69手目 捨神くん、師匠とぶつかる(1)
「負けました」
「ありがとうございました」
僕は一礼して、手っ取り早く感想戦を済ませた。
席を立つと、箕辺くんたちが待っていた。
「捨神、すごいな、ベスト16だぞ」
「そう?」
ベスト16がどれくらいすごいのか、実感が湧いてこない。
「俺なんか、2回戦負けだもんなあ」
「ボクもさっき負けちゃった」
箕辺くんはベスト64、葛城くんはベスト32ってことだね。
「やっぱり連れてきて正解だったな。次も頑張れよ」
「……うん」
僕は、ちょっと小声で答えた。さっきから、もやもやする。
将棋の内容じゃなくて、心のもやもやだった。その正体は分からないけど。
《それでは、昼食休憩に入ります。再開は、1時からです》
アナウンスが入って、会場内がますます騒がしくなった。
そう言えば、お昼はどうするんだろう。
僕が疑問に思っていると、箕辺くんたちは鞄を持って来た。
「それじゃ、お弁当にしよう」
「そうしよぉ」
お昼は持参しないといけないんだ。僕は初めて気づいた。
「……僕、お弁当ない」
「きみのは、おじさんが作っておいたよ」
僕の肩を叩いて、八一のおじさんが布の袋をみせてくれた。
僕は困惑した。
「あれ? いらなかった? もしかして、学校からお小遣いもらってたかな?」
「い、いえ……ありがとうございます」
おじさんは安心したのか、にっこりして僕に袋を手渡した。
もう冷たくなってるはずだったけど、なぜか温かく感じられた。
「駒桜は、あっちに集まってるな」
箕辺くんを先頭に、僕らは駒桜市の集まっているブースに向かった。
さすがに、そろそろ顔を覚えてきた。近くにいるのは、辻先輩だった。
あ、弟のほうね。
「捨神くん、どうでしたか?」
「まだ残ってます」
辻先輩は、半分意外、半分感心といった感じだった。
「それはすごいですね。僕はさっき負けちゃいました」
「俺なんか一回戦負けだぞ」
となりで、松平先輩がふてくされていた。
ってことは、あのスーパーあゆみちゃんが勝ったわけだ。
「スーパーあゆみちゃんさんは、まだ残ってますか?」
「え? だれですか?」
僕が名前を繰り返すと、辻先輩はやっと理解してくれたらしい。
「ああ、駒込先輩ですか。残ってますよ」
辻先輩はそういいながら、お弁当の蓋を開けた。
僕も袋を開けて、お弁当箱を取り出した。
しばらく、物珍しそうに眺めていた。
「どうしました? お腹が空いてないんですか?」
「あ、いえ」
僕は蓋を開けた。初めて見る絵本みたいな世界だった。
おにぎりがあって、ウィンナーと卵焼きと、それから他にも色々。
今でもはっきり覚えてるよ。
「いただきます」
「いただきます」
僕はどれから食べようか迷って、それからおにぎりをつまんだ。
中には梅干しが入ってて酸っぱかった。
「あれ? つじーんの弁当、なんか変じゃないか?」
松平先輩が、口をもぐもぐさせながら言った。
「なにが変なんですか?」
「おにぎりの形がそろってないぞ」
「これは姉さんが作ったんですよ」
「かぁ、また姉ちゃんか。姉ちゃんと風呂入ってる?」
「入ってないですよ」
「なんだ、風呂入ってないのか、ばっちいな」
「そういうくだらないジョーク、やめて欲しいんですけどね……」
ふたりが漫才みたいなことをやってると、僕はふと視線を感じた。
うしろを振り向くと、ロングのほんわかした少女が立っていた。
真っ赤なスカートを履いてて、白のワンピースを着ていた。
「ふえぇ……そのタコさんウィンナー、おいしそうなのですぅ」
よくみると、少女は手にお弁当箱を持っていた。
それと僕のを見比べて、少女はにっこりと笑った。
「えへへぇ、お花のりんごうさぎさんと交換するのですぅ」
ちょっと不気味だったけど、箕辺くんと葛城くんも交換してたし、辻先輩と松平先輩も交換という名の略奪をしてたから、僕もしようかなと思った。
「うん、いいよ」
「ありがとうなのですぅ」
少女は僕のとなりに座って、お箸で交換した。
「いただきまぁす」
少女は、うれしそうにウィンナーを食べた。
「パクパク……あれぇ、うさぎさん食べないのですかぁ?」
「りんごはデザートだと思うんだけど」
「ぐぅ正論なのですぅ」
このひと、だれだろう。名前も名乗らないし、ちょっと違和感を覚えた。
なんだか、言動がほかの子と違うようにみえた。
「ああ、いました、いました」
「お花どの、迷子になってはいかんぞ」
またべつの少女がふたり現れた。
ひとりはポニーテールの凛々しい子で、もうひとりは眼鏡のショート。
「丸子ちゃんと忍ちゃんも、一緒に食べるのですぅ」
「ここは駒桜の席だ。せっしゃたちが入ってはいかん」
「まあ、べつにそんな決まりないんですけどね」
眼鏡の女の子が、冷静に突っ込みを入れた。
そして、手に持っていた牛乳を飲んだ。
「丸子どのは、牛乳が好きなのか。そのようなことはなかったように思うが」
「いやあ、最近、身長が伸びなくて……」
「ふん、小学生で伸びなくなるということはあるまい」
「用心ですよ、用心」
「転ばぬ先のチェスクロ早押しなのですぅ」
3人は、どうやら知り合いらしかった。
僕を囲むように、勝手に腰を下ろした。
「丸子ちゃんたちはぁ、ちゃんと残ってますかぁ?」
「無論。ここからが本番だ」
「私は負けてしまいました。ベスト32止まりです」
「えへへぇ、お花は残ってまぁす」
どうも、お花さんというらしい。それは分かった。
「今回は駒桜が頑張ってますね。ベスト16に4人ですよ、4人」
と眼鏡さん。
「とはいえ、そのうちふたりが次で当たっているからな。ひとりは消える」
とポニーテールさん。
「だれとだれが当たってるんですかぁ?」
「駒込さんと、もうひとりはステカミというひとですね」
僕は、ちらりと顔をあげた。
「あれはステカミと読むのか? せっしゃには読めなんだ」
「さあ……めずらしい名前なので、よくわかりませんね」
「ものしりの丸子ちゃんがわからないなら、だれもわからないのですぅ」
3人は、そのまま会話を続けた。
あとから来たふたりはともかく、お花さんは僕の名札をチェックしなかったらしい。
そのほうが僕も気楽でよかった。
ただ、コマゴメという名前には、どこか聞き覚えがあった。
「忍ちゃんは、だれとなんですかぁ?」
「西野辺という女だ」
「ああ、H市のひとですね。強いらしいですよ」
「さきほどとなりで対局していたが、礼儀がなっておらん。成敗してくれよう」
○
。
.
「あら、あなただったの」
4回戦。対局席にむかった僕を待ち受けていたのは、あのおかっぱ少女だった。
「えーと……スーパーあゆみちゃんさんですよね?」
「ちゃんと私の名前を覚えてるのね、感心、感心」
「なーにがスーパーあゆみちゃんだよ……いてッ」
となりで悪態をついた松平先輩が、あゆみ先輩にポカリとやられた。
「暴力反対ッ!」
「あなたはちょっと静かにしてなさい」
あゆみ先輩は、声を荒げないけど、なかなか迫力があった。
「ま、ここで当たったが最後よ、シャシンくん」
「……ステガミです」
《よい子のみなさーん、座ってくださーい》
お昼休みで空気が弛緩してて、会場はてんやわんやだった。
負けた子も大勢いるから、みんな好き勝手なことをしていた。そして、だいたいみっつのグループに分かれていた。ひとつは、友だちと将棋を指してるグループ。ひとつは、将棋以外の遊び、例えばトランプなんかをしているグループ。そして最後が、観戦組。
松平先輩、辻先輩、箕辺くん、葛城くんは、僕の観戦にきていた。でも、これは少ないほうで、ほかの組み合わせには、10人くらいいるところもあった。
《振り駒をしてくださーい》
「じゃ、わたしがやるわね」
あゆみ先輩は、自分から振り駒を宣言した。
僕は成り行きに任せた。
カシャカシャと適当に混ぜられて、歩が放られた。
「歩が5枚……絶好調ってやつね」
あゆみ先輩はそう言うと、勝手にチェスクロを右側に置いた。
すると、松平先輩が口を挟んだ。
「おいおい、決めるのは捨神だぜ」
「捨神くん、左利きでしょ?」
ちゃんと確認されていたみたいだ。彼女の目敏さに、僕は驚いた。
「はい……左利きです」
「じゃ、ここでいいわね」
僕たちのやりとりに、松平先輩はチッと舌打ちをした。
《準備の整っていないところはありますか?》
今回はなし。いいかげん、みんな慣れてきたようだ。
《それでは、始めてくださーい》
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
ふたりとも頭をさげて、対局開始。僕はチェスクロを押した。
時計が動き始める。
「あなたの将棋、見せてもらうわね」
あゆみ先輩は7六歩。僕も3四歩と角道を開けた。
2六歩、4四歩、4八銀、4二飛、5六歩、3二銀。
四間飛車だ。今回の大会は、これで押し通すつもりだった。
「振り飛車か……6八玉」
6二玉、7八玉、4三銀、5八金右。
「5四銀」
僕の銀あがりに、あゆみ先輩はちょっとだけ反応した。
「んー、もしかしてアレかしら?」
あゆみ先輩は唇に指を添えて、それからすぐに2五歩とした。
3三角、6六歩、4五歩、5七銀、7二玉、7七角、8二玉、8八玉。
ここまで、お互いにノータイム。方針は明確だ。
5二金左、6七金。僕は、右端の香車に指をそえた。
「9二香」
振り飛車穴熊。
ここまで温存してきた戦法だ。
正直、2回戦と3回戦のほうが、1回戦目より楽だったからね。
御城くんは、それだけ強敵だったってこと。
「あなた、小学生のくせに生意気ね」
「おまえも小学生だろ」
と松平先輩。
「剣ちゃん、対局中ですよ」
と辻先輩。
あゆみ先輩はどっちも無視して、9八香とあがった。相穴熊確定。
9一玉、9九玉、8二銀、8八銀。ハッチを閉めて完成。
7一金、7九金、6四歩、3六歩、6二金左、5九角、7二金寄。
僕はひたすら堅めて、あゆみ先輩は角の展開を狙う方針。
今から考えると変だよね。僕は陣形が偏り過ぎ。小学生の見よう見まねって感じ。
でも、振り飛車穴熊には自信があった。箕辺くんにこれで負けたことはない。
「スーパー歩美ちゃんをまえにすれば、穴熊なんてアライグマよ。2六角」
ここで僕は小考。
この頃の僕は、振り穴で待ち伏せ戦法が一番得意だった。
まるで当時の僕の日常みたいだよね。アハハ。
「4三飛」
ギャラリーから、ひゃーッという声が漏れた。
「5三がガラ空きだからどうするのかと思ったけど、顔面受けなのね」
僕は答えない。
「ま、いいわ、スーパー歩美ちゃんの恐ろしさ、みせてあげる」




