86手目 2回戦 津山〔駒北〕vs鞘谷〔藤花〕
※ここからは津山くん視点です。
はあ……僕は涼子ちゃんとか……なんだか怖いなあ。
「あら、津山くんなんだ、よろしく」
「よろしく」
僕らは席について、駒をならべ始めた。
正直、今さら話すこともないような組み合わせだ。
「振り駒をお願いします」
箕辺くんの声。先手にならないかな。なんとなく。
4番席から1番席をみるのはムリだから、僕らはおとなしく待った。
「駒桜北、偶数先」
おっと、僕が先手だ。
藤女のほうは振り駒の結果が聞こえない。
「なにやってるのかしら?」
「うちが偶数先なんだから、そっちは奇数先だよ」
合理的推論。
しばらくして、林家さんの声が聞こえた。
「藤花、奇数先ですよ」
ほらね。なんで報告が遅くなったのかは、よく分からない。
「対局準備の終わっていないところはありますか? ……では、始めてください」
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
涼子ちゃんがチェスクロを押した。
「3年生同士、おてやわらかにね」
僕はそう言ってから、7六歩と突いた。
涼子ちゃんは、すぐに8四歩。
「横歩じゃないんだ」
「津山くん、どのみち拒否するじゃない」
うん、するね。7六歩、3四歩なら、ムリヤリ矢倉。
本局は、普通に矢倉かな。
6八銀、3四歩、6六歩、6二銀、5六歩、5四歩、4八銀、4二銀。
いたって普通。
5八金右、3二金、6七金、4一玉、7七銀。
「早囲いか……」
早く囲えるかどうか、分かんないけどね。
涼子ちゃんは、ここで小考。不穏。
「……6四歩」
うわぁ、急戦っぽいなあ。右四間?
「2六歩」
僕も攻めの体勢を築こう。
5三銀右、2五歩、6二飛。
ほんとに右四間なんだ。涼子ちゃんらしいと言えば、らしいかな。猪突猛進。
「飛車先を交換させてもらうね。2四歩」
同歩、同飛、2三歩。僕はここで、2五飛と引いてみた。
「高飛車ね」
そう、これが本来的な意味の高飛車。飛車が高い位置にいるから。
日常生活でも、将棋用語って多いよね。王手とか、詰んでるとか、将棋倒しとか。
「それで四間が押さえ込めるとも、思えないんだけどなあ」
涼子ちゃんはそう言いながら、7四歩。
7八金(早囲いは諦めた)、3一玉、6九玉。
ここで、涼子ちゃんの手がまた止まる。
「ん〜♪」
「涼子ちゃん、今日は機嫌がいいね? なにかあったの?」
よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに、涼子ちゃんはほほえんだ。怖い。
「今日は、冬馬と一緒にお昼食べちゃった」
へぇ、オーダー会議とか、参加してないんだ。それって、上級生としてどうなの?
「なに食べたの?」
「リニューアルオープンしたパスタ屋さん」
なんか高そうだなあ。くららん、おごらされてなきゃいいけど。
っていうか、涼子ちゃんとくららん、付き合ってるわけじゃないんだよね? くららんから、そんな話、聞いたことないし、ただの幼馴染じゃないのかなあ。あとは、剣道部繋がりとか。涼子ちゃんはこのへんの地区の強豪だから、怒らせたら怖いんだよ。竹刀で突き殺されちゃう。
「それは、よかったね」
「ま、デートだから、悪いことはないわよね」
うん、そういうことにしておくよ。
しゃべって、だいぶ時間を使わせたな。盤外戦術。
「じゃ、6五歩ね」
「ええぇ? ここで仕掛けるの?」
僕は、思わず声に出してしまった。
「私の勝手でしょ」
「そりゃそうだけどさぁ……」
なにごとも、心の準備ってものがね。これ、同飛じゃダメなの?
6五同飛、同飛、同歩、4九飛、5九銀、2九飛成……さきに桂馬拾われちゃうのか。
6五同歩は7三桂で弾みがついちゃう寸法。くやしいけど、成立してそうだ。
まあ、取らないのもないし、取るよ。6五同歩。
以下、7三桂、2八飛、1四歩、7九玉、6五飛、6六歩、6三飛と進んだ。
どうしたもんかなあ。駒組みのやり直しかなあ。
僕は6八銀として、角筋を通しておく。
9四歩、5七銀右(さっき6八銀としてないと、ここで6五歩、同歩、同桂が両取りになる)、9五歩、3六歩。涼子ちゃんのほうも、手がないのかな? 9四歩〜9五歩自体が有効なのは認めるけどね。
5一金、4六銀、4四銀。5筋の攻防。
「3七桂」
涼子ちゃんは、長考に入った。もう一度仕掛けてくるとか?
右四間は仕掛けが成立しなかったら、だいたいこっちの勝ちとしたものだ。
例えば、5五歩と仕掛けてくるとして(こっちは中央が1枚足りないからね)、同歩とせずに、3五歩、同歩(さすがに無視はしないだろう)……あれ、これだと、3六歩の突き出しが厳しいのか。一回、2六飛と浮かないといけない。
(※図は津山くんの脳内イメージです。)
僕の飛車は忙しいな。また涼子ちゃんの手番。
5六歩、同金、5五歩、5七金は、あんまり怖くない。5六歩に無視もある?
「5五歩」
きた。3五歩、同歩、2六飛。
「7五歩」
そこかぁ。同歩〜7四歩と伸ばされても、平気ってことだね。6三飛の効果。市立の香子ちゃんが現れるまでは、この学年の女子で一番強かっただけのことはある。
感心してる場合じゃないな。マジメに考えよう。同歩、8五桂はマズいから、5五歩と取り返しておこうかな。例えば、5五歩、同銀、同銀、同角、4五桂、1九角成……待てよ。1九角成と踏み込まないで、3七角成の途中下車もあるのか。これが飛車当たり。5六飛と寄って、5五歩、5八飛、1九馬、3三歩、同桂、同桂成、同銀。
(※図は津山くんの脳内イメージです。)
微妙すぎるね。5五銀を取らないのは、あるのかな? 5五歩、同銀、4五桂、6六銀と突っ込んできて、同金、同角、同角、同飛、3三歩、同桂、同桂成、同銀、5五角。この角打ちが効くなら、僕も悪くない。戦えなくもないような。
こうしてみるか。
「5五歩」
涼子ちゃんは30秒ほど考えて、7六歩と取り込んだ。そっちかあ。
読みがムダになってしまった。考え直さないと。
5四歩と伸ばしたくなる。で、8五桂、4五銀とぶつけて、取ったら同桂が次の5三桂成をみて良し。もちろん、7七歩成と先行されるけど(あるいは7七銀から完全に清算してくるかな?)、それはしょうがない。
「5四歩」
「5六歩」
全然読みが合わない……まいったな。
ただ、これでも4五銀だろう。8五桂より5六歩のほうが痛いとは思えない。
「4五銀」
3六歩、同飛、5七歩成。
歩を成り捨てた? なんでだ? 拠点にするつもりだったんじゃないのかな?
僕は用心して、30秒ほど考えた。でも、狙いがよく分からない。
残り時間は、僕が15分、涼子ちゃんが14分。
同銀……同金かな? 同金、4五銀……いや、取らないか。んー、ごちゃごちゃする。同金、8五桂、4四銀、同角、4五桂、7七歩成とか?
これは、5七金がぼやけてるか。むしろ5七同銀で6六の地点を厚くしよう。
「同銀」
「1三角」
……………………
……………………
…………………
………………あッ!
「しまった……王様が角筋にモロ入ってる……」
「そうね」
涼子ちゃんはプシュっとペットボトルを開けて、炭酸水を飲んだ。
僕は両手を頭に回して、椅子をうしろに傾ける。
いやあ、まいったな、これ。形勢不利なんじゃないの?
素直に同金と取っておけばよかった。
反省してるひまもないから、続きを考える。4四銀、同歩、2五桂か?
(※図は津山くんの脳内イメージです。)
これが結構厳しい? 2四角、3三歩、同桂、同桂成、2五桂と打ち直して、4二銀なら3三歩、同銀、同桂成に、同金だろうと同角だろうと3四歩。強烈な攻めだ。
だとすると、そんなに痛くないのかな? 2五桂の打ち直しに逃げるのが悪い? 2五桂に3五歩と止めて、3三桂成、3六歩、3二成桂、同玉、3四歩、2九飛……飛車を打ち下ろされると、いきなり危なくなるのか……6九合駒、5八銀が詰めろで、6八金引、6九銀成、同金、5八金or銀……千日手か?
千日手でもいいかなあ……って、全然ならないぞ。6八金引に5七角成で終わりだ。
「マズかったな……」
僕は口元に手を当てて、右肩を斜めに出した格好で前のめりになった。
……………………
……………………
…………………
………………
4四銀はムリだな。6八銀と引こう。4五銀、同桂、5九銀なら、5三歩成、6八銀成に同金寄と一回取って、次に5七歩と蓋をすることができる。
「6八銀」
僕が指し終えると、涼子ちゃんは大きくうなずいた。
「まあ、そうしてくるわよね」
後手も受けてくると思うんだよなあ……あ、3三歩、やっぱり。
4五銀とはしてくれないか。仕方がない、こっちから交換しよう。
「4四銀」
「同歩」
「3五歩」
さすがに5三歩成〜5七歩の受けはないだろう。
「8五桂」
ついにきた。僕は7四銀と打って、飛車の位置を打診する。
「6二飛なら5六飛ってわけか……」
まあね。
「5六飛〜5三歩成は許容できないから……9三飛」
あ、そう逃げてくれるんだ。これは望外。
僕は6五歩と突いて、窮屈だった角をようやく解放した。
7七歩成、同桂、同桂成、同角。
「6二桂」
……ッ! 銀が詰んでるッ! しまったッ!
「な、7五歩」
「5四桂」
そっちかあ……拠点を完全に払われたな。7四の銀も冴えないし。
「5五歩。とりあえず桂馬を殺すね」
「6六歩ッ!」
5七金、7六銀、8八角、7七歩、同銀、6七銀成、同金寄、同歩成、同金。
もう一回6六歩と叩いてくるかな? 6八金、6七金なら歩切れになる。
「2六金ッ!」
「はうッ!?」
取れないじゃないかッ!
5六飛、3五角、7八玉、6六歩、7六金、3七金。
「5四歩ッ! 斬り合うよッ!」
「剣道部のエースと斬り合うなんて、いい度胸してるじゃないのッ! 4七金ッ!」
遅い。さっきの王手飛車の筋はびっくりしたけど、そんなに痛くないぞ。
「6六銀ッ! これで受かるッ!」
4六金、5九飛、2六角、4九飛、3七角成、2四歩。
急所を攻める。同歩、1六桂だ。
「くッ……意外と上が弱い……」
涼子ちゃんは、ここでしばらく考えた。
「入玉も辞さないわよッ! 2二玉ッ!」
それされると困るんだよなあ。入玉模様は苦手なんだ。
「阻止できるかどうか分かんないけど、2四桂」
2三金、2五歩、3六馬。上部開拓に来ている。
僕は持ち時間一杯まで使って、7九角と引いた。
「金取りか……5七歩」
同銀、同金、同角と清算する。角筋が通ったら、案外いけるんじゃない?
5八馬、3五桂、5七馬、3二金、1三玉、2三桂成、同玉、4四飛。
王手飛車の筋はないよね。注意しよう。
途中から、涼子ちゃんも1分将棋になっていた。
「寄せ……寄せは……」
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「単純明快ッ! 6七銀ッ!」
もうこれ、剣道だとぼこぼこの状態でしょ。よく知らないけど。
「8九玉」
「……7八角」
「9八玉」
涼子ちゃんは59秒まで考えて、7六銀成とした。
8八金と受けても、一手一手の状態。
ギャラリーが集まってるなあ。これは2−2かな。最悪だ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「1三金」
最後のお願い。同香と取って。
「同桂」
ダメだった。
「負けました」
「ありがとうございました」
……………………
……………………
…………………
………………
うーん、この空気。
「つ、津山先輩、負けちゃったっス」
「ま、しょうがないですよ」
大場さんと五見くんの声。
「途中は行ける気がしたんだよね」
僕は、感想戦を始めた。
「7四銀がムリあり過ぎだと思うわ」
と言われてもね。僕たちは局面をもどした。
「7四銀以外に、なにかあるかな?」
「7四銀って、6二飛と退かせる狙いでしょ? 9三に逃げれば問題なしよ」
手厳しいね。感想戦くらい、やさしくして欲しい。
「でもさ、こっちは6五歩って突けないと、どうしようもないんだよね」
角が働かないから。
「ここまで、どういう進行だったんですか?」
五見くんが感想戦に割り込んできた。
「えーと、こうなってこうなって……」
僕が口頭で説明すると、五見くんは眼鏡をくぃ〜。
「1三角とのぞかれた時点で、津山先輩が悪いと思います」
やっぱりね。五見くんも、歯に衣着せない物言いだ。
「そうっスよ。端角は激痛って、石田検校も言ってるっス」
「いつ言ったんですかねぇ。そもそも三間じゃないと思うんですが」
「五見くんはいちいち突っ込まなくていいっス!」
またこのふたり、ケンカしちゃって。ケンカするほど仲がいい。
「1三角とのぞかれて悪いなら、4五銀も成立しないってこと?」
僕は、すこし局面をもどした。
ギャラリーは、しばらく沈黙した。
「4五桂と跳ねてみるっスか?」
僕は黙って跳ねた。
涼子ちゃんはすこし考えて、8五桂と跳ね返した。
「5三歩成? 3三歩?」
だれとはなしに、僕は尋ねた。
「手抜けない点では、どちらも同じですね。僕は5三歩成を推したくなりますが」
と五見くん。
「3三歩だと桂交換、5三歩成は銀桂交換っスか……角ちゃんも5三歩成っすかね」
僕は後輩ふたりの提案を容れて、5三歩成とした。
同銀引、同桂成。ここで涼子ちゃんは迷った。
「同銀……いえ、同飛かしら」
「個人的には同飛のほうがイヤだよ。5七歩成の筋があるし」
「次に7七桂、同桂、同歩成、同銀、同桂成、同金寄、5七銀みたいな感じか……」
「それはお勧めしないっスね。桂馬を渡すと3四桂が痛いっス」
たしかに。3四桂があるなら、5三桂成に同銀もあるか。
「5三同銀か同飛のあと、6五歩とか、ないの?」
と涼子ちゃん。
「いや、それはないよ、さすがに。8八角成、同玉は、安全になってないから」
「そっか」
「3回戦は、15時15分からです。それまで休憩してください」
会場の奥から、箕辺くんの声が聞こえた。
「じゃ、休憩しようか。ありがとうございました」
「ありがとうございました」
場所:2015年度春季団体戦 2回戦
先手:津山 武
後手:鞘谷 涼子
戦型:矢倉
▲7六歩 △8四歩 ▲6八銀 △3四歩 ▲6六歩 △6二銀
▲5六歩 △5四歩 ▲4八銀 △4二銀 ▲5八金右 △3二金
▲6七金 △4一玉 ▲7七銀 △6四歩 ▲2六歩 △5三銀右
▲2五歩 △6二飛 ▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △2三歩
▲2五飛 △7四歩 ▲7八金 △3一玉 ▲6九玉 △6五歩
▲同 歩 △7三桂 ▲2八飛 △1四歩 ▲7九玉 △6五飛
▲6六歩 △6三飛 ▲6八銀 △9四歩 ▲5七銀右 △9五歩
▲3六歩 △5一金 ▲4六銀 △4四銀 ▲3七桂 △5五歩
▲3五歩 △同 歩 ▲2六飛 △7五歩 ▲5五歩 △7六歩
▲5四歩 △5六歩 ▲4五銀 △3六歩 ▲同 飛 △5七歩成
▲同 銀 △1三角 ▲6八銀 △3三歩 ▲4四銀 △同 歩
▲3五歩 △8五桂 ▲7四銀 △9三飛 ▲6五歩 △7七歩成
▲同 桂 △同桂成 ▲同 角 △6二桂 ▲7五歩 △5四桂
▲5五歩 △6六歩 ▲5七金 △7六銀 ▲8八角 △7七歩
▲同 銀 △6七銀成 ▲同金寄 △同歩成 ▲同 金 △2六金
▲5六飛 △3五角 ▲7八玉 △6六歩 ▲7六金 △3七金
▲5四歩 △4七金 ▲6六銀 △4六金 ▲5九飛 △2六角
▲4九飛 △3七角成 ▲2四歩 △同 歩 ▲1六桂 △2二玉
▲2四桂 △2三金 ▲2五歩 △3六馬 ▲7九角 △5七歩
▲同 銀 △同 金 ▲同 角 △5八馬 ▲3五桂 △5七馬
▲3二金 △1三玉 ▲2三桂成 △同 玉 ▲4四飛 △6七銀
▲8九玉 △7八角 ▲9八玉 △7六銀成 ▲1三金 △同 桂
まで132手で鞘谷の勝ち




