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こちら、駒桜高校将棋部Outsiders  作者: 稲葉孝太郎
第7局 捨神くん物語(2015年5月6日水曜)
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75手目 捨神くん、自分と和解する

「ピアノを続けろ……?」

 結婚の予定を知らされた僕に、母さんはそう付け加えた。

「そうよ、最近、ピアノの練習をサボってるでしょ?」

「ピアノはやめたからね。もうやらないよ」

 母さんは僕に、ピアノの練習を再開するよう勧めた。

 僕が頑として首を縦に振らないから、母さんはとうとう怒ってしまった。

「どうしてそんなに聞き分けが悪くなったの?」

「家庭の事情に決まってるじゃないか。普通、分かると思うけど?」

 僕はそう言い放って、アパートを出た。

 いつもの場所に向かう。市内のゲームセンターだ。自動ドアをくぐった途端、にぎやかな音楽に包まれた。クレーンゲームをちょっと覗き込んでから、対戦台に近づいた。

 将棋のコーナーに、菅原(すがわら)先輩の後ろ姿があった。

「菅原先輩、こんにちは」

「ああ、捨神(すてがみ)か」

 先輩は振り向きもせずに挨拶した。

「調子はどうですか?」

「6連勝中だな」

「アハハ、やりますね。僕と一局、どうです?」

 先輩は答えずに、将棋を続けた。僕は黙って観戦した。

 ……詰んだね。菅原先輩に見落としはなさそうだ。僕は向かい側の台に座った。

 専用のカードを挿入して、チャレンジボタンを押した。

 菅原先輩の台から、勝利の効果音が聞こえた。

「それじゃ、よろし……」


 対戦拒否

 

 ……あれ? 僕は、台越しに先輩を覗き込んだ。

「指さないんですか?」

「ちょっと外の空気吸ってくる」

 僕は、黙ってあとを追った。外に出ると、知らない男子がふたり固まっていた。

「ちぃす……そいつ、だれですか?」

 金髪の少年が、僕を怪訝そうに睨んだ。

「ゲーセンで肩がぶつかったとか?」

 べつのひとりが茶化した。両耳にピアスをしていた。

「バカ、俺がそんなことでいちいちつっかかるかよ」

「本気にしないでくださいよ。で、だれなんですか?」

「こいつが捨神だ」

 菅原先輩に紹介された僕は、よろしくとかなんとか、適当に挨拶した。

「ああ、こいつが捨神か……よろしく」

「はい……よろしく……」

五十嵐(いがらし)、びびらしちゃダメだろ」

 少年たちは、意味もなく笑い転げた。僕はどう反応していいか迷った。

「おいおい、将棋に関しちゃ、おまえらなんか瞬殺なんだぞ?」

 菅原先輩のひとことで、僕はなんとなく事情を察した。

「このひとたち、将棋部ですか?」

「将棋サークルな。いきなり部はムリだった。サークルから頑張るぜ」

 菅原先輩はそう言いながら、ニット帽をずらしてため息を吐いた。

「つっても、バカばっかだからな、うちの高校は」

「来年、この捨神ってやつに入ってもらえばいいじゃないっすか」

 ピアスをした少年のアドバイスに、菅原先輩は表情を変えた。

「バカ、捨神はうちに来るようなタイプじゃねぇよ。勝手に引き込むな」

「え? こいつの格好、どうみても……」

「いいから黙ってろ」

 ピアスの少年は、菅原先輩の気迫に押されて、口をつぐんだ。

「とにかく、捨神、おまえはちゃんと学校に行け」

「すみません……なんかの冗談ですか? 先輩がそれ言います?」

「冗談じゃねぇよ。おまえはピアノなり将棋なり、どっちかに打ち込め。いいな?」

「……いやです」

 菅原先輩は、もういちど深くため息を吐いて、それからゲーセンに戻った。

 僕もついて行ったけど、あいかわらず対戦拒否されてしまった。まあ、インターネット回線を使った全国ネットワークだし、僕は適当に他のプレイヤーと対戦したよ。そんなに負けないから、金欠になるようなこともなかった。

 そして、幾日もが過ぎた。

「あ、いたいた」

 いかにもギャルっぽい女子高生が、背後から話しかけて来た。

「ねえ、この子が話あるんだけど」

 金髪ツインテールの子が、黒髪ショートの子を指差した。ふたりの関係は、だいたい想像がついた。クラスメイトで、ツインテールのほうは遊び人。ショートの子はおとなしめで、このゲーセンへ来るために、アテンドを頼んだわけだ。そんなところだろう。

「僕のほうはないです」

 僕は盤面を見たまま、そう答えた。

「そう言わずにさ、すぐ済むから」

「好きとか嫌いとかの話なら、間に合ってます」

 押し問答のすえ、ショートの子が泣いて幕引きになってしまった。

「ちょっとイケメンだからって、いい気になってんじゃないよ」

 ツインテールの子は悪態をついて、友だちと一緒にゲーセンから出て行った。

 それと入れ替わるように、菅原先輩が僕のうしろに立った。

「もったいねぇな。あいつ、そんなに悪い子じゃないぜ?」

「僕は女の子に興味ないです」

 背中越しに、菅原先輩のおどろいている様子が伝わってきた。

「マジか? ……おまえ、御城(ごじょう)と同類だったのか?」

「どう受け取ってもらっても結構です」

 なんの本で読んだかは忘れたけど、こんな話を覚えてる。昔々、母親とふたり暮らしをしていた男がいた。ある日、母親が病気になって、死の床で男に言うんだ。おまえの本当の父親は、亡くなった夫じゃなくて、山向かいに住んでるだれだれさんだから、そのひとにお世話になれってね。そして、男は生涯、独身で過ごすことになる……当時の僕の心境を表すとすれば、そんな感じだった。

 いや、ちょっと正確じゃないかな。その男は多分、女性不信になったんだろうね。でも僕の場合は、僕自身が怖かったんだ。父さんみたいに、ころころと相手を変えるような浮気者になるんじゃないかって、中学生ながらにおびえていた。

「まあ、おまえの趣味には口出ししないけどな。ところで、秋の大会は出るのか?」

 夏休みも後半に入って、菅原先輩は大会のことが気になってるみたいだった。

「いえ、出ません」

「……マジか? また気が変わったのか?」

「優勝しても、おもしろくないですから」

 菅原先輩は、しばらく無言になった。

「……なにがあったのか知らねぇが、おまえ世の中舐め過ぎだぞ?」

 僕はボタンから手を離して、うしろを振り向いた。雨が降っているのか、菅原先輩の帽子は濡れていた。耳を澄ますと、たしかに雨音が聞こえた。

 菅原先輩は怒ってるみたいだったけど、僕も頭にきていた。

「先輩には言われたくないですよ」

「バカ、俺は高校卒業したら工務店に就職するからいいんだよ。今だって、近所の手伝いをしてるんだからな。おまえは、計画性があって遊んでるのか?」

 僕が反論できないでいると、店員さんがやってきた。

 喧嘩してると思われた可能性があったから、僕らはすこし距離を取った。

「捨神くんっていうのは、きみかな?」

「え……はい」

 まずいな。警察が来たんじゃないだろうか。

 僕は不安になった。さすがに警察沙汰は経験してなかったからね。

「お母さんから、電話がきてるよ」

「母さんから? ……切っといてください」

「それが、急用とかで……もしかしたら事故かもしれないし、出たほうがいいよ」

 僕はわざとらしくため息を吐いて、席を立った。

 菅原先輩の視線を背後に、僕はレジのとなりにある業務用の受話器を取った。

「もしもし?」

《はじめちゃん? どこにいるの?》

「どこでもいいでしょ。で、なんの用?」

《今日は午後から県のピアノコンクールがあるわよね。準備しないと》

「それは、さんざん断ったでしょ。じゃあね」

 僕は、電話を切ろうとした。

《待ってちょうだい》

 あまりに真剣な制止だったから、僕はひるんでしまった。

《お父さんはね、あなたがピアノを止めたら、結婚の話はナシだって言うの》

「……は? なに言ってるの?」

《エントリーはこちらで済ませたから、早く着替えを……》

「バカにしないでッ!」

 僕は受話器を叩き付けて、ゲーセンを飛び出した。

 朝から曇っていた空は、本降りに変わっていた。雨粒が頬を打った。

 僕は一直線に学校へと向かった。雨宿りをするためじゃなくて、独りになるため。僕は裏口のそばにある、のぼり階段のしたに、じっとうずくまっていた。

「捨神、やっぱりここにいたのか」

 顔を上げると、箕辺(みのべ)くんが立っていた。

「……どうして分かったの?」

「落ち込んでるときは、よくここに来てたからな」

 僕は立ち上がると、アハハと笑ってごまかした。

 雨で涙の跡が隠れてくれるといいんだけど。

「箕辺くんは、なんでここに?」

「おまえのお母さんから、捜してくれって頼まれたんだ」

「えッ……」

「今日は、大事なコンクールがあるらしいじゃないか。逃げちゃダメだぞ」

 僕はもう、渇いた笑いしか浮かばなかった。

 最後まで分かってくれると思っていた箕辺くんに、なにも伝わっていなかったんだ。

「なにがおかしい?」

「なるほどね、結局、箕辺くんも僕のことを、そんなふうにみてたわけだ」

「そんなふうにって……どういう意味だ?」

 僕は、すべてを話した。箕辺くんは真っ青になって、しばらく絶句していた。

「おまえ……なんで今までそれを……」

「なんで? なんでって言われてもね……たしかに、もっと早く話せばよかったかな。でもさ、重要なのは、そこじゃないんだよ。箕辺くんも、僕の父さんや母さんと同じようにしか僕を見てなかった……そこが重要なんだ」

「すまん……言ってる意味が分から……」

「要するにさ、箕辺くんが友だちになりたかったのは、『ピアノがうまい捨神くん』『将棋が強い捨神くん』なんでしょ?」

「そんなわけないだろ」

「ほんとに、そう言い切れる? 僕があのとき、芝生の上に寝転がってても、将棋に興味を示さなくても、今と同じように付き合ってくれたって、断言できる?」

 箕辺くんは、返事をしなかった。それが彼の誠意だったのかもしれない。

「言い切れないよね。だって箕辺くんは、僕のピアノに関心を持ったんだし、小学校のときに遊んだのも、もっぱら将棋だったもんね。僕は体が強くないから」

「……」

本榧(ほんがや)の将棋祭りで負けたとき、自分が空っぽになったような気がした。理由は分からなかった。そして今年、県大会で優勝した。頑張ったよ。でも、県代表になれたのに、あの日と同じような気持ちになった……なんでだろう。ずっと考えてた。ずっとね。たった今、その答えが分かったよ。結局のところ、捨神(すてがみ)(はじめ)は、将棋が強いということにしか、ピアノがうまいということにしか、存在意義がないからさ。本榧で泣いたのは、僕の存在意義が否定されたと思ったから。県代表で空しかったのは、そこにしか存在意義がないと気づいたから……これが答えなんだよ」

「どうしてそんなふうに考えるんだ? 才能だって、おまえの一部だろう?」

「違うよッ!」

 僕は箕辺くんのまえで、初めて大声を出した。

「違うよ……それじゃダメなんだ……それじゃ、弱い本当の僕が救われないから……」

「どっちが本物で、どっちが本物じゃないなんて、そんなのは屁理屈だ」

「だったら、僕がピアノコンクールを拒否しても、これまで通りの関係でいてくれる?」

 これが決め手だった。箕辺くんは、詰んでいる。僕をムリヤリ連れていけば、彼と僕との友情は、ピアノでしか繋がっていないことを白状してしまうから。

「……分かってくれたみたいだね」

 僕は階段下から出て、そのまま校庭へとむかった。

「夏休みが終わったら、また遊ぼうね。将棋はしないけど」

「……」

 僕は学校の敷地を出て、ふらふらと町中を歩いた。

 足が家とは違う方向にむいて、とある路地へ迷い込んだ。

「あれ、捨神くんじゃないか」

 突然、男性に声をかけられた。振り向くと、八一(やいち)のマスターがいた。

「傘を忘れたのかい? やむまで店にいてもいいよ」

「……営業中じゃないですよね」

 マスターは、呆れたように笑った。

「アハハ、雨宿りに、営業もなにもないだろう。ささ、あがってあがって」

 僕は、鈴の鳴るドアをくぐって、店内に案内された。箕辺くんたちと、何回か来たことのある喫茶店だった。高校将棋部員のたまり場になっている場所だ。

 マスターは僕をカウンターに座らせて、コーヒーを一杯出してくれた。

「……ありがとうございます」

 僕は一口だけ飲んで、冷えた体を温めた。

「こういう日は、傘を持ち歩いたほうがいいよ。都会と違って、雨宿りは苦労するから」

「……ひとつ尋ねてもいいですか?」

「なんだい?」

「コーヒーを淹れるのがうまいマスターと、将棋の弱いマスター、どっちが本物だと思いますか? つまり……どっちを肯定してもらいたいと思いますか?」

 マスターは眉毛をかるく持ち上げて、口の端に笑みをこぼした。

「むずかしい質問だね……ありきたりだけど、どっちも、かな」

「どっちも、ですか……僕は、弱いほうを認めて欲しいです」

「それはまた、なんでだい?」

「そっちが本当の僕だと思うからです」

 マスターはティーカップを拭きながら、そっと目を閉じた。

「そうか……でも、僕みたいな一般人には、きみのような才能はないけどね」

「どうしようもなく弱い人間に、たまたま尖ったところがふたつあるだけです」

 マスターは、最後のティーカップを棚に仕舞った。窓ガラスに、水の線が走っていた。

「それなら捨神くんは、どういうふうに接して欲しいんだい?」

「ピアノや将棋とは、無関係なところで……」

 僕はそこで、口ごもった。

「無関係なところで?」

「いえ……現実にどうして欲しいってわけじゃないんです。ただ……僕からピアノと将棋を引いたら、友だちがだれもいなくなる気がするんです。それが怖いんです」

「これは、おじさんの独り言だけど……弱い部分を認めてもらうっていうのは、そこに寄り添ってもらうことなんじゃないかな。だれかに補ってもらうんだ」

「僕の弱いところを……補う……」

「捨神くんには、寄り添ってくれる友だちが、たくさんいると思うよ」

 そのときだった。入り口の鈴の音が鳴った。

「捨神ぃ……捜したぞ」

 そこには、ずぶ濡れの菅原先輩と箕辺くんがいた。

「すまん……あとを追ったんだ……ここを見つけて、菅原先輩に電話した……」

 箕辺くんは、申し訳なさそうに弁解した。

「ほんと、どうしていいか分からなくて……俺には、なにもできないから……」

「箕辺くん……」

 僕は椅子から立ち上がって、そっと箕辺くんを抱きしめた。

「ありがとう」

 だれが僕にずっと寄り添ってくれていたのか、そのとき初めて分かった気がした。

「捨神、時間がねぇ。さっさと出るぞ」

 菅原先輩は、僕にヘルメットを渡した。

「これは?」

「もうバスじゃH市まで間に合わねぇ。バイクで行く」

「先輩、バイクを持ってたんですか?」

「借り物だよ」

 僕たちはマスターにお礼を言って、外に出た。雨はあいかわらず強い。

 菅原先輩はバイクにまたがって、僕をうしろに乗せた。

「スピード違反覚悟で行くぞ」

 僕が返事をするまえに、タイヤが凄まじいうなりを上げた。

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