父さんが残したもの
父さんは、別の意味でテレビに映ることになった。
あたしが小学1年生の4月か5月の頃だ。
撮影現場で、事故があった。
それを電話で知らされた母さんは、学校まであたしを迎えに来た。
病院まで車で送ってくれた現場の人は、一言もしゃべらなかった。
あたしがいたからだ。
病院で事情を聞いたのも、父の亡骸を確認したのも、母だった。
そのどちらのときも、あたしはドアの外の長椅子に座っていた。
付き添ってくれた婦人警官は、ただあたしを抱きしめていた。
あたしは声一つ立てなかった。
その場ではおろか、母と警察署を後にするときも。
マンションを出るとき、母さんに言われていたからだ。
泣いてはいけない、と。
マンションに帰ってから、あたしは尋ねた。
「泣いていい?」
「まだよ」
母さんの声は、いつになく厳しかった。
無言で始まった荷造りを、あたしも手伝った。
自分で言うのも何だけど、小学1年生とは思えないほどの手際の良さだったと思う。
実際、その日のうちに引っ越しの準備は済んだ。
それでも、問題がないわけじゃなかった。
父さんの遺品。
「焼いちゃうなんてイヤ!」
写真からメモの一枚に至るまで、残らず処分しようとする母さんを、あたしは泣いて止めた。
母さんの平手打ちを受けたのは、それが最初で最後だった。
あたしは思いっきり泣いた。
言いつけなんか聞いてやるつもりはなかった。
母さんは、あたしを突然抱きしめた。
その身体は震えていた。
「ごめんね」
あたしの髪を撫でながら、母さんは囁いた。
父さんが残した言葉を。
「弱い奴を助けてまだ余る力が、本当の力だ」
そこで母さんは時計を見て、テレビリモコンのスイッチを入れた。
夕方のニュースが流れる。
父さんの顔が大きく映っていた。
撮影現場での事故を伝えるニュース画面だった。
あたしと母さんは、しばらくの間、それを呆然と見つめるしかなかった。
アナウンサーが、崖っぷちでの車の転落と爆発を告げていた。
「こっちを向きなさい」
次のニュースが始まったところで、母さんはテレビの電源を切った。
思わず正座したあたしの目をじっと見て、母さんは事の経緯を語った。
病院の応接室で、監督は母さんに土下座をついたのだという。
「たぶん、あの現場では誰かが死んでいたの」
6歳のあたしには分からない言葉だった。
ただ、何か重い響きが頭の奥でずうんと聞こえた。
「どうして?」
それだけしか聞けないあたしに、母さんはきっぱりと言った。
「そうでなければ父さんが事故に遭うわけがないわ」
厳重に管理された映画撮影の現場だ。
人の生き死にに関わるような事故はそうそう起きるものではない。
吉祥蓮の技を現代に継ぐ忍者が断言するんだから、間違いはなかった。
だが、そんな難しいことが小学1年生のあたしに分かるわけがない。
「どうして?」
あたしは更に尋ねた。
なぜ、父さんが死ななければならなかったのかを。
そのとき、張りつめていた母さんの顔つきが、ふっと緩んだ。
「事故の原因はお父さん」
あたしは言葉を失った。
身動き一つできなかった。
ほかならぬ母さんが、父さんが死んだのは父さん自身のせいだと言ったのだから。
だけど、その目からは涙が一筋こぼれていた。
母さんの声は震えていた
「長い間のスタント生活で、落ちたり殴られたりぶつかったりしているうちに、脳に影響が出ていたんじゃないかな。お父さんは気づいていたかどうか分からないけど。多分、車で崖っぷちを走るスタントをしている間に、手元が狂ってきちゃったのね。俳優さんやスタッフの中に突っ込みそうになって、咄嗟に崖に向かってハンドルを切ったのよ」
必死で笑おうとする顔が、くしゃくしゃに歪んだ。
今も変わらない可愛い顔が、涙と鼻水でべっとり濡れた。
あたしは母さんの首にしがみついた。
顔がべたべたになった。
それでも構わず、あたしは頬ずりした。
その晩のうちに、知らないおばさんが何人も来て、マンションの部屋は引き払われた。
吉祥蓮のネットワークが動いて、人の住んでいた痕跡を消してしまったのだ。
あたしも母さんも、そのマンションであったことは再び口にしなかった。
だけど、これでも吉祥蓮の忍者だ。
あたしは知っている。
母さんの再婚まで暮らしてこられたのは、父さんが残したお金のおかげだって。
貯金とか、生命保険金とか、所属事務所から支払われた事故の補償金とか。
お金に名前が書いてあるわけじゃない。
でも、父さんの気持ちはあたしたちとずっと一緒にいたんだって。