74手目 捨神くん、大いにぐれる
お葬式の当日は、小雨の降る肌寒い朝だった。
僕は学校の制服を着て、箕辺くんの家にむかった。
「お悔やみ申し上げます」
ひとの列が長かったから、僕はそそくさと会場に押し流された。
受付のところでは、箕辺くんのお母さんと、もうひとりおばあさんがいた。多分、箕辺くんのお父さんのお母さんかな。一度だけ、見たことがあるような気がした。
学生将棋の面々も、辻姉を筆頭にそこそこ来ていた。
「まさか駒桜市で、こんな事件が起こるなんてね」
辻姉は、ちょっと押さえ気味の声で、そうつぶやいた。
「え、姉さん、どういうこと? 病気じゃないの?」
弟の辻先輩は、隠れていないほうの目を見開いた。
「刺されたらしいわよ」
「辻姉、そういう話をする場所じゃなかろうが」
大柄な学ランの高校生が、辻姉をたしなめた。
あとで知ったけど、駒桜市立の秋山さんだったみたいだね。
「あら、ごめんなさい」
話は、当たりさわりのない方向へ移ろいだ。
そんななかで、僕は頭が混乱していた。刺された? だれに?
そういうのは、漫画か小説のなかの出来事だと思っていたから、ショックだった。
「よぉ、捨神」
ちょっと制服を着くずした少年が、僕に声をかけてきた。
「あ、菅原先輩、おはようございます」
「おまえも来てたんだな……まあ、当たり前か」
さすがの菅原先輩も、すこし落ち込んでるみたいだった。
僕は、この先輩に対して、ちょっと怖い印象を持っていた。不良で有名だったからね。師匠や他の3年生は普通に付き合っていたけど、その感覚を共有できていなかった。
「ところで、秋の個人戦は出なかったんだな。忙しかったのか?」
「はい、ピアノの練習があって……」
「ピアノね……将棋をやめたわけじゃないんだろ?」
僕は、なんとも答えようがなかった。
「ん? その様子だと、もしかしてやめたのか?」
「いえ、箕辺くんたちとは指してます」
「そっか、そりゃよかった」
菅原先輩は安堵のため息をついて、両手をポケットに突っ込んだ。
「まあ、出てくれなくて助かったぜ。おかげで俺の優勝だったからな」
「あ、おめでとうございます。でも、菅原先輩って、もとから強いですよね」
「千駄とおまえのほうが強いな」
菅原先輩は、あっさりと自分が弱いことを認めた。
「ま、喧嘩ならどっちも一発か」
菅原先輩は、ポケットから左手を取り出して、僕の額に人差し指を押し当てた。
「喧嘩は……ちょっと……」
「菅原くん、また後輩にちょっかいかけてるのかい?」
前髪のピンと立った、キザっぽい少年が現れた。
「んなわけねぇだろ。いちゃもんつける気か?」
菅原先輩がメンチを切ったのに、相手は平然と櫛をとりだして、前髪をととのえた。
「僕の質問がいちゃもんなら、きみの捨神くんに対する質問もいちゃもんだろうね」
「おまえ、ごちゃごちゃ言ってんじゃねぇぞ」
「はい、そこまでだよ、菅原くん、幸田くん」
もうひとり、眼鏡の先輩が割り込んだ。駒桜市中学将棋連盟の会長、千駄先輩だった。
「後輩の親族の葬儀で、くだらない喧嘩をしてる場合じゃないだろう」
「んなこと言ってもよ……こういうのは苦手なんだよな」
菅原先輩は、めんどくさそうに答えた。お葬式がどうでもいいというよりは、お葬式の雰囲気がイヤなようにみえた。ああ見えて、結構センチメンタルだからね、菅原先輩は。
とりあえず、その場は収まって、僕たちは焼香をあげてから、会場を出た。帰り道、僕は箕辺くんに呼び止められた。とても悲しげな顔をしてたけど、僕に笑ってみせた。
「捨神……このまえは、途中で帰って悪かったな。準優勝おめでとう」
「え……その……」
なんて答えればいいんだろうか。まさか、謝られるとは思わなかった。
「僕のほうこそ……帰るのが遅くならなかった?」
「いや……どのみち間に合わなかったと思う」
しんと、あたりが静かになった。
遠くで、帰りの学生たちの声と足音だけが聞こえた。
会場にぶら下げられた提灯に、ひらひらと虫たちが集まり、怪しげに舞っていた。
「僕は最初から父さんがいないけど……箕辺くんのお父さんはかっこよかったよ」
僕がそう言うと、箕辺くんは一瞬、言葉に詰まった。
この台詞は、正しかったんだろうか?
安易に自分の境遇と重ねてしまったのかもしれない。しかも、事実誤認で。
「サンキュ……そう言ってくれると、うれしい」
「薫ちゃんは?」
「薫なら、奥で休んでる。泣き疲れたんだろう」
僕たちは、話すことがなくなった。夜風が吹き抜けた。
「……明日、学校に来る?」
「当たり前だろ。明日は平日だ」
僕たちはうなずき合って、それからさよならを言った。
箕辺くんのお父さんが死んだことは、一大事件だったけど、やっぱり世の常で、次第に風化していった……いや、この表現は、正確じゃないね。だれも、そこに敢えて触れようとしなかった、って言うほうが正しいね。うん。
そして、冬休みの直前、僕は決定的な事実を知ることになった。
「え……父さんが生きてる……?」
「そうよ、あなたの父さんは生きてるわ」
僕は、めちゃくちゃ困惑した。アパートの一室が、ぐるぐる回ってるみたいだった。
「ど、どういうこと? もしかして、ずっと病院に入ってるとか?」
「違うわよ。ちょっと事情があって、一緒に住めなかっただけ」
「事情って、なに? まさか刑務所?」
「海外にいたのよ。3人じゃ住めないから、お母さんは日本に残ったの」
「外国人なの? 僕の肌が白くて眼が赤いのって、そのせい?」
僕は、カラコンの事実を、箕辺くんと葛城くんにも話したことはなかった。
「違うわよ。日本人よ」
「じゃあ、なんで僕は他の日本人と違うの?」
母さんは、すごく答えにくそうにしていた。
「あなたは、めずらしい病気なのよ」
「え? 病気なの? 死んじゃうの?」
「心配しなくていいわ。ちょっと色素が薄いだけよ」
「……ふーん」
僕は、なんとなく納得した。納得しようと思い込んだのかもしれない。
それに、とても嬉しいことがあった。父さんは生きてるんだ。
「で、父さんは帰って来るんだよね? 僕に教えたってことは、そうだよね?」
「そうね、もしかしたら、一緒に住めるかもしれないわ」
「もしかしたら? ……なんで? 喧嘩してるの?」
「帰って来れるかどうか、まだ分からないからよ」
僕はその夜、布団のなかで、父さんが帰って来ますようにとお祈りした。
だけど、その途端、箕辺くんのお父さんの面影が、ちらりと浮かんだ。
昔、僕には父さんがいなくて、箕辺くんにはいた。かっこいいお父さんが。でも、箕辺くんのお父さんは、死んでしまった。逆に、僕の父さんは帰って来るかもしれない。これでいいんだろうか? いいに決まっている。そのはずだ。箕辺くんのお父さんが死んだことと、僕の父さんが帰ってくることとのあいだには、なんの関係もない。
それなのに、僕は心の片隅で、なぜか罪悪感を覚えてしまった。次の日、箕辺くんと顔を合わせたとき、眼をそらしてしまったほどだ。
「お、どうした? 捨神、なんかいいことあったのか?」
「ん……なんでもないよ」
僕がそう答えると、箕辺くんはしたり顔になった。
「ははん、さては彼女ができたな。だれだ、相手は?」
「ち、違うよ、なんでそうなるの?」
「隠さなくてもいいぞ。おまえ、週1でラブレターもらってるらしいじゃないか」
「もらってないよ。だれがそんな噂してるの?」
もらってたのは事実だけど、週1じゃないよ。ほんとだよ。
全部断ってたしね。ほんとだよ。飛瀬さん、疑ってないよね?
「うらやましいな。気になる子も、いるんじゃないのか?」
僕はこの話題を早く打ち切りたかったから、断固としていないと答えた。
ほんとは、何人か……あ、なんでもない。なんでもないよ。
春休みになっても、父さんは帰ってこなかった。やっぱりダメなのかな。僕は、写真を見せて欲しいとしつこくねだったけど、ダメだった。ないって言うんだ。どうして、ないんだろうね。おかしいよね、さすがに。なんだか変な気がしてきた。
生きてるなんて言って、実は死んでるんじゃないだろうか?
あるいは……離婚してる? 内心、この可能性が一番高いと思っていた。
ただ、再婚するんじゃないかな、という期待もあった。だって、再婚しないなら、僕にあんなこと言う必要がないもんね。その期待が半分くらいで、もう半分は、父さんがとても怖いひとなんじゃないかな、っていう不安。離婚だとしたら、なにか不和があったとしか考えられない。暴力? お酒?
「父さんって、怖い人?」
「いいえ、怖くはないわよ」
母さんは、あっさりと迷いなく答えた。だから、僕も安心した。
「いつ帰ってくるの? それとも……帰ってこないのかな?」
「もうすこし待っててちょうだい」
そのときの母さんの口調に、僕はドキリとした。
なにか、凄まじいものを感じた。
「う、うん……いい子で待ってるよ」
春休みが明けようとした頃、ついに父さんはやってきた。
思いも寄らない形でね。
「ねぇ、いつになったら結婚してくれるの?」
「まだ時期じゃない。マスコミがうるさいからな」
「マスコミ、マスコミって……ほんとは結婚する気がないんでしょ?」
「その気はある。あの子の才能なら、私が引き取ってもいい。だからこそこうして、あの子には先行投資している。ピアノの才能は本物だ。私の知人が請け合ってくれた」
「認知してくれるわけ?」
「……それはムリだ……私の社会的地位にかかわる。きみの連れ子にしてもらいたい」
「あなた、それで私が納得すると思ってるの? あの女は死んだのよ?」
「私の妻だぞ。そういう言い方はやめて欲しい」
「散々不倫しておいて、今さら聖人ぶってもしょうがないじゃない」
「きみこそ、私に妻があることは知っていたはずだがね」
目の前でなにが起きているのか、わけがわからなかった……わかりたくなかった。本当にたまたまだったんだよ。母さんが、なぜかおめかししてどこかに出かけるから、あ、これは父さんに会いに行くんじゃないかって思ったんだ。不幸なくらいに冴えてた。ホテルかどこかで密会すればいいのにね。そうすれば僕が知ることも……たらればか。
「あまり連絡は取らないようにして欲しい」
「どうして? 未来の奥様なのに?」
「私の立場を分かって欲しい。政治家というのは……ん」
父さんは、僕に気づいた。僕は全速力で、その場から逃げ出した。
家に帰ったのは、次の日だった。母さんは、なにも言わなかった。
まあ、気まずいよね。それからだよ。僕が本格的にグレ始めたのは。
「捨神……ちょっと話があるんだが」
昼休み、僕が学校の屋上で寝ていると、箕辺くんが現れた。
「ん、なんだい?」
「捨神、最近になって、授業サボってるよな?」
「うん、サボってるよ……で?」
「で、じゃないだろ。4月からそんなことしてたら、出席が足りなくなるぞ?」
「だから?」
「おい……ほんと、どうしたんだ? なにかあったのか?」
「うん、あったよ」
「なにがあったんだ?」
僕は、わざとらしく笑った。
「アハハ、それは言えないよ」
「俺とおまえの仲だろ? ふたばも、めちゃくちゃ心配してる」
「そう……じゃあ、頼みがあるんだけど」
「なんだ? やっぱりなんかあったのか? イジメられてるのか?」
「全然。そうじゃなくてさ、将棋部に入れてよ。箕辺くん、主将だよね、たしか」
僕のお願いに、箕辺くんは眉をひそめた。
「将棋……? 将棋が指せないから授業をさぼってるわけじゃないだろ?」
「吹奏楽部がくだらないから、辞めようと思ってるんだよね」
箕辺くんは、二度びっくりした。
まあ、くだらないよね。あんな男の後援で頑張ってたなんてさ。校長先生が僕にいきなり目をつけてきたのも、裏でなんかあったんだろうね。寄附とか。師匠の言う通りだったよ。もう吹奏楽部にいる理由はなかった。
「なあ……ほんとになにがあったのか言ってくれ。力になるぞ」
「気持ちはありがたいけど、箕辺くんじゃムリだよ」
「高校生に絡まれてるとかか? 菅原先輩に頼めば解決するぞ」
僕は、のらりくらりとかわして、箕辺くんに入部を認めさせた。結局、僕のお願いを聞けば、すこしは態度がよくなるかな、と思ったんだろうね。箕辺くんらしいよ。
それで、春の個人戦には復帰することになった。会場は、うちの中学の体育館。
「す、捨神、なんだその格好?」
「え? 変かな?」
「制服を着て来ないとダメだろ」
僕は、レインコートにズボンという格好で会場にやって来ていた。
「そんな規約ないでしょ。僕はこれがいいんだよ」
大会が始まった。僕は、あっさり優勝したよ。
決勝は兎丸くんとだった。今年の春と一緒。
帰り道、僕は賞状を持って、箕辺くんと葛城くんに挟まれていた。
「すごかったねぇ」
と葛城くん。
「アハハ、師匠の世代が抜けたら、こんなもんだよ」
「そういう言い方はよくないぞ」
「箕辺くんは、僕が強いって認めてくれないの?」
「それとこれとは話が別だろ」
「どう別なの? 県代表になれるかもって、箕辺くんも言ってくれたよね?」
箕辺くんは、返答に詰まった。
「嫌みで言ってるわけじゃないよ。あれは嬉しかったからね。今回は、本気で県代表を狙いに行くからさ。期待しててよ。応援にきてくれるんだよね?」
「あ、ああ……もちろんだ……」
それで、僕の母さんは7月に……え? 県大会はどうなったかって?
優勝したよ。めちゃくちゃ頑張ったからね。必死だった。あれだけ大口叩いて、箕辺くんたちのまえで負けるわけにはいかなかった。見栄だよ、あんなの。決勝で詰みを発見したときは、吐きそうなくらいだった。
ただ、なにもいい思い出が残らなかった。おまけに体調も悪くなった。どうしてそんなことになるのか、自己分析しても、全然明らかにならなかった。本榧の将棋祭りで負けたときも、こんな感じだった。あのときは、将棋に負けたから、悔しくて心理的に参っただけだと思っていた。でも、今回は優勝したんだ。それなのに、なぜ? 僕は悩みに悩んで、とうとう考えることを放棄した。全国大会はあっさり負けてしまった。
そして、ついに母さんが結婚することが決まった。あの男とね。




