7手目 お遍路さんは友だちを待っている
翌朝、私は早めに起きて朝食を済ませた。他人の家だからちょっと迷惑にならないかなと思ったけど、桂太の家族も朝は早かった。おじいちゃんの弟が漁師だから、朝の4時頃には、みんな起き出しているのだ。カルチャーショック。
「いやあ、今日は潮風が気持ちいいね」
桂太は自転車を漕ぎながら、青み掛かった太平洋を一瞥した。
私もそちらに視線を伸ばす。6時になったばかりの海は、ほんとうに綺麗だ。朝日が海面を照らして、白銀の波が押し寄せてくる。昨日と同じ横浪半島からの眺めは、すこしばかり違ったものに思えた。
「あ、そこを右ね」
私たちはドラゴンビーチを通り過ぎて、有名な高校の校舎にさしかかったところで、右に折れた。すると大きな池がみえて、それに沿って自転車を走らせる。だんだん山が迫ってきたら、ようやく駐車場に到着した。
「これが独鈷山だよ」
見上げると、青々と茂った山がそびえ立っている。頂上付近にお寺があるらしく、そこまで石段がずっと続いていた。百段は優に越えているだろうか。
「ここからなら、太平洋が一望できるよ」
そう、私は太平洋を見に来たのだ。桂太は、今更という感じだったけど、無理を頼んでここまで連れてきてもらった。K知市観光は、午後に回してある。
私たちは自転車をとめてから、意を決して石段をのぼった。まずは三重の塔がみえて、さらに山門が控えている。それをくぐると、本堂があらわれた。途中で、菅笠に金剛杖を手にした白衣の中年男性とすれちがう。
「あれは、なに? お坊さん?」
私の質問に、桂太は呆れ返った。
「違うよ。お遍路さんだよ」
「おへんろさん? ……ああ、八十八ヶ所巡りのこと?」
ほかになにがあるのかと、桂太は尋ねた。
そういう言い方をしなくてもいいと思うんだけど。従姉妹に優しくない。
それに、お遍路さんをみたのは、これが初めてだった。
「青龍寺は、三十六番札所なのさ」
なるほど。ということは、なかなか霊験あらたかなようだ。
当初の目的とは違うけど、私はお参りして行くことにした。手洗い所で手を洗い、口をすすぐ。桂太に教えてもらったように、本堂で手を合わせておいた。桂太の話だと、本格的に八十八ヶ所巡りをするときは、もっと複雑な手続きになるらしい。さすがにそれはできないけれど、気分だけは味わえたかな、多分。
「じゃ、太平洋を見ましょ」
私が見晴らしのよい南側へ出ようとしたとき、ひとりのお遍路さんが目にとまった。目にとまったというのは、そのひとに得体の知れないものを感じたからだ。オーラとでも言えばよいのだろうか。ちょっと近づきにくい雰囲気が、遠距離からでも伝わってくる。
その少女は……そう、少女なのだ。初めは見間違えかと思った。ショートカットで、特になにもお洒落をしていない。普段からお洒落をしていないのかは、分からない。お遍路さんの格好をしているからだ。目に意志があって、口もとが引き締まっている。身長は高からず低からずで、女子高生の平均くらい。小顔だった。少女は杖を突きながら私のそばを通り過ぎ、そのまま手洗い所で手を洗い始めた。
「女の子もしてるのね」
私の独り言を、桂太は聞いていなかったらしい。スマホをいじっていた。
「あちゃあ……マズったな……」
「どうしたの?」
「M中の友だちと、遊ぶ約束してたの忘れてた」
どうやら、ダブルブッキングしてしまったようだ。
「ごめん、姉ちゃん、2時間ほど離れてても、いいかな?」
「えぇ? ここで2時間も待つの?」
「お昼まえに、自宅で集合っていうのは?」
ようするに、自分で帰れってことか。まったく。
「ま、いいわよ。道は覚えたし」
「ごめんね、午後はちゃんとK知市を案内するから」
桂太はそう言って山門を出ると、石段を降りて行った。
私は憮然とする。でも、それは一瞬で、毎日毎日桂太と顔を合わせていたから、こういうのもいいかな、と思った。ずっと子守りされる必要がある年齢でもない。それに、お遍路さんの通り道なら、治安も悪くないはずだ。
私はとりあえず、太平洋をみるため、南側のほうへ回ってみた。すると、島ひとつない広大な海がみえて、なんとも爽快な気分になる。海風も心地いい。背後からは、さきほどの少女だろうか、読経の声が聞こえてくる。神秘的だ。私は適当な石に腰を下ろした。
……………………
……………………
…………………
………………ヴィー ヴィー
俗世を離れた気分でいると、文明の利器が鳴った。スマホのメールだ。
桂太に違いないと思って、私は発信者を確認する。
「……松平?」
こんな時間に、なにかしら。メールをひらくと、今日中でいいから、電話をして欲しいという内容だった。ちょっとドキリとしたけど、姫野さんの名前がある。どうやら、姫野さんからの言づてらしい。
私は早速、掛け直してみることにした。
プルル プルル
《もしもし》
なんとも眠たそうな声が返ってきた。二度寝してたわね。
「松平? 裏見だけど、メール読んだわよ」
《ん? 起こしちまったか?》
「とっくに起きてたわよ」
私は、四国にいることを伝えた。松平は「ありゃ」っと言う返事。
「来週には戻るわよ」
《来週だと間に合わないんだよなあ》
「もしかして、急用?」
《いや、そういうわけじゃないんだが……姫野先輩から、招待されてな》
会話が通じないので、私は詳細を尋ねた。
《姫野先輩が、将棋の集まりでK戸に行くらしいんだ。駒桜の顔役で、例年は千駄先輩と傍目先輩が同伴してるんだが、千駄先輩は模試とかぶっててダメなんだと。傍目先輩も、都合が悪い。公平を期して、直近の県大会出場校から男女ペアで出すことになった》
「男女ペアって……あんたは県大会出てないでしょ」
それを言うなと、松平はしょげくれた。
《とにかく、俺と裏見が指名なんだ》
「将棋の集まりって、なにをするのよ?」
《姫野さんの知り合い同士で、毎年やってるらしい。身内の懇親会だな》
姫野さんの知り合い……セレブっぽそう。
「何日?」
《25日の月曜日だ。K戸で一泊させてもらえる。費用は気にしなくていいぞ》
「25日……あ、ちょうど淡路経由で帰る日だわ」
《マジか? じゃあ、そのままK戸へ来いよ。現地で合流すればいい》
K知からK戸への直行便って、あったかしら。
私はスケジュールをよく調べてから行くと伝えた。
《そっか……了解。いい返事を待ってるぜ》
「善処するわ」
私は通話を切った。スマホを握りしめたまま、太平洋をみやる。
どうしましょう。お母さんたちには、四国から直通で帰ると言ってある。
……………………
……………………
…………………
………………
ん? 私は視線を感じて、横を振り向いた。
さっきすれ違ったお遍路さん姿の少女が、じっとこちらを見つめている。
「あの……なにか?」
「失礼しました。一之宮さんのお知り合いかと思いましたので」
いちのみや? ……全然知らない名前だ。私は、素直にそう答えた。
「左様ですか……お名前をうかがっても、よろしいでしょうか?」
んー、あんまり教えたくないなあ。お遍路さんに偏見があるわけじゃないけど、十代後半でやっているところをみると、なかなか信心深いひとだと思う。
まあ、メールやMINEのアドレスを訊いてるわけじゃないから、いっか。
「裏見です」
「裏側に見る、ですか?」
私は、そうだと答えた。
すると、相手の少女は菅笠をはずして、礼儀正しく頭をさげた。
「拙僧は、大谷雛と申します」
せっそう? ……今、拙僧って言った?
「拙僧の名に、なにか?」
「あ、いえ……かわいらしい名前だな、と」
大谷さんは、うっすらと口もとをほころばせた。
「ありがとうございます。変わった名前だと言われることが多いので」
変わっているとは思う。漢字は分からないけど、ヒヨコっていうのはめずらしい。
っていうか、お遍路さんの格好と全然合っていない。
「大谷さんは、高校生?」
「はい、高校2年生です」
なんだ、同学年じゃない。私はそのことを伝えた。
すると、大谷さんは両手を合わせて、私を拝んだ。
「今生でお会いできたのも、なにかの縁と存じます」
「あ……はい……」
どう反応すればいいのか、さっぱり分からない。
「お、大谷さんは、この近くに住んでるの?」
「いえ、拙僧はT島から来ました」
「え? T島から? ひとりで?」
大谷さんは、首を縦に振った。
「夏休みを使い、ささやかながら弘法大師の足跡をたどっています」
えぇ……夏休みをお遍路に費やす女子高生……。
いや、バカにしてるわけじゃないんだけど……なんかいろいろ斜め上……。
「じゃあ、八十八ヶ所、全部めぐってるの?」
「残念ながら、それは無理です。大人でも四十日近くかかりますので。夏休みの宿題をしなければなりませんし、それ以外でも、様々な予定があります」
びっくりした。そりゃそうよね。
「三十七、三十八番の札所までは遠いので、今夏はここで打ち切りです」
「あ、ここがゴールなんだ。T島へは、徒歩で帰るの?」
「いいえ、旧友と会って、遊びながら帰ろうと思っています」
よかった。ちゃんと遊ぶ子なんだ。うんうん、高校生は遊ばないとダメよ。
それにしても、この子の旧友って、どんなひとなのかしら。
「お友だちは、K知のひと?」
「いえ、H島です」
……………………
……………………
…………………
………………
え? H島?
「私と一緒なんだ……」
「裏見さんも、H島出身なのですか?」
私は、口が滑ってしまった手前、白状せざるをえなかった。
「そうですか。では、裏見さんのお知り合いかもしれませんね」
いやあ、どうでしょう。一人称が拙僧の子と親しい知り合いなんて、いないと思う。
一方、大谷さんは、その友人と会えるのが楽しみなのか、えらく饒舌だった。
「物心ついた頃から遊んでいて、ひぃちゃん、しぃちゃんと呼ぶ仲です」
さいですか。これまたイメージと凄いギャップがある。
「ここで待ち合わせているのですが……まだいらっしゃらないようですね」
「え? ここで? 駅とかじゃないの?」
「交通機関は使わないと言っていました」
いや、交通機関を使わないで、どうやってK知まで来るのよ。ありえ……。
「待たせたな」
近くの木が揺れて、頭上から人影が降ってきた。私は悲鳴をあげる。
「神崎忍、見参」
白いTシャツに紺のジーンズを履いた神崎さんは、決めのポーズを取る。
「しぃちゃん、遅かったですね」
「うむ、瀬戸内海を泳いだまではよかったが、夜の山越えに難儀してな」
人間じゃない! このひと、人間じゃない!
「して、裏見殿は、なぜここにいるのだ。ひぃちゃんとは顔見知りか」
私は、違うと答えた。
「そうか……なにやら話をしているようにみえたが」
「たまたま出会っただけよ」
「やはり、しぃちゃんの知り合いでしたか。将棋指しは引かれ合うものですよ」
それ、どう考えてもオカルトでしょ。
「然り……ひさしぶりの顔合わせだ。一局、参るとしよう」
神崎さんはそう言って、腕時計を私に投げ渡した。あやうく落としかける。
「な、なに、これ?」
神崎さんは、私の質問を無視した。大谷さんと向かい合う。
「一手三十秒だ」
「望むところです」
こ、このシチュエーションは、まさかッ!?