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かげろう

作者: 井口
掲載日:2015/08/15

世間では、『お盆休み』と言うのであろうか。




私はいつも通り出勤して、溜まった業務を片付ける。

今日も暑くて暑くて、会社に着く迄にTシャツが汗ばんでしまった。

まとめた髪も、後れ毛が首にまとわりつく。

私がフロアに入ると、空調機がウンウン頑張っていた。

このフロアには、私以外誰もいない様だ。


私は、フロア前にある自動販売機を見た。

(コイツは、誰もいない日でも働いているんだね。)



通勤電車では、遊園地に行く事を喜んでいる家族連れと目が合った。子供は、不思議そうに私を見ていた。

会社の入り口に立っていた警備員には、「仕事を増やすなよ」という目で見られた。


私は何も悪い事はしていないのに、理不尽に思う。

私はただ坦々と仕事を進めるだけだ。

今日は、いい。

電話もメールも来ない。この溜まった業務だけをこなせばいいのだ。今日の内に、綺麗にして帰ろう。




皆は、仕事は大丈夫なのだろうか。

お盆休みだからといって、わざわざ休む必要もないのに。

年末年始だけでは足りないのだろうか。

溜まった仕事を放置してまで、楽しめるのだろうか。


「実家には帰らないの?」

昨日、課長に聞かれた。










「私の実家は、"帰る場所"ではないので。」


私はこう答えるしかない。

私のいる場所なんて、もうないのだ。





3年前、私は地元に帰った。

その年に、弟が結婚して、直ぐに子供が産まれた。

全て突然の事で、お金のない弟と嫁は、必然的にウチの実家で同居となった。


結婚の挨拶の時に、彼女は言った。

「お母さんがもう一人出来たみたいで嬉しい!」

母も可愛い娘が出来たと喜んでいた。


私は心の奥で「違うよ」と呟いた。


この母は、私と弟の母親であって、あなたの母親ではない。

「お義姉さんはもう東京の人やね」なんて、何故にあなたが決める?私の地元はずっとここだ。だから、年末年始を実家で過ごしているのに。

頭の中でグルグルと考えたが、私も24歳のいい大人で、子供みたいな我が儘が通用する年齢でもない事を知っている。

私は愛想笑いだけで、その場を乗り切った。



そして3年前の今日、私はお盆休みをとって実家に帰った。

あの日も、今日みたいにとても暑い日だった。

結婚の挨拶からほんの数ヵ月しか経っていないはずなのに、私の家の雰囲気が微妙に変わっていた。この居心地の悪さは、何だ?



「あぁー、お義姉さん。


いらっしゃい。上がって、上がって。」



彼女が玄関先の私に気づいて、居間に通す。

「あ……、わかちゃん、コレ……」

東京土産を渡すと、彼女はパアアと顔を明るくして、

「わあ!ありがとう!

おかーさーん!お義姉さんがお土産くれたよー!」

と、大きな声で私の母を呼んだ。



「今、お茶いれるね!」

彼女はキビキビと動き廻り、私の話す隙を与えない。

「いや、お茶くらい自分でいれるから……」

台所に行こうとすると、彼女は私の行き先を防いだ。

彼女はニッコリと笑って言った。



「お義姉さんは大切な"お客様"やの!

いいから座っとってよー!もー。」


だから、違うって。

ここは、私の『家』ですよ?



何度も思ったが、言うのを止めた。

彼女に悪気は無いのだ。





自分の部屋に荷物を置きに行く。

すると、後ろから慌てて彼女が追いかけてきた。

気にせず部屋のドアを開けた瞬間、私は言葉を失った。そこに『私の部屋』はなかった。

テレビの前に可愛らしいクッションが2つ並んでいて、私の使い慣れた机も、椅子もそこにはなかった。



私が何も言えず固まっていると、彼女は必死に弁解を始める。



「私たち夫婦の部屋がなくて。

ほら、ユウくんの部屋だけや狭いし。

子供も産まれて荷物も多いし。


それに、お義姉さんは東京にいるし。

この部屋なら空いてるって皆が言ってくれて。

お義姉さんの部屋の方が広いし。


私ももう『家族』やから。

そんなに気を遣うのも、可笑しいかなって。」





私は、ボンヤリ聞いた。

そうやって、彼女は私の居場所を奪っていくのだ。

彼女だけじゃない。



「あら、いたの!いらっしゃい。」



小さな小さな赤ちゃんを抱いた母が、私に声をかけた。

その小さな小さな赤ちゃんは、母の腕でスヤスヤ寝ている。

母は穏やかな顔で、赤ちゃんを見せてくれた。



「ほぅら、ケイタくん。

あなたのおばちゃんですよー。

"東京のおばちゃん"ですよー。」



母は嬉しそうに、赤ちゃんに話しかけていた。

もう、私の"母"ではなく、この赤ちゃんの"お祖母ちゃん"だった。






私は、「少し遅くなったけど」と言って出産祝い金を彼女に渡した。

母には「可愛いね。良かったね」と言って、そのまま荷物を持って玄関に向かった。



二人は慌てた様子で私の後を追うが、私を呼び止める術を知らなかった。私は、悲しいくらい笑いが込み上げてきた。



「じゃあ、もう帰るね。

いつまでもここの家の子供でいる事が悪かったよね。

私も良い大人なんだから、いつまでも甘えていたらダメよね。


ごめんね、ありがとう。

また来ます。"お邪魔しました。"」






私はさっき来た道を、トボトボと歩く。

暑くて暑くて、汗が止まらない。咽がカラカラになってくる。

体から水分が抜けていくからか、涙は出なかった。

駅までの道のりがこんなに長いとは、この日始めて知った。

頭もボーっとしてきて、歩みを止める。大きく息を吐いて、近くの自動販売機を探した。


ふと、私は振り返る。

家はもう見えない。


ただ、ユラユラと、陽炎が私の道筋を歪めていた。

何もない、ただの道を。



陽炎が、支配する。











それから私は、この時期も坦々と仕事をこなす様になった。

それと同時に、この時期になると思い出す歌がある。

頭の中で延々と流れる歌が、今の私を救ってくれる。


私は今、寂しいのかもしれない。

誰にも必要とされない感覚が、足元を固める。

そう思うと恐ろしくて、私は自分の存在を誇示する為に、誰もいないフロアで、唄った。誰かに気付いて欲しくて。



誰かに認めて欲しくて。





半分泣きながら歌い上げると、ほんの少し気持ちが軽くなった。誰にも届かなくても、吐き出す事は必要なのだ。

すると、誰もいないはずのフロアから声がした。



「それ、フジファブリックですよね?」


慌てて振り返ると、別のフロアで働いている男性が立っていた。

どこのフロアの人かは知らないが、食堂でたまに会う。名前も知らない。話した事もない。

何となく、私の苦手な『人の感情に土足で入る人』だと認定していた人だ。

勝手に、見た目で判断したのだが。





「………すみません。誰もいないと思って。」

さっきまでの元気を失い、私は項垂れる様に謝った。恥ずかしくて、消えてしまいたかった。

気付いて欲しかったはずなのに、気付いて欲しくなかったようだ。自分で自分が嫌になる。

目の前の彼は、そんな私をお構い無しに白い歯をのぞかせて笑った。


「いやあ、世間はお盆休みでしょ?誰もいないと思って。

一人で働いていると思うと空しくて。


気分転換に缶コーヒーでも飲もうと自販機の前に立ったんですよ。

そうしたら、コイツめっちゃ頑張って働いていて。缶コーヒーもしっかり冷たくて。

『自販機、お前は偉いな。誰も見ていなくても働いているんだな』って思ったら、なんか嬉しくて。


愛着が湧いていたら、後ろから歌声が聞こえて。

このフロア覗いたら、あなたが一生懸命歌いながら仕事していて。

その姿見たら、なんか勝手に共感しちゃって。


『俺は一人じゃねえ!』


って俺も叫びたくなったんです。」





そう言って、彼は私に缶コーヒーを渡した。

その缶コーヒーはやっぱり冷たくて、私の手のひらの熱を奪った。





「お仕事、大変ですけど。

お互い頑張りましょう!



『俺は一人じゃねえ!』」






彼は私を見て笑った。

私もつられて、笑った。

同じ様に、一人でも頑張っている人がいるのだ。




彼が去った後も、私は変わらず仕事を続ける。

そう、ただ坦々と。



違うのは、私は一人じゃないと気付いた事。

美味しい缶コーヒーがある事。






そして、帰りに警備員に言われた事。



「いつもお仕事、御苦労様です。」

働いてばかりで心配されていた様だった。

今朝の怪訝な顔も、私を心配していたのだ。





私は、心の中でこう叫んだ。







『私は、一人じゃねえ!!』





帰り道、私は笑いを堪えるのに必死だった。

幸せな、幸せな帰り道だった。



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