0, 望んでないものほど、迷惑なものはないと思うの
「大丈夫かい? エステル」
やや青褪めながら、心配顔で覗き込む、父の顔。
朗らかな父さん。
「エステル!!気が付いたのね!」
泣いた直後のように目元が赤く、痛々しい笑みを浮かべる、母の顔。
穏やかな母さん。
優しい2人を心配させてしまったと苦笑する。
娘がいきなり倒れたら心配もすると思うけど。
でもその前に怒られるかと思ったわ。今回のお客様はかなりの上物だもの。
「大丈夫よ、少し緊張しただけだから」
ベッドから起き上がり、弱く笑う。
「それより、仕事のお話はどうなったの?」
首を傾げて問う。
「あ、あぁ。それなら次回に持ち越しだよ。1週間後に延期になったんだ。……エステルの体調が良くなるのを待ってから話すそうだよ」
「そう、なの」
「ねぇエステル。この話はまた今度にしましょう?貴女は起きたばかりだもの、まだ眠っていた方がいいわ」
「分かったわ、母さん」
2人が退出すると、私はベッドに潜り込んだ。
溜め息をつく。
先ほどの失礼で、機嫌を損なわなかったのは運がいい。しかも相手は侯爵家の人間だ。
直々に来たことに疑問があるが、些細なことだ。――私たちに起こったことを考えれば。
別に上から睨まれても痛くない。いざとなれば国を出れば問題はないから。商人は自分に都合のいい場所で商売をする者。何も困りはしない。
ただ、面倒なだけで。
男爵家の取り潰しなんて簡単に出来る。お金で手に入れた地位などは特に。
尤も、両親は爵位やら地位やらに興味がない。とことんない。綺麗サッパリない。
お金があれば生きていけるし、両親にとっての誇りは大切なものを護ること。その誇りを汚されなければ、一定範囲内なら侮辱を享受する人種だ。……母なら嫌味に気付いていないかもしれないけど。
私は両親の誇りを、尊敬している。私もあのように在りたいと。
しかし、これから行くであろう場――正確には行かなければならないであろう場――は、その誇りを保つことは難しい。
何故こんなことになったのだろうか。
――爵位を授かったから。
――功績を認められたから。
――それとも、運命か。
どんな理由でも受け入れられる。最後の理由、運命でなければ。
私は思い出してしまった。
何もかもを知らないこととして生きていくことは出来ない。知らないフリは出来るだろうけど。
私は知っている。
これから起こる未来を。そこに至る経緯を。今この瞬間でさえ。
それはある特定の人たちの、選択肢。
都合のいい妄想と、切って捨てるべきだ。
もう遅いところまで着てしまったけど。
侯爵家の申し出を、男爵家が断れる訳がない。そもそも、国の発案で法律だ。
これは爵位ある者――つまり、貴族に課せられた義務。
例えお金で買ったとしても、功績にて与えられたとしても、要らない地位でも。例外はないのだから。
どうか、平穏な日常を与えて。
どうか、平凡な日々を送らせて。
アレはあくまでも、可能性。
そんなものに囚われるなんて嫌だわ。私は私のしたいようにするだけだもの。
彼女は、私だけど私じゃない。それなら、違う選択肢が生まれる。違う選択肢があるなら、異なる未来が作られる。
今の私に出来ることは、腹を括ること。
もっと現実的に物事を捉えないといけないわ。だって私は男爵家の娘である前に、商人の娘だから。
なんとかなるし、なんとかする。――してみせるわ。
コレは私だけの物語。他人に敷かれたレールを歩くなんてお断りよ。
猶予期間は1週間。
私の気持ち次第で、長いとも短いともとれる。
全部があの通りに進む訳じゃない。
世界はそんなに優しくない。世界はいつだって残酷で無慈悲で、気まぐれ。
この世界は遊戯ではなく現実なんだから、尚更。
枕に頭を擦り付けて、目を閉じる。
苛立たしい気持ちを抑えて。