バカ兄貴がやる気を出した晴れ舞台
2学期を迎えた始業式の月曜日。
大掃除と式とホームルームが終わると、半日は終わる。
あたしは菅藤瑞希13歳。
家の中でゴロゴロしているうちにもう半日も終わった。
私立倫堂学園中等部1年生となってから、はや5カ月余りが経っている。
それでも帰宅部なのは決してさぼっているわけじゃない。
人には知られたくない、いや、知られちゃいけない理由がある。
いつもは部活で帰りが遅いお兄ちゃんは、夕方、思いのほか早く帰ってきた。
従って、夕食も早く済む。
あたしがありえない情報を耳にしたのは、その後だ。
「ロミオとジュリエット~?」
歌番組やってるテレビで篠原エイジ君の出番を待っていたあたしが素っ頓狂な声を上げてツッコまざるをえないほど、それはバカ兄貴とは不釣り合いだった。
菅藤冬彦16歳。
この春、倫堂学園中等部を卒業して高等部1年生になったあたしの……バカ兄貴。
なにをとち狂ったのか、入部したのが演劇部。
2週間後に行う文化祭公演で、急に役がついたのだという。
これを嬉しそうに報告した相手は、洗い物をしている母さん。
菅藤一葉。
お兄ちゃんは、この母さんが4年前に再婚した相手の連れ子だ。
顔だちは、悪くない。
鼻筋の通った、端正な、品のいい……。
まあ、町で女の子10人とすれ違ったら1人か2人ぐらいは振り向くかもしれない。
クラスで「お兄ちゃん紹介して」と言われても不思議はないかな。
絶対言われないけど。
だって、あたしには友達いないから。
……そんなことはどうだっていい!
お兄ちゃんは、色も白い。
白ければいいってもんでもない。
どっちかというと、ちょっと白すぎる。
血管が透けて見えるんじゃないかと陰では言われているかもしれない。
どの陰かというと、体育館の裏とか、男子トイレの手洗い場とか。
そんなものは、その辺に集う醜男のやっかみに過ぎないけど。
でも、それを差っ引いても、ちょっと不健康かなとは思う。
ド近眼だし。
メガネの度は強いし。
だからどうしても、四角い、ごっついフレームのメガネ。
因みに、黒縁……。
一言で言うと、ガラじゃない。
だから、言ってやった。
「お兄ちゃんがねえ」
思いっきり溜息ひとつ。
もっかい横になって、テレビに見入る。
ああ!
エイジ君!
エイジ君まだ?
画面の中ではアニメの声優ユニットが歌ってる。
あ~うるさい。ヘタクソ。
イラッときて、ちょっとお兄ちゃんの横顔を見た。
気にしたふうもない。
母さん見て、デレデレしながら、部活の話してる。
……マザコン。
だけど、母さんも母さん。
10代の娘じゃないんだから、はしゃがない!
まあ、10代にしか見えないときもあるんだけど。
並んで道歩いてると、姉妹と間違われるし。
しかも、芸能プロを装った怪しげなキャッチなんかに声かけられるの、母さんのほう。
しかたないか。
あたしと違って、年相応に巨乳だし。
それに、娘のあたしが言うのもなんだけど、きれいだから。
まあ、お兄ちゃんがフヌケになるのも分かる。
それで友達同士みたいにキャアキャア話してれば、ねえ。
ええと、あたしが今年の春に中1になって13歳。
7年前に死んだ実の父さんと結婚したのも、年相応の時だったらしいから……。
だいたいは計算できるけど、やめとく。
そこはお互い、女だし。
女のトシのことはさておき。
そんなわけで、あたしんちはどこにでもある再婚家庭だけど、実は秘密がある。
アタシと母さん、実は忍者。
もちろん、お兄ちゃんも知らない。
仕事の都合でかなり長いこと家を空けてる、母さんのダンナも知らない。
ごめんね、まだちょっと、心の中では父さんって呼べない。
だけど、母さんはすっかりなじんでる。
っていうか、ラブラブ。
「お父さんにも報告しなきゃ」
あまりのはしゃぎっぷりについイラついて、あたしはカウチから起き上がるなりツッコんだ。
「九州に単身赴任中でしょ」
もちろん、眼はテレビから離さない。
だって、エイジ君が、エイジ君が!
娘に眼も合わせずにたしなめられて悔しいのか、母さんは口を尖らせた。
こういうとこは大人げない。
「1日で来られるじゃない? 海外じゃないんだから」
ぶ~ぶ~言い返してくる。
どっちが子どもだか分かんない。
あたしは努めて冷ややかに切り返した。
「始発で来させて終電で返すつもり?」
「休暇取ってもらうのよ」
よっぽど母親としての威厳を見せつけたいのか、傲然と胸を張る。
あたしも負けちゃいられない。
10代をナメてもらっちゃあ困る。
感情は抑えて、言葉はハッキリと反論した。
「ここは日本! 簡単に言わない!」
……どっちが親だか分からない。
それでも、母さんだって忍者。
日頃の情報収集や情報操作は日課みたいなもの。
パートに出たりするのは、そのためもある。
世間一般には、井戸端会議とも言うらしいけど。
そのシフト交代に比べれば、有給休暇のほうがよほど取りやすい。
……と、学校の社会の授業で聞いた。
それを望むときに取れないっていうのも。
なんかおかしいよね、日本。
それを何で娘の方がよく分かってるのかっていうと、それも問題だけど。
菅藤家の、悲しい現実っていうのか。
母さんも娘に言い負かされてバツが悪かったみたい。
急に、話をそらしてお兄ちゃんに振った。
「で、何の役?」
興味津々で尋ねた母さんに、お兄ちゃんは嬉しそうに答える。
「ジョン修道士の代役」
もちろん、あたしは聞いてなんかいない。
そんなやりとり。
ひたすらテレビを見ていた。
エイジ君の出番を待って。
……来たあ!
テレビ画面では、背の高い、眩しい笑顔の男の子が歓声の中、ステージに上がった。
エイジ君! あたしのエイジ君!
そう、とだけ答えた母さんの声には、なんか無理な明るさがあった。
「お風呂入ってきたら?」
「うん」
バカ兄貴は上機嫌で答えて、キッチンつきのリビングを出ていった。
……うるさい!
……足音立てないで!
……エイジ君が歌ってるんだから!
着替えを取りに2階へ上がる足音は、扉の向こうで消える。
持ち歌の『渚のセラフ』を歌いながら舞い踊るエイジ君の出番は、あっという間に終わった。
はい、トークまでちょっと一休み。
それを待っていたかのように、母さんはため息交じりにつぶやいた。
「そりゃそうよね。1年生だし、まだまだ冬彦君じゃね」
カウチから体を起こして振り向くと、母さんは苦笑いしている。
お兄ちゃんに何を期待してたのか知らないけど。
だが、そこは娘だから一応聞いてみる。
「代役がまずいの? それとも、そのジョン修道士がまずいの?」
歌にはしっかり聴き入ってたけど、そこは忍者。
会話の内容はちゃんと理解してた。
洗い物を終えた母さんは、テーブルに頬杖を突いた。
「だってね……」