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こちら、駒桜高校将棋部Outsiders  作者: 稲葉孝太郎
第47局 決勝トーナメント・決勝(2015年8月4日火曜)
593/682

581手目 柘榴の味

※ここからは、大谷おおたにさん視点です。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ……………時間です。

 目を開ければ、いつもの世俗。

 座禅をとき、ベッドから降りると、穏やかな日の光が、カーテンから漏れていました。ホテルに特有の静けさ。雑音の混じった静寂。大勢がいるはずの空間に、ただひとりいるときの孤独が生み出す、独特の雰囲気。

 時刻は18:15。決勝まで、間もなく。

 水を軽く飲み、ストレッチをしてから部屋を出ます。

 ひとの気配がありました。

「しぃちゃん、いらっしゃいますね?」

 天井から、しぃちゃんがふわりと現れました。

「どうだ、調子は?」

「ほどほどに回復しましたが……ベストとは言えません」

 そうか、と、しぃちゃんはうなずきました。

「不思議なものだな。大切な勝負のとき、おのれが最良なことなど、まずない」

「……左様です」

 私の返事が、どこか上の空だったからでしょうか。

 しぃちゃんはハッとして、視線を逸らしました。

「すまぬ、試合の前に言う言葉ではなかった」

「いえ……心強い応援でした」

 私たちは見つめ合ったあと、もはやなにも言わず、別れました。

 人のいない廊下、人のいない階段。

 会場に入ると、スタッフのひとがふたり、壁ぎわに佇んでいました。

 指定された女子の席へ。

 両手をひざのうえにおき、瞑想。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ……………

 しぃちゃん、先ほど言おうかどうか、迷ったことがあります。

 軽蔑されると思い、ずっと言えなかったことを、言おうかと。

 拙僧はしぃちゃんに会う前、ひどいいじめっこだったのですよ。

 まだ小学生のときでした。

 弱い子を暴力で負かすと、とても気持ちがいいのです。

 それを見かねた母が、ある日、こう言いました。そんなことをしてると、お父さんとお母さんに、来世で会えなくなっちゃうよ、と。こども心に、バカバカしいと思いました。来世はありますか? 答えは人それぞれだ、という逃げではなく、あなたは来世を信じるか、と真摯に尋ねられたとき、答えはありますか? 拙僧は信じていません。今でも。

 父と母が交通事故で他界したのは、それから数日後でした。私のせいだと思いました。世界というものが、あまりにも恐ろしくなり、しばらく不登校になって──ふたたび登校したとき、一部の生徒から受けたまなざしは、侮蔑を含んでいました。拙僧はいじめをやめ、それまでの友人からは心配されるほど、おとなしくなりました。祖父は事故のせいだと思い、環境を変えるため、中高一貫の学校へ進学させました。

 ねぇ、しぃちゃん、人間とは、そう簡単には変われないものなのでしょうか? それとも、拙僧の性根が腐っているのでしょうか? 人を屈服させたいという欲望は、拙僧のなかで消えていなかったのです。ソフトボールを始めたのも、将棋を続けたのも、他人を負かしたときの、あの心地よさの代償でした。そう、鬼子母神が人を食らうことをやめられず、柘榴ざくろの実を欲したように、拙僧には、他人を負かしたい欲望があるのです。

 だから、拙僧は……いえ、私は──

《これより、第10回日日にちにち杯、決勝をおこないます。振り駒をお願いします》

 目を開けると、萩尾はぎおさんが座っていました。

「大谷先輩、振り駒をどうぞ」

「……では」

 振り駒の結果は、表が1枚。拙僧の後手。

 駒を戻すあいだ、萩尾さんは微動だにしませんでした。

 女子高生とは思えない貫禄。

 萩尾さん、あなたは今回の参加者のなかで、最強だと思います。

 あなたはいるべくして、ここにいる。

 拙僧はちがいます。

 ほかのだれかがここに座っていても、おかしくはありませんでした。

 もう迷いはありません。

 私はあなたを倒します。

 プライドでも意地でもなく、【私】という本性のために。

《対局準備はよろしいでしょうか? ……では、始めてください》

「よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

 萩尾さんは10秒ほど呼吸を整えて、7六歩。

 拙僧は8四歩。

 どういたしますか? 矢倉? 角換わり? それとも力戦に?

 萩尾さんは、腕を伸ばしながら、軽くタメ息をつきました。

「両者、満身創痍って感じですよね……2六歩」


【先手:萩尾はぎおもえ(Y口) 後手:大谷おおたにひよこ(T島)】

挿絵(By みてみん)


 角換わりですね。承知しました。

 なにか研究があるとは思いません。拙僧にもありません。

 ならば、これまでの経験と勘で、勝負するのみ。

 いざ、決勝の舞台へ。

 8五歩、7七角、3四歩、8八銀、3二金、3八銀。

 棒銀でしょうか?

 6二銀、2五歩、7七角成、同銀、2二銀、1六歩。


挿絵(By みてみん)


 角換わりは先手有利。

 これはもう、動かない事実だと思います。

 アマチュアレベルでも、さすがに差があるでしょう。

 腹をくくります。

 3三銀、7八金、7四歩、4六歩。

「7三桂です」


挿絵(By みてみん)


 萩尾さんの手が止まりました。

 猜疑の色が、瞳に宿っています。

 定跡外しだと思いますか? それとも奇襲?

 ここから6四歩~6三銀なら、桂馬を早く跳ねただけになります。

 しかし、後手からの速攻もありえます。

 萩尾さんはこの手を、どのように解釈なさるでしょうか?

 惑わせるつもりはありません。次にどうするかは、すでに決めてあります。

「……6八玉」

「6五桂」


挿絵(By みてみん)


 最速で攻めます。

 萩尾さんはバンダナに手を当てて、髪をなでつけました。

 その仕草のまま、盤を睨み──おもむろに、フッと笑いました。

「決勝らしく、熱くなりましたね。6六銀」

 6四歩、3六歩、4二玉、4七銀。

 このまま開戦。

 8六歩、同歩、同飛、8七歩、8一飛。

「主導権はあげませんよッ! 5五角ッ!」


挿絵(By みてみん)


 打ち合いの展開に。

 嫌いではありません。

 6三銀なら、6五銀でこじ開けるつもりでしょう。

「7三角」

「先輩、それは腰が引けてます。4五歩」

 9四歩、4六角、5二金、1五歩、6三銀。

 やや減速。

 しばらくは駒組みが続きそうです。

 5六銀、3一玉、9六歩。


挿絵(By みてみん)


 おや……争点を作ってきました。

 これは9五歩とできます。挑発ですか?

 拙僧は、萩尾さんの表情を確認。

 さきほどまでの情熱的なところは消えて、冷静な高校生に戻っていました。

 勢いで指したとは、見えず。

 もう一度、端の攻防を確認──なるほど。

 9五歩、同歩、同香、9七歩で収まりますか。

 とはいえ、9五で宙ぶらりんになった香車を、取る手段もないです。

 後手の端が崩壊するわけでもなし、先手が歩を入手できるわけでもなし。

「……9五歩」

 乗ります。

 同歩、同香、9七歩。

 いったん6二角と引いて、萩尾さんの出方をうかがいます。

 過激に進めるなら、2四歩、同歩、5五銀左からの強行突破かと思いますが……その場合は、9七香成、同香、8六歩、同歩、9六歩、同香、8六飛から先攻できます。

 もちろん、5五銀が入っていることが前提です。入っていない場合、8六飛、8七歩、9六飛、9七香、6六飛、6七歩で、飛車が死んでしまいます。


挿絵(By みてみん)


 (※図は大谷さんの脳内イメージです。)


 9六歩は、細かいところで、相当読みを入れた手です。

 だとすれば、2四歩~5五銀は、あまり期待できません。

「……」

「……」

 1分ほどして、3七桂。

 やはり、という流れ。組み立てが難しくなりました。

 端攻めのタイミングは、しばらく来ないように思います。

 立て直しを。

「5四歩」

 5八金、4二金右、7九玉。

 2二玉と入玉するのが無難……でしょうか。

 以下、8八玉、5二金、6八金右なら、やや千日手含みに。


挿絵(By みてみん)


 (※図は大谷さんの脳内イメージです。)


 しかし、分岐も多いです。

 途中で6五銀と食いちぎり、そのまま攻める手も考えられます。

 攻めるなら2四歩、あるいは取った桂馬で2六桂が第一感。

 この段階で攻守の方針を決めないと、厳しいやも。

 萩尾さんは、どちらかといえば、攻め将棋。

 拙僧が仕掛けなくとも、仕掛けてくるはず。

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ……………迷っても、せんなきこと。

 本局は、鬼になるのみ。好きなようにはさせません。

「こちらから攻めます。1四歩」

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