
そんな事を考えている内に、宿題をしていた彼女たちの傍にしゃがみ込んで、直は話を始める。
「夏休みの宿題かあ。たくさん出たの」
「そう、いっぱい。国語ドリルと計算ドリルと工作と自由研究と読書感想文」
「嫌になるよねえ」
高校に入ってから宿題は減って、流石高校、自分の自主性で勉強しろという厳しさだなと思ったが、小中学校の時はもっとたくさんあった。ああ、あれか。家庭のランクとかが比較されてしまうから日記は無し、宿題するよりは経験を積んだり家族で触れ合えとかいう。
隣のテーブルの男子達は、専らゲーム機で主人公に経験を積ませているようだが。
「へえ、大変だねえ。それでこうやって、友達と一緒に宿題やってるんだ。仲良し3人組なんだねえ」
柔和な笑みを崩さずに会話を続ける。
「そうよ。ずっと一緒。お揃いのカバンとか浴衣も買ってもらったの。ほら」
3人が揃って見せてくれたのは、4人の女の子がアイドルユニットを組んでいる人気アニメで、ピンク、緑、水色、オレンジというパーソナルカラーに因んで、筆記用具、靴、食器、服類、とにかくなんでも、4色の色違いのグッズを販売していた。各々が好きなキャラクターの色で固めるというわけだ。亜里沙がピンク、美羽がオレンジ、夢愛が水色だった。
「あら。もう1人いたら4人揃うところだったのね」
エリカが「なんなら私が」と言い出しかねない雰囲気で言うと、美羽が笑った。
「前はもう1人いたの。でもね――」
「美羽ちゃん!」
「あ――!」
亜里沙の制止で、ピタリと口を閉じる。
どうも、隠された1人がいるらしい。
「私、トイレ」
美羽が席を立って出て行った。
「ボクも小学生の頃は、同じような事したなあ。戦隊ヒーローのやつで」
「思い出したぞ。レインボー戦隊」
「そう。好きな色がかぶっちゃって、ケンカになりかけたりね」
それで亜里沙達も元の雰囲気を取り戻した。
「お兄さんは何色だったの」
「緑だよ。怜は何色だったと思う」
「えええ、何だろう。赤じゃないよね」
赤は大体暑苦しい熱血漢と相場が決まっている。そしてレインボー戦隊では、紫、黄、藍が女子で、緑が優しい感じ、青がクール、橙が明るいキャラクターになっていて、番組に興味がなく――ヒーローといえば兄だったからな、昔から――心からどうでも良かった僕にとって、色を割り振るという大論争は迷惑この上なかったのだ。
「何だろう。橙でもないわよね。はじけ感がないもの」
「青は確か、単にクールではなくて、キザな人だったと思いますよ。これも違いますよね」
エリカとユキも、小学生と一緒に考えている。
「いや、そんな真剣に……」
「まだ言わないでよ、当てるんだから」
何しに来たかわかってるんだろうな、と言いたいのをグッと堪えていると、部屋の外で例の気配がし、
「キャアアーッ!」
と悲鳴が上がった。
急いで飛び出す。
廊下端のトイレの前に階段があり、そこに階下を見て立ち尽くす美羽がいた。
「違う、違うの」
傍に行くと、青い顔でそう繰り返している。
「あんたが押したじゃない!見てたんだから!」
「謝りなさいよ!」
階下には座り込んで足首を押さえる女児と、いきり立った女児2人の3人がいた。
「どうした、美羽ちゃん」
「押そうとしてないのに、勝手に、押しちゃったの」
そう言って、美羽はわんわん泣き出した。
「怜、どう」
「アレだ」
「どういう事?狙いはあの子ってわけじゃないのかな」
僕らは、下の子は医務室へ、美羽は事務所へ連れて行かれるのを見送って、元の部屋へ戻った。
「祟りだよ」
突然、夢愛が言い出した。
「夢愛ちゃん!」
「絶対、さっちゃんだよ!」
夢愛も引かない。
「そのさっちゃんって、誰かな」
直が上手く入って行く。
「島野幸子。前は仲が良くて、4人で遊んでたの。でも、さっちゃんだけ、バッグも浴衣もペンもお揃いにしなくて、何か1人だけ違うよねって言いだして・・・」
「いじめたのか」
ビクッとする亜里沙と夢愛に、
「仲たがいしちゃったんだね」
とソフトに言い直し、直は僕に目で合図してきた。口を割らせるまで黙ってろ、だな。わかった。
「やめとこうって言ったのに、目を瞑ったまま家まで帰らないと掃除当番代わってもらうとか、嫌いな先生を階段でちょっと押せとか」
ソフトに言ってもいじめだな。
「夢愛ちゃんだって、面白がったじゃない。壁に頭ぶつけて壁ゴンとか」
暴露合戦をはじめた。
「で、そのさっちゃんはどうしたの」
「一学期の終わりにケガして休んでる。トラックの下に入って、足の骨が折れたの」
「違うよ、死んだんだよ。お化けになったんだよ」
夢愛は叫ぶようにヒステリックに言って、亜里沙と2人、わんわん泣き出した。
古い小さなマンションの前で立ち止まる。
「ここね」
さっちゃんは死んでおらず、骨折した後終業式まで日もなかったので、そのまま休んでいたようだ。
「父親は3年前に借金と女を作って蒸発、母親と2人暮らし。母親はパートでさっちゃんを育てていて、生活はかなり厳しいようだね」
「直、お前の情報網はどうなってるんだ」
「企業秘密ってことで。
さ、行こうか」
3階の奥の部屋だ。エレベーターはない。
ドアにはネームプレートがかかっていて、島野とだけ書かれていた。
代表して、部長であるエリカがチャイムを押す。しばらくして、
「はい」
と子供の声で応えがあった。
「あの、紫明園学院高等部のものです。幸子さんはいらっしゃいますか」
すると、すぐにドアが開いて、小学生が顔を覗かせた。
「幸子さんだね。初めまして。学校の友達の事で聴かせてもらえるかな」
幸子は僕らを順に見て、ドアを開け放った。一応、不審者ではないと認めてもらえたようだ。
「田川亜里沙さん、小東美羽さん、下田由愛さん。それから幸子さんの4人は、友達グループだったのよね」
「友達、ね……」
エリカの確認に、幸子は小学生とは思えないような皮肉な笑いを浮かべる。
エリカは戸惑ったように口ごもった。直が、スッと交代する。
「まず、歩きにくいだろうに、わざわざごめんね、玄関まで。
実は、田川さん達と知り合ってね。それで、幸子さんが骨折して学校も休んだままって聞いたんだ」
幸子はフンと笑い、僕らを敵であるかのように見廻した。
「いじめたなんて、言ったの。言ってないでしょ。いじめはなかったって、私に言わせたいんでしょ」
「そうじゃないんだよ、幸子さん」
「帰って下さい」
直でもだめか、切り札なのに。
「聞いてくれませんか、お願いします」
「私たちは味方よ」
「味方のフリするやつは信じない、帰って」
エリカとユキがグイグイ押されて、廊下に下がってくる。直もドンと突かれて出て来た。
子供は苦手なんだが、これはある種、子供っぽくない。
「前置きなしで単刀直入に言おう。
昨日、田川亜里沙が目を瞑ったまま歩いて崖に落ちかけた。さっきは小東美羽が別の子供を階段から突き落とした。どちらも、自分の意思でやったのではない、操られたようだと言う。
お前がやったのか」
ギョッとしたようにエリカとユキが振り返り、直は片手で顔を覆って下を向いた。
そして幸子は、挑むように嗤った。
「いい気味。自業自得よ。私はずっとここにいたけど?催眠術とか知らないし?
それだけなら、帰って」
勝ち誇ったように言って、ドアに手をかける。
「あんまり抜け出してると、体に戻れなくなるぞ」
そう言ったら、ギョッとしたような目を向け、もう一度睨みつけてから、
「それでも本望よ!」
と、力一杯ドアを閉めた。




