52手目 高校生女子の部A3回戦 正力vs飛瀬(2)
3六飛で、桂頭が受からない……いえ、そうでもないわね。5三角があるわ。
(※図は正力さんの脳内イメージです。)
3四歩、3五歩、2六飛、3四飛で受かってるわけか……やるわね。
駒桜市は層が厚いから、市代表経験者でなくても強いみたい。
でも、これは3六飛でしょう。5三角に6六角があるわ。飛車が退けば、桂馬が助かる。退かずに8五飛と取ってきたら、3四歩。そこで3五歩と打つのは、2六飛に3四銀と取ることができない。2一飛成ですものね。飛車が8五にいるから、3四飛と取れないのよ。
私は、3六飛と寄った。
「うーん……それでも寄ってくるのか……」
飛瀬先輩は、悩み始めた。
残り時間は、おたがいに2分しかないわね。
飛瀬先輩はここの小考で、私は次の小考で終わりかしら。
早指しが得意かどうかの勝負になりそうだわ。
「残り1分切ったし……指すしかないか……5三角……」
6六角、8五飛、3四歩。さあ、どうするつもり?
ピッ
飛瀬先輩のほうは、30秒将棋になったわ。
「30秒の横歩とか、スペースクラフトの免許よりも厳しい……2四桂……」
そこに桂馬? ……飛車は死んでないわよね。一瞬、ひやりとしたわ。
2六飛の寄りに、3四銀もないわね。2四飛があるから。
「2六飛」
「6四角……」
読んでいない手が、2連続できた。私は、若干動揺する。
これは……なに? 2五桂の防止?
でも、3三歩成、同金、2五桂のほうが、圧倒的に速いでしょう。
そこで……ちょっと待って。2五桂、3二金だと、どうなるかしら?
3三歩、4二金……追撃手段がないわね。次に5六歩が厳しいわ。
私は、あごに手をあてて考え込んだ。皮手袋のなかがべっとりしてくる。
ピッ
私も30秒将棋になった。
「……3三歩成」
これ自体は、盤上この一手だから、間違いないわ。
飛瀬さんもそれを見越して、ノータイムで同金。
考える時間をくれないわね。
10秒……飛車の位置が悪いのを狙いたい……20秒……。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「2五飛」
「え……なにそれ……?」
飛瀬先輩は、怪訝そうに飛車をみつめた。
「あ……飛車抜き……」
バレたわね。うっかり5六歩なら、8五飛で勝ちよ。
もちろん、そんなうっかりは期待してないけど。
「んー……飛車抜きは、簡単に阻止できるような……」
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「3六歩……」
きたわね。それは読み筋。4五桂、3二金で、次の手がないって読みでしょう。
そうはさせないわ。
「5六桂ッ!」
「うッ……押し売ってきた……」
盤上の風紀を正すためなら、多少は強引な手もね。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!
4二角。まあ、引くならそこよね。
私は4五桂と跳ねて、3二金に3五飛と寄った。
「指す手がない……」
さあ、暴発しなさい
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「あわわ……3七歩成……」
同銀、3四歩、2五飛。
ちょっと窮屈になったわね。でも、これで後手は手がないはずだわ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「6五飛……」
「8八角」
私は角を引いて、攻めを呼び込む……けど、飛瀬先輩は、7五飛と寄った。
これは……。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「6六角」
私は、角をもどった。
……千日手になりそうね。どうしましょう。千日手はOKなの? おたがいに15分を使い切っているから、合計30分以上が経過。指し直しはできないわ。引き分け。
6五飛、8八角、7五飛。ほ、ほんとに千日手コース。
私は、頭の中で素早く整理をした。4R制だから、このままいくと、全勝チームか、あるいは1敗のチームが優勝のはず。全勝は、私たちと飛瀬先輩のチーム。要するに、今当たっている者同士。勝ち星は私たちが5勝、飛瀬先輩たちが4勝。1勝差。
東雲vs黒木、不破vs前空は、ほぼ互角か、どちらも身内寄り。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「6六角」
「本格的に千日手模様……」
今度は、飛瀬先輩が悩み始めた。
でも、千日手の権利は私にあるわ。後手は、手を変えられないもの。
仮に打開するとすれば、私が5三桂成、同角、5五飛とするくらいしかない。飛車交換で先手が有利にみえるけど、まったく自信のある変化じゃないわ。パスよ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「6五飛……」
「8八角」
もう、私のほうはノータイムでいいわね。
7五飛、6六角、6五飛。
飛瀬先輩は、細かく時間を使った。でも、結局手は変えなかった。
「千日手になった……?」
「なりましたね。同一局面が4回です」
「そっか……ありがとうございました……」
「ありがとうございました」
沈黙。さて、なにから話したものかしら。
「最後……あんまり千日手にしたくなかったんだけど……」
飛瀬先輩のほうから、話題をふってきた。
「まあ、私は構わなかったので」
「先手なのに……?」
「チームの方針が優先ですから」
私が無理な勝負に出るより、青來さんと楓さんに任せたほうがいいわ。
1勝1敗1分でも、そのまま首位キープだもの。
青來さんと楓さんのところで2連敗はないと信じる。
「んー……なんか打開策はあったかな……?」
「先輩のほうからは、ないんじゃないですか? 選択肢は、私にあると思います」
「例えば……?」
「5三桂成、同角、5五飛とかですね」
私たちは、少しだけ局面を変えた。
「ああ……うーん……むずかしいね……」
「進んでやる変化じゃないと思います」
「ということは、千日手は必然……もうちょっとまえで変化しないと……」
飛瀬先輩は、しばらく考え込んだ。
私も記憶をたぐる。
「3五歩って突いたところがあったよね……?」
「3五歩、7六歩、8五桂ですか?」
「うん、そこ……あそこは、手順がいろいろあるような気がして……」
「とりあえず、もどしてみますか」
私たちは、中盤に局面をもどした。
「ここで、なにかありましたか?」
「2五桂があるかと思ったんだよね……」
「後手から先攻ですか?」
私は少しだけ考えて、2六歩と殺しにいった。
「これさ……3七歩って叩いたら、同桂で取ってくれる……?」
「むずかしい質問ですね。欲張って2八金かもしれません」
私が答えると、飛瀬先輩は「だよね」みたいな顔を浮かべた。
「そこで1七桂成と捨てて、同香、1六歩、同香、同香、1七歩……」
それはさすがに私が……あら、なんだか変な雰囲気ね。
「同香成、同桂、1六歩、1八歩、1七歩成、同歩……少し気持ち悪いですか」
「んー、そっか……一応、桂香の総交換にはなるのか……」
1七香成のとき、同金と取れないのよね。3八歩成とされちゃうから。
「1五歩まで突き越してると、2五桂はあったかも……」
「見送ったということは、深く読まなかったんですか?」
「8五桂を本線に読んでたんだよね……」
飛瀬先輩はそう言って、3五歩のところを8五桂に変えた。
「ここで2五桂ですか?」
「8四飛かな……2五桂は、5五角と飛び出されたときがむずかしくて……」
「即3七歩ではダメなんですか?」
「同桂、同桂成、同銀で、収まってない……?」
「1七桂成と捨てますか? さっきより、さらに端が薄くなってます」
私が提案すると、飛瀬先輩は、しばらく考えた。
「どうだろ……1七桂成、同香、1六歩、同香、同香、3五歩とか……?」
「それなら、1四飛と回りますね。私の端が破れてます」
「そこで3四桂と両取りにかけたら、ダメかな……?」
「あ、それがありますね……私の方が遅いです」
このひと、思ったより深く読んでるわね。
引き分けにしておいて、正解だったかも。
「ということは、1七桂成の押し売りは成立していませんね。失礼しました」
「本譜の5六桂でも思ったけど……正力さんって……好きな男の子に『やっぱり私がいないとダメなのね』と、自分を押し売っていくタイプ……かな……」
な、なにを言ってるのかしら、このひと。偏見もいいところだわ。
「そう言えば……応援にはいかなくて、いいの……?」
「いえ、べつに」
青來さんは、周りがみえなくなるタイプだし、楓さんは、私にみられるのがイヤみたいなのよね。チームワークがバラバラ。まさにインコンパチブル(気が合わない)だわ。
……とはいえ、飛瀬先輩をここに釘付けにするのも、悪いわね。
「先輩が応援に行きたいなら、私は反対しません」
「あ……うん……じゃあ、そうしようか……ありがとうございました……」
「ありがとうございました」
私は、席を立った。
さて、どうしたものかしら。応援する必要はないけど、応援していけないってわけでも、ないのよね。普通に観戦しましょう。
まずは、青來さんのところからね。
【先手:黒木美沙 後手:東雲青來】
あら、はっきり青來さん優勢だわ。
私がほくそえんでいると、青來さんは上半身をウキウキさせ始めた。
「美沙ちゃん! 投了しましょう! これ私の勝勢です!」
出たわね。青來さんの十八番、投了勧告。
もちろんマナー違反よ。あとで注意しておきましょう。
「投了はしません」
美沙さんは、パシリと駒を打ち付けた。7九銀だ。
「悲惨な投了図になっても知りませんよ! うりゃうりゃうりゃーッ!」
7八金、同銀、7九銀、9七玉、7八龍。
決まったわね。8七龍までの詰めろだし、8八金は、同銀不成、同銀、8七飛成、同銀、8八銀、8六玉、8五歩と打って、同玉なら8七龍、8六合駒、8四歩、7五玉、6四銀、同銀、7四金まで。同玉に代えて7五玉も、8七龍が上下の詰めろで終わり。
「9八金と打っても、9五歩までですよ! 投了しましょう!」
「くッ……負けました……」
「ありがとうございました!」
これで1勝1分。首位は確定。
私は、楓さんのほうへ移動した。
【先手:不破楓 後手:前空静】
ここは……勝ってるの? きわどくみえるわ。
でも、楓さんは余裕の笑みを浮かべてるし、先手優勢かしら?
「さあ、どうする?」
楓さんはスティック付きの飴玉をくわえて、椅子をうしろに傾けた。
あぶないわよ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
前空先輩は、4八龍と引いた。
「あたしの玉は詰まないよ、3八銀」
4六龍。根元の銀を抜かれた。大丈夫?
私の心配をよそに、不破さんはノータイムで2二金。
前空先輩も、ノータイムで同玉と取った。
「これで決まりだね」
楓さんは、人差し指と中指で、器用に角をつまんだ。
1三角と打ち込む。
「……ッ!」
「気づくのが遅かったな。詰みだよ」
詰んでるの? 同香、同歩成、3一玉……あら、2一飛があるわね。
4二玉、5一飛成、同玉、5二馬、同玉、5三歩成、4一玉、4二金までか。
前空先輩は、角をじっとみつめたまま、不満げに首をかしげた。
持ち駒の金銀をぜんぶ集めて、盤上にばらまく。
「ん? 投了か?」
前空先輩は、こくりとうなずいた。
「ありがとうございました……と」
楓さんがチェスクロを止めて、ゲームセット。
さて……この感想戦、どうするつもりなのかしら。
前空先輩がしゃべらないから、話が進まないと思うのだけれど。
「せめて、1一金って打ったほうがよかったんじゃないか?」
「……」
「おい、なんか言えよ」
「……」
「かーッ! こいつ、マジで可愛げがねーなッ!」
あなたには言われたくないと思うわよ、さすがに。
「おまえなあ、しゃべんないと感想戦に……ッ!?」
楓さんは、急にギクリとすると、両手で胸元をおさえた。
あたりをキョロキョロして、席を立った。
「て、手洗い」
楓さんは胸元を押さえたまま、そそくさと会場を出て行った。
どうしたのかしら……? ブラジャーが外れた?
でも、ホックが勝手に外れたりはしないわよね。サイズが合ってないか、超能力でも使わない限り……って、やだわ。飛瀬先輩に流されてるじゃない、私。
《これより、5分切れ負けになります。スタッフの指示にしたがってください》
70分が経過したみたいね。もう、対局はほとんどのこってないわ。
私は、しばらく会場内を見回していた。
すると、男子のほうから、並木くんたちが走ってくるのがみえた。
「並木くん、会場を走り回っちゃダメよ」
私は、並木くんに声をかけた。
「あ、ごめん」
「どうだった?」
「僕は奇跡的に勝てたんだけど、チームは負けちゃった」
「そう、残念ね……あら、口もとになにかついてるわよ」
私はハンカチを取り出すと、そっと拭いてあげた。
「ありがとう。たぶん、餡パンだよ」
「並木くんって、中学のときからそうよね。やっぱり私がいないとダメなのかしら」
「えぇ、そんなことないよ、もう高校生だし」
「うふふ、冗談よ……六連くんたちが呼んでるわ」
私は、並木くんを見送ったあと、ちらりとほかの席に目をやった。
2勝1分で絶好の結果。他が大勝していなければ……ね。
場所:ジャビスコこども将棋祭り 高校生女子の部Aクラス 3回戦
先手:正力 安奈
後手:飛瀬 カンナ
戦型:横歩取り8四飛型
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩
▲7八金 △3二金 ▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △8六歩
▲同 歩 △同 飛 ▲3四飛 △3三角 ▲3六飛 △8四飛
▲2六飛 △2二銀 ▲8七歩 △5二玉 ▲5八玉 △9四歩
▲3八金 △9五歩 ▲4八銀 △1四歩 ▲7五歩 △1五歩
▲7七桂 △4二角 ▲6八銀 △3三桂 ▲7六飛 △2四飛
▲2七歩 △5四歩 ▲8六飛 △8二歩 ▲7六飛 △5五歩
▲3六歩 △7四歩 ▲同 歩 △7五歩 ▲4六飛 △7四飛
▲3五歩 △7六歩 ▲8五桂 △8四飛 ▲3七桂 △2三銀
▲3六飛 △5三角 ▲6六角 △8五飛 ▲3四歩 △2四桂
▲2六飛 △6四角 ▲3三歩成 △同 金 ▲2五飛 △3六歩
▲5六桂 △4二角 ▲4五桂 △3二金 ▲3五飛 △3七歩成
▲同 銀 △3四歩 ▲2五飛 △6五飛 ▲8八角 △7五飛
▲6六角 △6五飛 ▲8八角 △7五飛 ▲6六角 △6五飛
▲8八角 △7五飛 ▲6六角 △6五飛
まで88手で千日手




