647手目 格
※ここからは、古谷くん視点です。
互角……か。派手に押し返したけど、こちらの陣地はスカスカだ。
捨神先輩がもう一度攻めに出るのは、簡単。
4五歩くらいでいい。
つまり、猶予は一手しかない。
僕は水筒のお茶を飲んで、蓋を閉めた──攻める。
「2五桂」
先輩は、この手を予想していたと思う。
反応は薄かった。
20秒ほどして、スッと4五歩。攻め合いに。
2八角、4四歩、4八歩、4五金、2三玉、2九飛、6四角成。
入玉含みになってきた。
そっちのほうが、勝ちやすいかもしれない。大駒は僕が3枚。
捨神先輩も、入玉阻止の方向で動き始めた。
6五歩、5三馬、2六歩、1七桂成。
「2五歩」
端を破れそうなかたち。
でも、1八成桂は、無視して2四歩、3二玉、2三歩成で突破される。
ムリっぽい?
……………………
……………………
…………………
………………待てよ、2四歩が痛いのは、1四玉とできないからだ。
1八成桂、2四歩、1四玉、1八香が王手になってしまう。
だったら、できるようにすれば?
1八歩で、もう一段厚くしておけばいい。
(※図は古谷くんの脳内イメージです。)
これなら1四玉が成立する。
ただ……これでも押し戻される。
1八歩、3五金、3二玉で、早逃げの展開になりそうだ。
いずれにせよ、入玉はほぼ期待できないか。
「1八歩」
3五金、3二玉、2六飛、3四歩、2四歩。
僕は2二歩と打った。
感触は……あまりよくない。
少なくとも、先手が息を吹き返してきた。
残り時間は、僕が8分、先輩も8分。
序中盤が神経戦だったから、そんなにストックはない。
捨神先輩は、2三歩成という、成り捨ての常套手段に出た。
同歩、2四歩、同歩、3三歩、同玉、2四金。
「4四玉」
もう一度、上に出る。
捨神先輩は、なるほどね、という表情。
4六飛の直接手は、意味がない。
おそらくは3七銀。
予想通り、そう上がってきた。
「6二馬」
右へ逃げる。
3六銀、4九歩成、4五銀、5三玉、3四金、6三玉。
先手は、2二飛成と滑り込んだ。
……後手不利。
間違いやすい局面でもないし、棋力を考えると、ほぼ敗勢。
周囲には、僕を応援してくれているひとがいる。
もちろん、捨神先輩を応援しているひともいる。
ただ観戦しているだけのひともいる。
それは、僕にとっては関係のないことだ。僕が気にしなければ。
「……8六歩」
続きを指す。
同歩、3四桂、同銀、4一歩、1一龍、7二玉。
先輩は、4一龍、5一金に4九龍と引いた。
からい。
僕が頓死狙いなのを、前提にした指し方だ。
「1六角」
龍をどかせる。
リスクはあるけど、自陣龍のままだと、どうにもならない。
4三龍、6一馬。
捨神先輩は、ここで手が止まった。
残り1分。
ピッ……ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「5四龍」
!? ……銀を捨てた?
6四桂で寄る? いや、それは寄らないと思っていた。
ピッ……ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「5三歩ッ!」
いったん受ける。銀はあとでも抜ける。
同龍、6二金、4二龍、3四馬。
捨神先輩は、静かに6四歩と伸ばした。
流れがガラッと変わった。
頓死狙いにするよりも、受け切りに賭けたほうがいい。
「5二金」
4一龍、5一金打、3一龍、4二銀。
完全回復。
捨神先輩は、3二龍でスキマに撤退した。
僕は1九歩成で、香車を取り切る。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「6六桂」
難しくなった。
8三銀と引きたい。
でも、6三歩成、同金、6四歩、同金、6五香で、藪蛇かもしれない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
僕は6八歩と打った。
8三銀について、もう1分考える時間が欲しかった。これがひとつ。
もうひとつは、6五香のあと、どのみちこれしかなかった。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
同玉。
王様で取られた。
同金上を予想していたけど、要点はそこじゃない。
今の1分で掘り下げていたのは、8三銀以下だ。
受け切り方針なら、これで問題ない。
けど、攻め合いに転じたら?
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
8三銀、4八香、4四歩、5五成銀。
じわじわ上がってくる作戦。
3三馬、1二龍、4三銀、2四歩。
うまいところに打たれた。
この置き方は気づきにくい。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
3四馬、2三歩成。
僕は3八角成で、根元の香車を払いにいくかどうか迷った。
ピッ、ピッ、ピッ
さすがに遠すぎる。
ピーッ!
「8七歩」
逆サイドに楔を打つ。
捨神先輩は、すこしだけ上半身を動かした。
イヤな予感がする。
パシリ
取れない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
2五馬、3三と、8八歩成、2六歩。
これも……取れない。
僕は59秒ギリギリで、3六馬と出た。
捨神先輩は、4三と。
5二とが入れば終わり。
攻め合うしかなくなった。
「7八と」
同金、4三角、6五桂。
3六に誘導された馬。これを逆用する。
「6九銀」
7八銀成~5八馬を狙う。
僕は捨神先輩を見た。
先輩は、いつもよりさらに深い無表情で、読みに沈んでいた。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
スッと、7九金。
受けた。
僕は5八銀不成と引いた。
5三桂成に6五歩と打ち返す。
待望の攻め合いに。
ギャラリーも、熱戦の気配になった。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
7七金、6六歩、4三成桂、7一玉。
龍の横利きを回避。
捨神先輩は、2一龍で追ってきた。
6一香、6六金、7四桂、6五金、7二銀。
飛車先も回復。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「7五銀」
桂頭の銀? ……8六桂、同銀、同飛はヌルイってことか?
いや、8六桂は8四歩か。
……………………
……………………
…………………
………………え、手がない?
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
僕は2八成桂と入った。
捨神先輩は、冷静に4七歩。
……………………
……………………
…………………
………………一瞬で、手がなくなった。
しかも銀を逃がさないと……いや、ダメだ。
4九銀成に、1六角で終わる。
(※図は古谷くんの脳内イメージです。)
驚くほど……ほんとうに驚くほど、あっさりとした終わりかただった。
7四桂が敗着だった? それとも……もっと前から悪かった?
勝負になっていたのか、なっていなかったのか。
それすらも分からなかった。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「負けました」
捨神先輩の一礼まで、わずかに間があいた。
「ありがとうございました」
唐突な終局に感じられたのか、ギャラリーも、ざわつくのに時間がかかった。
けれど、どう見ても手がないし、感想戦も、そこからは始まらなかった。
僕は、
「先手の攻めを、切らせきれなかったです」
と、率直な言葉を漏らした。
捨神先輩は、そうだね、とおいて、数秒黙った。
「採算があったわけじゃないけど、2筋の歩が大きかったかな」
「2五歩を許した時点で、ダメでしたか?」
「さすがに、そこは互角じゃない? 最後の収束も、駒の配置がたまたまベストだっただけだし……個人的には、3四歩と受けた位置が、高過ぎたんじゃないかな、と思う。3三歩は?」
【検討図】
僕は、
「4五成銀と、出られるのを気にしました」
と返した。
「まあ、その懸念はあるか……4五成桂に、6六歩は?」
「一回浮かせる手ですか……同金、4九歩成、4三歩成の攻め合いになりそうです」
「後手の攻め筋がどうなるか、予想がつかないところもあったよね」
そうだ、と僕は思った。
全体的に、後手は攻めの構図が見えにくかった。
僕は、
「それを踏まえると、8六歩、同歩、8七歩を、もっと早く入れるほうが、良かったかもしれないです。挟撃、という目標は立つので」
と悔やんだ。
捨神先輩は、
「難しいね。8七同銀~7八金で、左銀冠になるかもしれない。そうなると、お手伝いの可能性も出てくる」
と、デメリットを指摘した。
「タイミングとしては、2八角の直前だったと思います」
【検討図】
「このタイミングで歩を渡すのは、怖くない?」
「これがダメなら、受けに振り切って6四角を考えます」
【検討図】
その順を検討してみた。
結論として、4四歩、4八歩、同飛に、3七桂成と成り返す順が生じて、後手も面白いだろう、ということになった。ただ、捨神先輩は終始、
「ちょっとギャンブルな気もする」
と言って、やや否定的なニュアンスを隠さなかった。
僕は、
「これで悪いとなると、序盤でもっと工夫する必要がありそうです」
と付け加えたあと、目を閉じた。
手なり将棋としては、よく指せたほうだと思う。
だけど、5手目の4六歩。
あの切り返しは、虎向との検討では、一度も出なかった。
……………………
……………………
…………………
………………格が違ったな。
出直してこよう。
「優勝おめでとうございます。ありがとうございました」
場所:場所:2015年度 秋季個人戦2日目 男子の部 決勝
先手:捨神 九十九
後手:古谷 兎丸
戦型:力戦
▲7六歩 △3四歩 ▲6八飛 △4四歩 ▲4六歩 △8四歩
▲4八飛 △3二金 ▲7八銀 △6二銀 ▲6八玉 △5四歩
▲3八銀 △8五歩 ▲3六歩 △5三銀 ▲3七桂 △8六歩
▲同 歩 △同 飛 ▲8七歩 △8二飛 ▲5八金右 △6四銀
▲6六歩 △4二銀 ▲6五歩 △同 銀 ▲6七金 △4一玉
▲4五歩 △3一玉 ▲7九玉 △4五歩 ▲2二角成 △同 玉
▲7七桂 △7四銀 ▲4五飛 △6四歩 ▲3五歩 △同 歩
▲3四歩 △4三歩 ▲6六角 △1二玉 ▲2五桂 △2四歩
▲1三桂成 △同 桂 ▲3三角成 △同 銀 ▲同歩成 △同 金
▲3四歩 △2二玉 ▲3三歩成 △同 玉 ▲5三銀 △5一金
▲6四銀成 △5二金 ▲5四成銀 △4二桂 ▲5五成銀 △5四歩
▲3四歩 △同 玉 ▲5六成銀 △4四歩 ▲4九飛 △2五桂
▲4五歩 △2八角 ▲4四歩 △4八歩 ▲4五金 △2三玉
▲2九飛 △6四角成 ▲6五歩 △5三馬 ▲2六歩 △1七桂成
▲2五歩 △1八歩 ▲3五金 △3二玉 ▲2六飛 △3四歩
▲2四歩 △2二歩 ▲2三歩成 △同 歩 ▲2四歩 △同 歩
▲3三歩 △同 玉 ▲2四金 △4四玉 ▲3七銀 △6二馬
▲3六銀 △4九歩成 ▲4五銀 △5三玉 ▲3四金 △6三玉
▲2二飛成 △8六歩 ▲同 歩 △3四桂 ▲同 銀 △4一歩
▲1一龍 △7二玉 ▲4一龍 △5一金 ▲4九龍 △1六角
▲4三龍 △6一馬 ▲5四龍 △5三歩 ▲同 龍 △6二金
▲4二龍 △3四馬 ▲6四歩 △5二金 ▲4一龍 △5一金打
▲3一龍 △4二銀 ▲3二龍 △1九歩成 ▲6六桂 △6八歩
▲同 玉 △8三銀 ▲4八香 △4四歩 ▲5五成銀 △3三馬
▲1二龍 △4三銀 ▲2四歩 △3四馬 ▲2三歩成 △8七歩
▲3五歩 △2五馬 ▲3三と △8八歩成 ▲2六歩 △3六馬
▲4三と △7八と ▲同 金 △4三角 ▲6五桂 △6九銀
▲7九金 △5八銀不成▲5三桂成 △6五歩 ▲7七金 △6六歩
▲4三成桂 △7一玉 ▲2一龍 △6一香 ▲6六金 △7四桂
▲6五金 △7二銀 ▲7五銀 △2八成桂 ▲4七歩
まで179手で捨神の勝ち




