5手目 土佐の釣りガール
私たちはK知行きの切符を買って、バスターミナルへ向かった。
観光地が近いからか、年配の夫婦連れが多い。
道後温泉へ行く電車とバスが出ているようだ。
私たちが並んでいると、うしろからいきなり声をかけられた。
「裏見じゃないか」
おどろいて振り向くと……全然知らない男の子が立っていた。
眼鏡をかけていて、頭はツンツンヘアー。絵柄入りの白いTシャツに青の長ズボン。
「あの……どちらさまで……」
「香宗我部の兄ちゃん、こんにちは」
と桂太。少年は、桂太のほうへ声をかけたのだった。
私のほうへは、「だれだ、おまえ?」みたいな視線を投げ掛けてくる。
人違いの恥ずかしさ。
裏見って呼ぶのが悪いのよ。私だって裏見だもの。
「あ、紹介するね。こっちは従姉妹の香子姉ちゃんだよ」
名前を聞いた少年は、ああ、とつぶやいた。
「失礼しました。H島の裏見香子さんですね?」
「え……そうですけど……」
「はじめまして、僕は香宗我部って言います。高2です……漢字は分かりますか?」
私は、分からないと答えた。
「長宗我部っていう戦国武将は?」
「それなら」
「『長』の部分を香車の『香』に変えたら、香宗我部になります」
なるほど……香宗我部か。これまた変わった苗字だ。
今の自己紹介から、相手のステータスがなんとなく分かった。
「桂太の将棋友だち?」
香宗我部くんは、目をパチクリとさせた。
「ええ、よく分かりましたね」
香の字を説明するとき、香車を持ち出すひとは少ない。私は、そう答えた。
香宗我部くんは、おおいに笑った。
「そりゃそうですね。これは参りました」
「ところで、なんで私の名前を?」
「駒桜市立は、今季の団体戦で、市代表だったじゃないですか」
……ええ?
「市代表って言っても、2回戦負けよ?」
「それは関係ありません。他県のデータを収集するのが、僕の役目ですから。それに、駒桜市立には、傍目さんがいるでしょう」
「八千代先輩のこと、知ってるの?」
「ええ、中四国連絡協議会のとき、よくお世話になってます」
八千代先輩、そんなに偉いのか……将棋観戦マニアかと思ってた。
「香宗我部の兄ちゃんは、四国高校将棋連盟の幹事長なんだよ」
と桂太。ブレイン役だったか。道理で。
「幹事長なんて言っても、名ばかりで……おっと、バスが来ました」
私たちは、バスに乗り込んだ。知り合いは多い方がいいし、香宗我部くんをハブる理由もないから、隣同士の席に座る。バスが出発して、M山駅を離れた。
ゆらゆらと揺られながら、私たちは続きを話す。
「香宗我部くんは、K知に旅行?」
「いえ、僕はK知在住です」
「じゃあ、どうしてE媛に?」
「ちょっと私用がありましてね。友だちの家に泊まってたんです」
私用? 友だちの家に? 高校生が?
私は、いろんな疑問が湧いてくる。
香宗我部くんは、そんな私をよそに、鞄から小さなお菓子を取り出した。
「ぼっちゃんだんごですけど、食べますか?」
まさかのM山名物。土産に買ったものの一部らしい。私はお礼を言って、ひとつもらうことにした。袋を開けると、緑→黄→黒と並んだ、あんこ付きの串団子が出てくる。
ひとつずつパクついていると、香宗我部くんは先を続けた。
「怪盗キャット・アイって、知ってますか?」
……………………
……………………
…………………
………………
はい? 私は口もとに手をあてて、尋ね返す。
「ごめん、もう一回言って」
「怪盗キャット・アイです」
「……知らない」
漫画? アニメ? そういうのは、ちょっと詳しくない。
「そっか……駒桜市には、まだ出ていないんですね」
「着ぐるみショー?」
香宗我部くんは、なんだかはぐらかすようなことを言って、前を向いた。そして、今度は四国の地理について、あれこれ教えてくれた。私も、あんまり立ち入りたいと思うような話題じゃなかったから、さっきのテーマは忘れることにした。
揺られに揺られて、2時間半。私たちは、K知市に到着した。
「いやあ、やっぱりふるさとが一番」
桂太はそう言って、バスを降りた。私はそれに続く。
カッとした太陽が、私の顔に照りつけた。暑い。
駅前は、とてもこざっぱりしていて、H島駅とはかなり違う印象を受けた。白い高架の線路があって、それを円筒のような建物が覆っている。おしゃれなデザインだ。
「K知には、どれくらいいるんですか?」
「一週間ほど」
「そうですか。いい夏休みを」
香宗我部くんとは、駅前で別れた。
私は桂太に、家の場所を尋ねた。
「K知市じゃないよ。となりのT佐市」
また移動か。私は頑張って、駅のホームへと向かった。
……………………
……………………
…………………
………………
「いやあ、よく来なさったね」
小柄な女性が、私たちを出迎える。
ここは、桂太の家。海辺からすこし離れた、木造家屋だった。
庭が広くて、松が植えられている。それに、大きな強面の犬がいた。犬は、私をみて吠えるかと思いきや、興味なさそうな顔。番犬としては失格ね。
「さあさあ、あがってちょうだい」
「お邪魔します」
私は2階の座敷に通された。海がよくみえる。客間になっているのか、あまり生活感がなかった。箪笥や押し入れが、昭和の映画に出てくるような代物で、タイムスリップしたみたい。まあ、うちも大概なんだけど。
私は荷物を整理して、それから1階へおりた。おばさんは、冷たいお茶とソーメンを出してくれた。桂太もお相伴にあずかる。どうやら、ほかのひとは仕事へ出ているらしく、おばさんひとりきりとのことだった。
「夕方になったら帰ってくるわ。それまでは、ぶらぶらしててね」
「こんな田舎だと、見るとこないよ。K知市に出るから」
と桂太。自分が出掛けたい魂胆が丸見えだ。
「出ても、2、3時間しか遊べないでしょう。明日早くにしなさいな」
おばさんの合理的な説得で、桂太はぐぅの音も出ない。
私も、せっかくだから、おじいちゃんの弟が住んでいる町を見たくなった。
ソーメンをたっぷりおかわりしてから、桂太に町案内を頼んだ。
「案内って言ってもさ、ほんとに見るものないよ?」
「名物とか、あるでしょ」
「名物……かつおぶし?」
かつおぶし単体は食べられない。っていうか、さっきの麺つゆに入ってた。
「とりあえず、太平洋を見に行きましょ」
「うん、それがいいかも。瀬戸内海とは、全然違うからね」
私たちは、すぐ向かいにある海岸へおりた。白い砂浜が綺麗。
島ひとつない、広大な……あれ?
「右のほうに、陸地がみえるわよ?」
「あれは横浪半島だよ」
桂太の説明によれば、ほんとに陸地のみえない海は、あっちの半島へ渡らないと、堪能できないらしい。
「今から、あそこまで行けない?」
時間は、まだ2時を過ぎたあたりだ。
「行けるよ。自転車で漕いでいけば」
サイクリングか。なかなかいいわね。
桂太は自分の自転車を、私はおばさんのを借りることになった。まえに籠がついているから、完全にママチャリだ。お茶を入れるのに便利。
半島へ渡る道は、桂太の家から、そう遠くなかった。宇佐大橋という橋を渡ると、右手に内湾がみえた。釣りの名所なのか、筏舟のようなものが浮かんでいた。なんとも風光明媚だと思っていた矢先、とんでもないことが判明する。
「え? こっからずっと上りなの?」
「そうだよ」
なんてこった。てっきり、平地だと思っていた。
私は元陸上部の脚力を活かして、えっちらおっちら頑張った。
右手に小高い山を、左手に太平洋を見渡す。風が強い。
車道のそばを通っているから、ときどきファミリーカーに追い越された。
「桂太、あの看板は?」
私は【越波注意】と書いてある看板を指差した。
「風が強いと、波が車道にあがるんだよ」
なるほど、海辺は海辺の危険があるようだ。
さらに進むと、左手に縦長の砂浜がみえるようになった。
レジャー客が集まっている。
「このへんって、有名なの?」
「ドラゴンビーチっていう海水浴場だよ」
なぜに横文字? 神崎さんが怒りそう。
私がそんなことを考えていると、うしろからバイクに追い抜かれた。
後部座席に釣り道具の山。あれも釣り客かしら?
すると、バイクはいきなり減速して、私たちのまえで止まった。
桂太も止まって、私はあわててブレーキを踏む。
バイクの乗員は、フルフェイスのヘルメットを外した。
さらっと、髪が風になびく……若い女性だった。ボーイッシュな顔をしている。眉毛が太い。年齢は……あれ? もしかして10代? 髪型は、平凡なショートだった。お洒落に気を使っていない雰囲気が、なんとなく伝わってくる。日焼けもよくしていた。
彼女は、こちらを向いて、
「やっぱ桂太だったか」
と言った。桂太は片足で自転車のバランスを取りながら、
「磯前の姉ちゃん、ここでなにしてるの?」
と尋ねた。
「見りゃ分かるだろ。釣りだよ、釣り」
なんともぶっきらぼうな喋り方だ。
「わざわざドラゴンビーチまで?」
「最近バイクを買ったからさ、遠出したいんだよね」
よくみると、彼女が乗っているバイクは、新品だった。車種は分からないけど、おばさんたちがよく乗ってるタイプじゃなくて、本格的な中型バイク。車体は青。
一方、彼女のほうも私が気になったのか、こちらに視線をむけた。
「そっちの姉ちゃんは?」
「俺の従姉妹で、香子っていうんだ」
「ふぅん……」
イソザキさんは、私を値踏みするように、じっと目を細めた。
「ちょっと横向いてみ」
え? なにそれ? 私は不審に思いつつ、おとなしく従った。
「……ポニテか」
「私のポニテが、どうかしたの?」
「いや、なんでもない」
イソザキさんはそう言ってから、自己紹介した。
「あたしは、磯前好江。南国水産高校2年」
磯崎じゃなくて磯前だと、彼女は付け加えた。
私も自己紹介する。
「へぇ、H島出身なんだ」
「H島市じゃないんだけどね」
「どこ?」
駒桜だと答えると、磯前さんは、ちょっと意外そうな顔をした。
「近くの高校に、姫野咲耶ってひと、いない?」
今度は、私が驚く番だった。
「姫野さんのこと、知ってるの?」
すこしだけ話したことがあると、磯前さんは答えた。
「姫野さんとは高校が違うけど、クラブ活動が一緒だから、定期的に会うわ」
定期的にって言うのは、大会のたびに、ってことだ。
もちろん、喫茶店八一や、合宿でも顔を合わせる。
「そっか……じゃあ、桐野花って子、知ってる?」
こんなところで、桐野さんの名前を聞くとは。
「ええ、たまに話もするし」
「今度会ったら、南国の磯前がよろしく言ってたって、伝えといて」
んー、私はメッセンジャーじゃないのに……ん?
「磯前さん……あなた、将棋指し?」
「そうだよ」
磯前さんは、なんで知らないの、みたいな反応。知らんがな。
「そのふたりを知ってるってことは、あんたも将棋指しなんだろ?」
「そ、そうよ」
「棋力は?」
女子高生が初対面で「棋力は?」とか、すごい世界だ。
「姫野さんの次……くらいかな」
とりあえず盛っておく。
磯前さんは納得したのかしなかったのか、よく分からない表情。
「ふたりとも、ドラゴンビーチに寄ってかない?」
彼女はヘルメットを被り直して、エンジンを噴かせた。
私と桂太はおたがいに顔を見合わせて、彼女についていくことにした。磯前さんは誘導するように私たちのまえを行って、駐車場におりる。私たちも、そこに駐輪した。彼女はヘルメットを脱いで、黄色いツバ付き帽子に変えた。後部座席の道具を一式担いで、内港の堤防へとむかう。そのあいだ、ここまで来た経路とか、とりとめのないことを話した。
防波堤にたどりついた私たちは、釣りの準備をする。すると言っても、私と桂太は見てるだけ。竿を貸してくれるという話になったけど、さすがに遠慮しておいた。服が魚のエキスで汚れると困る。
「椅子も貸すよ」
磯前さんはそう言って、折り畳み式の椅子を、私に差し出した。
「磯前さんは、どうするの?」
「あたしはクーラーボックスでいい」
うーん……どうしましょう。磯前さんがホストだし、いっか。
私は腰をおろした。
「磯前の姉ちゃん、俺のは?」
「桂太はそこらへんに座ってりゃいいだろ」
桂太はチェッと言って、防波堤のふちに座った。なんか危ないなあ。落ちそう。
磯前さんはルアーをつけて、サッとキャスティングした。
……………………
……………………
…………………
………………
このシチュエーション、おかしくない?
磯前さんが声をかけたんだから、盛り上げてくれないと。
それなのに、磯前さんは海面の一点を凝視して、深刻な顔をしていた。
すごくピリピリしている。
「裏見香子……だっけ?」
なぜか、名前の確認。私は、そうだと答えた。
「ひとつ、頼みがあるんだけど……」
「なに?」
「あたしと、将棋を指さない?」