かげろう
世間では、『お盆休み』と言うのであろうか。
私はいつも通り出勤して、溜まった業務を片付ける。
今日も暑くて暑くて、会社に着く迄にTシャツが汗ばんでしまった。
まとめた髪も、後れ毛が首にまとわりつく。
私がフロアに入ると、空調機がウンウン頑張っていた。
このフロアには、私以外誰もいない様だ。
私は、フロア前にある自動販売機を見た。
(コイツは、誰もいない日でも働いているんだね。)
通勤電車では、遊園地に行く事を喜んでいる家族連れと目が合った。子供は、不思議そうに私を見ていた。
会社の入り口に立っていた警備員には、「仕事を増やすなよ」という目で見られた。
私は何も悪い事はしていないのに、理不尽に思う。
私はただ坦々と仕事を進めるだけだ。
今日は、いい。
電話もメールも来ない。この溜まった業務だけをこなせばいいのだ。今日の内に、綺麗にして帰ろう。
皆は、仕事は大丈夫なのだろうか。
お盆休みだからといって、わざわざ休む必要もないのに。
年末年始だけでは足りないのだろうか。
溜まった仕事を放置してまで、楽しめるのだろうか。
「実家には帰らないの?」
昨日、課長に聞かれた。
「私の実家は、"帰る場所"ではないので。」
私はこう答えるしかない。
私のいる場所なんて、もうないのだ。
3年前、私は地元に帰った。
その年に、弟が結婚して、直ぐに子供が産まれた。
全て突然の事で、お金のない弟と嫁は、必然的にウチの実家で同居となった。
結婚の挨拶の時に、彼女は言った。
「お母さんがもう一人出来たみたいで嬉しい!」
母も可愛い娘が出来たと喜んでいた。
私は心の奥で「違うよ」と呟いた。
この母は、私と弟の母親であって、あなたの母親ではない。
「お義姉さんはもう東京の人やね」なんて、何故にあなたが決める?私の地元はずっとここだ。だから、年末年始を実家で過ごしているのに。
頭の中でグルグルと考えたが、私も24歳のいい大人で、子供みたいな我が儘が通用する年齢でもない事を知っている。
私は愛想笑いだけで、その場を乗り切った。
そして3年前の今日、私はお盆休みをとって実家に帰った。
あの日も、今日みたいにとても暑い日だった。
結婚の挨拶からほんの数ヵ月しか経っていないはずなのに、私の家の雰囲気が微妙に変わっていた。この居心地の悪さは、何だ?
「あぁー、お義姉さん。
いらっしゃい。上がって、上がって。」
彼女が玄関先の私に気づいて、居間に通す。
「あ……、わかちゃん、コレ……」
東京土産を渡すと、彼女はパアアと顔を明るくして、
「わあ!ありがとう!
おかーさーん!お義姉さんがお土産くれたよー!」
と、大きな声で私の母を呼んだ。
「今、お茶いれるね!」
彼女はキビキビと動き廻り、私の話す隙を与えない。
「いや、お茶くらい自分でいれるから……」
台所に行こうとすると、彼女は私の行き先を防いだ。
彼女はニッコリと笑って言った。
「お義姉さんは大切な"お客様"やの!
いいから座っとってよー!もー。」
だから、違うって。
ここは、私の『家』ですよ?
何度も思ったが、言うのを止めた。
彼女に悪気は無いのだ。
自分の部屋に荷物を置きに行く。
すると、後ろから慌てて彼女が追いかけてきた。
気にせず部屋のドアを開けた瞬間、私は言葉を失った。そこに『私の部屋』はなかった。
テレビの前に可愛らしいクッションが2つ並んでいて、私の使い慣れた机も、椅子もそこにはなかった。
私が何も言えず固まっていると、彼女は必死に弁解を始める。
「私たち夫婦の部屋がなくて。
ほら、ユウくんの部屋だけや狭いし。
子供も産まれて荷物も多いし。
それに、お義姉さんは東京にいるし。
この部屋なら空いてるって皆が言ってくれて。
お義姉さんの部屋の方が広いし。
私ももう『家族』やから。
そんなに気を遣うのも、可笑しいかなって。」
私は、ボンヤリ聞いた。
そうやって、彼女は私の居場所を奪っていくのだ。
彼女だけじゃない。
「あら、いたの!いらっしゃい。」
小さな小さな赤ちゃんを抱いた母が、私に声をかけた。
その小さな小さな赤ちゃんは、母の腕でスヤスヤ寝ている。
母は穏やかな顔で、赤ちゃんを見せてくれた。
「ほぅら、ケイタくん。
あなたのおばちゃんですよー。
"東京のおばちゃん"ですよー。」
母は嬉しそうに、赤ちゃんに話しかけていた。
もう、私の"母"ではなく、この赤ちゃんの"お祖母ちゃん"だった。
私は、「少し遅くなったけど」と言って出産祝い金を彼女に渡した。
母には「可愛いね。良かったね」と言って、そのまま荷物を持って玄関に向かった。
二人は慌てた様子で私の後を追うが、私を呼び止める術を知らなかった。私は、悲しいくらい笑いが込み上げてきた。
「じゃあ、もう帰るね。
いつまでもここの家の子供でいる事が悪かったよね。
私も良い大人なんだから、いつまでも甘えていたらダメよね。
ごめんね、ありがとう。
また来ます。"お邪魔しました。"」
私はさっき来た道を、トボトボと歩く。
暑くて暑くて、汗が止まらない。咽がカラカラになってくる。
体から水分が抜けていくからか、涙は出なかった。
駅までの道のりがこんなに長いとは、この日始めて知った。
頭もボーっとしてきて、歩みを止める。大きく息を吐いて、近くの自動販売機を探した。
ふと、私は振り返る。
家はもう見えない。
ただ、ユラユラと、陽炎が私の道筋を歪めていた。
何もない、ただの道を。
陽炎が、支配する。
それから私は、この時期も坦々と仕事をこなす様になった。
それと同時に、この時期になると思い出す歌がある。
頭の中で延々と流れる歌が、今の私を救ってくれる。
私は今、寂しいのかもしれない。
誰にも必要とされない感覚が、足元を固める。
そう思うと恐ろしくて、私は自分の存在を誇示する為に、誰もいないフロアで、唄った。誰かに気付いて欲しくて。
誰かに認めて欲しくて。
半分泣きながら歌い上げると、ほんの少し気持ちが軽くなった。誰にも届かなくても、吐き出す事は必要なのだ。
すると、誰もいないはずのフロアから声がした。
「それ、フジファブリックですよね?」
慌てて振り返ると、別のフロアで働いている男性が立っていた。
どこのフロアの人かは知らないが、食堂でたまに会う。名前も知らない。話した事もない。
何となく、私の苦手な『人の感情に土足で入る人』だと認定していた人だ。
勝手に、見た目で判断したのだが。
「………すみません。誰もいないと思って。」
さっきまでの元気を失い、私は項垂れる様に謝った。恥ずかしくて、消えてしまいたかった。
気付いて欲しかったはずなのに、気付いて欲しくなかったようだ。自分で自分が嫌になる。
目の前の彼は、そんな私をお構い無しに白い歯をのぞかせて笑った。
「いやあ、世間はお盆休みでしょ?誰もいないと思って。
一人で働いていると思うと空しくて。
気分転換に缶コーヒーでも飲もうと自販機の前に立ったんですよ。
そうしたら、コイツめっちゃ頑張って働いていて。缶コーヒーもしっかり冷たくて。
『自販機、お前は偉いな。誰も見ていなくても働いているんだな』って思ったら、なんか嬉しくて。
愛着が湧いていたら、後ろから歌声が聞こえて。
このフロア覗いたら、あなたが一生懸命歌いながら仕事していて。
その姿見たら、なんか勝手に共感しちゃって。
『俺は一人じゃねえ!』
って俺も叫びたくなったんです。」
そう言って、彼は私に缶コーヒーを渡した。
その缶コーヒーはやっぱり冷たくて、私の手のひらの熱を奪った。
「お仕事、大変ですけど。
お互い頑張りましょう!
『俺は一人じゃねえ!』」
彼は私を見て笑った。
私もつられて、笑った。
同じ様に、一人でも頑張っている人がいるのだ。
彼が去った後も、私は変わらず仕事を続ける。
そう、ただ坦々と。
違うのは、私は一人じゃないと気付いた事。
美味しい缶コーヒーがある事。
そして、帰りに警備員に言われた事。
「いつもお仕事、御苦労様です。」
働いてばかりで心配されていた様だった。
今朝の怪訝な顔も、私を心配していたのだ。
私は、心の中でこう叫んだ。
『私は、一人じゃねえ!!』
帰り道、私は笑いを堪えるのに必死だった。
幸せな、幸せな帰り道だった。




