648手目 攻攻
※ここからは、不破さん視点です。決勝戦開始前に戻ります。
おいーす。
教室に入ると、もう先客が集まっていた。
暇人だなあ。
っと、師匠がいた。あいさつする。
あたしは椅子に座って、大きくあくびをした。
とっとと始めようぜぇ──始まんねぇなあ。
琴音が来ない。逃げたか?
まあそんなわけはない。
5分ほど遅れて、いつもの3人で入ってきた。
バスが送れたとかなんとか。
さてと、やるかあ。
対局席につく。
琴音は、白杖を笑魅に渡して、静かに座った。
あたしは舐め終わった飴玉のスティックを、ティッシュにくるむ。
「振り駒は?」
「楓さんが、どうぞ」
「んじゃ、遠慮なく」
歩を放ると、表が3枚。
「あたしの先手だ」
「どなたか、チェスクロの固定をお願いします」
辰吉がやって、完了。
琴音は何度か腕を動かして、距離を測った。
「けっこうです」
辰吉は、あたしのテーブルと、師匠のテーブルとのあいだに立った。
「準備はよろしいでしょうか?」
いいぜ~。
「それでは、始めてください」
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
琴音がチェスクロを押して、対局開始。
あたしはノータイムで7六歩。
8四歩、5六歩、3四歩、5八飛、8八角成。
【先手:不破楓(天堂) 後手:春日川琴音(藤花)】
だいたい予想通り。
序盤から、かっとばす。
同飛、1四歩、1六歩、3三角、7七角、6二銀。
どうすっかな。
序盤の角交換は、あると思ってた。
が、具体的な方針を決めてない。
しばらくはノリで指す。
6八銀、4二玉、4八玉、5二金右、3八玉、8五歩。
熊はしてこないだろ、たぶん。
すなおに組む。
2八玉、3二銀、5七銀、7四歩、3八銀、3一玉。
超速でもないんだよなあ。
あたしは腕組みをして、2本目の飴玉を取り出した。
すぐに頬張る。リンゴ味。
「……3六歩」
方針決定。
5四歩、6六銀、6四歩、3七桂。
あたしだけ、見慣れたかたちにしていく。
後手超速じゃないけど先手超速カウンター、みたいな?
琴音は、ここで少し考えた。
7三桂と6三銀で迷ってる感じか?
「……6三銀」
「2六歩」
「4四歩」
んー、次に6五歩っぽい。
同銀は7三桂で死ぬから、取れない、と。
だったら、6六の銀は仕事終了だ。
「5七銀」
下がって組み替える。
琴音は、それでも6五歩。まあ当然の一手。
4六歩、6四銀。
「4八飛」
攻めに回る──が、琴音、長考。
こりゃ琴音から攻めて来るな。
タイミングとクセ。
7五歩か?
同歩、同銀で、前に来そうだ。そこでカウンターを狙う。
「……7五歩」
ほい、同歩。
同銀に4五歩。
攻め合い。
琴音はこれを無視して、6六歩、同銀、7六銀と入ってきた。
「角は逃げないぜ。4四歩」
どうだ?
7七銀成なら、同桂、8六歩に4三銀で押し切る。
琴音、また少し考える。
本命から外れたくさい。
「……3五歩」
対応してきたか。
これはけっこうめんどい。
8八角、2四角、4五桂でも、いいんだが──
(※図は不破さんの脳内イメージです。)
複雑にし過ぎか?
そもそも、8八角に2四角の保証もないしな。
3五同歩を選択。
当然に3六歩と打たれる。
5八金左、3七歩成、同銀、7七銀不成、同桂、4二金上。
ん? いったん受けた? ……あやしい。
まだ20分あるし、腰を落とす──なんかの攻める準備か?
単に受けた、とも考えられるが……こっちは4三銀と打てなくなったし、3四歩や3四銀も意味はない……が、琴音の棋風からして、この局面で単に受ける、とは思えない。
ま、あたしの手番だし、あたしから攻めりゃいい話だ。
「6五桂」
左桂を活用する。
ここから8六歩の攻め合いが本線。
「1五歩」
そっちかよ。
8筋を入れないとは、大胆だね。
取るイチ。同歩。
琴音は同香。
これは取らない。1六歩。
「2四桂」
マジで玉頭戦。
これがダメなら8六歩、ってことなのかね。
2五銀で切らせにかかる。
1六香、同香、3六歩、同銀、同桂、同銀。
ほれほれ、切れてきたんじゃないか。
琴音、また時間を使う。
ここで8六歩は、間に合わないぜぇ。
琴音は、残り時間15分のうち1分使って、6四歩と打った。
桂馬は助からない……が、6五歩はめんどうだ。
7三桂成で捨てる。
同桂に2七玉と上がって、2四桂を先受けした。
琴音はそれでも2四桂。
さて、考えどころ。手が広い。
2五銀でまた受けるか、7四歩で桂馬を責めるか、あるいは4六香で、4筋の攻めを再開するか。3四桂もある……いや、微妙。さっきの3択。
2五銀は、これまでの方針の維持。両取り逃げるべからず。1六桂が王手にならない、っていうのがポイント。これが2七玉の効果。
7四歩は、桂馬を取る、プラス、と金を作るのが目標。7筋に拠点ができれば、3四桂くらいで先手指しやすい。
4六香は、攻めとしては魅力。ただ、3六桂が飛車当たりなんだよね。一直線の攻めにはならない。というわけで、候補としてはあんまない。
あたしは、飴を舌のうえで転がしながら、さらに考えた。
んー、7四歩、3六桂、同玉かね。
琴音がそこでなにを指してくるか、見る。
「7四歩」
チェスクロを押すのと同時に、琴音は指し返した。
3六桂、同玉。
「1九角」
絶対攻めるガール。
5三金上くらいだったろ、今のところ。
まあ読みやすくていい。
あたしは3九香と受けた。
6五歩、7五銀。
琴音、1分考えて、5三金直。
さすがに受けたッ!
あたしは1八飛と回った。2八銀を強要する。
「4四金」
「!?」
攻めた……?
5三金が攻めだったってことか?
そんなアホな……いや、成り立ってる。
ここからのあたしは、1九飛しかすることがない。
そこで2八銀、1八飛、1七銀打とされたら、飛車が死ぬ。
ただ……飛車と角銀交換。後手は駒損。
つーことは、4四の金に賭けるわけか。
受けて立とうじゃねーか。
「1九飛」
2八銀に1八飛と立つ。
1七銀打、同飛、同銀成、7三歩成。
琴音は10秒ほど考えて、1六成銀と引いた。
あたしは8二とで、飛車を取った。
「4五金」
これが厄介。
同玉は4四飛と打たれちまう。
つーわけで、3七玉。
琴音は、軽く息をついた。
うつむいて、時間を使う。
いったんネタ切れか。
琴音は、決めた手数まで攻めを考える→実行→決めた手数まで攻めを考える→実行の、繰り返しっぽいんだよね。
他の連中も、これに気づいてると思う。口には出さないが。
琴音はたっぷり3分使って、腕を上げた。
「4七歩」
……チッ、いい手だ。
同金は4六香、同金、1七飛でオワコン。
あたしも応手を考える。
……………………
……………………
…………………
………………単に受けるか、6一飛と打つか、この2択。
単に受けるなら、1九桂。
攻めを絡めるなら、6一飛、4一銀、1九桂。
(※図は不破さんの脳内イメージです。)
直近で、差は出ない。
進めてみないと、なんとも言えない。
6一飛、4一銀、1九桂には、3六香だろ。
2八玉と下がって、2六成銀と寄ってくる。
こっちはかなり狭い。
3四桂の反撃は、無視して3五金がきつい。
4二桂成、同角の瞬間、先手は詰めろだ。
(※図は不破さんの脳内イメージです。)
6一の飛車も、働いてないんだよなあ。
思ったより、受けのニーズが高いぜ、こりゃ。
「1九桂」
単に受け。
琴音は3六香で、案の定の王手。
2八玉、2六成銀。
けっきょく打つしかない。
「6一飛」
「4一銀」
あたしは、気合いを入れなおした。
歯のあいだで、飴玉が壊れた。
口のなかに、リンゴの香りが広がる。
局面は互角。
おもしろくなってきたんじゃないか。
「反撃だ。4三歩」




