683手目 陽動中飛車
※ここからは、犬井くん視点です。取材当日の午前に戻ります。
さてさて、今日は葉山さんとは別行動。
お互いに単独取材だね。
僕は四国東部を担当ということで、K川→T島ルート。
まずは、二階堂姉妹と、長尾くんを取材する。
場所は、姉妹の両親が経営するうどん屋。
早朝、営業時間前に暖簾をくぐると、いらっしゃーいの声。
元気な女の子が出てきた。
短く結ったミディアムボブが、向かって右に流れている。
早紀ちゃんだね。
「おはよう。みんな揃ってる?」
「もちもちです」
早紀ちゃんの返答と同時に、厨房のほうから、他のふたりが顔を出した。
妹の亜紀ちゃんと、長尾くん。
亜紀ちゃんは、
「やっほー、犬井先輩、おひさ」
と、手を振ってあいさつした。
長尾くんは、なにか作っていたらしく、エプロン姿で、
「おはよう、朝ごはん食べてきた?」
と、いきなり訊いてきた。
「ホテルで軽く食べたけど、どうして?」
「長尾彰特製スイーツがあるんだけど、まだできてないんだ。冷蔵庫で3時間」
なるほどね、と、僕は納得すると同時に、
「僕が食べてきてなかったら、モーニングも出たのかな?」
と、ちょっとからかってみた。
すると、長尾くんは、
「アハハ、まさか……そんなことがあるんだなあ」
と言って、厨房の奥から、モーニングセットを取り出してきた。
サンドイッチトースト、サラダ、スクランブルエッグ。
「用意周到か。でもごめん、さすがに入らない」
「いいよいいよ、犬井が食べなかったら、僕が食べる予定だったから」
と言って、長尾くんは早速、自分の料理をつまんだ。
前置きはこのへんにして、早速始めよう。
「今日は葉山さんがいないから、僕の単独取材ね。イヤだったら申し訳ない」
亜紀ちゃんは、なんで犬井さんひとりなんですか、と訊いてきた。
「企画的に、単独取材回があっても面白いかな、と思って」
「そんなに変わります?」
「突っ込んで説明できないけど、あると感じた」
葉山さんは、将棋に関して、僕の意見にだいぶ依拠しちゃってると思う。棋力差を気にしていたり、本当にわからなかったり、そのあたりが原因。もっと自由に書いて欲しい。そのための単独取材。失敗する可能性も、もちろんある。
「じゃ、だれからにする?」
あらかじめ決めていてくれたらしく、早紀ちゃんからになった。
「わたしは、桃子ちゃんの将棋にします」
ここは予想通り。
早紀ちゃんの勝ち局で、相手の棋力が多分一番高い。
次点で梨元戦だった。
僕たちは、お店の奥の座敷に上がって、テーブルについた。
4人で座るには十分。盤駒は、先に用意されていた。
僕と早紀ちゃんが奥、長尾くんと亜紀ちゃんが通路側。
早紀ちゃんは、
「それじゃ、並べまーす」
と言って、棋譜を再現し始めた。
「今回はめちゃくちゃ工夫して、陽動中飛車です」
【先手:剣桃子(O山県) 後手:二階堂早紀(K川県)】
いい戦法だね。エンタメ性がある。
僕は、
「陽動中飛車を採用した理由は?」
と尋ねた。
「以前、他の強豪に陽動振り飛車を試したら、わりとうまくいったので」
「その強豪って、教えてもらえる?」
「あー、それは秘密です」
相手に配慮したのかな、と思いきや、横合いから亜紀ちゃんが、
「あれ、お姉ちゃんの負けだったような……」
と口を挟んだ。
「亜紀はちょっと黙ってなさい」
「お姉ちゃん、真実はいつもひとつだよ」
なるほどね、そういう舞台裏か。
でもさ、早紀ちゃんの陽動振り飛車がうまくいったかどうかと、最終的に負けたかどうかは、直接的には関係ないんだよね。だから、ふたりとも本当のことを言っているのかもしれない。
僕はメモを取りつつ、先を促した。
「とりあえず、ちょっかいをかけました。6六歩、5五歩、同歩、同飛で飛び出して、6七金、6二玉、5六歩、5一飛と定位置に。桃子ちゃんは、3五歩と突いてきました」
【35手目】
これは壁角の解消。
剣さんの実力からすれば当然の、機敏な反発。
以下、同歩、同角、7二玉、3七銀、7三桂、3六銀、3四歩と後手が収めようとして、6八角、4二角に、再度の3五歩。
【45手目】
6八角、4二角あたりは、双方疑問手。
もちろん、アマチュアレベルなら看過できる。
僕は、
「ここから、8二玉と寄ったね。5四銀右は考えなかった?」
と訊いた。
「いやあ、考えなかったですね」
「けっこう有力じゃない?」
早紀ちゃんは、
「振り飛車党は、そんなに細かく考えないですよ」
と笑った。
亜紀ちゃんは呆れて、
「振り飛車党を代表するみたいなコメントは、100年早い」
と突っ込みを入れた。
まあまあ。
いずれにせよ、ここからの先手は、決め手に欠けた。
2筋でごちゃごちゃやったものの、突破はできず、6八角と引いた。
【56手目】
僕は、
「3五銀と出て、先手良しかな、と思う。6八角はちょいヌルなんだけど、対局中は、どう感じた?」
と訊いた。
早紀ちゃんは、
「え、3五銀は、本譜でも指されてますよ?」
と返した。
「本譜の6八角、4三銀、3五銀よりも、3五銀、4五銀、3四歩のほうが、わずかに先手いいと思う。後者は5六銀の突っ込みがあるとはいえ、6八金引の受けが利くから」
【検討図】
なるへそ、と、早紀ちゃんは納得したあと、
「ただ、本譜も後手苦しいんですよね。チャンスと思ったのは、6六歩と打ったところです」
と説明した。
【90手目】
「ここでは、後手がいいと思ったんですよ」
僕は、
「じっさい、評価値は後手に振れ始めてるね」
と答えた。
すると、長尾くんは、
「後手悪くないとは思うけど、どこで逆転したの? さっきまでは先手が良かったよね?」
と質問した。
早紀ちゃんは、
「AIが言うには、6四歩、同銀、同銀、同角に、5五銀と打ち返したときみたいです」
【89手目】
これを聞いた長尾くんは、ちょっと考えて、
「……そんなに悪いの、この手?」
と、首をかしげた。
早紀ちゃんは、
「えーと……正確には説明できないんですが、6五銀とひとつズラして打てば、6六歩に同金と取れるみたいなんです」
と答えた。
僕はこれに、軽い訂正を入れた。
「6五銀が疑問手なのは正しいとして、そのまえの6四歩、同銀に、同銀と取り返したのも疑問なんだよね。2段階で評価値が溶けてる。6四歩、同銀には、6一銀と引っかけて打つほうがよかった」
【検討図】
「これなら、6二金と寄られたとき、7四銀で前に出られる。6一金なら8三銀と打てる。銀が余ってるのが大きい」
長尾くんは、なるほどねえ、と感心した。
早紀ちゃんの解説に戻る。
「で、このあとは後手ペースになりました。全然読み切ってなかったですけどね。8筋で攻防があって、6六桂捨てから6八金捨てと、連続で捨てる勝負に出ました」
【106手目】
ここで8八玉と逃げたのがマズくて、後手勝勢に。
正解は8九玉。ただし、これでも後手優勢レベル。
ようするに、この段階では先手負けになっている。
僕は少し戻して、
「100手目の6八とで、8四金はどう?」
と尋ねた。
【検討図】
早紀ちゃんは、あー、と間延びした声を出して、
「そっか、受けたらもっと簡単に勝てますね。飛車を逃げるしかないんで」
と理解してくれた。
6五飛、6八とだね。
亜紀ちゃんは、
「なんかお姉ちゃんでも指せそうじゃない? なんで気づかなかったの?」
と尋ねた。
早紀ちゃんは渋い顔をして、
「あのときは、攻め合いしか考えてなかったからなあ」
と弁解した。
そういうことって、あるよね。
受けて負けるくらいなら、攻めて負けよう、っていう思考が先にくると、そもそも受けを読まなくなってしまう。これは将棋に限らない。
早紀ちゃんは、気をとりなおして、
「ここからは、もう私が勝勢……だったんですが、先手が入玉を目指してきて、焦りました」
と、終盤の解説にとりかかった。
【119手目】
僕は、
「なんだかんだで、白熱した終盤になったんじゃないかな」
と評価した。
解説席でも、こじれそう、という意見が出ていた。
「心臓に悪かったですね。先手の入玉、一見すると止めにくかったので。でも最後、7五金っていう気持ちのいい手が出て、気持ちよく勝てました」
【132手目】
「わたしが見た限り、桃子ちゃんが観念したのは、ここみたいです」
詰みに気づいた、と。以下、同歩、7六銀、7四玉、8五角、6四玉、4五歩で、飛車の横利きがひらいて詰み。先手も入玉寸前だったから、よく止めたと思う。
「全体の感想は、どうかな?」
早紀ちゃんは、そうですね、と言ってから、しばらく考え込んだ。
今になって考えている、というわけじゃない。
これまでの記事でも、最後にそういう感想が載ってるわけだし。
事前に用意するタイミングは、あっただろう。
「……なんか、全体の感想って訊かれても、ピンとこないんですよね。変な譬えかもしれないですけど、麺が美味しい、汁が美味しいって言ったあとに、じゃあうどん全体はどうでしたか、って訊かれてるみたいな……すみません、ちょっと説明しにくいです」
これには長尾くんが笑顔で、
「あ、わかるわかる。アミューズ・ブーシュ、オードブル、スープ、ポワソン、ソルベ、ヴィアンド、デセール、カフェの感想をひと通り言ったあと、じゃあコース料理全体はどうでしたか、って訊かれたら、困るよね。いや、さっき言ったじゃん、っていう」
早紀ちゃんは、
「コース料理は食べたことないですけど、まあそんな感じです」
と同意した。
僕は、タブレットを触りながら、思案した。
「……じゃあ、全体の感想はなしでもオッケーだよ。他の記事に合わせる必要ないから」
「でも、記事になるのに、もったいないような……あ、そうだッ!」
早紀ちゃんは、バンとテーブルを叩いた。
「うどんはK川のたかやぐらッ! 観光の際には、ぜひお立ち寄りくださいッ!」
「ごめん、広告スペースは有料」
場所:第10回日日杯 3日目 女子の部 14回戦
先手:剣 桃子
後手:二階堂 早紀
戦型:後手陽動振り飛車
▲2六歩 △3四歩 ▲7六歩 △4四歩 ▲4八銀 △3二銀
▲5八金右 △4三銀 ▲5六歩 △9四歩 ▲9六歩 △7二銀
▲2五歩 △3三角 ▲7八銀 △6四歩 ▲7九角 △3二金
▲7七銀 △6三銀 ▲7八金 △7四歩 ▲6九玉 △5四歩
▲3六歩 △5二飛 ▲6六歩 △5五歩 ▲同 歩 △同 飛
▲6七金右 △6二玉 ▲5六歩 △5一飛 ▲3五歩 △同 歩
▲同 角 △7二玉 ▲3七銀 △7三桂 ▲3六銀 △3四歩
▲6八角 △4二角 ▲3五歩 △8二玉 ▲3四歩 △同 銀
▲7九玉 △7二金 ▲8八玉 △8四歩 ▲2四歩 △同 歩
▲同 角 △3三桂 ▲6八角 △4三銀 ▲3五銀 △3六歩
▲2四歩 △2一飛 ▲2六飛 △6五歩 ▲3六飛 △3四歩
▲同 銀 △同 銀 ▲同 飛 △5八銀 ▲6五歩 △6七銀不成
▲同 金 △6五桂 ▲6六銀 △6四歩 ▲7七桂 △5七歩
▲6五桂 △同 歩 ▲同 銀 △4三金 ▲3五飛 △2四飛
▲6四歩 △同 銀 ▲同 銀 △同 角 ▲5五銀 △6六歩
▲6四銀 △6七歩成 ▲8五桂 △同 歩 ▲同 飛 △8四歩
▲同 飛 △8三銀 ▲8五飛 △6八と ▲5五角 △7八と
▲同 玉 △6六桂 ▲同 角 △6八金 ▲8八玉 △7九角
▲7七玉 △6七金打 ▲8六玉 △6六金 ▲7三銀打 △同 金
▲同銀成 △同 玉 ▲6三金 △同 玉 ▲8三飛成 △7三桂
▲7五桂 △5四玉 ▲5五銀 △6五玉 ▲6六銀 △同 玉
▲7三龍 △6七玉 ▲8五玉 △9三銀 ▲8三桂成 △7五金
▲同 歩 △7六銀 ▲7四玉 △8五角 ▲6四玉 △4五歩
まで138手で二階堂早紀の勝ち




