590手目 時よ、止まれ
※ここからは、三和さん視点です。
あー、終わった、終わった。
麻雀だあ、といきたいけど、先に二次会。
集合写真のあと、私はすぐに抜けた。
ここは、H島市内の居酒屋。
お酒が飲めるメンバーは、ほぼ全員集合。
と言っても、そんなにいないんだけど。
ちなみに、辻乙女さんは出禁になりました。理由はお察しください。
私のテーブルには、順子ちゃんと、記者の索間さん、それにY口出身の小早川。私と順子ちゃん、索間さんと小早川が、並んで座っている。順子ちゃんと小早川が通路側、私と索間さんが壁ぎわ。身内グループになった。気楽といえば気楽。索間さんはデイナビの記者だけど、H島の紫水館高校出身で、順子ちゃんのOGにあたる。
順子ちゃんは、
「プハーッ、ビールうま」
と言いながら、ジョッキをテーブルに置いた。
いやあ、大会のあとの雰囲気、いいねえ。
私は、
「順子ちゃん、もうできあがってるね」
と煽っておいた。
「いやいや、全然これからっしょ」
「あとで麻雀打つから、酔いつぶれないように」
「筒井様が、ビールの1杯や2杯で、酔いつぶれるわけなーい」
けっこう閾値低くない?
ま、いっか。
順子ちゃんは、料理もどんどん頼んだ。
焼き鳥、卵焼き、豚焼き、お好み焼き、って、おいおい。
「さっきから焼き物ばっかりじゃん」
「大学生の胃袋を舐めるなあ。三和っちも、どんどん食べて」
「言われなくても食べてるよ」
ちなみに、焼き鳥はもうない。
それに気づいた順子ちゃんは、
「一人一本でしょッ!」
と叫んだ。
「そういう取り決めはしてない」
「くそぉ、あとで全部支払わせてやる」
順子ちゃんは、自分用の焼き鳥を、追加で頼んだ。
それから私たち3人の顔を、順繰りに見比べた。
「ところでさ、今回のメンバー的に、ひよこちゃん優勝って、どうなの? 意外性あったの?」
また危ないことを訊いてくるなあ。
私は、
「終わった直後に、そういう論評をしますかね」
と返した。
「いやいや、気になるじゃん。正直に答えなさい」
「……仮に賭けないといけなかったら、萌に賭けたかな」
小早川は、口にこそ出さなかったけど、同意、みたいな感じだった。
目を閉じて、焼酎を飲みつつ、首を縦に振ったようにみえたからだ。
順子ちゃんは、
「萌ちゃんの評価、みんな高いね。速水くらいありそう?」
と尋ねた。
私は、
「速水は別格だよ。東京の志邨くらいじゃない? 萌の同世代だし、全国大会では、いい勝負してたでしょ」
と答えた。
順子ちゃんは、ふーむ、そんなものか、と半信半疑。
速水っていうのは、A田出身の子で、今の大学将棋界だと、最強。
男子を合わせても、最強なんじゃないかな。
順子ちゃんは、まだ納得していないのか、索間さんにも訊いた。
「お姉さまなら、だれに賭けてました?」
策間さんは、ほほに手をあてて、
「下の世代なので、よくわかりませんねえ」
と、澄まし顔。
順子ちゃんは、えーッと声をあげた。
「お姉さま、波風を立てないおとなになってしまったんですか?」
ダル絡みの後輩はダメだよ。
私は、
「っていうかさ、順子ちゃん、卒業した先輩にお姉さまって言うの、やめない? 女子高のソールズベリーですら、そんな言い方するひといなかったよ?」
と注意した。
順子ちゃんは、ふんと鼻を鳴らして、
「わかってないね。萬屋、索間、そして、この私、筒井順子。泣く子も黙る紫水館三姉妹は、固い絆で結ばれているのだ。H島最強の女子高生将棋指しの系譜」
と反論してきた。
「意味がわからない。そもそも順子ちゃんは最強じゃないし」
「あ~ん? お姉さま、この医者の卵に、なんか言ってあげてください」
「そういえば、今日のまかない弁当は、美味しかったですねえ」
「うわーん、これがニッポンの社会人かッ!」
順子ちゃんはテーブルに突っ伏して、こぶしでバンバン。
「おとながタテマエしか言わないこの国は、もうダメだあ」
私は、
「酔っぱらってるの? 泣くのは役満に振り込んでからにしてね」
とまぜっかえした。
順子ちゃんは、がばりと起き上がった。
「高校ではボケボケだった先輩が、社会人でロボットみたいになってたら、だれでも泣くっしょ」
「しれっと失礼だね」
「いやいや、数々の伝説を残した索間お姉さまを、舐めてはいけない」
登校中、迷子になる。下校中、迷子になる。
春休みにまちがって登校する。夏休みにまちがって登校する。
GWや冬休みが明けても来ない。
順子ちゃんは、いろいろと思い出話をした。
やっぱり失礼だな。
そのあいだに私と索間さんと小早川は、どんどん料理を食べた。
順子ちゃんは、料理がどうでもよくなったのか、ビールをもう一杯頼みながら、
「それにさ、総当たりで予選しといて、決勝がトーナメントって、どうなの?」
と、また日日杯の話をし始めた。
酔っ払い特有の、話題が飛び飛びなやつ。
小早川は、
「別にいいんじゃない。細部は違うけど、サッカーと野球だって、そう。リーグ戦のあとに、もう一回別の試合がある」
と返した。正論。
だけど、順子ちゃんは納得しなかった。
「野球のクライマックスシリーズみたいなの、私は好きじゃないんだよね。ペナントで優勝したのに、日本シリーズに出られないんだよ。おかしくない?」
小早川は、
「ペナントだけだと、最後のほうでダレるから、しょうがないんじゃないの。今回の日日杯だって、仮に総当たりだけで決めてたら、萌と囃子原が、最終戦前に優勝してた」
と再反論した。
「私はそれでいいと思う」
「価値観の問題ね」
「価値観は大事だよ。他人になびいても、いいことなし。我が道をゆく」
順子ちゃんは、我が道をいきすぎなんだよなあ。
もうすこしコミュニティと和合しよう。
和をもって貴しとなす、だよ。
私がそんなことを考えていると、索間さんは、
「ところで、ちょっと質問してもいいですか?」
と訊いてきた。
どうぞどうぞ。
「じつは今度、大学将棋に関連する企画を担当することになりまして、なにかアイデアをいただけたらな、と」
「うわーん、おとなは質問に答えないのに、若者のアイデアだけ搾取していくよ~」
「順子ちゃん、落ち着いて……と言いたいところだけど、索間さん、さすがにそれは都合が良すぎるんじゃないですかね?」
私の指摘に、策間さんはおろおろして、
「あ、すみません、一応、じぶんのアイデアは持ってきたので、その是非について、現役大学生のコメントをいただきたいかな、と」
と弁明した。
ほんとかなあ。
疑っていると、索間さんは、カバンから企画書を取り出した。
「ピカピカの大学1年生東西血戦、というのは、どうでしょうか?」
んー、この、ネーミングセンス。
児童誌とヤクザ映画が合体してる。
順子ちゃんも、さすがにフォローできなかったのか、
「お姉さま、血戦はヤバいですよ」
と言った。
「しかし、ピカピカの大学1年生対決だと、イマイチ迫力が……」
そっちからも離れてください。
とりあえず、内容を訊く。
「東日本と西日本が代表者を出し合って、7番勝負をする、っていう企画です。候補者が多すぎると困るので、1年生に限定します」
私は、
「大学将棋界から1年生合計14人って、選抜がそうとう難しいですよ。ダントツのひとはともかく、3番手や4番手がだれかなんて、ゼッタイ揉めます。っていうか、スケジュールの都合がつくんですか?」
と突っ込みを入れた。
「そこで、各地域の大学将棋連合ごとに、とりまとめてもらいたいんです」
丸投げじゃん。
これがおとなのやり口なのか。
さすがにここは強く出ておこう。
「とりまとめと言っても、幹事に権力があるわけじゃないですし、難しいと思います」
索間さんは、困ったような顔で、
「そうですか……じゃあ、もう一回上と相談するしか、ないですね」
と、思ったよりあっさり引き下がった。
私は、
「そもそも大枠は、上が決めることじゃないんですか?」
と追撃した。
「将棋担当のひとが忙しすぎて、私の単独案件なんです」
それはキツいな。
社会の闇を垣間見せられているようだ。くわばらくわばら。
そのあとは、また日日杯の話題に移った。
どの対局が面白かったか、とか、あの将棋はああしていれば逆転したんじゃないか、とか、そういう話。索間さんは、H島の県代表経験者だ。関西の大学将棋でも有名人だったから、いろいろと参考になるところが多かった。
90分ほどして、解散。
店を出たときには、夜の10時になっていた。
夏の夜風が、心地いい。
私は、少ない星を見上げながら、
「さーて、メンツを集めますか。ふたりくらいなら、ツテでいけるでしょ」
と言った。
順子ちゃんは、あいよ、と言って、スマホをなでなで。
索間さんは、
「さきほどはアドバイス、ありがとうございました」
と言って、頭をさげた。
あいかわらず丁寧な物腰。
「いえいえ、お役に立てず、すみませんでした」
「それでは、このあと残務があるので、ホテルへ戻らせていただきます。またなにかあったときには、よろしくお願い致します」
こちらこそ、と。
索間さんは、ホテルのほうへ消えた。
小早川は麻雀を打たないから、三次会へ。
去りぎわに、
「なんだか高校生のときを思い出した。あなたとは、だいぶ競ったわね。機会は減ったけど、またどこかで指しましょう」
と言った。
「了解。チャンスがあるとすれば、七将戦かなあ」
「それがダメなら、卒業後に社団戦かしら」
いやあ、どうだろ。
社会人になって、時間があるのかどうか。
私は研修医になるし、そもそも大学を4年で卒業するわけじゃない。
そのことを伝えると、小早川は肩をすくめてみせた。
「けっきょく、時間はなくなってから気づくものね」
「だね……それじゃ、また会おう」
「チャオ」
三次会組は、夜の歓楽街へと消えた。
私は背伸びをした。
「どう、集まりそう?」
「オッケ、H大がひとり、帰省組がひとり」
それじゃ、先に雀荘へ移動しておきますか。
ネオンを目印に、ふたりで歩く。
週末じゃないから、ひとけは少ない。昼間の喧騒が、ウソのようだ。
私たちは道を歩く。ただそれだけ。会話もない。
だけどそれが、妙に心地よかった。
時よ止まれ、って言ったのは、だれだっけ。
ゲーテか。
こんな夜は、少しくらい時が止まってくれてもいいんじゃないかな、と、そう思った。




