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父さんのお仕事

 その現場を、あたしは小さい頃に母さんと見に行ったことがある。

 たくさんの大人たちがいた。

 笑顔で声を掛け合う人たち。

 大声で罵り合う人たち。

 いろんな服装をして、いろんなものを持っている人たちが、右へ左へ駆けずりまわっていた。

 今考えると、「戦場のよう」って言えばいいんだろうけど。

 そんな言葉は、知らなかった。

 母さんは、あたしの前で恐ろしい言葉を使わなかったから。

 暴力や、人殺しに関する言葉は、絶対に。

 吉祥蓮としての体術は仕込まれてた。

 あたしも、いつかは母さんと同じ道を歩むだろうと思う。

 もしかすると、一生を共にするつもりだった人を失って、彷徨うことになるかもしれない。

 だから、あの頃は幸せだったんだろう。

 あたしの、子どもの時間。


 街角のセットが組まれてた。

 カメラが回ってた。

 録音マイクが高々と掲げられてた。

 その撮影現場で、あたしは父さんの姿を探した。

 あちこち眺めて、あっと思ってよく見ると、別人。

 黒いスーツにソフト帽。

 後ろ姿がよく似ているだけだった。

 そこで、メガホンを持った髭面のおじさんが叫んだ。

「アクション!」

 カメラの前で、ハサミみたいの木の棒がカチンコ、と鳴る。

 建物の陰に隠れた、サングラスをかけたさっきの人が、辺りの様子を伺いはじめた。

 突然現れた深紅のスポーツカーから数人の若者が現れ、その人を取り囲む。

 たちまち乱闘が始まった。

 あたしの目から見ても、その人はトロかった

 でも、なぜか若者たちは簡単になぎ倒されてしまう。

 やがてその黒服の男は、若者たちの乗ってきたスポーツカーに飛び乗った。

 タイヤを鳴らして急発進する。

 車に追いすがろうとする若者たちは、次々に土煙を上げて地面に転がった。

 その中で1人だけが身軽に立ち上がる。

 懐から拳銃を引き抜いて構えた。

 そこで。

「カーット!」

 メガホンおじさんが叫ぶと、またカチンコと音がした。

 また大人たちが右から左へとせわしなく動き出す。

 その中に、父さんがいた。

 黒いスーツにソフト帽。

 サングラスをかけてた。

 あたしが大声で呼ぶと、母さんは笑った。

 母さんというより、お姉ちゃんみたいに。

 父さんも手を振り返す。

 同じ格好をしたさっきの人が出てきた。

 あたしを見ながら何か囁くと、父さんも何か囁き返す。

 軽い小突き合いが始まったところで、さっきのと同じ型の赤いスポーツカーがやってきた。

 あたしは母さんに尋ねた。

「あれ、さっきのと違うね」

「よくわかったわね」

 母さんは頭を撫でてくれた。

 えへへと、あたしは照れ笑いをしたが、忍者としては気づいて当然だった。

 母も素質十分と思ったのだろう。

 その新たな車に、父さんは乗り込んだ。

 何人もの大人たちが車を取り囲んで、一斉に離れる。 

 メガホンおじさんの掛け声。

「アクション!」

 カチンコ、の音。

 車は再び急発進。

 だけど、それは横から走ってきた車に跳ね飛ばされた。

 ……お父さん!

 叫ぼうとしたら、大きく開いた口を母さんが塞いだ。

 一方のヘッドライト粉砕。

 頭の片方を潰されて、車は大破した。

 タイヤの音が甲高く鳴る。

 車は回転し、大きくカーブを描いて止まった。

「カーット!」 

 カチンコの音が鳴るが早いか、大人たちが一斉に車へと駆け寄る。

 あたしの耳には、タイヤの音が残っていた。

 戦場のような騒ぎの中で、あたしは母さんの手を口から引きはがして叫んだ。

「お父さん!」

 すると、人だかりの中から、黒いスーツの男がひょっこり顔を出す。

 あたしに笑顔で手を振ったのは、父さんだった。


 これが父さんの仕事だと分かって、あたしはむくれた。

 そんな子供のことなど気にも留めないで、スタッフが父さんに紙コップのコーヒーを差し出す。

「お疲れ様でした」

 それをを口にした父さんは、あたしの目を見て結構マジメに言った。

「お父さんは、テレビに映らないんだ」

「どうして?」

 あたしは膨れた。

 とっても危ないことをしてるのに、それは不公平な気がした。

「さっきの……」

 スーツの襟をつまんで見せた父さんの言葉が途切れた。

 通りかかった同じ姿の主演俳優に会釈する。

 その俳優も、「ありがとうございました」と丁寧に一礼した。

 そこでいそいそと立ち去ったのは、たぶん次の仕事があったからなのだろう。

 だけど、小さなあたしには、そんなことは分からなかった。

 スーツの背中に思いきりアカンベーをしたが、あんなこと、どこで覚えたんだろう。

 さすがに、母さんはあたしの頭をくしゃくしゃやった

 でも、あたしは食い下がった。

 偉いのはお父さんなんだから、ヘコヘコすることはない。

「本当は強いのに」

 それを聞いた父さんは、むっとして見上げるあたしに眩しいくらいの笑顔を見せた。

「そうさ、強いんだよ」

「だったらテレビに出てよ」

 口答えするあたしを、母さんは「こら」とたしなめた。

 そこに父さんは、片目をつぶってみせる。

 あたしの目の高さにしゃがみ込み、じっと見つめ返して、ゆっくりとたしなめた。

「本当の強さっていうのは、目には見えないものさ」

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