表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こちら、駒桜高校将棋部Outsiders  作者: 稲葉孝太郎
第7局 捨神くん物語(2015年5月6日水曜)
78/682

66手目 捨神くん、大会に出る

 葉桜の木のしたで、将棋盤と僕たちの顔に、木漏れ日が降り注いでいた。5月。ゴールデンウィークに入った校庭には、僕たちしかいない。風はいつもより涼しく、お昼寝したいような天気だった。


挿絵(By みてみん)


「詰みだね」

 僕は盤上に駒を置いて、もういちど頭のなかで確認した。

 ここから9八玉、9七香、同桂、同桂成、8九玉、8八角成までだ。

「……負けました」

 箕辺(みのべ)くんは、ちょっと時間をかけてから投了した。

 詰んだかどうか、確認したらしい。そして、ため息をついた。

「これで10連敗……」

「アハッ、最近、調子がいいよ」

「調子っていうか……完全に俺の実力負けだな」

 あれから2年が過ぎて、僕たちは小学4年生になっていた。僕はあいかわらず養護学校にいて、箕辺くんたちが遊びにくるパターン。毎日ってわけにはいかないけど、週末には一回必ず訪問してくれた。

 僕は、それがすごく楽しみだった。

 今日もおやつを食べながら、将棋と雑談、ときどきピアノの練習。

 ゼリーの蓋を開けていた箕辺くんは、なにかを思い出したように顔をあげた。

「なあ、捨神、大会に出てみないか?」

「大会ってなに?」

「将棋の大会*だよ。となり町に、本榧(ほんがや)ってあるだろ。あそこでおっきな大会があるらしいんだ。詳しくはよく知らないけど、俺たちも出られるらしいぞ」

「ふぅん……」

 僕は、気のない返事をした。プラスチックスプーンで、葡萄のゼリーを掬った。

「どうだ? 出ないか? 捨神(すてがみ)なら、マジで優勝まであるぞ?」

「僕は……あんまり出たくないかな……」

 箕辺くんは、がっかりしたみたい。肩を落とした。

 でも、僕は箕辺くんたちと指すのが楽しいだけで、べつに大会には興味なかった。人混みは嫌いだったし、養護学校を出たこともない。大げさに言ってるわけじゃなくて、ほんとにほとんどなかったんだ。遠足のときくらいじゃないかな。

「俺とふたばは、出る予定なんだ」

「一緒に出ようよぉ」

「……箕辺くんと葛城(かつらぎ)くんが出るなら、出るよ」

 僕は、なんとなく承諾してしまった。

 いや、してしまったというのは変かな。

 あのときが僕の人生で、ひとつめの節目だったと思うから。

「それじゃ、来週の日曜日、朝の7時半に駅前で待ち合わせな」

「ごめん、僕、駅がどこにあるか知らない」

「え? ……あ、そうなのか、じゃあ、俺たちが迎えに来るよ。7時にな」

「うん、よろしく」

 僕はその日、職員室に行って、外出許可をもらった。先生はびっくりしていた。それもそうだよね。5年間通ってて、初めての外出許可だもの。外出先をしつこく聞かれた。将棋の大会だと言ったら、わざわざほんとうにあるかどうかまで調べてた。ネットで。

 その場では気づかなかったけど、家出されると思ったんだろうね、多分。

 まあ、当時の僕はそんなこととは露知らず、日曜日がきた。いつもの服で、校門のまえに立っていると、箕辺くんたちがやって来た。ふたりとも、すこしおめかししていた。

「捨神、ちゃんと起きてたんだな」

「おはよぉ」

 僕はふたりについて、駅へ向かった。もうなにもかもが新鮮で、怖くもあった。町中なんて、テレビでしか観たことなかったからね。今思えば、異常な話だけど。

 切符の買い方も分からなかったし、時刻表も読めなかった。乗ったらどうすればいいのかも、さっぱり。とりあえず突っ立っていた。すると、僕にいろいろ視線が集まっているのが分かった。

「あの子、髪の毛が真っ白……」

「アルビノってやつじゃない?」

 僕はそのとき感じた。学校の中じゃなくて、外でもやっぱり除け者なんだって。

「……ごめん、やっぱり帰るよ」

「え? ど、どうしたんだ?」

 箕辺くんは、いきなりのことで困惑したみたいだった。でも、僕が周りの目を気にしてることに気づいて、彼は近くの女子高生たちをにらんだ。

「お姉さんたち、捨神を笑わないでください!」

 これには、もう車内がびっくりして、女子高生のほうがかなり慌てていた。

「ごめんなさい、笑ったんじゃないのよ。なんかカワイイな、と思って」

「そうそう、天然なんでしょ、それ。すごく綺麗だもの」

 僕はね、そのときなんとなく感じたんだ。言葉とか思考になるのは、もっとあとのことだけど、子供ながらに、うっすらと理解した。僕がひとりぼっちになってるのは、周りが僕を避けてるだけじゃなくて、僕も周りを避けてるからなんだって。

 そうこうしているうちに、電車は本榧駅についた。ホームへ降りたとき、あまりのひとの多さに、僕はめまいがした。こんなにたくさんのひとを一度に見たことがなかった。

「すごいね……世界で一番ひとが多いんじゃないかな?」

「そんなことないぞ。H市のほうが多い」

「ほんとに? もっと多いの?」

「だって100万人いるんだぞ。ここは30万くらいだ」

 100万人ってどれくらい多いのか、僕にはよく分からなかった。

 養護学校の生徒は、全学年合わせても100人いなかったからね。

「たっちゃん、あそこにおじさんいるよぉ」

 葛城くんが、駅前に立っている若いおじさんを指差した。僕の知らないひとだった。

 おじさんも、僕たちに気づいた。

「ああ、辰吉(たつきち)くん、ふたばくん、こっちだよ、こっち」

 僕たちは、おじさんところへ向かった。

 よくみると、他にもたくさん子供がいた。

「よかった、よかった、迷子になったかと思ったよ」

「すみません、遅くなりました」

 箕辺くんは謝ったけど、おじさんは全然と答えた。

「まだ集合時間前だからね。でも、全員集まったかな」

 おじさんはそう言って、確認のための点呼を始めた。

蔵持(くらもち)くん」

「はい」

(つじ)くん」

「はい」

松平(まつだいら)くん」

「うっす」

鞘谷(さやたに)さん」

「はーい」

 どんどん順番が回って、箕辺くん、葛城、そして僕の名前が呼ばれた。

「えーと、ステガミくん、でいいのかな?」

「……はい」

 おじさんは、紙になにか書き込んでから、僕ににっこりと笑いかけた。

「はじめまして。僕はね、八一(やいち)のマスターって呼ばれてる将棋好きのおじさんだよ」

 なんのことか、全然分からなかった。ただ、引率の大人ってことだけは分かった。

 養護学校で遠足に出かけるとき、先生がついてくるみたいな感じだね。

「箕辺くんから聞いたけど、すごく強いんだってね?」

 僕は、なんとも答えなかった。他のこどもの視線が集まってて、つらかった。

「中高生のみんなは先に行ってるらしいし、僕たちも移動しよう」

 おじさんを先頭に、僕たちは会場へと向かった。本榧の市民会館だった。

 まあ、当時は市民会館って認識はなかったね。とにかく大きな建物。

 なかに入って、なにをどうすればいいのか動揺するばかりだった。

「それじゃ、エントリーしてくるから……あ、ちょっと待って」

 おじさんは、べつの団体に声をかけた。

「おーい、辻さん、この子たちをみててくれないかい?」

「おやすい御用です」

 セーラー服の女のひとが返事をした。右目が髪で隠れていて、怖い印象を受けた。その女のひとは背が高くなかったけど、周りの男性からして中学生っぽかった。

 おじさんは、そのまま受付に向かった。

「みんな、おはよう……元気そうね」

 と女のひと。小学生から見た中学生は、やっぱり迫力があった。

「もちろんです!」

 快活そうな女の子が答えた。鞘谷さんだった。

「結構、結構……あら」

 辻さんは、僕に目をつけた。

「あなた、もしかして捨神くん?」

「……」

「無口な子ね。強いって噂だから、うちの弟をよろしく」

「よろしくってなんだよ、姉さん」

 左目を前髪で隠した男の子が、突っ込みをいれた。顔がとても似ていた。

「弟に手加減してね、なんて言わないのよ、私は」

「ふぅん……僕のライバルは(けん)ちゃんだけどね」

「そうだろ、そうだろ」

 これまた調子のよさそうな男子が笑った。

 みんなわいわいやっていると、おじさんが戻って来た。

「全員エントリーしたよ。名札をあげるから、なくさないようにね」

 僕たちは、名札をもらった。首からかけるタイプだった。それぞれ違う番号。

「さてと、みんな指したがってるみたいだし、入っていいよ」

 ワーイとなって、みんなは会場に駆け込んだ。

「こらこら、走っていいとは言ってないよ」

 おじさんは、急いであとを追った。

「おい、捨神、俺たちも行くぞ」

 僕は、箕辺くんたちと一緒に移動した。

 おじさんに教えてもらった小学生のスペースで、勝手に席をとった。

「練習しよう」

「そうしよぉ」

 箕辺くんと葛城くんは、早速将棋を始めた。

「あれ? じゃんけんしないの?」

 いつもは、じゃんけんで順番を決めていた。

「わ、悪い……大会前に捨神と指すと、自信がなくなる……」

 箕辺くんは、僕と指したくないみたいなことを、遠回しに告げた。

「……やっぱり来なきゃよかったかな」

 僕がつぶやくと、箕辺くんはマジメな顔になった。

「ハブってるわけじゃないぞ。他のやつらと知り合いになるチャンスだ」

「そんなこと言われても、だれも知らないし……」

「ちょっといいですか?」

 ですます調で話しかけられた僕は、おっかなびっくり振り返った。

 するとそこには、入り口でみた鬼太郎風の男の子がいた。

「こんにちは……きみが捨神くん?」

「そうですけど……だれですか?」

「僕は辻って言います。5年生です」

 年上なのに丁寧語なんて、変な人だな、と思った。

 それともうひとつ、気になる存在。となりに元気そうな男の子がいた。

「俺は松平な。よろしく」

 こっちは上級生らしく、結構強気な挨拶をしてきた。

「捨神くん、ちょっと僕と指してくれませんか?」

「待て、俺が先だ」

「……え? 剣ちゃんも指すんですか?」

「当たり前だろ」

「最初に声をかけたのは僕ですよ」

「最初に声をかけようと提案したのは俺だろ」

 ふたりは訳の分からない揉め方をして、最後にじゃんけんをした。

「よっしゃ、俺の勝ちな」

「時間がないから、早く終わらせてくださいね」

 松平と名乗った男の子は、僕の前にどかりと座った。僕は困惑するばかり。

「えーと……なにをするんですか?」

「将棋に決まってるだろ、将棋」

 会場には盤がたくさん並べられていて、勝手に使ってもいいみたいだった。

「何秒でやる?」

「……数えなくてもよくないですか?」

 僕は不思議に思った。いちいち数えられないだろう、と。

「ダメだ。時間がない。10だ」

 松平先輩はそう言って、変な時計みたいなものをいじり始めた。

「……それ、なんですか?」

 僕が尋ねると、先輩はきょとんとした。

「チェスクロ知らないのか?」

 僕が首を横に振ると、松平先輩は辻先輩と顔を見合わせた。

 辻先輩は肩をすくめた。

「ま、そういうこともあると思います」

 松平先輩は納得したのかしなかったのかよく分からないけど、時計を置いた。

「いいか、とりあえず指すたびに、このボタンを押すんだ」

「押すと、どうなるんですか?」

「やりゃ分かる」

 松平先輩はそう言って、じゃんけんをしてきた。僕はパーで先輩がチョキ。

「よし、じゃあ俺の先手な。お願いします」

「……お願いします」

 先輩は7六歩と指して、時計のボタンを押した。

 すると、僕のほうの数字が9、8、7と減った。

「……10数えてくれるんですね」

「10秒以内に押さないと、おまえの負けだぞ」

 僕はボタンを押してから3四歩と指した。

「先にボタン押してどうすんだッ! 計ってる意味ないだろッ!」

「あ……すみません」

 怖い人だな、と思いつつ、もう一回やり直し。

 7六歩、3四歩、2六歩。

「居飛車……」

「おまえは? 振り飛車か?」

 僕は箕辺くんたちと遊びで指してるだけだから、戦法はあんまり詳しくなかった。2六歩から飛車を動かさないのが居飛車で、飛車を動かすのが振り飛車かな、くらいの知識。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! プツン


「……おい、おまえの負けだぞ」

「あれ? そうなんですか?」

「10秒以内に押せって」

 参ったな。それが最初の感想。

 将棋をしながら時計のボタンを押す練習なんて、したことないんだけど。

「すみません」

「もう一回な」

「剣ちゃん、早くしないと始まりますよ」

「まだ30分あるだろ」

 松平先輩は、あーでもないこーでもないと言いながら、将棋を再開した。

 7六歩、3四歩、2六歩。

「4四歩で」

 あんまり考えないで指そう。僕は腹を決めた。投げやりとも言うね。

 パシリ、パシリ、パシリ

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………

 パシリ


挿絵(By みてみん)

 

「……詰んでると思うんですけど」

 僕は時計のボタンを押してから、そう尋ねた。

 松平先輩は、まぶたをぴくぴくさせていた。

「あ……う……」

「剣ちゃん、これ詰んでますよ」

「助言するなよッ!」

「助言もなにも、詰んでるのバレてるでしょう。3手詰なのに」

 辻先輩のため息と同時に、時計の音が途切れた。

「ぐぅ……負けました」

 松平先輩は、悔しそうに頭をさげた。

「ありがとうございました」

 先輩でも、ちゃんと負けましたって言うんだね。というのが感想。

「剣ちゃん、いきなり負けてるじゃないですか」

「力戦で事故っただけだッ! もう一局ッ!」

 腕まくりしたところで、場内にアナウンスが入った。

《組み合わせが決まりました。よい子のみなさん、確認してください》

 ぞろぞろと移動が始まる。松平先輩も、席を立った。

「あとでまた指すからな」

「次は僕ですよ。約束忘れたんですか?」

「リベンジはべつなんだよ」

「はい?」

 僕がなにか答えるまえに、ふたりとも行ってしまった。

「捨神、おれたちも行くぞ」

 箕辺くんも、ようやく席を立った。

「どこへ?」

「トーナメント表だ。だれと指すか決まったんだぞ」

 なんだかよく分からないままに、僕はまえのほうへ連れて行かれた。

 そして、だれかとぶつかった。

*前作の167手目「攻めて守って、大逆転将棋3」で言及された本榧市創立50周年記念こども将棋祭り(2008年)のこと。

http://ncode.syosetu.com/n8275bv/186/

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=390035255&size=88
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ