59手目 高校生女子の部A4回戦 神崎vs不破
※ここからは、香子ちゃん視点です。
「やったね。最後の最後で3−0だよ」
南海さんは、両手をひろげて万歳のポーズ。
「星が半分足りないのよねえ……」
と乃々村さん。どこかでもうひとつ勝っていれば、か。
「裏見さん、ほかのチームの状況、知ってる?」
乃々村さんは、私に話を振ってきた。知らんがな。
さっきまで一緒に対局してたでしょ。
「ごめん、知らない」
「重要なところが、まだ終わってないっぽいね」
南海さんはそう言って、桐野さんたちのテーブルを遠くに眺めた。
2番席に、ものすごい人だかりができている。
「1−1で決勝席になってるんじゃないの?」
私は、適当に答えた。
「よし、見に行こう」
南海さんを先頭に、私たちは観戦に向かう……って、入る隙間がない。
「こらぁ、男子はうしろでみろ」
南海さんは、男子を押しのけて、最前列へ。
私も便乗する。不破さんの背後に出た。どれどれ。
【先手:神崎忍 後手:不破楓】
ん? まだこんな局面?
140〜150手は指してるはずなんだけど。
私と土居さんの将棋が、120手くらいだったから……。
「一回、千日手になったのかしら?」
「いいえ、違います」
私の独り言に、ロングヘアの見知らぬ少女が反応した。
長い髪をいじりながら、じっと盤面を見つめている。
どこか斜に構えているところがあって、とっつきにくそうな子だった。
「ずいぶんと遅い展開なのね」
こういう状況だし、知らなくても話しかけていいでしょ。
多分、後輩だろうから。3年生の強気。
「細かいやり取りが多かったので……この瞬間も悩ましいです」
確かに。飛車を逃げるのはないとして、6一銀とも取れない。
取ったら8三金の一手詰め。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!
へえ、そこを突くんだ。
不破さんは手を引っ込めつつ、若干難しそうな顔をした。
「どっかでトチったな……」
「三味線なら、受け付けぬぞ」
神崎さんは、不破さんの言葉をばっさり。
「三味線じゃねぇよ……ま、あんたの勘も相当鈍ってるみたいだけどな」
あらら、神崎さんに喧嘩を売ってますね、これは。
「勘というものは、超能力でないゆえな」
みずから認めていくスタイル。
神崎さんは1二馬と取って、同香、5二飛。馬を見捨てた。
不破さんは、スティック付きの飴玉を、口の中で転がす。両腕をテーブルの乗せ、前傾姿勢で盤面のあちこちに視線を走らせた。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!
あ、パッと見、いい感じ。
「これには、5一馬があります。取れません」
見知らぬ少女は、盤面を覗き込みながら、そうつぶやいた。
5一馬……ああ、同銀だと8三金で詰んじゃうのか。
神崎さんも、すぐにそう指した。入れ替わりで、6八角成が指される。
「切ってきたか……同玉」
「6四香」
ん? 香打ち? ……そのまま6七香成狙いか。厳しいわね。
「7八金打……いや、違うな」
神崎さんは、持ち駒の金を戻した。5筋の飛車に指を伸ばす。
「5六飛成だ」
ん? ん? 5一銀って取られちゃうわよ?
「これはいい手ですね。私も、後手番ならこう指します」
見知らぬ少女は、やたらと5六飛成を褒めた。よく分からない。
「それでいいのか? 馬をもらうぜ?」
「好きにせよ」
「……5一銀」
7一成銀(そっち?)、2四角。
あ、この2四角、すごくいい手な気がする。5一龍と入れない。
「5七角」
神崎さんは、角を合わせた。
「これも、いい手です。同角成、同歩、7一玉は、5一龍、6一金、6二金、8二玉、7二金、同金、8三銀、同金、7一角、9二玉、9三銀、同桂、8一銀、同玉、9三角成まで」
この少女、読むの速過ぎィ! いったい何者?
7一玉。少女の読み通り、不破さんは先に成銀を取った。
「こんな罠には引っかからないぜ」
「結構な自信だな」
「早乙女のバカさえいなけりゃ、あたしだって県代表なんだからな」
神崎さんは、いったん不破さんを無視して、2四角と指した。
そして、ふたたび口を動かす。
「おのれが言って、空しくならぬのか?」
「くッ! うっせぇッ!」
不破さん、怒りの6七香成。
「いつの世も、そうだ。重要な地位は、特定の人間が占める。拙者とて、お花殿がいなければ、県代表の目もあったであろう……だが、愚痴っても、せんなきこと」
神崎さんは、同龍。当然の流れだけど、龍が死にそう。
「6六金。圧殺させてもらうぜ」
「5三角」
これは、しょうがない。7八龍は、6七銀の追撃が厳しいから。同龍だと、同金、同玉、6九龍、5六玉、6六龍で詰んじゃう。3四の金が痛い。
というわけで、以下、6二銀打、6六龍、同桂、5一角成、5三銀。
すっごい殴り合い。後手は飛車角、先手は金銀をコレクトしている。
「どうみても、あたしのほうがいいよ」
不破さんは、両腕を組んで、椅子にふんぞり返った。
「三味線には乗らぬと言ったはずだ」
うーん、神崎さんの水平線効果が出てるんじゃないかしら。
さっきほどよくないような……私の勘違い?
「いつもみたいに、さっさと指せよ。7九金打か? 攻めは利かないぜ」
神崎さんは、じっと盤面を見つめた。まさかの投了、じゃないわよね。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!
5九香。やっぱり受けましたね。
不破さんは、一回空打ちしてから、8八飛と放り込む。
……ん? 神崎さん、考えてる? 珍しいわね。いつも10秒以内に指すのに。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!
うわぁ……怖いことになった……。
7八飛成、同金(29秒)、5九龍、6九歩(29秒)。
んー、なんだろう、違和感。神崎さん、逆転狙いなのかしら?
「さっきから、焦らしプレイだな。宮本武蔵か?」
「劣勢と認めているだけだ」
神崎さんの返しに、不破さんは首をひねった。
「7八桂……」
《開始より70分が経過しました。これより5分切れ負けになります》
「!?」
不破さんは、桂馬を裏返す指を止めた。
係のひとがやってきて、チェスクロを交換する。
そうか、神崎さんの長考は、切れ勝ち狙い……さすが忍者、汚い。
「その7八桂成は、おまけだ。拙者から再開でよい」
不破さんは、桂馬を裏返して、7八桂成を指した。顔色が思わしくない。
「どうした。時計を動かせ」
「あ、ああ……」
不破さんは、チェスクロのボタンを押した。
それと同時に、神崎さんは、王様に指を添える。
「拙者はここから一手二秒で指す……五分以内に寄せてみよ」
パシリ!
駒音高く、7八同玉が指された。
「忍者もどきなんか、5分ありゃ十分なんだよッ! 5八龍ッ!」
6八銀、5六角、8八玉、7八金、9八玉、6八金。強烈な叩き合いだ。
「6一飛ッ!」
神崎さんが攻めに転じた。
「ん……これは……」
不破さんは、そこで手が止まる。
私も、あれっと思った。
「同銀、8三銀は、8八飛から詰むような……」
私のつぶやきに、また隣の少女が反応した。
「8三銀ではなく、8二金、同玉、8三銀ですね」
【参考図】
「8二金〜8三銀? ……それも詰むんじゃないの?」
「ええ、後手が詰みますね。同角、同桂成、同玉、6一馬、7二合駒、7五桂、9三玉、9四銀、9二玉、8三金。合駒が桂香飛ならば、この時点で詰み。金銀ならば、同金あるいは同銀に同桂成。2手増えるだけです」
ええ、6一同銀で詰んじゃうの?
パシリ
私たちは、盤面に立ち返った。
あ、逃げてる。
神崎さんは、2秒で8三金。以下、同銀、同桂成、同角、7一銀、9二玉、8二金、9三玉、8三金、9四玉、8六桂、8五玉と、猛スピードで進んだ。
「不破さんは、さっきの小考が痛いですね。時間差が広がってます」
7四角、同歩、8四馬、7六玉、7七銀、6五玉、6三飛成、5六玉。
神崎さんはノータイム指しをやめて、龍をゆっくりと持ち上げた。
「6・八・龍」
「これで、拙者の王様は詰まない。おぬしは、残り五秒」
「ぐッ……」
神崎さんは、無慈悲にチェスクロのボタンを押す。
同龍、同歩、4七玉、5七飛、3六玉、2七金。
ピーッ! プッ
チェスクロの音が消えた。
手を伸ばしかけていた不破さんは、がっくりとうなだれた。
そのまま、ボタンに力なく手をかけた。
「……負けました」
「かたじけなし」
沈黙。ギャラリーの私たちも、しばらく勝負の余韻にひたっていた。
いやあ……まさか……決勝席が切れ負けとは。意外。
神崎さんらしいと言えば、らしいわよね。勘の神様。早指しの女王。
「……最後、寄ってなかったのか?」
不破さんは、小声で尋ねた。
「どうであろうな。5六角が攻防に利いているかと思いきや、6一飛、同銀で詰むというのが、拙者には僥倖だったように思う」
確かに、そこはポイントだ。
5六角は、8三に利かせて一目打ちたいところ。
それでも詰み筋が発生していたのは、切れ負け将棋だと不運ね。
「ってことは、あたしの形勢判断が間違ってたのか? 後手劣勢?」
「そうでもなかろう。現局面、楓殿の香得になっているからな。さらに、拙者が入玉できるか否か、判然とせぬ」
「そこは、お得意の勘でなんとかしろよ」
「ふむ……入玉できるような気はするが……」
難しいわね。上が広いってわけじゃないし。
「私も、入玉できると思います」
突然の割り込みに、その場の全員が振り向いた。
さっきから解説を引き受けてくれていた少女だ。
不破さんも、うしろを向いて、大きく目を見開いた。
「あッ! 早乙女ッ! おまえ観てたのかよッ!」
「ええ、途中から見学させてもらったわ」
「だれが観ていいっつったんだよ。見物料払えよなあ」
え、私も払うんですか?
というか、早乙女さん? どっかで聞いた名前のような?
さっき不破さんが口走っていたのはおいといて、それ以前に……。
「あ、素子ちゃん、こんにちはぁ」
列の横から、桐野さんが姿を現した。
「桐野先輩、こんにちは」
「なんだか、優勝しちゃったのですぅ」
ふわッ!? 優勝してるのッ!? あっさりし過ぎでしょ!
「おめでとうございます」
早乙女さんは、桐野さんをねぎらった。
「拙者たちも、まだまだ若い者には負けんということだ」
神崎さん、さすがにまだ早いですよ、その台詞は。
「いやはや、まさかパソコンがもらえるとは。一足早い合格祝いですね」
吉備さんは、眼鏡を上げ下げしながら、ちょっとだけ嬉しそうだった。
「だいたいよぉ、この面子でチーム組むとか、詐欺だろうがッ!」
あ、不破さんが暴れだした。
「ふえぇ……楓ちゃんが怒ったのですぅ……」
「楓殿は、どうしたのだ。月のものでも来ているのか」
神崎さん、さらりと煽っていくスタイル。
「県代表とベスト4経験者ふたりで組んだら、優勝するに決まってるだろッ!」
「ほぉ、そちらは四強一名に、決勝進出者が二名いるようだが」
え? そうなの? だれとだれかしら? 不破さんは入ってる?
「っていうか、みんなガチでチーム作り過ぎなんじゃない?」
私は、思わず突っ込んでしまった。みんなの視線が集まる。
「香子ちゃんのチームには、強い人がいないんですかぁ?」
「拙者には、県大会優勝者と決勝進出者と準決勝進出者がいるように見えるな」
「さすがは裏見さん、攻めもブーメランもキレっキレですね」
桐野さん、神崎さん、吉備さんの総突っ込み。やめてぇ。
「ちくしょう! これで景品がパーだッ!」
不破さんは両腕を広げて、背もたれに思いっきり身を投げた。
まったく、小学生ですか。
私が呆れるなか、一番戸惑っていたのは、チームメイトの正力さんだった。
「えーと……一応、うちが準優勝なんだけど……」
不破さんは、椅子からガバッと起き上がる。
「マジかッ!?」
「計算間違いじゃなければ、3回戦終了の時点で、準優勝確定だったわよ」
そうなのよね……私たちのチームとは、3.5勝差。逆転不可能。
Outsidersとは、ぴったり3勝差なんだけど、先に連勝の止まったチームが下位、というルールがあるから、インコンパチブルの勝ち。正力さんの言う通りだ。
「クソマッポ、それを早く言えッ!」
「小学生でもできる計算なんだけど……」
準優勝に気づいた不破さんは、急に機嫌を取り戻した。
「よーし、早乙女、見物料は、まけといてやるよ」
「最初から払う気ないわよ」
「今年の県大会こそは、ぼこぼこのぎたぎたにしてやるからなあ」
「100手くらいはもって欲しいわね」
ふぅむ……よく分からないけど、このふたり、因縁のライバルみたい。
「ところで、青來はどこだ?」
不破さんは、東雲さんの姿をさがした。
そう言えば、見かけないわね。あれだけ元気だから、目立ちそうなのに。
「青來さんなら、あそこの椅子で死んでるわよ」
正力さんが指差したほうをみると、椅子を並べて横たわる東雲さんの姿が。
「お花がハグしてあげるのですぅ。ハグハグぅ」
いきなり抱きつかれた東雲さんは、ヒャーと変な声をあげた。
「というわけでぇ、終わりよければすべてよしなのですぅ」
そうそう終わりよければ……って、それは桐野さんたちだけでしょッ!
私たちにも、なんかちょーだーいッ!
場所:ジャビスコこども将棋祭り 高校生女子の部Aクラス 4回戦
先手:神崎 忍
後手:不破 楓
戦型:後手ゴキゲン中飛車
▲7六歩 △5四歩 ▲4八銀 △3四歩 ▲6八玉 △5二飛
▲2六歩 △5五歩 ▲2五歩 △3三角 ▲3六歩 △6二玉
▲3七銀 △7二玉 ▲4六銀 △8二玉 ▲7八玉 △7二銀
▲6八銀 △3二金 ▲7七銀 △5六歩 ▲同 歩 △同 飛
▲6六銀 △5一飛 ▲5五銀右 △4二銀 ▲5八飛 △2四歩
▲同 歩 △同 角 ▲2八飛 △2三歩 ▲5八飛 △5三銀
▲2五歩 △4二角 ▲5四歩 △6四銀 ▲同 銀 △同 角
▲5五銀 △3一角 ▲4六銀 △3三桂 ▲5九金右 △9四歩
▲6八金右 △9五歩 ▲3五歩 △同 歩 ▲同 銀 △6四角
▲4六銀 △3六銀 ▲5五銀 △4二角 ▲5六飛 △4五銀
▲2六飛 △5三歩 ▲4六銀 △5四歩 ▲2四歩 △5三角
▲2八飛 △2四歩 ▲3四歩 △同 銀 ▲2四飛 △2三金
▲2八飛 △2七歩 ▲同 飛 △2六歩 ▲2八飛 △3二歩
▲5八飛 △4四角 ▲同 角 △同 歩 ▲4二角 △4一飛
▲5三角成 △4五歩 ▲3五銀 △同 銀 ▲同 馬 △4四銀
▲2六馬 △5五角 ▲同 飛 △同 歩 ▲1六馬 △2五歩
▲3四歩 △5六歩 ▲3三歩成 △同 金 ▲5八歩 △2一飛
▲2二歩 △同 飛 ▲3七桂 △3四金 ▲3一角 △2三飛
▲4二角成 △3九飛 ▲5二銀 △3七飛成 ▲6一銀不成△同 銀
▲5一馬 △2一飛 ▲5二銀 △7二銀 ▲5四桂 △5三銀
▲6二桂成 △同 銀 ▲同 馬 △7一銀 ▲5三馬 △8四桂
▲8五銀 △3九龍 ▲8四銀 △同 歩 ▲7五桂 △6二銀打
▲5四馬 △1九龍 ▲1五馬 △3九龍 ▲3二馬 △2四飛
▲6五馬 △7四桂 ▲6一銀成 △2二飛 ▲2三歩 △1二飛
▲2一馬 △1四歩 ▲1二馬 △同 香 ▲5二飛 △3五角
▲5一馬 △6八角成 ▲同 玉 △6四香 ▲5六飛成 △5一銀
▲7一成銀 △2四角 ▲5七角 △7一玉 ▲2四角 △6七香成
▲同 龍 △6六金 ▲5三角 △6二銀打 ▲6六龍 △同 桂
▲5一角成 △5三銀 ▲5九香 △8八飛 ▲7九玉 △7八飛成
▲同 金 △5九龍 ▲6九歩 △7八桂成 ▲同 玉 △5八龍
▲6八銀 △5六角 ▲8八玉 △7八金 ▲9八玉 △6八金
▲6一飛 △8二玉 ▲8三金 △同 銀 ▲同桂成 △同 角
▲7一銀 △9二玉 ▲8二金 △9三玉 ▲8三金 △9四玉
▲8六桂 △8五玉 ▲7四角 △同 歩 ▲8四馬 △7六玉
▲7七銀 △6五玉 ▲6三飛成 △5六玉 ▲6八龍 △同 龍
▲同 歩 △4七玉 ▲5七飛 △3六玉 ▲2七金
まで215手で神崎の時間切れ勝ち




