600手目 若者の街
「おつかれさまでした。がんばってくださいね~」
学生スタッフのエールを受けながら、私は教室をあとにした。
個別ブースでの相談会は、30分くらいで終了。
教員と学生スタッフからの説明が主だった。
入試のシステム、学部で勉強すること、将来のキャリアなんかを訊いた。
入試の話以外は、まだピンとこなかった。
廊下に出た私は、あたりを見回した。
「神崎さん、外で待つって言ってたけど……」
「ここだ」
うわ、びっくりした(本日3度目)
壁紙がいきなりはがれて、神崎さんが姿をあらわした。
「ちょっと、ひとけの多いところで、そういうのはダメでしょ」
「安心せよ。気づかれない自信がある」
いや、あっちの高校生が、びっくりして2度見してるんですが。
とりあえず、目立たないうちに移動。
建物から出ると、強烈な暑さだった。
「して、まだ大学に用事はあるのか」
「ううん、ないわ」
つまりは、自由時間。
というわけで、東京観光に、出発ッ!
私たちは駅から新宿にもどって、山手線に移動した。
渋谷で降りる。
どひゃ~、すっごいひと。
ホームから改札までの移動が、大混雑。
神崎さんは、
「導線がおかしいのではないか」
と言って、周囲を一瞥した。
「ドウセン?」
「ひとの流れを誘導する順路のことだ」
たしかに、と思った。
なんだか、変に入り組んでいるような。
ともかく改札を抜けて、ハチ公前に到達。
ここも混雑していた。
あの有名なスクランブル交差点があるからだ。交差点は、駅から見てまっすぐ正面、右斜め前、そして左右、合計4本の道をむすぶ大きなもので、数十人が一斉に渡れる規模だった。右へ向かう道路には、一般的な商業施設が立ち並んでいる。左へ向かう道路も、似た感じ。ホテルの併設された大型のショッピングモールが建っていた。
一番特徴的なのは、ハチ公前から正面の方向だった。壁がスクリーンになっている、大きめのビルがまずあって、パチンコの広告が映っていた。そのビルを右手に進むと、さっきの右斜め前の道に入る。ここからじゃよく見えないけど、有名な渋谷センター街。サブカルや若者文化の中心地だ。そっちじゃなくて、ほんとうにまっすぐ進むと、道玄坂。道玄坂は、さらに右斜めと左斜めの道に分岐している。右斜めは文化村通りだった。
スマホで自撮りしながら、ちょうど渡っているひとたちもいた。
神崎さんは、
「ふふふ、じつはひぃちゃんと、一度来たことがあってな」
と言った。
「え、そうなの?」
「塁球の全国大会が関東であったとき、ちらっと寄った」
「ルイキュウ?」
「そふとぼおるの和名だ」
渋谷に大谷さんと神崎さんって、なんだかミスマッチ──でもないか。服装だって、このあたりを歩いているひとのほうが、奇抜にみえる。ゴスロリとか、なんかのコスプレとか、ちらほらいた。なんだか自由な雰囲気がある。
とりま、私たちも交差点を渡ることに。
渡りながら撮影すると、危ない気がするから、渡る前にふたりでパシャリ。
さらに渡ったあとで、動画撮影もしておいた。
センター街を散策。カプセルトイを回したり、変わったお店に入ったり、いろいろ。文化村通りのほうへも行ってみた。女子高生が行くような施設は、こっちにはあんまりないっぽかった。ディスカウントストア、家電店、宝石店、喫茶店。喫茶店は高級なイメージで、なかなか入りづらいものを感じた。
けど、神崎さんは、
「日日杯の報酬で、ふところは暖かい。ひとつ、どうだ」
と提案した。
たしかに、あのときは囃子原グループに、かなり奮発してもらった。
私たちは相談して、手頃そうな喫茶店を選ぶことにした。
ところが、これは失敗。
ネットで見つけたところは、どこも満員で入れなかった。
それもそうで、土曜日の昼下がりだ。みんなお茶をしてるに決まってる。
神崎さんは、
「東京は、どこも混んでいるな。ろくに茶も飲めんとは」
と嘆息した。
むむむ、どうしましょう。
並ぶのは、避けたい。暑さ対策をしていないからだ。
日傘でも持ってくればよかったかしら。
そんなことを思っていると、ふいに声をかけられた。
「見覚えのある顔だと思ったが、やっぱりおまえか」
ふりかえると──金髪の若い白人男性が立っていた。
え? だれ? と思いきや、すぐに知っている顔だと気づいた。
「ポール……さん?」
「そうだ。東京へ引っ越したのか?」
神崎さんは、不審者と見たのか、一歩前に出ようとした。
私は、あわてて紹介した。
「地元の知り合いの知り合いのひとよ」
我ながら、漠然とした説明だと思った。
猫山さんの知り合いでしかないから、本当によくわからないのだ。
とはいえ、なんでポールさんがここに、とまでは思わなかった。
東京のひとだ、ということだけは、知っていたから。
でも、まさか渋谷でばったり出会うとは。
ポールさんは、
「アイは元気にしてるか?」
とたずねた。
「ええ、お元気です」
「そうか」
それだけの会話のなかに、安堵の気配があった。
ポールさんは、
「で、おまえは東京に引っ越してきたのか?」
と、もういちどたずねた。
「いえ、大学の下見です」
「ダイガク……universitéか、人間は勉強が好きだな」
いやあ、どうでしょう。
イヤイヤやってるひとのほうが、多いのでは。
私だって、研究者になりたいほど好きかっていうと、そうじゃない。
ポールさんは、
「渋谷はトラブルも多い。気をつけろ」
とだけ言って、その場を去ろうとした。
神崎さんは背中越しに、
「おぬし、このあたりには詳しいのか」
と訊いた。
ポールさんは、顔だけふりむいて、
「ガイドはしないぞ」
と答えた。
「案内は無用。茶の飲める穴場を教えて欲しい」
「ネットで探せ」
「どこも混んでいる」
ポールさんは、わざとらしいタメ息をついた。
「それはガイドだろ」
「言葉の綾かもしれぬが、場所だけでよいのだ」
ポールさんは、やれやれと言った調子で、
「俺の知り合いで、店をやってるやつがいる。そこでいいなら、な」
と返した。
「かたじけない」
「ここが住所だ」
ポールさんは、そのお店のカードを見せてくれた。
ずいぶんアナログね。
どれどれ……鶴弥千年堂? 変わった名前だ。
カードに書かれている住所を、スマホで調べてみた。
あー、原宿へ向かって歩いて行くのか。
ちょっと遠いけど、原宿も行きたかったから、結果オーライと考える。
私は、
「ありがとうございました」
とお礼を言った。
「事故らないようにな。アイにもよろしく伝えてくれ」
私たちは、そこで別れた。
スマホを頼りに、どんどん進む。
人通りが多いから、歩くのにもひと苦労だった。
10分ほど歩いて、ようやく到着、したものの──
「なんだここは、茶店ではないではないか」
か、漢方屋さん。
白い服を着た細身の男性が、カウンターに立っていた。
ナビの間違いかと思いきや、看板に鶴弥千年堂と書いてあった。
「あの男、騙したな」
んー、あの一件で、恨まれていたのでは……あッ!
私は、張り紙に気づいた。
漢方茶、この場でお入れします、とのこと。
このことかあ。
そりゃ、お茶を飲める穴場だろうけどさ、ポールさん、これはどうなの。
さすがに漢方茶は飲まない。
しかたがないので、そのまま原宿へ移動する。
これまたすごい人、人、人。
特に竹下通りはすごくて、ファッションのメッカみたいなところだった。
神崎さんはあたりを見回しながら、
「ここも茶店はむずかしそうだ」
と言った。
まあ、そこはもうあきらめましょう。
「クレープ買わない?」
「甘味か。よかろう」
私たちはクレープ屋さんに並んだ。
私はイチゴの入った、ストロベリーのクレープを、神崎さんは、ツナと卵のフードクレープを注文した。歩きながら食べる。
うーん、おいしい。
お洋服を見たり、プリクラを撮ったり、アクセサリー雑貨を手にしたり。
お土産も、こういうところで買えば、喜ばれるんだろうけどなあ。
全員に配るには、予算が足りない。
私たちは原宿を満喫したあと、16時頃に、駅前で解散した。
私は山手線で目黒へ移動して、そこから武蔵小山へ。
おばさんの家に帰ると、お夕飯の準備をしているところだった。
クレープを食べたのは、余計だったかも。
ま、けっこう歩いたし、いっか。カロリーは消費されたでしょ。
お風呂に入って、夕食を食べて、今日一日のできごとをあちこちにSNSで報告して、終了。明日は、都ノ大学のオープンキャンパスだ。
電気を消したあと、私はすぐに熟睡した。




