母さんとあたしと忍者の宿命
「やっぱり、父さんに見に来てもらうほどのことないんじゃないの?」
そんなに大きな役じゃない。
しかし、あたしの素朴な疑問を、母さんは「でも」の一言で却下した。
「結婚して4年でしょ? こういうの、いっぺんも見てもらってないじゃない」
母さんは、お兄ちゃん……つまり菅藤冬彦の父、冬獅郎と、それぞれ子連れで再婚した。
2人とも、相手はもうこの世にいなかった。
冬獅郎……つまり今の父は、妻を病で失っていた。
母さんは、父さんを事故で亡くしていた。
2人が知り合ったのは、共通の友人の紹介ということになってる。
だけど、世の中に偶然なんてそうそうない。
そんなことは、忍者の世界では常識だ。
母さんに父を引き合わせたのは、吉祥蓮のネットワークだった。
吉祥蓮。
女ばかりの忍者集団。
それがいつ生まれたのか、誰も知らない。
ただ、母さんによれば、この1000年は常に歴史の陰にいて、男たちを支えてきたらしい。
もっとも、とても歴史を動かせるような器じゃなかったみたいけど。
どっちかっていうと、残念なヒトたち。
何の取り柄もなく、歴史の闇に埋もれていった皆さん。
どっちかというと、英傑たちの足を引っ張ることのほうが多かったらしい。
でも、母さんは言う。
そうした人たちの存在が大きな破滅を回避してきたことも否定できない、と。
歴史を動かせるような才能は、人を傷つけるものだ、と。
そんなわけで、英傑たちはしばしば力に驕って暴走する。
それをぎりぎりのところでつまずかせ、大きな破壊や殺戮を押しとどめる人たちがいる。
それが、「普通の男たち」。
その傍にいて自ら、あるいは誰かとの縁を結ぶことで彼らを守り、支えてきたのが「吉祥蓮」なのだった。
従って父も、ちょっと残念な「普通の男」ってことになる。
だから、あたしは文句を言った。
「だって、長期出張だ単身赴任だって、コキ使われ過ぎでしょ? ちょっとひどくない?」
「そこを引き受けちゃうのが冬獅郎さんのいいところなのよ」
あたしはがっくりとうなだれた。
娘にノロけてどうすんの。
菅藤冬獅郎。
冬の、ライオン。
明らかに名前負けしてる。
怒られるかなと思いながら、ツッコんだ。
「……断れないだけだって、気づかない?」
「そんなの、最初から分かってたわ」
即答された。
じゃあ、どうして?
死んだ父さんとは月とスッポンなんだけど。
さすがに口にできなかったことを読んでいたかのように、母さんは答えた。
「だけど、損得考えたら、最初から父さんは選ばなかった」
母さんは、再婚した直後から、あたしに父となった菅藤冬獅郎を「父さん」と呼ばせている。
あたしも、それに従ってる。
でも、本当の父さんは、まだ心の中だけにいる。
だから、聞かずにはいられなかった。
「じゃあ、私の父さんは?」
あたしがあえてこだわった「私の」父さん。
7年前に死んだ、本当の父さん。
アクション映画のスタントマンをしていたが、撮影中の事故で死んだ。
その父さんの話を、あまり母さんはしない。
あたしが切り出した話題にも、少し困ったような顔をした。
それでも、答える言葉は懐かしそうだった。
「確かに、もっとクールで堂々としていたわね、でも」
ここで、真剣なまなざしがあたしを見た。
「小賢しい人じゃなかった」
嬉しかった。
母さんは、父さんのことを忘れないでいた。
当たり前か。
当たり前よね。
だって。
「……あたしも、まっすぐで賢くて、強い父さんが好きだった」
母さんが再婚してこっち、こんなことは言えなかった。
あたしの言葉を聞いて、母さんも嬉しそうに微笑んだ。
「よかった。私と一緒で」
へへ、とあたしは照れ笑いした。
ついでに、母さんの豊かな胸に転げ込む。
あったかかった。
見上げた顔は、やっぱり女子高生ぐらいにしか見えない。
母さんは、あたしのボブカットにした髪を撫でながら囁いた。
「忘れないで。私たちはそんな男たちと共に生きる、『吉祥蓮』だってこと……」
そこであたしは、話題を変えた。
いつまでも父さんの話をするのは、母さんだってつらいはずだ。
「でもさ、父さん、大丈夫?」
あたしが心配したのは、今の父のことだった。
「これで身体なんか壊したら、間違いなく切り捨てられると思うんだけど」
結構、現実的で切実な問題だった。
でも、母さんは笑顔で、しかしはっきりと言い切った。
「そんな目に遭わせる奴らは、タダじゃおかない」
それは強がりでも何でもなかった。
あたしたち吉祥蓮が男たちを支えて来られた理由は、2つある。
ひとつは、女たちのネットワーク。
吉祥蓮の女たちは、日本中に散らばっている。
連絡の手段も様々だ。
SNSに隠された合言葉や暗号。
長電話を装った打ち合わせ。
伝言や手紙しか連絡の手段がなかった大昔から協力体制は整っている。
歴史的な危機から個人の結婚相談に至るまで。
もうひとつは、吉祥蓮に伝わる門外不出の技だ。
飛燕九天直覇流奇門遁甲殺到法。
一夜の内に千里を駆け、拳の一撃で熊をも屠る。
その技は、平たく言えば、忍術だ。
でも、人を傷つけるためには使わない。
普通の男たちを守るのが、あたしたちの大義だ。
世の中、英雄ばかりが英雄を生み育てたら、争いごとばかりで世間が迷惑する。
普通に暮らして普通に泰平をもたらす器というのが、誰しもある。
……らしい。
それは母さんが言ってることで、あたしには実感できない。
エイジ君みたいな男の子と、お兄ちゃんみたいなのと、どっちがいいかっていったら……。
それは置いといて、あたしたちの大義。
普通の夜をもたらす器を発揮できない男たちが、子孫を残せるよう守り抜くこと。
つまり吉祥蓮は、男たちを1700年もの間、歴史の陰で見守ってきた女たちの忍者集団なのだ。
心底、父を守り切るつもりの母さんは格好いい。
だけど、あたしはそこんとこ、まだどこか素直になれない。
「あ~あ、因果な家系に生まれちゃったな……」
ぼやく娘の額を、母さんは軽くこづいた。
「こんな母さんのこと、嫌い?」
あたしはカウチから立ち上がって、母さんの背中に抱きついた。
「ううん、大好き」
母さんと女2人きりの、なんかいい雰囲気。
だけど、それは無神経な一言でぶち壊された。
「母さん、お風呂、先に入ったよ」
ドアを開けて現れたのは、お兄ちゃんだった。
ひょろっとした身体に、縦ジマのトランクス一丁。
「いやああああ!」
思わず母さんの懐から跳ね起きて、高めの正面蹴りを食らわす。
……空気読んでよ、お兄ちゃん! 世話が焼けるんだから!