643手目 裏話
ここからは2年生。
と言っても、萩尾さんはあとだから、嘉中くんのみ。
「じゃあ、嘉中くん、お願いします」
嘉中くんは、Tシャツにハーフパンツというかっこうで、教壇に立った。
9月だというのに、よく日焼けしている。夏休み、だいぶ遊んでたな。
あいかわらず陽気そうで、これから一発芸みたいな調子。
嘉中くんはスクリーンを覗き込みながら、
「じゃ、解説するね」
と宣言した。
ファイルは、先にひらいてあった。
【先手:嘉中平三(Y口県) 後手:石鉄烈(E媛県)】
「先輩たちは負け棋譜だったけど、俺はすなおに勝ち棋譜にする。これは19手目で、俺は矢倉に組んだところ。後手は次に6四歩」
私はメモ帳を見て、
「相矢倉にはならなさそう、っていう感覚は、ありました?」
とたずねた。
「あった。そもそも7三桂が早いもんね」
たしかに、この時点で後手は急戦に見える。
「で、烈はけっきょく右玉」
【32手目】
犬井くんは、
「オフレコでいいんだけど、舐めプだと思った?」
と、危ない質問をした。
嘉中くんは笑って、
「どう見ても舐めプでしょ。烈は普段、右玉しないし」
と答えた。
まあ、舐めプっていうより、戦略かな。
この時点で3日目だし、嘉中くんは下位だった。
そこでとっておきの研究をぶつけることは、ないよね。
私は軌道修正して、
「では、分岐点まで進めてください」
とお願いした。
嘉中くんはポチポチして、
「分岐点と言われても、難しいんだよなあ。6五歩からの開戦で、8筋も交換するかっこうになった。最初に迷ったのは……」
と、10手ほど進めた。
【42手目】
「ここで8八角だったかも」
私は、
「壁角にするんですか?」
とたずねた。
「後手の角筋通ってるから、安全弁にしたかった」
「あー、なにかあったら、9九角成ですもんね」
「どのくらい効果あるかは、わかんないけどな。本譜は6八角以下で……」
【50手目】
嘉中くんは、
「これなあ、右玉かと思ったら攻めてきて、違和感あった」
と、やや大きめのリアクションで言った。
私は、
「6五歩の時点で、そうじゃないですか?」
と疑問をぶつけた。
「んー、対局中、どう思ってたかな。正確に思い出せない。こっちのほうが、おどろいた記憶はある。まあ、言われてみれば、6五歩で開戦してるし……あ、そうだ」
嘉中くんは、マウスでテーブルをタンタンと叩いた。
「思い出した。烈にとっても、右玉は予定じゃなかったんだよ。感想戦で、そう言ってた。さっきの発言は取り消す」
「えーと、舐めプだった、っていう発言ですか?」
「いや……待て……予定じゃないほうに行ったから、やっぱり舐めプなのか?」
なんだかサイドストーリーで混乱している模様。
でも、こういうのも面白いから、きちんと付き合う。
「時間をさしあげますので、すこし整理してもらえますか?」
嘉中くんは、しばらく考えて、
「うん、思い出してきた。俺のほうが右四間に見えたから、矢倉にしなかった、とかなんとか言ってた。そしたら右四間じゃなくて、困ったんじゃなかったかな」
と説明した。
「困った、というのは?」
「先手だけ陣形を発展させられる状態になった、って意味だと思う」
ふむふむ、矢倉にできるなら矢倉にするつもりだった、ってことか。
犬井くんは、
「右四間に見えたっていうだけで、右玉にするかな?」
と疑問を呈した。
まあまあ、あんまり疑ってもしょうがない。
とりあえず、石鉄くんは守勢に回る気がなかった、ということだ。
私は、
「後手の端攻めの成否は、どうですか?」
と質問した。
「成功してるんじゃない?」
「AIだと、評価値が先手に振れるんですよね。ほんのちょっとですけど。具体的に言うと、58手目の8二香が疑問で、1五香と封鎖しておく必要があったみたいです」
【参考図】
嘉中くんは、マジメにスクリーンを見つめたあと、
「……たしかに」
と返した。
でしょん。
2六飛とどかせて、1七香成~4四角は、完全に突破してる。
本譜は1一飛成と成り込まれていて、損だと思う。
嘉中くんは、
「だとするうと、烈のミスで、先手が良くなった感じか」
と、意見をすこし変えつつ、先へ進めた。
「端をごちゃごちゃやって、俺は龍を、烈は馬を作った。ポイントは……」
【81手目】
「ここだな。烈は、9五歩でミスったと言ってた」
私は、嘉中くんの評価をたずねた。
「対局中は、まったく疑問に思わなかった。むしろ納得した」
「理由はあります?」
「後手は攻め続けないと終わり、だと読んでた」
「じゃあ、じっさいにはそれが違った、と?」
「たぶんだが、後手はもう入玉を目指したほうがよかった」
右玉らしくしろ、ってことか。
うーん、どうだろう。
「入るなら、どうすればよかったです?」
「4五馬からぼちぼち、じゃね?」
けっこうギリギリな気がする。
私はメモを取りつつ、
「9五歩、2三と、9六歩、3二と、9七歩成で、攻め合いになりましたね」
とコメントした。
嘉中くんは、
「そこから端を清算して、4二とが間に合ったから、先手いいと思い始めた」
とふりかえった。
【91手目】
犬井くんも、
「8二香が、意味ないんだよね。王様は反対方向に追わないといけないし」
と同意した。
嘉中くんは、
「だなあ。烈が端攻めを後悔したのも、当然っちゃ当然か」
と返した。
私は評価値グラフを、タブレットで確認した。
「……このあと、逆転はなかったみたいですね」
「あ、そうなの? 対局中は冷や汗だったが」
「どこかでミスした、っていう意識がありました?」
「1五角あたりは、ドキリとした」
【130手目】
なるほど、でも評価値は、全然先手優勢。
私は、
「評価値ばっかりで申し訳ないんですけど、先手にミスがあったとしたら、123手目の2三龍なんですよね」
と伝えた。
【123手目】
「これで1000以上溶けてます」
嘉中くんは、
「指したときは、自然だと思ったけどなあ。詰めろだし」
と首をかしげて、代替案を訊いた。
私は、
「この時点で2六角と打って、3五香、同銀、4三玉、3四銀です」
と答えた。
【参考図】
ようするに、このまま押し込め、と。
嘉中くんは、
「そりゃAIっぽいな。攻め間違えなきゃいい、ってやつだろ」
と苦笑した。
そう言われると、そうか。
本譜のほうが安全だったかも。
私は、
「いずれにせよ、本譜は先手が手堅く勝ちましたね。このあと、評価値が急落したところは、ないです。むしろ、後手がわりと粘った、と言っていいくらいです」
と進めた。
「そのへんは、さすがに烈だった。最後まで諦めてくれなかった」
敢えて言うなら、150手目の5三桂では、8九角のほうがよかったとか、154手目の4七歩では、4一飛のほうがよかったとか、細かい点はある。だけど、そう指したら後手が逆転できるわけでもないし、ミスとは言えなかった。
逆に言えば、先手のミスがないともう逆転不能な段階で、ミスせずに指した嘉中くんも偉い、という話だ。
嘉中くんは、
「最後、詰ませるところまでいかなかったが、うまい詰めろがかかって、ゲームセット」
と締めくくった。
【167手目】
さすがに私でもわかる投了図。
「では、全体の感想をお願いします」
嘉中くんは、マウスを置いた。
「そうだなあ、もう語り尽くした感もあるし、特に……」
「指し手じゃなくてもいいですよ」
嘉中くんは、数秒ほど考えて、ポンとテーブルを叩いた。
「そうだ、忠信先輩と賭けしてたんだよね。勝ち星の多いほうが、おごってもらうって。この対局で俺の勝ちが確定したから、喜んでたの思い出した」
あのですね、そういう載せられないコメントはですね。
私が修正するよりも先に、犬井くんは、
「下位は下位で、楽しみ方があるからねえ」
と、便乗していた。
こらこら。
「えー、なんと言いますか、もうちょっと裏話的でないほうが……」
「だったら、最下位じゃないことが確定して、ホッとした、でいいよ」
物は言いよう。
と思いきや、今度は松蔭先輩が渋面で、
「それはブービーの俺に対する皮肉かあ?」
と愚痴った。
あー、もう、めんどくさい。
男子ども、ホモソーシャルなマウント合戦をやめなさーいッ!
場所:第10回日日杯 3日目 男子の部 13回戦
先手:嘉中 平三
後手:石鉄 烈
戦型:後手右玉
▲7六歩 △8四歩 ▲6八銀 △3四歩 ▲7七銀 △6二銀
▲7八金 △4二銀 ▲2六歩 △3二金 ▲4八銀 △4一玉
▲6九玉 △5四歩 ▲5八金 △7四歩 ▲4六歩 △7三桂
▲4七銀 △6四歩 ▲6六歩 △6三銀 ▲6七金右 △6二金
▲3六歩 △8五歩 ▲2五歩 △8一飛 ▲1六歩 △1四歩
▲3七桂 △5二玉 ▲7九角 △6五歩 ▲同 歩 △同 桂
▲6六銀 △8六歩 ▲同 歩 △同 飛 ▲8七歩 △8一飛
▲6八角 △6四歩 ▲7九玉 △9四歩 ▲9六歩 △3三角
▲5六銀 △1五歩 ▲同 歩 △1六歩 ▲同 香 △1五香
▲1八飛 △1六香 ▲同 飛 △8二香 ▲8八香 △2二金
▲8六歩 △1五歩 ▲1八飛 △4四角 ▲1五飛 △2六角
▲1一飛成 △1三金 ▲3五歩 △3七角成 ▲1四歩 △4四桂
▲4五銀 △4六馬 ▲4四銀 △同 歩 ▲1三歩成 △5八銀
▲4八金 △6七銀不成▲同 金 △9五歩 ▲2三と △9六歩
▲3二と △9七歩成 ▲同 香 △同香成 ▲同 桂 △8七歩
▲4二と △同 玉 ▲8七香 △9六歩 ▲4七香 △3五馬
▲3六歩 △1三馬 ▲5六歩 △5七香 ▲6五銀 △9七歩成
▲5七角 △同 馬 ▲同金上 △8七と ▲2二龍 △3二桂
▲4四香 △4三歩 ▲同香成 △同 玉 ▲4四歩 △同 玉
▲4六香 △4五歩 ▲同 香 △同 玉 ▲4六銀 △4四玉
▲6九玉 △3一香 ▲2三龍 △3三金 ▲2一龍 △6五歩
▲4二銀 △7八銀 ▲5九玉 △1五角 ▲4八角 △同角成
▲同 玉 △6七銀成 ▲2六角 △3五金 ▲同 銀 △4三玉
▲3三銀成 △5三玉 ▲3四銀 △4四香 ▲4五桂 △6四玉
▲3七角 △5五香 ▲6七金 △4五香 ▲同 銀 △5三桂
▲5四銀 △同 銀 ▲5五歩 △4七歩 ▲同 玉 △2九角
▲3八香 △4五銀 ▲5六桂 △同 銀 ▲同 金 △4五桂打
▲5四金 △7三玉 ▲6四銀 △8三玉 ▲4八角
まで167手で嘉中の勝ち




