620手目 続・ラブパワー
というわけで、ようやく1人目が終了。
話しながら棋譜並べしてると、やっぱり1時間くらいかかる。
出だしは順調……なのかな。
私はメモ帳のページを変えた。
「では、西野辺さん、お願いします」
西野辺さんは、視線を右のほうに向けながら、ふっふっふ、と笑って、
「じゃあ、ひよこおねぇとの対局*で」
と言った。
桐野先輩は、
「くじゃくさんが羽を広げてきましたぁ」
と煽った。
西野辺さんは、
「羽を広げるのはオスだけだよ」
と返した。
「うにゅ? そうなのですかぁ?」
たしか、そうだった気がする。
なんだっけ、求愛行動なんだっけ?
まあ、そこは関係ないので、白熱するまえに話をもどす。
「では、対局後の感想戦をお願いします」
「りょーかい」
【先手:大谷雛(T島県) 後手:西野辺茉白(H島県)】
西野辺さんは、
「横歩は予定外だったけど、避ける理由もなかったから、受けたよ」
という台詞から始めた。
私は、
「これ、最終局直前ですよね。よく研究ストックありましたね」
とコメントした。
「研究じゃないよ。1五歩の時点で予定外だったし」
「え? そうなんですか? 大谷先輩のストック?」
西野辺さんは、これはオフレコで、と言いながら、
「舐めプだったんじゃないかなあ。決勝に余力残したかったんでしょ」
と解釈した。
えー、どうだろ、大谷先輩が、そういうことするかな。
さすがに記事にできないから、スルーしておく。
一方、早乙女さんは、
「1五歩というのは、31手目の話ですか?」
とたずねた。
西野辺さんは、
「え、この棋譜知ってるの?」
と返した。
「日日杯の棋譜は、すべて並べました。大谷先輩の端攻めだったと記憶してます」
よく覚えてるね。
まさにコンピュータ少女。
西野辺さんは、
「そうそう、というわけで、わりと手なりだったんだよねえ」
と言って、その局面まで動かした。
【31手目】
私は棋譜を確認。
「ここから同歩、1四歩、7三銀、2五飛ですね。大谷先輩の指し回しが、意外と積極的です」
西野辺さんは、
「ちょっと高飛車過ぎるから、金で反発する方針にした。ひよこおねぇ、この手に表情を変えた気がするんだよね」
と言った。
「というのは?」
「んー、どういう変化だったのかなあ。3三金~2四金を最善と読んでなかったか、あるいは、読んでたけど私が反発しないと思ってたか。やっぱ舐めプ気味に指してて、最善手にビビったんじゃない?」
あくまでもそう予想するのか。
これもちょっとぼかして書こう。
そこからは、3三金、1五飛、2四金、4五飛、6四銀、1三歩成、同香、同香成、同桂、4六飛で、いったん収まった。
【45手目】
私は、
「このへんの形勢判断は、どうでしたか? 西野辺さん、このあと攻めてますよね?」
とたずねた。
「まだ形勢判断する局面じゃなくない? 角交換して5四香とはしたけどさ」
「攻め潰すって感じです?」
「先手の飛車がぐずってるうちに、動きたくはあった。ただ、このあとの進行が良かったかどうかは、よくわかんない。角銀交換にはなったけど、バランスは取れてたから」
本譜は5四香以下、3六飛、3二歩、4六角、7三桂、6六香で、5五銀の角銀交換を誘われるかたちになった。西野辺さんから誘った、じゃなくて、誘われた、というのがポイント。
西野辺さんは、
「乗る一択だと思って、交換したよ」
と言った。
「気合いで取ったわけですか?」
「いや、べつに力んではない。売られた喧嘩は買うってだけ」
桐野先輩は、
「H島の女にケンカを売るとは、ええ度胸じゃのぉ、ですぅ」
と笑顔で言った。
そういう偏見を広めないでください。
西野辺さんも、不敵な笑みを浮かべながら、
「というわけで、喧嘩上等。角銀交換からの殴り合い」
と言って、先を進めた。
5五同角、同香、4六銀、6四歩、同香、5七香成。
【60手目】
私は、
「評価値の話をして申し訳ないんですけど、この局面、互角なんですよね。対局中の実感は、どうでしたか?」
とたずねた。
「体感的には、先手指しやすくなってるんじゃない? あ、そう思ったのは、もうちょっとあとだったかな。同銀に7二金と一回逃げるしかなくて、1四歩の叩きが、ちょっとキツかった記憶がある」
【63手目】
西野辺さんは駒を動かしながら、
「同金しかない……と思ったんだけど、べつの手あった?」
と訊いた。
私はスマホのデータを確認した。
「日日杯で使ったソフトによると、同金が最善、2五桂が次善で、2五桂はすでに先手有利みたいです」
「やっぱりね。じゃあ、あのときは冴えてたのもあるな。すぐわかったし」
好不調って、あるよね。
西野辺さんは、
「ただなあ、もうこの時点で、先手持ちな気がする。主観的には。致命的なミスがあったっていうよりは、自然と先手が良くなる進行なのかも」
と付け加えた。
以下、1四同金、7五歩、8四飛、7七桂、7五歩、6六香。
早乙女さんは、
「後手に手がないですね。1三の桂馬も遊びそうです」
と言った。
西野辺さんは、
「そこは認めざるをえない。だから、しばらくあとで4四角と打った」
と言って、駒音高く置いた。
【80手目】
だいぶ手が飛んだ。
とはいえ、ここまでは後手が受ける一方になってて、省略してもよさそう。
私は、
「分岐点でしたか?」
と、あいまいにたずねた。
「だねえ。あとで検討したけど、ここから悪手合戦になってたみたい」
西野辺さんは、理由も説明してくれた。
まず、直感的にありそうな7六飛が悪手。
で、この金当たりを防ぐために、7五歩と打ったのも悪手で、同飛も悪手、という展開。先手の優位が消えて、形勢は混とんとしていく。
【83手目】
早乙女さんは、
「私の評価値も、かなり揺らぐ局面です。7六飛は、浅い読みだとアリですね」
とコメントした。
西野辺さんは、あんまり信用してないような顔で、
「なーんかオカルトだけど、結論には同意。正直、7六飛と寄られたところでは、なんにも思わなかったんだよね。普通の手っていうか、印象に残ってない」
と振り返った。
ちょっと掘り下げたい局面。
「大谷先輩も、そんな感じでしたか? 当然の一手だ、と?」
「わかんない。最終局直前だったし、ひよこおねぇは決勝トーナメントの可能性があったから、感想戦はほとんどしなかった」
困ったな。
大谷先輩がこの局面を候補にあげる可能性、ほぼないと思う。
お互いうっかりなのかどうかは、けっこう重要な気が。
私は記者脳をフル回転させる。
もし余裕があるなら、大谷先輩にも訊いてみたい。
感想戦をクロスリンクさせちゃダメ、という決まりはないからだ。
だけど、どんどん質問の範囲が増えるし、仕事量も増えてしまう。
タスクの管理も、ジャーナリストの責務。
「……西野辺さんから見て、錯覚が起こった理由は、なんだと思いますか?」
「べつの候補手が、見えにくいからじゃない? だって5五香で王手飛車じゃん」
【参考図】
なるほど、後手視点でも、飛車は逃げる一手に見えるのか。
早乙女さんは、
「攻め合うなら3六桂ですが、5五香、4四桂、5六香が王手なので、同銀と手を戻さざるをえず、6四飛と移動されて、気持ちの悪い局面になります」
と指摘した。
【参考図】
これは私レベルじゃわからない。
あとで犬井くんに訊こう。
西野辺さんは、
「今考えたら、7六飛以下が悪手だとしても、本譜みたいに指すほうがいいのかも。この局面は難しすぎるもん」
と言って、さらに進めた。
【95手目】
西野辺さんは、
「先手にミスがあったとしたら、むしろここだと思う」
と、比較的断言調だった。
「これ、受けない手があるんですか?」
「8五銀があったんだよね。これが金当たり」
なるほど……ん?
「7四歩で止まりません?」
「そこで6五飛とスライド」
【参考図】
今度こそ分かった気がした。
「後手は飛車を逃げないといけないので、6三香成とできますね。先手優勢ですか」
「うーん、まだ後手がいいんじゃない?」
え? そんなことある?
「突破確定してないです? どうやって受けるんですか?」
「6一香」
「6一香……7二成香、6五香、8二成香で、ボロボロ取られません?」
【参考図】
西野辺さんは、
「それ、詰んでるんだよね」
と、意外な回答だった。
マジで?
私は考えてみる──わからん。
「すみません、詰み手順をお願いします」
「6七歩成、同金、同香成、同玉、6六飛、5八玉、6八金、4八玉、5七角、同玉、6七飛成」
【参考図】
「あとは角出て詰み」
けっこう難解じゃない?
私は、
「対局中に気づいてました?」
とたずねた。
西野辺さんは、ドキリとしたようすで、
「え、まあ、8二成香まで進んだら、気づくっしょ」
と答えた。
ほんとぉ?
桐野先輩は、
「えへへ、そういうことにしておくのですぅ」
と言った。
西野辺さんは、
「ま、ともかく、8五銀とされなかったから、これで後手の有利が確定。そのあとは、先手を包囲していく流れ。最後に4七銀のところで、迷った」
と、終盤へ移行した。
【101手目】
西野辺さんは、
「なんだかんだで、ここが一番考えたね。7三歩と5六香と7四飛を比較して、どれでもイケるかな、と思った。例えば7三歩、6三銀成、8三桂、6五飛の折衝は、後手も戦えるし、5六香は同銀なら攻め潰せそう。7四飛は王手飛車狙いね」
と、口頭でスラスラ並べた。
速い速い。
これはボイスレコーダーに頼ろう。
「選択したのは、7四飛でしたね。決め手は?」
「一番分かりやすいと思った。入玉を目指されたけど、さすがにムリがあったし」
このあとは、先手の王様を寄せて行って、終了。
私はメモをまとめ終えた。
「では、全体の感想をひとこと」
「悪手はあとから指したほうが重い、っていう格言通りだったかな。私も悪手連発したけど、最後の最後に悪手だったのは、ひよこおねぇの6八歩。会心譜じゃなくても、満足のいく棋譜だったと思う。考えがまとまった一局」
「勝因は、読みが冴えてたってことですか?」
「あとラブパワー」
勝因は読みの冴えとラブパワー、と。
メモメモ。
……………………
……………………
…………………
………………ん?
「ラブパワーってなんですか?」
西野辺さんは、あッとなった。
その横で、桐野先輩はニヤニヤしていた。
「じつはぁ、あの朝**、茉白ちゃんのピがぁ……」
「わーッ! わーッ!」
「そのあたり、ちょっとと言わず、だいぶ詳しくお願いします」
毎回毎回ノロケ話しちゃって、あったまきた。
とっととしゃべらんかーいッ!
*526手目 ラブパワー
https://ncode.syosetu.com/n2363cp/538
**519手目 ボーダーライン
https://ncode.syosetu.com/n2363cp/531
場所:第10回日日杯 4日目 女子の部 16回戦
先手:大谷 雛
後手:西野辺 茉白
戦型:横歩取り
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩
▲7八金 △3二金 ▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △8六歩
▲同 歩 △同 飛 ▲5八玉 △4二玉 ▲3四飛 △7二銀
▲2四飛 △2三歩 ▲2六飛 △8四飛 ▲8七歩 △1四歩
▲3八銀 △7四歩 ▲1六歩 △9四歩 ▲9六歩 △8二飛
▲1五歩 △同 歩 ▲1四歩 △7三銀 ▲2五飛 △3三金
▲1五飛 △2四金 ▲4五飛 △6四銀 ▲1三歩成 △同 香
▲同香成 △同 桂 ▲4六飛 △8八角成 ▲同 銀 △5四香
▲3六飛 △3二歩 ▲4六角 △7三桂 ▲6六香 △5五銀
▲同 角 △同 香 ▲4六銀 △6四歩 ▲同 香 △5七香成
▲同 銀 △7二金 ▲1四歩 △同 金 ▲7五歩 △8四飛
▲7七桂 △7五歩 ▲6六香 △2五金 ▲5六飛 △7六歩
▲6五桂 △同 桂 ▲同 香 △7三桂 ▲6六銀 △6五桂
▲同 銀 △4四角 ▲7六飛 △7五歩 ▲同 飛 △7四歩
▲同 銀 △6六歩 ▲4五桂 △6七歩成 ▲同 金 △6六歩
▲3四桂 △4一玉 ▲7七金 △3三歩 ▲6八歩 △5四香
▲5六歩 △3四歩 ▲4六歩 △3五金 ▲4七銀 △7四飛
▲同 飛 △8五角 ▲7六飛 △同 角 ▲同 金 △6七歩成
▲同 玉 △8八角成 ▲6一飛 △5一桂 ▲6六角 △7八銀
▲5七玉 △6六馬 ▲同 玉 △8七銀不成▲8五角 △3二玉
▲8一飛成 △7一歩 ▲9一龍 △7六銀成 ▲同 角 △4五金
▲同 歩 △7四桂 ▲6七玉 △6六角
まで130手で西野辺の勝ち




