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こちら、駒桜高校将棋部Outsiders  作者: 稲葉孝太郎
第1局 香子ちゃん、四国遠征編(2014年8月18日月曜〜25日月曜)
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6手目 ルアーにかかった王様

「え?」

「あたしと将棋指さない?」

 磯前(いそざき)さんは依然として、水面に広がる波紋を見つめていた。

 この場の雰囲気を紛らわすため……じゃない。明らかに、挑戦的な口調だった。

「い、磯前の姉ちゃん、なに言って……」

桂太(けいた)は、ちょっと黙ってな」

 有無を言わさない態度。

 私は、激しく混乱した。

「あの……ここで?」

「あんた、目隠しできないの?」

 できると、私は答えた。姫野(ひめの)さんの次くらいと言ってしまった手前、できないとは言えないし、実際できるのだ。ただ、指したいかどうかは、別問題。

「なんで、将棋を指すの?」

「暇つぶし」

 えぇ……絶対嘘だ。

 中国地方への対抗心? それとも、駒桜(こまざくら)市に、なにか恨みがあるとか?

 姫野さんの名前を出してきたから、ありうるっちゃありうるけど……。

「ちょっとだけなら」

 なんだか断りにくかったし、逃げたと思われるも癪だった。

 それに、もしかしたら磯前さんは、コミュニケーションが下手なのかも。場をもたせられなくて、将棋に持ち込んだ、ということも考えられた。

「おたがいに、手抜きはなし。30秒将棋で、妙読みは桂太がやりな」

「え? 俺なの?」

 磯前さんは、もう一度同じことを指示して、左手を出した。

「じゃんけん」

 磯前さんと私は、じゃんけんをした。私がグーで、磯前さんがパー。

「あたしが先手だね……7六歩」

 なんだかんだで、釣りガールとの将棋対決が始まってしまった。

 私は諦めて、3四歩と突いた。

「2六歩」

 おっとっと、戦型を考えてなかった。横歩は拒否よ。

 3二金、2五歩、8八角成。ちょっと変則的な、角換わりの出だしになった。

 同銀、2二銀、3八銀、3三銀、6八玉、6二銀、2七銀、7四歩、2六銀。


挿絵(By みてみん)


 先手棒銀……攻撃的な棋風だ。見かけと同じで、攻め将棋ってことか。

 角換わりだから、歩の枚数を間違えないように注意。

「1四歩」

 7八金、7三銀、7七銀、8四歩、3六歩、8五歩、6六歩。

 この出だし、どうまとめようかしら。

 私は、ちらりと磯前さんをみた。将棋に集中してるのか釣りに集中してるのか、どちらともとれる表情だ。糸の先に視線を固定していた。

「6四銀」

 私は、早繰り銀を選択する。

 ここで、磯前さんは長考。

「20秒、1、2、3、4、5、6、7」

「3五歩」


挿絵(By みてみん)


 いやあ……私は椅子のうえで、軽くのけぞった。

 開戦が早過ぎる。

「20秒、1、2、3、4、5」

「同歩」

 同銀に7五歩。こっちも攻めるしかない。

「こいつは激しくなるね……」

 そのときだった。磯前さんの釣り竿が、くいっとしなった。

 魚がヒットしたのだ。

「姉ちゃん、中断、中断」

「しなくていいよ」

 磯前さんは、桂太に秒読みを続けさせた。

 立ち上がって、リールを回し始める。

「20秒、1、2、3、4、5、6」

「同歩」

 その拍子に、1匹の魚が釣れた。尖った口を持つ、ぬめぬめした魚だった。

 私は魚に詳しくないから、種類が分からない。

「カワハギだね」

 と磯前さん。なんだか聞いたことがある。

「20秒、1、2、3、4」

 ちょッ! 待ってッ!

「ど、同銀ッ!」

「2四歩」

 ポタポタと、魚から水が滴り落ちる。

 私はそれを眺めつつ、2四歩の対処法を考えた。

「20秒、1、2、3」

「7六歩」


挿絵(By みてみん)


 磯前さんは、魚の針を外しながら、へぇと言った。

「なかなかやるね……8八銀」

 2四歩、同銀、同銀。磯前さんは、ふたたびキャスティング。

 私は、将棋に集中した。雑念を払う。

「さて、どうしたもんか……4六角かな」

 磯前さんは、いやらしい位置に角を据えた。飛車銀両取りだ。

 2四の銀を、飛車じゃなくて角で取るつもりか。

「……6四歩」

 これしかない。

 2四角(王手)、5二玉、3三歩。

 厳しい歩が飛んできた。同金はそのまま角を切られる。同桂は3四歩だろう。

「20秒、1、2、3、4」

「2七歩」

 ここは、手筋を使う。

 私が悩んでいるあいだにも、磯前さんはもう1匹、違う魚を釣り上げていた。

 鱗の目立つ、ちょっと赤っぽい、ザ・魚という感じの個体。

 魚種が気になる。けど、将棋に集中。

 磯前さんは、魚をクーラーボックスに放り込みながら、同飛。

 私は4五角と打った。


挿絵(By みてみん)


 これで飛車先を止める。

 磯前さんは、おやっという顔で、キャスティングの手をとめた。

「それは……見落としかな。2五飛」


挿絵(By みてみん)


 ん? 見落とし? 私が? 磯前さんが?

 私は、脳内将棋盤をフル稼働させる。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 げッ! 角銀両取りになってるッ!

「20秒、1、2、3、4、5、6、7、8、9」

「さ、3三桂ッ!」


挿絵(By みてみん)


 これが飛車当たり、かつ、角の守りになっている。

 ヒュッと、キャスティングの音がした。

「3三角成」

 ぐぅ、切ってきた。

 私は悶えながら、同金……いや、7八角成が先だ。

「7八角成ッ!」

 同玉、3三金、7五飛。銀を拾われた。

 曲線的な手を放たないと。

「20秒、1、2、3、4、5」

「8四角」


挿絵(By みてみん)


 これで暴れましょう。まだ、なんとかなる局面。先手は薄い。

 2五飛、6六角、2二飛成、3二歩。

「おっと、またヒット」

 磯前さんは、リールを回しながら、6八銀と打った。

 こういう冷静な手が、一番困るのよね。でも、ちょっと余裕ができた。

「20秒、1、2、3」

「8六歩」

 飛車先を突破。

 同歩、8七歩、同銀、9九角成。


挿絵(By みてみん)


 なんとかすがりつく。

「んー、結構やるね……1一龍」

 私は、6五香と打った。

 6七歩、7七銀、同桂、同歩成、同銀、7五桂。

 桂打ちを宣言する声に、私は力を込めた。手応えあり。これは詰めろで、6七桂成、7九玉、6八金、同銀、同成桂まで。

 このタイミングで、磯前さんのロッドがしなった。

 ところが、磯前さんは微動だにしない。じっと虚空を見つめている。

 心、釣り糸にあらず。はっきりと、将棋に集中していた。

「20秒、1、2、3、4、5、6、7、8、9」

「6三銀」


挿絵(By みてみん)


 え? 銀打ち? ……同玉、6一龍よね? でも、6二金で弾けるわ。

「同玉」

「6一龍」

「6二金」

 この一手に対して、磯前さんはギリギリ29秒まで考えた。

「5五桂」


挿絵(By みてみん)


 詰めろを受けない? なんで? 私のほうが詰んでるってこと?

 5四玉で詰まないような……6三角? 同金、同龍、4四玉……これはダメだ。6四龍が王手桂馬取りになって、詰めろが消えてしまう。4五玉、4六銀……うッ、もしかして全部詰めろが消えるパターン?

「20秒、1、2、3、4、5、6、7、8、9」

「7三玉ッ!」

 私は反対側に逃げた。

 磯前さんのロッドは、強くしなって、それから音沙汰がなくなった。

 得物は、逃げてしまったらしい。

「20秒、1、2、3、4、5」

「7四歩」

 ……これも取れない。6三角から詰みそう。

「は、8三玉」

 8四銀、同玉、8五金、8三玉、8四香。


挿絵(By みてみん)


「あッ……」

 私は、詰むほうへ逃げてしまったことに気づいた。

「20秒、1、2、3、4、5、6、7、8、9」

「9二玉」

 私は天を仰ぐ。青空に、白い雲が流れていた。

「8二香成」

「同玉」

「6二龍」

「……負けました」

 私は、頭を下げた。

「ありがとうございました」

 磯前さんは、ふぅと深呼吸して、帽子を脱いだ。額の汗をぬぐう。

「なかなか、白熱した戦いだったね」

 いやあ……最後がお粗末。

「5四玉に逃げたほうが、よかった?」


挿絵(By みてみん)


 磯前さんは、ロッドを握りしめたまま、

「読み切れてないけど、それって詰むんじゃない?」

 と答えた。私は信じられなくて、詰み順を尋ねた。

「一見、6三角と打ちたくなるけど、4五銀から入って、同玉に5六角と打つんだ。5五玉は4五金一発で詰むから、3五玉と逃げて、3六歩、2五玉、2一龍」


挿絵(By みてみん)


 ……あ、そっか、龍を回れるのか。

「2三歩と受けたら、2六歩、同玉、2八香。これに3六玉は、3七歩、3五玉、4五金まで。2七銀と受けるしかないけど、3七金、1五玉、1六歩、2四玉、2七香と銀を入手して、1三玉、1一龍、2二銀まで。2七香に2五銀と合い駒しても、同香、同玉、2六歩、2四玉、2五銀、1三玉、1一龍、2二銀……足りてるね」

 私は、盤面を頭のなかで追った。

「待って。2六歩に3六玉だと、詰まなくない?」

 磯前さんは「あぁ」と言って、

「たしかに、そっちは詰まないね。やっぱ30秒だと読み切れないな。2六歩に代えて、2八香のほうかな。そこで3六玉は、3七金、3五玉、4六金、4四玉、4五金まで。2六銀と合い駒するのは、3五金、1五玉、1六歩で早く詰む」

 と訂正した。

「じゃあ、2三歩合のところで、2三銀合は?」

「それは簡単に詰むよ。同龍、同金、3五金、2六玉、3七銀、2七玉、2八香で、4九に金がいるから入れないんだ」

 うーん……信じられないけど、ほんとに詰んでいるようだ。

 私の詰みセンサーには、かすってもいなかった。

 この様子だと、実力差があるみたい。姫野さんのときと、同じパターン。

「中盤の分かれで、若干こっちが……お」

 ロッドが、ぐいっと引っ張られた。

 さっきまでの勢いとは、全然違う。

 磯前さんは、当たりと格闘し始めた。

「タモだ! タモ持ってこい!」

 桂太は、虫取り網みたいなものを、海中に差し込んだ。

 リールを回すと、水中から、すごくおっきな魚が現れた。鯛だ。

「よっしゃッ!」

 磯前さんは、うまく網に誘導して、魚をゲットした。

 桂太が引き上げると、鯛は網のなかでピチピチと跳ねた。

「いやあ、内湾でこんなデカイのが釣れるとはなあ」

 磯前さん、ご満悦。

 険のある表情は、消え去っていた。

「記念写真撮ろう、記念写真」

 磯前さんは、わざわざ自撮り棒を持ち出して、スマホをセットした。

「3人で写ろう」

 なぜか私と桂太も参加して、3人+鯛でパシャリ。

 大きさを測ったら、50センチオーバーだった。びっくり。

「あとで魚拓とるぞお」

 磯前さんはニヤニヤしながら、魚をクーラーボックスに収めた。

 ほんと機嫌がよくなったみたい。どうしてかしら。

 将棋効果? さっきまで、私のなにかを怪しんでいたような気がする。

 

 結局、その日の午後は、磯前さんの釣りを観賞したり、近場の浜辺で遊んだり、いろいろと満喫することができた。一時はどうなるかと思ったけど、ひと安心。

 西の空が黄色くなってきたところで、私たちは解散した。後部座席に道具を結び付ける磯前さんのよこで、私たちは自転車の準備をする。家族連れのキャンピングカーも、どんどん駐車場を離れて行った。

「今日は、楽しかったな」

 磯前さんはヘルメットを手に、そう言った。私も同意する。

「磯前さん、そんなに釣りが好きなら、H島へ遊びに来なさいよ」

 私は釣りをしないけど、おじいちゃんの友だちには、何人も釣りキチがいる。

 船をチャーターして、瀬戸内海で遊ぶのだ。

「そうだな。いつかは、西日本の海を巡ってみたい。ただ……」

「ただ?」

「あんたが将棋を指し続けていれば、来年、H島で会えるさ」

 え? ……どういうこと?

 私が尋ね返すまえに、磯前さんはヘルメットを被ってしまった。

 エンジンをかけて、手を振る。車道へと走り去った。

 私は呆然としつつ、ずっと手を振り返していた。

「ずいぶん、変わったひとね」

「ん……まあね。そろそろ帰らないと、母ちゃんが心配してるかも」

 私たちも自転車を漕いで、横浪半島をあとにする。

 くだりの坂道を快走しながら、私は太平洋の香りを、胸いっぱいに吸い込んだ。

場所:横浪半島の防波堤

先手:磯前 好江

後手:裏見 香子

戦型:角換わり


▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △3二金 ▲2五歩 △8八角成

▲同 銀 △2二銀 ▲3八銀 △3三銀 ▲6八玉 △6二銀

▲2七銀 △7四歩 ▲2六銀 △1四歩 ▲7八金 △7三銀

▲7七銀 △8四歩 ▲3六歩 △8五歩 ▲6六歩 △6四銀

▲3五歩 △同 歩 ▲同 銀 △7五歩 ▲同 歩 △同 銀

▲2四歩 △7六歩 ▲8八銀 △2四歩 ▲同 銀 △同 銀

▲4六角 △6四歩 ▲2四角 △5二玉 ▲3三歩 △2七歩

▲同 飛 △4五角 ▲2五飛 △3三桂 ▲同角成 △7八角成

▲同 玉 △3三金 ▲7五飛 △8四角 ▲2五飛 △6六角

▲2二飛成 △3二歩 ▲6八銀 △8六歩 ▲同 歩 △8七歩

▲同 銀 △9九角成 ▲1一龍 △6五香 ▲6七歩 △7七銀

▲同 桂 △同歩成 ▲同 銀 △7五桂 ▲6三銀 △同 玉

▲6一龍 △6二金 ▲5五桂 △7三玉 ▲7四歩 △8三玉

▲8四銀 △同 玉 ▲8五金 △8三玉 ▲8四香 △9二玉

▲8二香成 △同 玉 ▲6二龍


まで87手で磯前さんの勝ち

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