67手目 捨神くん、公式戦に挑む(1)
「ちょっと、どこ見てるのよ」
おかっぱ頭のお姉さんが、僕に注意した。
「す、すみません」
僕からぶつかったのは事実だから、すなおに謝った。
「あら、あなた……」
お姉さんは、顎に手をあてて探偵みたいなポーズをとると、僕を観察した。
僕はなるべく目を合わさないようにしたけど、ずっと視線を追いかけてくる。
「変わった髪の色してるわね。染めてるの?」
「……いえ」
「ま、どうでもいいわ。どこの小学校?」
僕は養護学校の名前を告げた。お姉さんは、知らないと言った。
「ま、それもどうでもいいわ。わたしのこと、知ってる?」
僕は、知らないと答えた。
「スーパー歩美ちゃんの名前を知らないなんて、もぐりね」
もぐりがどういう意味なのか分からなかった。僕は、「あ、はい」と答えた。
「わたしは今ね、『ばいおりずむがぜっこうちょう』ってやつなのよ」
「あ、はい」
「よろしい。意外と素直ね。どこかの姫ちゃんとは、大違いだわ」
このひと、ひとりで何をぺらぺらしゃべっているのか、さっぱりだった。
それに、よくよくみると、駅前で見かけた女の子に思えた。
「あなた、だれと当たるの?」
知らないです。そう答えた。
そもそも、トーナメント表の見方も知らなかったから。
「わたしと当たったら死ぬわよ」
「すみません、友だちが待ってるんで……」
そのときだった。トーナメント表から、松平先輩の悲鳴が聞こえた。
「なんで駒込と当たってるんだよッ!?」
その名前を耳にしたお姉さんは、松平先輩のほうを振り向いた。
「あら、剣ちゃんとなのね」
お姉さんはそう言って、松平先輩となにやら話し始めた。松平先輩が一方的に吠えてたみたいだけど、僕は興味がないからその場を離れた。箕辺くんたちを捜した。
「……あ、いた」
「捨神、どこ行ってたんだ?」
「すうぱああゆみちゃんっていうお姉さんに絡まれてた」
僕がそう言うと、箕辺くんはちょっと眉毛を持ち上げた。
「駒込先輩に会ったのか?」
「なんかされなかったぁ?」
葛城くんも、僕のことを心配してくれたみたいだった。やっぱり変なお姉さんだったんだなと思って、なにもなかったと答えた。
「ところで、これはどうやって見ればいいの?」
僕は、おっきな紙に書かれたトーナメント表を見上げた。
数字と直線が書いてあるばかりで、なにがなにやら。
「一番下の数字と、名札の数字を合わせるんだ」
僕は、自分の名札を確認した。
「……13だね」
「捨神の相手は72だな」
僕は、ようやく見方が分かった。
直線で結ばれているとなりの数字が相手だった。
「72って、だれかな?」
「俺たちは違うぞ」
「これ、同じ町でも平気で当たるんだよねぇ」
箕辺くんと葛城くんは安心したみたいだけど、僕はちょっとがっかりした。
ふたりのうちのどちらかと当たりたかったから。
正直、知らないひとと指すのは不安だった。
《それでは、着席してください》
男のひとのアナウンスが入った。
「どこに座ればいいのかな?」
「山のうえに、あいうえおがついてるだろ。そこに座るんだ」
僕の山のところには、「な」の文字があった。
「俺たちはべつのテーブルだから、お互いに頑張ろうな」
「……うん」
僕はうなずいて、箕辺くんたちと別れた。
「な……な……」
ひらがなを忘れないように呟きながら、テーブルを捜した。
……………………
……………………
…………………
………………
あった。対戦相手は、先に着席していた。男の子だった。
「こんにちは」
「……」
「こんにちは」
少しロンゲの少年が、ようやく本から顔をあげた。
「なにか用か?」
「72番のひとですか?」
僕は、名札を確認した。
【御城】だから【おしろ】くんかと思いきや、手書きでふりがなが振ってあった。
「ごじょうくん……?」
「そうだ。御城だ。おまえは?」
御城くんは、僕の名札を確認した。
「ん? なんて読むんだ? しゃがみ?」
しまった。僕も、ふりがなを振ればよかったと思った。
「すてがみです」
「すてがみ……13番ってことは、俺とだな」
そう言いつつ、御城くんは視線を本にもどした。
「……座っていいですか?」
「なんで俺の許可がいるんだ?」
彼は、顔も上げずに答えた。
「……失礼します」
怖い男の子と当たっちゃったな。僕はくじ運をうらんだ。
あまりにも居心地が悪くて、僕は相手に話しかけてしまった。
御城くんはなにも答えずに、表紙だけみせてくれた。
「『銀河鉄道の夜』……?」
「読んだことあるだろ」
僕は、ないと答えた。御城くんは、びっくりしたように顔を上げた。
「ウソつくなよ」
「ほんとにないです」
「おまえ、普段はなにを読んでるんだ?」
「……楽譜」
本を読む習慣はなかったから、僕はそう答えた。
「がくふ? ……聞いたことない本だな」
「いや、本じゃなくて……」
「それに、なんでタメ口じゃないんだ? 同じ学年だろ?」
僕は御城くんに指摘されて、やっと気づいた。同じ小4だった。
「あ、うん……そうだね……」
《駒を並べてくださーい》
お姉さんのアナウンスが響いた。
御城くんは本を片手に、駒を並べ始めた。器用だなと思いつつ、僕も黙って並べた。
最後にふたりとも歩を置いて、準備は整った。
《振り駒をしてくださーい》
「おまえがやれよ」
御城くんは本のページをめくりながら、僕に振り駒をゆだねた。
僕は適当に振って、表が3枚出た。
「そっちが先手か……」
御城くんは、チェスクロを僕から向かって左側に置いた。
「おまえ、左利きだよな?」
「うん」
本を読んでたのに、よく観察してるなと思った。
「チェスクロハンデはないのか……めんどうだな」
なにがめんどうなのか分からなかった。でも、質問するのもはばかられた。
《準備の整っていないところはありますか?》
何ヶ所からか、声が上がった。電池が切れてるとか、駒が足りないとか。
こどもにありがちなトラブルが続出する。
係の人が駆け回って、ようやく収拾がついた。
《まだ準備の整っていないところはありますか?》
今度は返事がなかった。
《それでは、始めてくださーい》
よろしくお願いしますの大合唱があってから、僕も頭を下げた。
御城くんもさすがに挨拶して、チェスクロのボタンを押した。
「……指していいんだよね?」
「当たり前だろ。おまえが先手だ」
御城くんは、ふたたび本を読み始めた。
「でも、時計がなんかおかしいよ?」
御城くんは、チェスクロを確認した。
「……どこがだ?」
「10、9、8、7って数えるんじゃないの?」
僕の質問の意味が分からなかったらしく、御城くんは首をかしげた。
「なにを言ってるんだ? 10分30秒だろ?」
「10分30秒って、なに?」
御城くんは、一瞬だけびっくりしたけど、すぐにルールを説明してくれた。
ようやく持ち時間を理解した僕は、お礼を述べた。
「ありがとね」
「分かったら、さっさと指すんだな。時間がどんどん減るぞ」
僕は7六歩と指してから、ボタンを押した。
3四歩、6六歩、8四歩。
「……6八飛」
さっき松平先輩に勝った、振り飛車を採用する。
「四間か」
6二銀、7八銀、5四歩、4八玉、4二玉、3八玉、8五歩、7七角。
御城くんは、指しているあいだも本を読み続けた。
「見ないで指せるって、すごいね」
「ん、ちゃんと見てるぞ。俺は視野が広いんだ」
そのときは意味が分からなかったけど、視界の端でも物がはっきりみえるひとって、いるみたいだね。武道家とか写真家に多いって、あとで知ったよ。
「3二玉だ」
2八玉、5二金右、6七銀、1四歩、1六歩、4二銀。
ふたりとも、穴熊は回避した。小学生だから、どうしてもせっかちになる。
速く攻めたい。堅めてポンっていう概念がないんだ。
「3八銀」
僕は美濃に囲った。御城くんは7四歩、5八金左に5三銀左。
急戦。名前だけは知っていた。
ここからは、いくつかパターンがある。僕は慎重になった。
「……5六歩」
4二金直となって、よく見かける形。
「9六歩」
「様子見か……6四歩」
左銀急戦が消えて、6五歩早仕掛けか棒銀に絞られた。
棒銀なら、箕辺くんたちと腐るほど指している。覚えたての花形だからね。居飛車、振り飛車を問わず、採用率がダントツに高い戦法のひとつだよ。
反対に6五歩戦法だと、ちょっと困ると感じた。経験値が足りない。とはいえ、御城くんにアレを指せコレを指せとは、お願いできないからね。ここからは運任せ。
「……4六歩とするね」




